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6-2


 ◇◇◇



 久しぶりに夢を見た。

 

 遠くて近くて、だけどもう二度と戻れない過去の夢。

 夢の中のわたしは今よりもずっと幼い顔立ちをしていた。ブレザーを着ている。髪が長い。

 そう、これはわたしが中学生の頃の記憶だ。


 その日、わたしはいつになく緊張していた。

 格好は中学校の制服姿のままだったけれど、できるかぎり目一杯のおめかしをした。何度も何度も鏡を見て、頭のてっぺんからつま先まで、変なところがないかを確認した。

 初めてだった。

 初めてわたしは、自分の気持ちを伝えようと思った。


 自分の――この胸の内を。

 想いを寄せるあの人に。


 わたしは公園のベンチに座って、彼のことを待っていた。彼がこの日、この時間に、この公園の前を通ることは、何週間も前から調べてわかっていたことだった。

 だから今日、彼は必ずここにやって来る。

 緊張のしすぎで手に汗が滲んだ。スカートをぎゅっと握ろうとして、でもそうしたら制服がシワになって台無しになってしまうと思って堪えた。

 時間の流れが遅く感じた。

 もう何度も柱時計を見上げているのに、時間は一向に進んでいない気がする。

 わたしはふぅと息を吐いた。そうやって呼吸を整えようとした。

 だけど、不意打ちだった。


「――香澄ちゃん?」


 わたしの心臓はこのとき、間違いなく止まっていたと思う。一度大きく鼓動した心臓が、その勢いで身体を突き破って外に飛び出してしまったのではないかと錯覚するほど、わたしは驚いた。

 わたしの目の前に彼がいた。わたしは目をまんまるに見開いて、呆けたように彼のことを見つめていた。


「香澄ちゃん?」


 もう一度、彼がわたしの名前を呼んだ。わたしに掛かっていた金縛りの魔法は、彼の声で解けた。


「あ、わ、あ……お兄さん」


 わたしはしどろもどろになりながらも、何とかそれだけを口にすることができた。

 毎日毎日頭に思い描いていた告白の段取りは、頭から白紙になっていた。


「え、えっと、あの、あの……」


「こんなところで会うなんて珍しいね。学校帰り?」


 緊張のピークに達していたわたしとは対照的に、彼はいつも通りの彼だった。

 優しげで、穏やかで。

 初めて会ったときと、何も変わらない。

 だからきっと、そのおかげかもしれない。

 わたしの肩から、ふっと力が抜けた。緊張して固まっていた身体は一気に弛緩して、すごく楽な気持ちになれた。


 ああ、どうしてこんなにも、彼の声を聞くと落ちつくのだろう。


「……はい、その帰りに公園に寄っていました」


「ふぅん、そうなんだ。僕もここを良く通るんだけど、今まで全然気づかなかったよ」


 彼は言う。わたしがここにいたのは彼を待っていたからであって、頻繁に訪れる場所ではない。

 それでもつまらない見栄を張ってしまったわたしは、


「そうだったんですか。それじゃあこれまでずっと、すれ違いだったんですね」


 そんな強がりを言ったんだ。


「あはは、そうみたいだね」


 だけど彼はそんな風におかしそうに笑った。その笑顔を見ているだけで、わたしも幸せな気分になれた。


「香澄ちゃんもこれから家に帰るのなら、近くまで一緒に帰ろうか」


 わたしと彼の家はそう離れてはいない。わたしは彼に伝えたい言葉を伝えられないまま、彼の言葉に頷いてベンチから離れた。

 彼と並んで歩きながら、わたしは頭の中で準備していた言葉を反芻した。だけど、最初の一言目ですら、言葉にしようとした途端に口の中がカラカラになって、音が空気となって漏れ出すだけだった。

 

 どうして。

 なんで、なんでなの。


 わたしはそんな不甲斐ないわたし自身を呪った。呪いながら奮い立たせようとしたんだ。

 それでも、言葉はまるで出てこなくて――。

 それなのに、今度は時間ばかりがすぎていく。


 嬉しいのに悲しい。


 嬉しいのに辛い。


 せっかく彼と二人きりなのに、並んで歩いているのに、わたしは何も言えずにいる。

 うぅん、違う。そうじゃない。

 彼とわたしは歩きながらずっと話をしている。わたしじゃないわたしが、彼と話をしている。

 肝心なことは何ひとつとして伝えられていないのに、肝心じゃないことはいくらでも言葉にできるのに。

 

 本当に、なんて――情けない。


 わたしはどうしようもなく泣きそうになった。

 もう何が何だからわからなくなって、ぐちゃぐちゃに掻き乱されたわたしの心は、もうはち切れて爆発してしまいそうだった。

 そうして急に立ち止まったわたしに、彼もまた立ち止まって怪訝そうな顔を向けた。


「どうしたの?」


 わたしにだけ向けられたその心配げな言葉に――、


「ぅ……ぅふぇ……」


 わたしの心は、ついに決壊した。


「ぅえ……ぐすっ……ふぇぇん…………」


 突然泣き出したわたしに、彼は心底驚いたようだった。どうして良いかわからず、困り果てて立ち尽くしている。

 それもそうだろう。

 彼はまだ何も知らないのだから。

 私の心の中なんて、何も。


「……何か辛いことでもあったの?」


 だけど彼はそう言いながら、泣きじゃくるわたしの頭に手をおいて、優しく撫でてくれた。

 その手の温かさと優しさが心地よくて、わたしは鼻をすすりながら、流れる涙を必死になって止めようとした。彼はわたしが泣き止むまでの間、ずっとそうして、人目もはばからずにわたしの頭を撫で続けてくれた。

 それからしばらくして、やっとわたしが顔を上げると、彼は安心したように手を離した。


 あの日以来ずっと触れられることのなかった彼の手が離れていく。

 鼻と眼を真っ赤にしたわたしは、その手を名残惜しそうに見つめながら、胸の内から自然と沸き上がってきた言葉を口に出したんだ。



 ――ずっと、お兄さんのことが好きでした。



 ◇◇◇



 わたしは眼を醒ます。

 温かい布団と、温かい毛布。

 ここは、自分の家じゃない。

 ぼんやりとした頭のまま、わたしは身体を起こした。

 変な違和感がある。知らない服を着ていた。わたしの部屋着じゃない。大きいウェアだ。

 顔を横に向ける。見慣れないテーブルが立てかけてある。明るい色のカーテンを通して、日差しが差し込んでいる。

 だんだんと目が慣れてきた。頭もゆっくりと回転を始めている。

 ここは、どこ?

 昨日わたしは、どうしたっけ?

 普段決してそんなことは思わないのに、違う環境で眼を醒ましたという事実が、わたしにそうさせた。

 そんなとき、


「あ、ごめん」


 そんな声が聞こえた。

 それはわたしが夢に見ていた声だった。懐かしい、近くて遠い声だ。


 ああ、わたしはまだ夢の中にいるのかもしれない。


 だけど、その声は夢じゃなかった。


「やっぱり起こしちゃったみたいだね」


 その声は続けてこう言ったから。


「おはよう、香澄ちゃん。朝ご飯食べる?」


 そうだ。わたしは慧さんの家に泊めてもらったんだ。


冬の童話祭2016に何か出したいなと思ったり、思わなかったり。

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