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◇◇◇
眉住慧――それが僕の名前だ。
マンションの郵便ポストや表札には何も書いていないけれど、友人知人、もしくは僕と多少の交流があった者ならば、僕の名前くらいは知っていてもおかしくはない。
だけども、少女がいったい誰なのか、僕は思い出せなかった。
友人関係は狭く深く――100人の友達よりも1人の親友を作る方が大切だという考えを持っていた僕にして思い当たる節がないのだから、僕との交流がそれほどあった相手ではないのだろう。
それに、同世代の男性ならともかく、女性の――それも女子高生ともなれば、いよいよもって思い至らない。
僕はちょうど二人分の水を電気ケトルに入れて、水が沸くまでの間、僕の人生で女子高生と知り合う機会があったかどうかを振り返っていた。
「あー……妹の友達かな」
今年高校三年生になった僕の妹の友達であれば、年齢的にはぴったりと当てはまりそうだ。
しかし、だとすればもっと過去――僕が実家にいた頃まで振り返らなければならない。
カチッ。
と、そこまで考えたところで水がお湯に変わったようだ。
僕は電気ケトルを持ち上げると、茶こしを通して二口の湯飲みにお湯を注いだ。そうして出来上がったお茶を持ってダイニングへと戻る。
「どうぞ」
僕は少女の前に一口の湯飲みを置いた。もう一口の湯飲みは手に持って少女の正面に座る。
とりあえず少女を家にあげてしまったけれど、良かったのだろうか。
さすがに家の前で泣かれてしまえば、そうする他に考え付かなかったのだけれど、改めて思えば僕はいったい何をしているのだという気持ちになっていた。
こんな時間に女子高生を家に連れ込んでしまった。隣人や近隣住人に見られていたら、変な誤解をされかねない。
「あの……」
と、正座したまま置物のように微動だにしなかった少女が、わずかに頭を持ち上げた。
「わたしのこと、覚えていますか?」
その言葉から、少女の不安ながらも期待に満ちた様子が伝わってきた。
僕は、この少女を知っている?
少女の言葉は、そういう意味のものだ。
僕が少女の事を知っていなければ、決して出てこない言葉のはずだ。
だけども、僕は思い出せない。
少し明るい色に染めたセミロングの髪。ナチュラルメイクを施した顔立ちは、若干の幼さを残しながらも、大人びた印象を感じられる。少女が着ている学生服のデザインは、朝の通勤途中で普段良く見かけているものと同じものだった。
この近くの高校に通っているのかな。
「えっと……」
そんな言葉で僕は間を持たせて思考時間を稼ごうと試みたが、どんなに考えても思い浮かばない。
そもそも女子なんて小学生と中学生と高校生でだいぶ外見が変わるものなのだから、パッと見で思い出せるはずが――。
「――あ」
僕は湯飲みに口を付けながら少女のことをもう一度良く見てみようとして、思わず声をあげた。
上目遣いで僕を見つめている少女。
その不安と期待がない交ぜになって揺れ動いている瞳に、僕は確かな覚えがあった。
ああ、そうか――。
どうして忘れてしまっていたのだろう。
僕は、彼女を知っている。
僕は確かに、彼女のことを知っている。
「君は妹の友達の――」
もう既に少女の名前まではっきりと思い出していた僕は、それでもあえてそんな枕詞を付け足しながら、
「にした――」
「はいっ、西垂水香澄です!」
少女は僕の言葉を待ちきれなかったかのように、自らの名前を僕に告げたのだった。
眉住 慧・・・社会人2年目
西垂水 香澄・・・高校3年生
自分でも後で後で気づきましたが、二人とも"すみ"ですね。