初めてのイベント参加
五月三十日、金曜日。
「イベント日程を調べてきたんだけど、六月のコミバタが二十九日で、その次が七月二十日だね」
「六月の日程だと期末テスト直前すぎて無理よね。原稿の期間も考えて、七月が現実的だと思うわ」
「夏休み期間中になっちゃうから生徒会長が文句言いそうって感じだけど…」
「其処は大丈夫であろう。奴とて生徒会長、責任感が有れば文句は言うまい」
今日も今日とて話し合いは行われていた。
「じゃあ七月二十日で申し込みましょう。サークルカットは誰が描くの?」
サークルカットとは、パンフレットに載る自己紹介スペースの事だ。
サークルカットはサークルの顔である。
そのカットを見て、参加者達は行くサークルを決める事も大いにある。
「オレは詠子ちゃんがいいと思う。オレよか絵上手いし、元々原案は詠子ちゃんだし」
「さんせーい」
「我で良いのか?」
「字だけだと寂しいしね。詠子ちゃんがいいならば」
ちらりと創を見てくるので、同じ絵を描く者として気兼ねしているのだと感じた創がそう言った。
「分かった。全力を尽くそう。それと、皆にこれを」
設定のラフ絵にペン入れし、色鉛筆で彩色したもののコピーを三人に差し出す詠子。
「あ、資料だね? ありがとう」
受け取って見ると、細かいアイテムの設定なども盛り込まれていた。
そして名前は、カタカナでそのままのものが使われていた。
「ハジメ、アカネ、サキ、エイコ、ユウ…。せめて生徒会長の名前変えたほうが良くないかしら?」
「分かりやすくて良かろう」
耳に髪の毛をかき上げながら言う咲の提案を、詠子はあっさりとスルーした。
「これ会長が見たら怒るんじゃ…」
「そんな狭量の人間には怒らせておけば良い」
「まぁ、いいんじゃない、そのままで」
無茶なことを言うと思うが、面倒なのでその意見を受け入れることにした。
「あたしがやるのはあたしのキャラでいいんだよね?」
「うん、それでいいと思う」
茜の疑問に創が応える。
「詠子ちゃん、コピー代いくらかかった? 後で清算するわ」
「この程度問題ない」
「ダメよ、この部活に関わる出費と収入は全部管理します」
「むぅ…分かった」
鼻息荒く言う咲に、詠子は金額を話した。
咲にとって、余程この間の勇の言葉が引っかかっているようだ。
「とりあえずどういう形で本を出すかだよね」
「かたち?」
「こないだ詠子ちゃんが言ってた本編をまず本として作るじゃない?」
「うん」
「たとえば、本編で一冊作って、逸話でまた別の本を作る。そうするとスペースも埋まるし、サークルとしては見映えはいいよね」
「ふんふん」
「それか、一冊にまとめて、本は一冊だけ出す。その代わりグッズを充実させる…とか」
創の提案に、咲と詠子は唸った。
「こないだの話を書くとすると、それだけで結構ページ数いきそうじゃない? 逸話まで含めては一冊はコピーじゃ無理じゃないかしら」
「なんでコピーだと無理なの?」
咲の言葉を聞いて、素直な疑問をぶつける茜。
「コピーだとどうしてもホチキスで止めるのに、ページ数が多いと止まらないでしょ?」
「あ、そっか」
「じゃあ一冊本編で出して、スピンオフ的なのを別の本で出すってこと?」
「そうなるね」
「じゃあ、そうしよう」
ぱんっと手を打って、順調のように見えたのだが、ひとつ大きな問題があった。
「その逸話をどうするかだよね…」
「考えてきた?」
「考えたけどさっぱり」
「私も…」
うーん、と悩みながら、二人の視線は自然と詠子へと移る。
「詠子ちゃん…」
すがる様な目線を受けて、うっと詠子は唸った。
「…次までに考えてくる」
「ごめん…。オレ達も貰った資料見てもう一度考えよう」
「そうね…」
はぁっと三人がついたため息に、茜は俯いた。
「…なんかあたしなんも出来なくてごめんね…」
「いや、茜さんは茜さんで衣装作るっていうのがあるし!」
「そうよ、当日の売り子だって頑張ってもらうし」
「汝はよくやっている。同人というのは得意分野がそれぞれあるものだしな」
三人がかわるがわる言ってくるのに、茜は笑顔をぱっと浮かべた。
「…うん。あたし、頑張るね!」
何かを決意したように鼻息を荒くして言う茜に、三人はほっとした。
「とりあえず生徒会にイベント日程報告に行くから、今日は終わりにしよう。このままあーだこーだ言っても進まないだろうし」
時計を見ると、四時半。
まだ生徒会はいるはずだ。
「詠子ちゃんはとりあえず本編の小説書き始めていいから。あと、サークルカットを次までに宜しく」
「生徒会に一人で行く気?」
「まぁ、イベント日程言うだけだから大丈夫でしょ」
「でも…」
「大丈夫だって。先帰ってて」
笑顔でそう言うと、創は鞄を取って美術室を出た。
勢いで出てきたはいいものの、一人で歩いていくと不安になってきて、生徒会室の前で大きく深呼吸をする。
「失礼します」
「むっ」
ノックをして入ると、勇が噛み付きそうな顔で見てきて創は後ずさった。
すると、勇を後ろからスパーンと景気良くファイルで頭を叩いたのは真里だった。
「会長、お止めになってください。寒河江さんが怯えています」
「僕は今君に怯えているよ…!」
ぷるぷると痛みを堪えながら抗議する勇。
「で、何かな!?」
やり場のない怒りを創にぶつけるように聞いてきて、創は自分に落ち着け、と思い聞かせる。
「…イベント日程が決まったので伝えに来ました。七月二十日です」
「夏休みに入ってるじゃないか!」
文句を言う勇の後頭部から、もう一度スパーンと景気のいい音が響いた。
「だから何ですか。一日くらい、いいでしょう」
「真里くん、君は僕のことを昭和の家電か何かと勘違いしていないか!? ぱかぱか殴っても僕の頭は治らないよ!?」
自分で言うあたりこの人も大概だなぁ、と創は思う。
「分かった…。予定を空けておくから、時間と場所を後ほどまた報告を宜しく頼む」
「はい。それじゃあ、失礼しました」
ぱたんと生徒会室の扉を閉めると、大きくため息をついた。
どっと疲れた気がする。
ふらふらと美術室へ帰る道は、なんだか暗く思えた。
「あっ、帰ってきたー!」
美術室へ戻ると三人が待っていた。
「大丈夫だったか、創」
「待っててくれたの?」
「もっちろん!」
「何か嫌なこと言われなかった?」
矢継ぎ早に言われて、ちょっと創は驚く。
「うん…大丈夫…」
「じゃあ帰ろう?」
「うん」
にこっと笑みを浮かべる創に、三人はほっとしたような顔になった。
自分の帰りを待っててくれてる人がいる。
心配してくれる人がいる。
…仲間がいる。
創は、先ほどの暗かった廊下が別世界のようで、ちょっと心がくすぐったかった。
六月三日、火曜日。
衣替えも済んで、皆夏服を身にまとっていた。
部活を立ち上げてもう二ヶ月弱。
早かったような、短かったような、不思議な感覚に囚われる。
心も新たに、三人と一緒にサークルを立ち上げる事が待ち遠しかった。
「詠子ちゃんサークルカット描けた?」
「うむ。これでいいか?」
ぺラッと紙を差し出すと、それを見て三人から歓声が上がった。
「かっこいい! 四人ちゃんといるんだね」
「誰か一人は選べなかったのでな」
茜が騒ぐので、詠子は赤くなった顔を隠すように俯いて言った。
「じゃあ私がこれデータにして申し込みするわ。サークル名はどうする?」
咲の発言に、三人は顔を見合わせる。
「同人部…でいいんじゃない? 部活動の一環だし」
「うん、いいよねー」
「捻った名前にすることも無かろう」
「分かったわ。あと、追加椅子いるわよね?」
「そーだね。常時スペースに二人はいるようになるもんね」
追加椅子とは、通常一スペースに一脚の椅子に、もう一脚追加で置くことだ。
コミック・ウォーでは元々二脚椅子が置かれるが、その他のイベントではほとんどこういうシステムだ。
「咲先輩データ処理とか出来るんだー、すごいねー」
「まぁ一応ね。創くんもこれくらい出来ないと」
「男は黙ってアナログだ」
「私女だし、デジタル使いこなせない負け犬の遠吠えにしか聞こえないわ」
「まぁまぁ。逸話は?」
ばちっと創と咲の間に散った火花を止めるように、茜が話を変えた。
「その前にこのオリジナルのシリーズタイトルじゃない?」
「あー」
うーん、と悩みだす四人。
「ありがちに、ハジメとゆかいな仲間たち」
「嫌だよオレ名前出されるの…」
「闇の僧侶バーサス光の勇者!」
「それ絶対僧侶負けそう」
「我らが冒険譚」
「内容分かりづらいかも」
うーん、ともう一度考える。
「勇者討伐隊のススメとか」
創が提案すると、三人は一様に創を見てきたので、外したかと不安になる。
「…なんかラノベっぽいけど、今までの中ではマシかも。中身も分かりやすいし」
「じゃあ、それで決まりー」
ぱちぱちと拍手が起き、創は安堵のため息を吐いた。
「うむ、話を戻して逸話は考えてきたか?」
「茜と私の出会いの話はどうかしら。創くんも言ってたでしょう、二人の立ち位置が弱いって」
詠子の言葉を受けて、咲が言う。
「それいいね。で、具体的な話は?」
「うーん、ざっくりこんな感じ」
レベルの低い魔法使いな咲が、仲間を見つけようと旅人の集う酒場へ。
賞金稼ぎをしているという噂の茜を見つけて、仲間にならないかと話しかける。
最初は、足手まといはいらないと断る茜。
どうこうして結果的に仲間になる。
「…どうこうって何?」
「思いつかなかったのよ! 悪い!?」
「逆切れ!? そこが一番肝心じゃん!」
ふんぞり返って開き直る咲に、創は突っ込んだ。
「ならばこういうのはどうか。ありきたりかもしれぬが、賞金稼ぎで倒したモンスターの仲間に襲われるところを、咲が魔法で助ける」
「そのありきたりが思い浮かばなかったわ…。それで行きましょう」
「詠子ちゃんすごいねー」
茜が子どもを褒めるように詠子の頭を撫でながら言うので、二つ年上の先輩である事を忘れていないか少し創は心配になった。
しかし、満更でもなさそうな顔を詠子がしているのを見て、まぁいいかと思う。
「で、創の描く漫画はどうするか」
「うーんとね、短いけど構想は出来てるんだ」
「どんな?」
「えーとね」
召喚士の傍ら、占いを営んでいる詠子。
水晶で勇の事を視ていた詠子が創たちのことを知り、自分の所に来るのが分かる。
全てを知った上で、創たちが扉を開けたとき、物語が始まる…。
「いいじゃん、いいじゃん」
「で、最後の台詞が本編の詠子ちゃん登場の台詞とリンクするっていう」
「長さもマンガなら丁度いいんじゃないかしら」
「敢えて我の逸話にするか。くく、それも良かろう」
三者三様の肯定意見が出て、創はほっとした。
「まぁこれ画力が無きゃ良い雰囲気に描けなそうなんだけどね…水晶に映った姿とか占い師の部屋の中とか…」
「そこは頑張ってちょうだい」
「簡単に言わないでくださいよ、咲先輩…。まぁまだ一ヶ月以上あるし、頑張るけどさ…」
ふぅ、とため息をついた。
「詠子ちゃんは早めに登場時の台詞考えて教えてね」
「理解した」
「これで全部の話が揃った訳だね。じゃあ、これからの予定だけど…」
そして、暫く部活の時間を原稿に費やすために、試験までを部活休みとした。
期末試験前はまた集まり、勉強会。
七月三日までが期末試験で、その翌金曜日は試験休みの為、次に集まるのは七月八日になった。
「よし、じゃあ各々の課題を頑張ろう!」
『おーっ!』
創はマンガを、咲と詠子は小説を、茜は衣装を。
それぞれの戦いが始まった。
部活が休みの間も、連絡はラインチャットで取り合っていた。
全員との会話がリアルタイムで出来るので便利である。
茜が時々衣装の途中経過写真を送ってくるので、それに対して返信したり自分の進捗状況を話したり。
小説組の二人はどこまで書けたという事を言ってくるのだが、創はそれに対して焦りを感じていた。
もうそんなに進んでいるのか、と。
まぁマンガと小説で比べるのもなぁ、元々話の長さも違うし、などと自分を慰めながら作業を進めた。
割と早い段階で、詠子がリンクする台詞を作って教えてくれたのは有難い。
ネームという、コマと台詞と構図を描き込んだ下書きの下書きのようなものを作る工程でだいぶ時間を持っていかれるが、なんとかそれも作り上げた。
原稿自体は、八枚に決まった。
原稿用紙には、同人用のA4サイズと投稿用のB4サイズがあるが、創の使う用紙は前者だ。
一回り小さいため相対的に画面を埋めるのが楽という面と、一般的に同人誌を作る際はこっちだと聞いたからだ。
下書きに少し入ったところで試験期間を迎えて、とりあえずネームは出来ていて良かったとほっとする。
後は期末試験が終わった後どれほど進められるかだ。
そうして、瞬く間に時は過ぎていった。
七月八日、火曜日。
約一月ぶりの部活で、試験も全員無事クリアし、進捗状況を話す場になった。
創は下書きまで全部終わっていた。
茜も衣装を持ってきたようで、大きな紙袋を持ってきていた。
クラスメイトから何それ、と聞かれていたが堂々と見せびらかす事が無かったのが幸いだ。
部室に着いたのは二人が最初だったので、少しでも進めようと創は原稿を取り出す。
「わ、ソウくん頑張って描いたねぇ」
「うん、オレ実はマンガ一本描くのは初めてなんだ」
「えぇー、それでここまで出来ればすごいよ!」
しかし創自身は絵だけでも詠子と比べて下手だと思い悩んでいた。
詠子がこのマンガを描けばいいとすら思ったこともある。
「茜さん、正直に聞かせて…。詠子ちゃんと比べてこの絵どう?」
自分でも、言いづらいことを聞いていると思う。
慣れない作業できっと疲れているのだとも思った。
「えー、あたし全く描けないから、二人ともすごいと思うよー。それに、その人の絵ってその人にしか描けないものだと思うし」
「…そっか、そうだね。変なこと聞いてごめん」
納得したように言うが、締め切り前でナーバスになっているのか、なかなか受け入れることは出来なかった。
同じサークルだとどうしても比べられる、というのが念頭にある。
そんな事を言ったら小説組二人もそうなのだが、小説の良し悪しはマンガより分かり難いと思っていた。
「もう来ていたか」
「遅くなった?」
詠子と咲が、途中で一緒になったのか同時に入ってくる。
「お疲れー」
茜が明るい声で挨拶した。
「進み具合はどう?」
「…こんな感じ…」
原稿を渡す。
「改めて見ると、マンガ描くのって無茶苦茶大変そうね…」
「まぁね…」
疲れ果てた声をため息に乗せて出した。
「間に合いそうか?」
「まぁ、あまりに無理そうだったら徹夜するから大丈夫」
詠子と話すと、胸の辺りがちりちりする。
単なる嫉妬だと分かっているだけに、自分が情けなかった。
「トーン貼りくらいだったら手伝える。無理をするな」
「…いっそ、詠子ちゃんが描いたほうがいい気がしてきたよ…」
「?」
首を傾げる詠子を見て、創は己の失言に気づいた。
「あっ…忘れて。たぶん疲れてるだけ…」
ゴッ。
鈍い音が響いたのが自分の頭だと気づいたときには、既に痛みが襲ってくる。
「何すんだよ!」
「あのね、創くん。誰が同人やろうって言い出したのよ? 君でしょう! 描くことを勝手に諦めないでよ!」
「…」
「まぁ、咲よ、落ち着け」
詠子が止めに入るが、咲は更に続けた。
「私だって、比べられるの怖いわ。でも、それを理由に書くの止めようなんて思わないわよ! 好きで同人やるんでしょ!?」
「…ごめん」
部室内が、しんとした。
「そんな事で悩んでいたか」
詠子に嫉妬していた自分が情けなくて、創は目を合わせられなかった。
「我はマンガなど描けないぞ。イラストが精々だ」
「へ」
「画面をどう構成していいか全く理解出来ぬのでな。だから一枚絵しか描けないし、それで十分だと思っている」
嫉妬以前の問題だった。
それが真実なのか、詠子が気を使って言った言葉なのかは定かではないが。
「なんだ、そっか…」
「ちょっと創くん、男だったらそこで安心するんじゃなくて、負けないくらい頑張るとか言いなさいよ」
力が抜ける創に対して、咲が言う。
「うん、一枚絵でも詠子ちゃんに負けないように頑張る。そうだった、オレ好きで同人やってるんだった。咲先輩ありがと」
「殴られてお礼言うなんて、マゾじゃないの、全く」
にこっと笑って言うと咲が毒を吐くが、照れ隠しなのが分かった。
「なんか弱気になってた。ごめん。小説の進みはどう?」
「私は一応進んでるけど…納得できない部分がかなりあってね。直しに時間かかりそうだわ」
「我も、文体を少し変えてこちらの住人にも読み易いようにしていたらなかなか…茜はどうだ? 写真ではだいぶ進んでいたようだが」
相変わらず詠子はどこの住人設定なのかは分からないが、話を振られた茜は気にせずに腕組みをして立ち上がった。
「ふっふー。だいぶ出来たよー」
紙袋をがさがさと言わせながら、ばさっと衣装を取り出した。
「じゃーんっ!」
それは正に二次元からまま飛び出したような衣装だった。
詠子の細かい指定も忠実に再現してあって、完成度は高い。
胸当ての部分は、紙粘土で作ってあるようだ。
「小物はこれからだし、まだ仮止めの所いっぱいあるけどね」
「すごい…。これは売り子としてかなり目を引くと思う!」
創が素直に感心する横で、咲は別の目で衣装を見ていた。
因みに詠子はぴらぴらと衣装を触っている。
「茜。布とか買った時のレシートは取っておいてある?」
「あ、うん。今度でいいかな?」
「イベント終わったら清算するからね」
厳しい目で見ていると思ったら、会計らしく金銭面の心配をしていたようだ。
「創くんも、トーンや原稿用紙の新しく買った?」
「うん」
「レシートはある?」
「あ、財布の中にある」
「じゃあ頂戴」
「分かった」
自分の鞄の中から財布を取り出し、レシートを手渡す。
「はい。でも、そしたら小説組はだいぶ損してない?」
「我らはプリンターのインク代を請求するから気に病むな」
「そう…」
一体総額いくらになるのだろうと、少し心配になる。
「あ、そうだ。これ、チケット来たわよ」
「おおーっ!」
咲が手に取っていたのは、封筒に入ったコミック畑のチケットだった。
「で一つ問題があるのよね…」
「…何?」
「サークルチケットが三枚しか無いのよ…」
『……』
全員が完全に忘れていた事だった。
コミック畑もコミック・ウォー同様、一サークルにつき三枚しかチケットが配布されない。
「…て事は、この中の一人は一般入場って事か…」
「違うわよ、二人」
「どういうこと?」
「生徒会長の分があるでしょ」
「あ」
これもまた、全員の意識の外にあった。
「会長一般でもいいんじゃ…」
「我々の見張りに来るのだ。最初から視察出来なくばいけなかろう」
「そうか…」
貴重なサークルチケットを、金も出していない勇に渡すのは癪だが、しょうがない。
「今回は部長の創くんと、コスプレ準備のある茜が先に入るのがいいと思うの」
「あたし一般でいいよ?」
「コス売り子なら最初から居たほうがいいでしょ。一般入場開始までに着替えて」
「はぁい…」
申し訳なさそうに茜が返事をした。
「という訳だ。なるべく早く入れるように並ぶから、それまで勇とやれそうか?」
詠子が心配げな瞳を向ける。
そうだ、茜が着替えに行っている間二人なのだ。
「…うん、大丈夫。頑張るよ」
笑顔で言うと、にこっと詠子が笑った。
「後で魔法の書をやろう。勇に効くのでな」
「?」
意味が分からず首を傾げる創。
「とりあえず、終業式まで各々やろうか。んで、終業式の日に製本出来るように!」
「おー!」
「またなんかあったらラインでやり取りね」
「そうね」
話がまとまったところで、詠子が鞄を開けた。
「創、これを」
「さっき言ってた魔法の…ってこれ、小学校の卒業文集じゃん」
「奴に掲げてみるがいい」
「ぷっ。分かった、やってみる」
そりゃあ、小学校の頃の文集など出されたらひとたまりも無いだろう。
これは確かに、魔法の書だった。
「じゃあラストスパート! 頑張るぞー!」
『おーっ!』
一致団結するように、手を四人で重ね合わせた。
それから一週間半、それぞれが死ぬ気で作業した。
時にはラインで励ましあい、創は初めての修羅場だというのにそこまで辛くはなかった。
むしろ下書きまでの間悶々と悩んでいた時期の方が辛かったような気がする。
咲の活入れが効いたのだろうか。
ガリガリと毎日机に向かい、創は原稿をなんとか完成させ、ぼろぼろで終業式を迎えた。
七月十八日、金曜日。
終業式があり、その間四人は屍のようになっていた。
ホームルームの時間も、早く終われ、と祈るほど疲れていた。
そしてホームルームが終わり、皆が夏休みだーとはしゃぐ中、創は門屋の傍に寄っていった。
「門屋先生、売る予定の見本って、いつ渡せばいいですか? これから作る予定なんですけど」
クラスメイトに余計なことが聞こえないようにぽそぽそと言う。
「おお、生徒会から聞いてるよ。明後日本番だって?」
「はい」
門屋も気を利かせて、創にだけ聞こえるように話してくれた。
改めて明後日、と言われると緊張感が増すようだ。
「今日中に出来そうなの? 本は」
「その予定です。部室で作ります」
「じゃあ、職員室で待ってるから出来たら声かけて」
「分かりました」
ふと不安感に襲われて、こんな質問を投げかけた。
「万一今日出来なかったらどうしましょう…」
「一応売る前に確認はしないと意味ないから、そしたら明日だな」
「分かりました…」
「頑張れよ~」
呑気に手を振る門屋に会釈をする。
「ソウくん、部室行こー…」
「うん…」
二人でふらふらと廊下を歩き、美術室へと向かった。
「来たか…」
扉を開けると詠子が待っていた。
「終わったか?」
「まぁ一応ね…」
「あたしもう少し…」
目が疲れているのか、茜が目薬を差して暫し目を閉じた。
「ものすごく疲れてるけど、不思議と気分は高揚してるんだよね…。これから本になるのがドキドキする」
「だな」
「みんないるー?」
扉を開けて入ってきたのは咲。
「原稿揃ってる?」
「うん」
「じゃあ面付けして近くのコンビニにコピーに行きましょう。両面も手差しも大丈夫なコンビニがあるの」
手差しとは、コピー機の外部から、持ち込んだ紙を入れる事だ。
紙が詰まるという理由で、大抵のコンビニはこれを禁止している。
また面付けとは、本にする前の原稿をコピーしやすいように順番や配置を決める作業である。
「職員室でコピーさせてくれないかな? それならタダ~」
「駄目よ。職員室じゃ藁半紙だし、それこそ職権乱用に思われかねないから」
「ちぇー」
茜の提案を、咲がばっさり切った。
そして三人それぞれが、原稿を鞄から取り出しにかかった。
原稿枚数が四の倍数だったら、両面コピーをした時に丁度中綴じ本に出来る。
中綴じ本とは、本を開いた状態の紙を重ね、中央部分に沿ってホチキスなどで止める製本方法だ。
雑誌やリーフレットなど、様々な本でこの製本方法は使われている。
それは置いておいて、創も得意げに原稿八枚を取り出した。
どうしようもない事態が起きているとは気づかずに。
咲が自分の原稿と詠子の原稿、そして創の原稿を見たときにそれは発覚した。
「創くんそれだけ…?」
「えっ? うん、こないだ見せたけど八枚だから」
「表紙は!?」
創の血の気が、ざっと一気に引いた。
「どどどどどどどうしよう…! 本文のことしか考えてなかった!!」
冷たい汗が噴出す。
「バカァ! 本作るんだから表紙必要でしょ!」
「だってオレ本作ったことなくて!」
「想像しなさいよ! イマジン! 唯一のマンガ本が表紙無しでどうすんのよ!」
どうやら混乱しているのは創だけではなかった。
「待て、咲。とりあえず善後策を考えねばなるまい」
「だって…」
創はともかく、咲まで涙目になっていた。
「創を責めても状況は変わらぬ。考えられるのは、三つ」
「三つ…?」
「一日待って、ちゃんとした表紙を作らせるか、もしくは今ここで出来る範囲で表紙を作るか、マンガ自体を我らの本に組み込むか」
「といっても、小説本の方はA5サイズにしてるから、原稿サイズが合わないわ。原稿用紙はB5原寸でしょう」
マンガの原稿用紙は、はみ出してギリギリまで描けるように余裕が持たせてあるのだ。
その部分を除くと、A4の原稿用紙はB5になるようになっている。
「縮小コピーすればいいのでは無いか?」
「でも、私も詠子ちゃんも、それだけで一冊だと思ってたから結構ページ数あるわ。入れるのは無理よ」
「一番いいのは一日で表紙作ってもらうか…」
咲と詠子の話し合いに、創はただただオロオロしていた。
「あ、ねぇねぇ。表紙無くてもいいんじゃない?」
「えっ?」
「マンガ本文だけで本にしちゃうの。一ページ目が表紙代わりになるっていう」
「どういうこと?」
「そういう、ペーパー代わりの無料配布本にするの」
「無料配布!?」
ペーパーとは、覚えてもらう為に無料で配布する各サークルの情報のようなものだ。
名刺代わりと言ってもいいだろう。
「無料配布本ならおかしくないでしょー、絵も確認できるし一ページ目を見て気になった人は持っていけるし」
「それいいかも! 初めてのサークル参加だし、世界観を知ってもらう意味でもこの話は導入にいいし!」
名案、とばかりに咲は立ち上がった。
「でも表紙が本文なんて本あるのか…?」
「同人だもん、今までに無かったら新しい存在になればいいんだよー」
「本文八枚ってことは、それだけで本に出来るから…」
咲がぶつぶつと考え込む。
「創くん、この紙に簡単な後書きと奥付書いて! それで本に挟み込みましょう」
「う、うん。奥付って何書けばいいんだっけ」
創はまだ混乱していた。
「発行日、サークル名、連絡先メールアドレスを書くの」
他にもホームページアドレスや、印刷所を書くのが普通だが、両方今回は無いので省略する。
「詠子ちゃんの原稿見せてちょうだい」
「うむ」
ぱらぱらとチェックして、うんと咲は頷いた。
「こっちは手を加える必要ないわね。連絡先も書いてあるし、表紙と裏表紙を抜いて四の倍数」
「私のはチェック済みだし…」
うんうんと咲は自分の原稿を見直す。
「咲よ、連絡先は統一したほうが良くないか?」
「あ、そうね」
「オリジナルは詠子ちゃん主催だから詠子ちゃんのアドレスで統一でいいかしら? 何か反応があったら転送で」
「了解した」
「じゃあこのアドレス書いて創くん。私の奥付も修正しなきゃ」
にわかに慌しくなり、それぞれが作業を進め始めた。
「本当は全部白い紙じゃなくて、表紙クラフト紙とか、遊び紙とか入れたいわねー」
遊び紙とは、表紙と本文の間に入れる、何も印刷しない紙の事である。
本文とも表紙とも違う質の紙を使うことが多い。
「あっ、じゃああたし駅前のショッピングセンターで色つきのコピー用紙買ってくるよ! クラフト紙はさすがに無さそうだけど」
「うーん、これ以上の出費も考え物だけど…」
「せっかく本作るんだもん。全部白い紙で目立たなかったら、売れないかもしれないし!」
金銭面で悩む咲の背中を押したのは、茜の言葉だった。
「そうね、じゃあお願いするわ、茜。レシート取っておいてね」
「はーい。サイズは?」
「A4でお願い」
「分かったー、じゃあ行ってきます!」
鞄を手に取り、茜は元気良く飛び出していく。
「書けた!」
創が声を上げると、詠子も咲も次の作業に入っていた。
面付けの仕方を詠子に教えているようだ。
「そしたら、B5サイズに断裁しておいて」
「分かった」
カッターとアルミ製の定規で、線に沿って原稿を切り取る。
切れると知っていて描いた場所だが、実際に切ると何か勿体無いような気がした。
「出来たよー」
「はいはい」
全ての原稿を切り終えると、詠子の方は作業するだけになっていたようだ。
机を挟んで、創の前に咲が座った。
「じゃあ創くんにも面付けの仕方教えるわね」
「はいっ、先生」
「茶化さない!」
「ごめんなさい」
こんと頭を小突かれて、創は素直に謝った。
「まず、中綴じ本にする場合、このB5の原稿をどのサイズでコピーしたらいいか分かる?」
「B4?」
「正解。じゃあ、どういう風に原稿配置するか分かる?」
「うーん?」
「この原稿を、本になった時の状態に並べると分かりやすいかも」
「というと?」
「原稿同士をこう裏面同士を合わせて、イメージしてみて」
「一ページの裏が二ページ、三ページの裏が四ページ…」
言いながら原稿を並べていく。
「で、最後が八ページでしょ。すると、一ページ目と八ページ目が一緒にコピーする面ってこと」
「ふんふん」
「同じように、二ページ目と七ページ目が、その裏面になるわけ」
「あー、なるほど。あと三・六の組み合わせと四・五の組み合わせか」
「そう。で、見開きが決まったらこうして裏面をテープで止める。劣化しにくいメンディングテープを使うといいわよ」
メンディングテープで二箇所、隙間が無いように止めた。
「さすが年の功」
「何だって?」
「なんでもないですごめんなさい」
咲の目がマジだった。
「最後に、コピーする時分かりやすいように、原稿裏面に一表、一裏…と書いて面付けは終了」
「ありがとう咲ちゃん」
「!」
「あ、ごめ、詠子ちゃんと混ざった。あはは」
「…」
創が笑い飛ばせば、咲も笑うと思っていたのに反応が無い。
「べ、別に…咲ちゃんでも…いいけど…」
「え、なんか言った?」
「なっ、何でもないわよ! 私は三次元になんか興味無いんだから!」
「? 知ってるよ」
「うるさいわね!」
急に怒り始める咲に対して、ハテナマークを浮かべる創。
「咲よ、顔が赤い」
「詠子ちゃん黙ってて!」
そんな二人を、生暖かい目で詠子が見ていた。
「たっだいまー!」
「もうコピーしに行くわよ!」
「? 咲先輩何怒ってるの?」
「さぁ?」
首を傾げる二人に、詠子がぽんと咲の肩を叩く。
「黄色と青買って来たよー。重い」
どさっと荷物を置いて、レシートを咲に渡した。
「この五百枚の束二つも買ってきたの? そりゃ重いよね、ごめん」
「ちっちっちっ。ソウくん、こういう時はごめんじゃなくて、ありがとうだよ」
「はは、そーだね、ありがとう茜さん」
いつもの笑顔で言う茜に、創はちょっと笑った。
「とりあえず表紙だけ色紙使いましょうか」
「うむ、我の本はイメージ的に青だな」
「じゃあ私の方は黄色で」
早速封を開けて適当な枚数取り出し、原稿と一緒にファイルに入れる。
先ほどの咲が無かったように、いつも通りに戻っていた。
「創くんは今回無料配布だから白い紙でいいわね」
「うん…」
内心創は、色表紙に対していいなぁ、と思っていた。
いやそもそも今回表紙無いし、と自分の中で突っ込む。
「あたし荷物番と衣装やってるから、待ってて大丈夫?」
「そうね、じゃあ行って来るわ。創くんと詠子ちゃんはコピーの仕方覚えるのよ」
茜だけ美術室に残して、三人でコピーをしに外に出た。
「茜さん、終わるかなぁ」
「まぁ、私たちは衣装のことよく分からないから…」
歩きながら茜のことを話す。
茜はいつでも笑顔だから、なかなか内心が分からない。
「当日の出来を楽しみにしようではないか」
「そうだね」
校外に出て三分ほど歩くとコンビニに着いた。
「ここ、コピーしたものが外から見えない場所に出てくるからいいのよね」
「あー、同人屋に優しいね」
小説ならばぱっと見ても分からないが、マンガは一目瞭然でオタクだとばれる。
「さ、さっさと終わらせましょう」
「コピーする時は、必ず一枚両面コピーして裏表確かめてから部数刷ることね」
「はーい」
「うむ」
「じゃ、実践。ページ数が少ない創くんからね」
「うん」
一表、一裏とコピーをして出てきた紙を見ると、きちんと刷れていて少し感動する。
「オッケー、ページも間違いない」
「ところで、我らの本は何部刷るのだ?」
「うーん、オリジナルってたぶん初めてのサークルじゃほぼ刷けないだろうから、十部あればいいんじゃないかしら」
「オレたちの分は?」
「あ、そうね。四冊に学校への提出分があるから…じゃあ十五部ね」
部数を決めると、いよいよイベントが近づいているのだという緊張感が増すようだ。
「無料配布はもう少し刷っても良いのではないか?」
「そうねぇ…余っても次回配ればいいし、二十部にしときましょうか」
「二十…と」
「後書きの紙もコピーしてね」
「うん」
コピー機の部数を操作しながら、頷いた。
「創くんが刷ってる間に、ついでにお昼ご飯買って行きましょうか。茜に何欲しいか、外で電話してくる」
「ならば我は糧となるものを物色してくる」
「分かった」
創は、おっかなびっくり出てくる紙をいちいち確認する。
ちらりと詠子が行った方向を見ると、パン売り場をチェックしているようだ。
「創くん終わった?」
「あと三枚」
電話を終えた咲が戻ってきた。
「じゃあ次私の本コピーする用意しようかしら。その間に茜の分のおにぎり頼める?」
「おにぎりいくつ?」
「二個適当にだって」
「分かった。よし、終わったから自分の分も買ってくるね」
「はいはい」
咲がコピーし始めたので、創は財布を片手に詠子の元へと向かった。
「何買おうか迷ってる?」
「む、終わったか」
「うん。今咲先輩がコピーしてるからゆっくり悩んで大丈夫だよ」
「うむ。甘いのとしょっぱいの両方欲しくてな」
こんなんでも女の子だなぁ…と何故か創は感心した。
創は茜の分と合わせて、五個のおにぎりとペットボトルのお茶を買った。
会計を済ませて咲のところへ戻ると、一通り終わっていた。
「本文A3でコピーしたんだ…。配置がパズルみたいで真似出来ない」
「このほうが一枚に両面で八ページ分刷れるからね。コピー代節約しないと。それに慣れだから出来るようになるわよ」
くすっと笑いながら言う咲は、なんとも頼もしかった。
「そうかなぁ…頭使いそう」
「使いなさいよ」
「そんなバッサリ切らなくても…」
会話をしながら、咲の本文コピーが終わると同時に詠子が戻ってきた。
「咲よ、終わったか?」
「ええ。次は詠子ちゃんね。その間に私はご飯買ってくるわ」
「理解した」
試し刷りを確認して、刷っていく。
詠子はまだ慣れていないのでA4でのコピーだった。
「詠子ちゃんも本作り初めてだよね?」
「うむ。咲が居てくれて良かったな」
「そうだね」
なんとなく、会話を探す。
「…いつか、文庫本を作りたいな…」
ぽつりと一言零したのは詠子。
「そうだね、オレも印刷所通して本作りたい。作れるように頑張ろうね」
「うむ…」
その詠子の声は憂いを帯びていた。
何故かは、まだ創には分からなかった。
「出来た?」
咲が買い物から戻ってくる。
「うむ、終わった。あとは表紙だけだな」
「手差しの仕方だけど、持込の紙で刷る場合は横のここを開けて、差し込むの」
まず青の紙を入れて詠子の表紙を刷り、次に黄色の紙を入れて咲の表紙を刷った。
「これでコピーは完了ね。帰るときは必ず原稿とか残してないか確認してね」
「そっか…原稿忘れてきても取りに行きづらいもんね…」
「それで恥かくの嫌でしょ?」
確認を済ませ、コンビニを出る。
結果、一時間弱コピー機を占領していた事になり、コピー機を使う客が他にいなくて良かったと思った。
寝不足の体にじりじりとした夏の日差しが染みるようだ。
しかし、これから洋介のサークルのように本が出来るのが楽しみでいた。
「おかえりー」
美術室に戻ると、茜が布の解れを直しているところだった。
「ただいま。とりあえずコピーしてきたから、先に腹ごしらえしようか」
「賛成ー! おなか減ったぁ」
「これ茜さんの分ね」
「ありがとー、ソウくん。はいお金」
「さんきゅ。じゃあ昼休憩っ」
各々買ったものを食べ始め、疲れも手伝ってか皆暫し声を発しなかった。
「あ、さっき門屋先生が見に来たよ」
茜が思い出したように言う。
「なんか用だったの?」
「今日中に出来そうかーって。衣装見られちゃった…」
「まぁ部数も少ないし、二時までには終わるでしょ」
また暫し、無言。
「そうだ…夏休みはどうする? 一応今日で部活二学期まで無くなっちゃうから」
「そう考えると濃い一学期だったわね…」
創が言葉を投げかけると、咲がぼーっと感想を述べた。
「じゃあ八月三十一日のコミバタ出ない? 夏コミ明けで小規模だから、いつもの半額くらいでスペース取れるの」
「いいね」
「ならば、二ジャンルで取るのはどうだろう? オレミタとポートボーラーで」
「両方いっぺんに?」
詠子の提案に、創は首を傾げた。
「そうすると茜のコス売り子が出来ないんじゃない? 片方だけっていう形になっちゃうし」
「しかし、秋には文化祭がある。文化祭に力を入れるならば秋のイベントは絶望的だ。それに…」
「?」
少し遠い目をして話す詠子は、どうしようもなく寂しそうだった。
「文化祭が終われば…我は受験の為部活引退なのでな…」
「あ…」
すっかり忘れていたことだった。
いや、考えないようにしていただけなのかもしれない。
創は今更ながらに、先ほどの憂鬱の理由に気づいた。
「そうね…。茜、八月末までに二着用意できる?」
「あいさー! 学校休みだし、余裕だよっ」
茜が快活な返事をして、敬礼する。
「決まりね」
「だね。よっし、八月末コミバタ! 二ジャンルで出よう!」
「皆…」
詠子の瞳が潤んでいるように感じたのは、創だけではないはずだ。
「締め切りがすぐだから、サークルカット明後日持ってこれる?」
「オッケー。オレミタはオレが描くけど、ポートボーラーは?」
「文字だけも寂しいし…」
ちらりと三人の視線が詠子に集まった。
「わ、我で良いのならば全力を尽くそう」
目を拭いながら言う詠子に、三人は笑った。
「じゃあ二人とも宜しくね! さぁ、昼食も済んだし、製本するわよー!」
『おー!』
がさがさと昼食のゴミを集めて、鞄の中に入れる。
「あたしなんか手伝おっか?」
「衣装終わってないなら、そっちやってていいよー」
「うん…分かった。ごめん」
「なんで謝るかなぁ。オレらもそっちの手伝いできないし」
しゅんとする茜に、創は笑いながら言った。
「製本方法はもう分かるでしょ?」
「うん、大丈夫」
折って、ページを挟みこんで、ホチキスで…。
ホチキスで?
「大丈夫じゃないや。ホチキスどうやって留めるのコレ?」
どうやっても折り目にホチキスは届かない。
「あぁ、中綴じ用のホチキスがあるわ。はい」
咲が鞄から取り出して、創に手渡した。
「へー、すごいね」
かちゃかちゃと可動部分を触る。
芯の出る部分が回るようになっているので、縦に芯を留めることが出来るようだ。
「普通のホチキスでもやろうと思えば出来るけどね。発泡スチロールの台の上で、完全にホチキスを開いてとりあえず針を通すの」
「あぁ、後から指で通った針曲げて綴じるって事か」
「そう。まぁ、普通に綴じたみたいに針の先丸くならないから、取り扱い注意だけどね」
「色んなこと知ってるなぁ、咲先輩」
「コミック・ウォーに出たとき色々調べたから、まぁ人並みにね」
淡々と作業をこなしながら言う咲は、やはり頼もしかった。
「一冊出来た…!」
「全部作ってから感激しなさい」
出来た本を掲げて感動していると、咲に冷静な突っ込みをくらった。
「…!」
ちらりと横を見ると、詠子も同じように感動していたようで、ぷるぷると自分の本を持つ手が震えている。
そのまませっせと作り続けると、自分の絵の粗が見えてくるようで、なんとも言えない気持ちになった。
暫く、作業の音だけが美術室に響いていた。
「終わったー!」
「一応全部ページ間違ってないかチェックしてね」
「はぁい」
確認しながら冊数を数えると、二十一冊あった。
「あれ? 一冊多い…ってあぁ、試し刷りの分か…」
「…」
思わず口に出してしまった事を後悔した。
どう考えても分かるであろう事に気づけない自分が馬鹿丸出しのようだからだ。
「あー…まぁ、初めてだからね…」
「無理にフォローしないでください恥ずかしいから」
顔が真っ赤になっていくのを感じた。
「後書きも挟み込むの忘れないでね」
「あ、後書きは二十枚しか刷ってない」
「自分の分は原稿が手元に残るからいいでしょ。少しは頭使いなさい」
咲があきれたように言うので、創は少しがっくりとする。
「きついなぁ…。終わったから、そっち手伝うよ」
「私もうすぐ終わるから大丈夫」
「我もあと二冊だ…」
しょうがないので自分の本をまじまじと見た。
精一杯頑張った八ページだが、やはり本になると薄いなぁ、と思う。
次はもっと厚い本を、と思うが、まだまだ何もかも時間がかかる創には、八月末のイベントまでにどれ程出来るのか不安があった。
「よし、完成!」
「我はあとチェックが半分だ…」
咲の終了宣言に、詠子は焦った様子だ。
ページ数が多い分手こずっているようである。
「焦らなくていいわよ。確認終わってるやつ一冊くれたら、その間に門屋先生に見本提出しに行けるし」
「うむ、では宜しく頼む」
詠子が一冊手渡すと、咲は自分の本を一冊持った。
「それじゃ行きましょ、創くん」
「提出だけならオレ一人で行きますよ」
「どうせやることも無いし、一緒に行くわ」
「はぁ」
美術室を出ると、職員室に行く道すがら咲がこう言ってきた。
「同人誌を教師に見せるなんて、一人でやってた頃は考えたこと無かったなぁ」
「あはは、まぁオリジナルだから見せられるよね」
「ポートボーラーのやつ見せろって言われたら、さすがに抵抗あるわよね」
「オリジナルでボーイズラブ提案しといてよく言うよ」
「うるさいわねー」
そんな話をしていると、職員室に着いた。
「失礼します」
がらっと扉を開け、門屋の席に向かう。
「門屋先生」
「お、出来たか」
「はい」
門屋に向かい、三冊を手渡した。
「すごいな! コピーで作ったのか、この本?」
「はい」
「勇者討伐隊のススメ…か。なかなか面白そうだな」
声に出されると、少し恥ずかしい。
咲も同感のようで、ほんのり頬が赤く染まっていた。
「オレはマンガとか小説とか良く分からないけど、素直にすごいと思うよ」
「ありがとうございます」
「じゃあ、読んだら美術室に行くから、それまで待機しててくれるか?」
「分かりました」
ぺこっと礼をして、席を離れた。
「失礼しましたー」
職員室の扉を出て閉め、二人はふぅとため息を吐く。
「声に出してタイトル言うの、やめて欲しいわね…」
ぱたぱたと顔を冷ますように手で扇ぐ咲。
「まぁ、面白そうって言ってもらえて良かったんじゃない」
「どうかしらね。ハードル上がった気がするけど」
美術室へ戻ると、詠子が作業を終えて、茜の衣装をまじまじと見ていた。
「とりあえず渡してきたよ。読み終わるまでここで待機だって」
「そしたらあたしも、三人の本読みたいなぁ」
「そうだね、オレも自分の話しか読んでないから読みたい。全員で作った話だし、とりあえず全員で読もうか」
「じゃあ読書タイムねっ」
茜が嬉しそうに言う。
一冊ずつ各々が手に取り、読みふけった。
作品を書いた三人にとっては、自分の作品がどう評価されるか不安もある。
「はぁん…この最初の掛け合いってユウ×ハジメよね…」
「そこ、モデルの目の前でおぞましい妄想止めろマジで」
恍惚の表情で言う咲に、創はぞわっと鳥肌が立つのが分かった。
十分後、全員が読み終えた。
一様にふぅと息を吐く。
「…すごいね、三人とも! 身内贔屓かもだけどすっごく面白かった!」
「詠子ちゃんの本編が良かったー。やっぱりずっと小説書いてる感じするよ」
「創くんのマンガだって、初めて仕上げたとは思えないわよ」
「咲の小説は分かりやすい。噛み砕き方が上手いのだな」
互いが互いを褒めながら、照れ照れとしていた。
が。
「ただ…詠子ちゃんの小説読めない字が多い…」
「す、済まぬ。大分減らしたのだが…」
「創くんのマンガ、よく描けてると思うけど、同じ方向の顔ばっかりよね…」
「すみません…冒険しきれなかった…」
「咲の小説は情景描写が少ないな」
「ボーイズラブ以外って書くの初めてなんだもの…」
一通り、褒め言葉と駄目だしが入ったところで、四人は顔を見合わせて笑い出した。
「みんな、まだまだって事よね」
「今日だけは自分達すごいって思おうよ! オレ達超頑張ったもん!」
「自分達で言ってれば世話は無いがな」
「反省点を生かしつつ、次回はもっと頑張らなきゃね」
三人はパンと手を合わせて言った。
そうだ、自分達はまだまだ発展途上なのだ。
一つの原稿が終わったばかりなのに、やる気が満ち溢れてきた。
「おーい」
コンコンと扉を叩いて入ってきたのは門屋だった。
「読んだぞー。みんなすごいな! 楽しませて貰ったよ。皆がモデルなんだろう? モデルを知っているとより面白いな」
笑顔で言う門屋に、四人は嬉しくなる。
「問題ない…ですよね?」
「あぁ、勿論。後はいくらで売るかを確認したいんだが」
メモ帳を取り出して聞く門屋に、創と咲は顔を見合わせた。
「値段…まだ考えて無かったね」
「マンガ本は無料で、コピー代を考えると小説二冊は各二百円ってところかしら」
咲がぶつぶつと計算した。
「二百…と。それで決定か?」
「いいわよね?」
「オッケー!」
「それならなんの問題も無い。夏休みに入ったし、楽しんでくるといい」
「やったぁ!」
ゴーサインが出て、茜がはしゃぐ。
「あ、今さっき生徒会に本渡したから」
『えっ!?』
予期せぬ事態に、場がざわついた。
「問題ないか自分の目で確かめたいそうだ」
門屋が言うのに、四人は水を差されたようになった。
「やばくない? ユウって会長だってばれるんじゃ」
「既に渡ってしまったものはしょうがなかろう。今回の話ならばユウに問題のある場面は無いのだし」
詠子が極めて冷静に言うので、考えてもしょうがない事は考えないことにする。
「ということは生徒会のチェックが終わるまで帰れないんですか?」
「そうなるな…。まぁ、少しの時間だから待っててくれるか?」
創の問いに、門屋が答えた。
「はい。あ、収支報告っていつ出したらいいですか?」
「一応、収入・支出の合計額だけ一週間以内にオレにメールで貰えるかな。細かいのは登校日の八月二十一日に」
「分かりました。メアドは…」
「あぁ、これに」
小さな紙に書きなぐったメールアドレスを咲に渡す。
「とりあえずみんなお疲れ様。越後の作っていた衣装もすごかったし、売れることを祈ってるよ。じゃあ職員室に戻るな」
「ありがとうございました」
全員でぺこりと頭を下げた。
「衣装のこと触れられると嬉しいような恥ずかしいような」
「それ言ったらオレ達みんな作品見られてるんだから」
「そだね」
創の言葉に、茜がてへへと舌を出す。
「じゃあ次のイベントの打ち合わせでもする? サークル名とか変えなきゃね」
「…待って!」
茜が珍しく俯きながら言った。
「どうかした?」
「みんなに見せたいものがあるんだけど…」
「何?」
「これ…」
差し出したのは、紙袋。
中身をごそごそと出すと。
「えっ!? これって…」
ぱっと顔を上げる。
「一応…みんなの分の衣装も作ったんだ…」
「茜さん…」
「っていってもね、内緒で進めてたから寸法も取ってないし、ただみんなゆったり系の服装だったから、大体合ってれば着れるかなって…」
早口で両手を横に振りながら必死に話す茜。
「別に今回使わなきゃいけないって事じゃないし、それに生徒会長の目もあるから…」
茜がこんなに捲くし立てるように話すのは初めてだった。
「ありがと、茜さん! せっかくだから今みんなで着てみようよ!」
「今!?」
「うん、だって時間あるし」
創の提案に、咲が声を上げた。
「わ、私コスプレとかしたことないし、写真とか撮るの恥ずかしい…」
「だったら写真撮らなければいいじゃん。着るだけ着るだけ」
「無理しなくていいってばぁ」
困る咲に対して、茜が焦った声を出す。
「茜さんがこんな頑張ってくれたんだから、着るくらいいいでしょ?」
「う…ん…」
まだ抵抗感はあるようだが、茜の頑張りには応えたいのだろう。
「ごめんねごめんね咲先輩! 無理させて」
「まぁ…ここで着るくらいなら…」
うんうんと一人で頷く咲は、自分を納得させているようだった。
「じゃあ、外で待ってるから着替えたら呼んでね」
そう言うと、創は美術室の扉を出て閉めた。
茜の気持ちが嬉しくて、不思議な高揚感があった。
「むっ」
「あ」
少しすると、勇が来た。
「そんな所で何をしているのかね?」
「いや、ちょっと今美術室使用中なもので」
「何を言っている、失礼するぞ」
「わー、駄目ですってば!」
無理やり創をどかして扉を開けて入ろうとする勇を止めるが、力押しに負けてしまった。
すると、そこには着替え真っ最中の三人。
「きゃああー!!!!」
「変態っ!」
「ぶっ!」
茜と咲の叫び声が聞こえたかと思うと、鞄をぶつけられて美術室から追い出される勇。
バンっと大きな音を立てて、美術室の扉は再び閉まった。
「だから言ったのに…」
「…着替え中なら着替え中と言いたまえ…」
顔が真っ赤に染まっていた。
見かけどおり純情らしい。
何故か親近感が沸いて、ぽんと勇の肩を叩いた。
「何だね!?」
「いや…なんでも…」
ぷりぷりと照れながら怒る勇に、笑いを堪えながら創は言った。
三分ほど待つと、詠子が制服姿で美術室から顔を出した。
「皆着替えた。入るといい」
「あれ? 衣装は?」
「咲が、勇が来たなら着たくないと言ってな。皆制服のままだ」
「ま、そりゃそうか…」
二人が入ると、勇に対してゴミを見るような目が、主に咲から注がれていた。
「…ぼ、僕は悪くないぞ…」
もうちょい声張れ。
「勇が済まぬ事をしたな。彼奴は女子が大好きなのだ」
「ちょ、ま、誤解だ!!!」
「ほう、では男が好きか」
「女子が好きです!」
茜と咲の目線が蛆虫を見るような目に変わった。
「国家権力に電話してやろうか」
「いや…違くて…」
「で、チェック終わったんですよね?」
さすがに気の毒になって、話を変えた。
「うむ…」
腕を組み俯く勇に、四人は唾を飲み込んだ。
「続きはないのか!」
くわっと見開いた目で言われて、理解できず場が沈黙する。
「続きを書くときは僕をもっと活躍させてだな…」
「ちょい待て」
鼻息を荒くして語りだした勇に、創はくらっとした。
「面白かったのか」
「うん」
詠子の問いに素直に頷く勇。
それを聞いて、創達は大きくため息を吐いた。
「なぁんだ、じゃあオッケーですよね」
「まぁ良しとしようじゃないか」
「あー、良かった」
「しかし一つ…」
「まだ何か?」
うむ、といかにも深刻そうに言うので、ごくりと唾を飲み込んで次の言葉を待った。
「真里くんが読んで大爆笑していて怖かった…」
「知らんわ」
恐怖体験したように言うので、あの人が大笑いするのは珍しいらしい。
別にギャグでは無いのに笑ったというのは、きっと勇が出ているからだろう。
「で、明後日はどこに何時に行けばいいのかね」
いきなりキリッと向き直って言われ、創はたじろいだ。
「会場最寄の駅の改札に八時半厳守でお願いします」
「分かった。では、また明後日」
そう言って、生徒会長は去っていった。
「もう、創くんが着替えろとか言うから…」
「もう誰も来ないから着ましょうよ」
「いいよ、ソウくん、無理して使わなくても」
「だってこの様子じゃ当日は着ないでしょ? じゃあ今日くらい」
「うー…」
創の言葉に、咲が唸った。
「…じゃあ、今度はちゃんと見張っててよっ?」
「はいはい。じゃあオレ外出てますから」
美術室の前を陣取って、人が入れないように座り込んだ。
「ソウくん」
十分ほどすると、中から呼ばれた。
「入っていい?」
「いいよー」
入ると、そこはまるで世界が違った。
三人が衣装を身に纏って、立っていた。
本当にファンタジーの世界に入り込んだような感じがする。
咲はまだ恥ずかしそうだが。
「ソウくんも着てみて。下はそのままで大丈夫だから、上着脱いでコレ着て」
言われるままに着替える。
「うわぁ、着て貰えて嬉しいなぁ!」
四人ともキャラクターのモデルだけあって、しっくりと似合っていた。
「なんか不思議な感じ…」
ぺたぺたと服を触る創。
「再現率が高い。デザインした者として我も嬉しい。有難う、茜」
「え、えへへ。本当は見せるの怖かったんだぁ。拒否されたらなーとかさ」
「あ…ごめん、茜」
「ううん、無理して着てくれてありがとう咲先輩! 別に明後日着ろとは言わないから安心してね」
茜のその言葉は本心だとすぐ分かる。
開けっぴろげに感情を出せるのは、彼女の長所だと思った。
「オレはスペース離れる時間あったら折角だし着てみようかな」
「我も、入場したら着替えに行こう」
創と詠子が言うと、茜が嬉しそうに笑う。
「…私は…」
「無理しなくていいってばぁ! あたしが作りたかっただけなんだから」
「……うん…」
咲は申し訳なさそうに俯いた。
「で、八月末のイベント、サークル名だけでも決めなきゃね」
「うーむ…」
「裏同人部でどう?」
立ち直った咲が提案する。
「分かりやすすぎないかな、それ」
「あたしらっぽくていいんじゃない?」
創が不安を覚えるが、茜はその案を受け入れた。
「まぁいっか。両方サークル名同じでもスペース取れるの?」
「取れる…と思うけど」
「じゃあそれで決定! そろそろ着替えて帰ろうか。いよいよ明後日が本番だし、ゆっくり休まなきゃね!」
安易に決めて、服を着替え始める創。
「本は全部創くんに預けておいていい? 私達朝並びに行かなきゃいけないから」
「うん、分かった。預かるよ」
本は少なそうに見えて、意外に重かった。
「じゃ、ソウくん着替えたら外出てね」
「はいはい」
そうして、その日は解散になった。
七月二十日、日曜日。
いよいよ、イベント当日だ。
創は緊張のせいか、五時には起きてしまっていた。
いよいよ、同人部のサークルが世に出るのだと思うと、心臓がバクバクした。
自分の完成した本は、もう何度も見直した。
無料とはいえ、この本を持っていってくれる人は本当にいるのだろうかと昨日からずっと考えていた。
今日のために買ったカートを開けて、何度も荷物を確認する。
忘れ物がないか迷ったときは、最悪釣銭・チケット・本・財布さえあればどうにかなると咲に言われていた。
釣銭はみんなで百円玉を十枚ずつ作ってくることになっている。
そわそわしながら着替えと支度を済ませ、コンビニで買出しをする為に早めに家を出た。
コンビニに入ると、人はまばらだった。
昼食用に、手軽に食べられるカロリーメイトをチョイスする。
飲み物も買って、創は意気揚々と駅へと向かった。
電車もさすがにこの時間だと空いている…かと思いきや、途中の乗り換え駅で、お仲間らしき集団がどっと乗ってきた。
コミック・ウォーの時ほどではないが、最後の乗り換えでは車内は人でいっぱいだった。
駅に着くと、待ち合わせ時間にはまだ早いのだが、詠子が来ていた。
「おはよ、詠子ちゃん」
「…おはよう」
「早いね」
「汝もな」
顔を見合わせて、笑った。
「なんか早く起きちゃってさ」
「我もだ…」
はふ、とため息を吐く詠子に、創はこう聞いた。
「緊張してる?」
「うむ、本当に本が売れるのか気になってな…」
「そうだね、不安だよね…」
「夏コミ前であるし、オリジナルに人がどれだけ集まるのか…」
「この人手もやっぱいつもよりは少ないしね」
駅の構内を見ていると、やはり今までのイベントと比べてしまう。
「でもさ」
詠子の顔を見て、創は微笑んだ。
「む?」
「売れても、売れなくても、今日はいい一日になりそうな気がするんだ」
「…そうだな」
詠子の顔に赤みが差した。
「おはよー!」
「おはよう」
茜と咲が同時に来た。
同じ電車に乗っていたようだ。
「これ、敷布とか、釣銭入れとか入ってるから」
「ありがと。じゃあ預かるね」
それはトートバッグに入った、咲のサークル用の道具一式だった。
「会長は?」
「まだみたい」
時刻は八時二十五分。
そろそろ来てもいい頃だが。
「あ、あれじゃない?」
茜が指をさした先には、ぐったりと項垂れたまま人の波に押されてやってくる勇が居た。
「おはようございます」
「なんだ…この人は…! まるで人がゴミのようではないか!」
「危険な発言は控えてください」
創は真顔で言った。
「これでもイベントとして少ない方ですよ」
「なんだと…! どこからこんなにうじゃうじゃと! 祭りか!」
創の初めてのイベントと全く同じ感想だったのが、癪に障るが仕方ない。
皆そう思うのだろう。
「じゃあ、中に入ろうか」
「それじゃ、私達はまた後でね。チケットとお釣りは預けるわ」
「うん」
創が二つを預かると、咲と詠子は一般列の方へと去っていった。
「なんだ? 何故二手に分かれるのかね?」
「サークルのチケットは三枚しか無いんですよ」
「そうなのか」
「言っとくけど、余計なことはしないでくださいね。こっちには秘密兵器があるんですから」
一応、勇に対して牽制しておく。
「何だ秘密兵器とは!?」
「なんかする気満々ですか」
「いや、何もしないが!」
「じゃあ秘密のままで」
創のカートには、文字通り秘密兵器が入っていた。
詠子から託された黒歴史という名の兵器が。
だからか、やけに今日は強気でいられた。
「とにかく、オレらも初めてのサークル参加で緊張してるんですから」
「む…元より視察に来たのであって、邪魔する気はない」
「じゃあ入ります。はぐれないでくださいよ」
「分かった!」
そう言うと、勇はぎゅっと創の服の裾を掴む。
「…何してるんですか?」
「いや、はぐれるなと言われたからな!」
「迷子の子どもかあんた」
茜が横で必死に笑いを堪えているのがよく分かった。
ここに咲が居たら、何を言われるか分かったもんじゃない。
いや、大体予測はつくが。
「普通に着いてきてください…」
「難しいな!」
難しくねぇよ。
「とにかく、オレから離れないでください」
「分かった」
入場口を入ってすぐ、スペースへと向かう。
「創くん、あたし先に着替えてこようか?」
「あー、一応スペースどうしたらいいか分からないから着替え後でもいいかな」
「うん、了解」
「着替え?」
創と茜の会話を聞いて、勇が首を傾げる。
「コスプレをするんですよ」
「こすぷれ!? なんと破廉恥な!」
「いや、何想像してんですか」
「会長のエッチィ」
「えっ、えっちとはなんだね、えっちとは!」
「でかい声でその単語連呼すんの止めてもらっていいですか」
そんな調子でわやわやと喋っていると、スペースにたどり着いた。
机に貼られた紙には、きちんと同人部と印字されていた。
当たり前の事だが、じんとする。
「茜さんは外側から見てくれる? オレは内側に入るから」
「はいはーい」
「会長も内側に入ってください」
「わ、分かった」
内側には、サークルの人間が通ったり、椅子に座ったり、荷物が置けるようになっている。
外側は、買う側が通る通路である。
「まずはこの布を敷いて…と」
ちらちらと周囲のスペースを見ながら作業を進めた。
「半分から出てない?」
「うん、大丈夫」
机の半分が一スペースになるが、真ん中に線があるわけでは無いので、目分量で測る。
そして作った同人誌を並べ、咲が作ってくれていた値札を見えやすいようにそれぞれの本の前に置いた。
無料配布本の前には、ご自由にお取りくださいと書かれたメモ。
こうして、簡略ではあるが、初めてのスペースが整った。
「見映えどう?」
「いい感じだよ」
「じゃあ、後始末しとくから着替え行っていいよ」
「はーい」
茜が自分のカートを引いて、更衣室へと向かった。
その直後、両隣のサークルの人が来て、挨拶をする。
「ずいぶん質素なのだな。向こうの方は絵のポスターなど派手にやっているようだが」
「一介の高校生にそんなお金有りませんよ。唯でさえこのスペース取るのだって五千円近く取られるんですから」
「ごっ…!? それは大金じゃないか!」
カルチャーショックを受ける勇に、創は苦笑しながらこう言った。
「それに、そんなに絵上手くないですから」
「そうか。素人が描いたものとしては十分だと思ったが」
「所詮素人レベルって事です」
「同人とは素人の集まりではないのかね?」
「プロやってる同人作家はたくさん居ますよ」
「そうなのか…ふむ…」
そうこうしていると、あっという間に開場間近になってしまう。
茜はまだ帰ってこない。
『これより、コミック畑を開催いたします!』
アナウンスに、パチパチと細波のような拍手が巻き起こった。
うだうだ考えてる暇は無い。
自分一人でやらねば。
と思ったが、初参加のサークルに開場後すぐに来る一般参加者などいる訳も無く、皆目当てのサークル目掛けてすたすたと通り過ぎて行く。
そうだ、別に気負う必要も無かった。
それが分かり、創はほぅっとため息を吐いた。
「…」
「…」
暫し無言になる。
「ただいまっ」
「あ、おかえり」
開場して十分程すると、衣装を身に纏った茜が帰ってきた。
茜をじろじろと見る勇に、茜はくるりと舞ってみせた。
「よく出来ているものだな…」
「そうですか? ありがとう!」
衣装を褒められると、茜は弱い。
そして更に十分程すると、勇が話しかけてきた。
「…部長くん」
「何か?」
「何故こんなに暇なのかね」
「…」
ずばり言われて、創は少し傷ついた。
「もっとこう! 呼び込みとかするべきでは無いのか!?」
「そんな事しませんて」
「何故だ! 売れたいのだろう!?」
「強引な勧誘は逆効果です。よく強引な客引きに捕まると嫌な思いするでしょう? それと同じです」
「むぅ…難しいものだな…」
「同人は赤字で当たり前、それが分かったんじゃないですか? 暇だったら帰ったらどうです?」
「僕の仕事は最後まで見届けることだ!」
「そうですか。じゃあ、じっとしていて下さい」
それから暫く、ようやく咲がスペースへとたどり着いた。
「遅くなってごめんね」
「詠子ちゃんは?」
「着替えに行ってる」
「詠子もその、こすぷれをするのか…」
すごい想像をしていそうだが、普段の言動と相まって本当に魔法を使いそうな気さえするのは分かる。
「なんか捌けた?」
「いや、まだ全然」
「やっぱりねー」
「創くん、着替えてくるなら着替えてきていいわよ。私も茜もいるし」
「いや、初めてのお客さんが来るまでは居たいんだ」
曇りの無い瞳で言った後、はっと我に返った。
「あ、いや、絶対売れると期待してる訳じゃないけど!」
「いいじゃない。私もちょっとは期待してるから」
「あたしも!」
「僕もだ!」
ナチュラルに入ってきた勇に、三人のどうしたらいいのか分からない視線が注がれる。
「なんで会長まで…」
「面白かったからな! 少しは売れてくれないと困るじゃないか!」
ふんぞり返って言う勇に、職務を忘れていないか心配になる三人だった。
更に三十分ほど経つと、コスプレをした詠子が来た。
「遅くなった」
「なんという格好をしている詠子…。本当に現世の住人なのか?」
まじまじと見ながら、怯える目線を送る勇。
「ふっ。我はいつでも好きな次元に生きている。貴様も引きずり込んでやろうか」
「止めてくださいお願いします!」
あぁ、なんか久々だなこんなやり取り、と創はうすらぼんやり思った。
「五人もスペースにいると周りの邪魔よね…。私買い物に行ってきていいかしら?」
「あ、うん」
「あ、じゃああたしコス広場行ってくるー」
「じゃあ我らでここを固めるとするか」
「そだね」
二人がスペースから居なくなって暫く経つと、ちらほらと人がスペースを見ながら通り過ぎていく。
大手サークルの列がだいぶ捌けたので、色々と見て回っているのだろう。
「これ、読んでもいいですか?」
立ち寄った女性が言う。
「は、はいっ!」
返事をする創は、思わず声が上ずった。
ぱらぱらと本をめくりながら吟味されている間、生きた心地がしなかった。
「これ頂いて良いですか?」
「ど、どうぞ! ありがとうございます!」
無料配布本を手に取り、笑顔で去っていく女性にぺこぺこと頭を下げる。
「やったよ! 詠子ちゃん!」
「嬉しいものだな…」
「しかし、他二冊は買って貰えないな」
込み上げてくる歓喜に水を差したのは、勇の言葉だった。
「いいんです、初参加なんですからこんなものですよ」
「しかし…お、そこのお嬢さん、本を見ていかないかね」
「会長っ!」
いきなり通りすがりの女性に声をかけ始めた勇に、創は慌てる。
「…創、彼奴に魔法の書を見せてやれ」
「うん」
ばっと取り出したのは、詠子と勇の小学校時代の卒業文集だった。
「これコピーしてばら撒きますよ」
「なっ…! ひ、卑劣だぞ!」
「じゃあ大人しくしてる事ですね」
冷徹に言い放った創に、今度は勇が慌てた。
「そもそも、詠子の黒歴史でもあるだろう!」
「ふん、そんなもの我に効きはせぬわ」
「なんと…!? くっ、例の闇の力か…!」
いや、単に今現在が最たる黒歴史だからだと思うけど。
以降借りてきた猫のように大人しくなった勇は、項垂れて動かなくなった。
小一時間ほどして、一組の男女がスペースへと寄ってきた。
「あの…」
「はいっ。ってさっきの…」
それは、無料配布本を持っていってくれた女性だった。
「気になって戻ってきちゃいました。他の二冊も買わせて頂いて良いですか?」
「あっ…ありがとうございます!」
「あ、僕も三冊ともください」
連れの男性が言い、創は顔が熱くなるのを感じる。
「はいっ! 四百円ずつになります!」
「有難うございます。これからも頑張ってくださいね」
明らかに力の入った返事に、くすくすと笑われていたがそんな事はどうでもいい。
受け取ったお金は、やたらと重く感じた。
初めて売れた喜びをかみ締めていると、女性が詠子に顔を向けた。
「それ、この本のエイコの衣装ですよね? イメージぴったりすぎて、すごいです」
「ど、どうも有難うございます…」
いつも飄々としている詠子が、顔を真っ赤にして俯く。
余程照れているらしい。
「それじゃあ」
『ありがとうございました!』
二人でぺこりと頭を下げて、見送った。
「初めて売れた…!」
「嬉しいやら恥ずかしいやら…満足して貰えると良いのだが」
「大丈夫だ、あれは面白かった!」
いきなり復活して言い放った勇の言葉に、今度は笑わざるを得なかった。
茜と咲には、売れたよと一言ラインで送っておいたら、後からその瞬間に居合わせたかったと言われた。
結局、売り上げはその八百円だけだったが、無料配布本はちらほら持っていって貰えて、創たちは大満足だった。
結果的には着替えにいけなくて、茜に悪いことをしたかな、と思う。
しかしだいぶ本が残っているので、また冬コミに申し込もうと決意してささやかな祝杯を上げた。
その前に八月末のコミック畑があるので、勇と別れた後、咲にサークルカットを渡す。
その日、創は充足感を得て、久々に泥のように寝たのだった。