ファースト・コンタクト
某社に応募した作品のリサイクルです。
それは中学校三年の夏の事だった。
寒河江 創はその日初めて、同人誌即売会であるコミック・ウォーに行くことになった。
同人誌即売会というのは、いわゆる自費出版の本である、同人誌を売り買いする場所である。
同人誌の他、オリジナルグッズや、アクセサリーなども売る人もいる。
色んなイベント、即ち同人誌即売会の中でも、コミック・ウォーは最大手だった。
進路で悩んでいる創を連れ出したのは、二個上の先輩である進藤 洋介。
元々アニメやマンガが大好きだった創を、気晴らしを兼ねて連れ出したのだ。
洋介は小さい同人サークルを営んでいた。
サークルの手伝いをするという条件を呑んだ創は、ドキドキしながら待ち合わせの駅へ向かった。
というのも、同人誌という存在の事を知っていたものの、お目にかかるのは初めてだからだ。
海の見える駅に辿り着くまでは、とても辛い道のりだった。
キャリーケースを持った大群が創を飲み込み、さながら通勤ラッシュを思わせる電車内は全く身動きが取れなかった。
待ち合わせより十分ほど早く着いた創は、そこそこ疲弊していたが、それをも忘れさせる人の波にぽかんと口を開けた。
駅から見えた会場までは、長蛇の列。
まるでこれから始まるお祭りを、群集が待ちわびているような。
そうか、これはお祭りなのだ。
創は思った。
ぼうっとその人の群れを見ていると、後ろから声をかけられる。
「創、早いな」
「洋介先輩」
笑顔で話しかけてきた洋介に、困惑した声で創が言う。
洋介は動きやすいようにだろうか、Tシャツにジーパンという可もなく不可もない装いだった。
少し癖のある黒い髪の毛が、年齢相応よりは少し下に見える。
「いつもこんなに人すごいんですか?」
「んー、コミック・ウォーはいつもこんなもんかな。びっくりしたろう」
にやりと笑いながら言ってくる洋介は、まるで悪戯に成功した子どものようだ。
してやられたような気持ちになって、少し創は唸った。
冷静になって見てみれば、洋介もキャリーケースを引いてきていた。
「一日でこんなに人って集まるものなんですね」
「コミック・ウォーは三日間連続で行われるんだけどな、どの日もこれ位の人間は来るぞ」
「ええっ! すごすぎる…」
創にとって、こんなに混んでいる人の列を見たのは初めてで、壮観だった。
よく、ニュースで見る繁華街で行われる正月の福袋戦線に引かず劣らずである。
「さ、入るぞ」
「あの列に並ぶんですか? 考えただけでげっそりするんですけど」
「いや、オレたちはサークルチケットで入れるから」
「サークルチケット?」
「同人誌を出品する側だと、既にスペース代金…場所代を払ってあるから、三人までは並ばずに入れるんだ」
そう言って取り出したのは、名前が印字されたカード。
「持ってろよ、入場の時に必要だから」
「あ、はい」
何がどうなっているのかさっぱり分からない創は、とりあえずチケットを受け取った。
手伝いをすると言ったはいいが、こんな訳の分からないところで自分は戦力になるのだろうか。
創は不安になってきた。
サークル入場口、と書かれた方へ歩いていく洋介の後を追う。
途中でキャリーケースを引いた集団にのまれて、いきなり洋介を見失いかけて慌てた。
チケットを係員に渡すと、意外にすんなり入ることが出来てほっとした。
会場内を歩き、右も左も分からない創は、何度かはぐれかけて洋介に怒られる。
「気持ちは分かるけど、きょろきょろすんなって」
「そんな事言われても…わっ」
再び人の波にのまれかけて目がちかちかした。
なんなんだこの人の多さは、と文句のひとつも言いたいところだったが、今は洋介の後を追わなければ。
じっと洋介の背中を見て後ろを歩き続けると、ようやっと着いたようだった。
大きく言えば、会場は東ホールと西ホールに分かれていて、洋介のスペースは西ホールである。
「ここが、今日のオレのスペース」
そこには、長机の半分のスペースとパイプ椅子が二脚、そしてその上には様々なチラシが乗っていた。
「おはようございます、今日は一日宜しくお願いします!」
既に来ていた、両隣のスペースに挨拶をする洋介を見て、創も慌てて頭を下げる。
「こいつ、こういうところ初めてなんで、ご迷惑をかけるかもしれませんけど」
「よっ、宜しくお願いします!」
「あはは、可愛いねー」
「そんな時代オレらにもあったわー」
だいぶ年齢は上に見える男女が言ってくるので、顔が真っ赤になった。
「よ、洋介先輩の知り合いですか?」
「いや、今初めて会った人。でも隣同士って事はジャンル…趣向が一緒って事だから、仲間仲間」
「そんなもんですか…」
「そ。オレ、チラシ選別するわ」
「…?」
「お前も見る?」
「? はい」
よく分からないまま返事をして、洋介の手元を見る。
「あっ、この絵師さん好きなんだよなオレ」
「めっちゃ可愛い絵っすね! 先輩こういうの好きなんだ」
「印刷所のチラシはいつも皮算用しちゃうんだよなー。一冊頭いくらかかるんだーとか。まぁ、コピーしか出せないから関係ないけど」
「へぇー。って印刷代高っ!!」
「初めて見るとびっくりするよな、この値段」
チラシを分けながら、あーだこーだと言う洋介は見ていて面白かった。
「…よし、ちょっといらないチラシ捨ててくるから、荷物見てて」
「はいっ」
荷物をがっちりとガードしながら、前後のスペースを見渡した。
創の目から見ても、大きいポスターを掲げているところはプロではないかと思うほど絵が上手い。
しかも、その上手い絵で自分の知っているマンガやアニメのキャラクターを描いているのだ。
「ただいま、さぁ準備するぞ」
「はぁ」
キャリーから取り出したのは、本。
いわゆる同人誌だった。
「こっ、これ、先輩が作ったんですか!?」
「そうだよ」
「本じゃないですか! すごい!」
「ただのコピー本だよ」
コピー機を駆使して作ったその本は、創の目には素晴らしいものに映った。
はっと我に帰ると、隣のスペースにいる人がくすくすと笑っていた。
「いやー、可愛いなぁ。見るもの全部新鮮なんだ」
そう言われて、創は顔を再び染めた。
まるでおのぼりさんではないか。
「すみません…」
「あぁ、ごめんね。責めてるんじゃないから」
微笑みながら肩をぽんと叩かれて、少しほっとした。
「それに、初めてっていうのは一回しか無いから、堪能した方がいいよ」
この人はいい人だ、と創は思った。
「ほら創、準備済ませないと」
「はいっ」
本を種類ごとに並べ、値札を貼っていく。
一番高額なもので三百円だった。
コピー代を考えればそんなものなのだろうが、高く感じる。
コミックスの値段とページ数を基準に持っている創には、素人のこんなに薄い本をこの値段で買う人がいるのだろうか、と不安になった。
そして、その本たちのどれもが人気マンガやアニメのキャラクターを模したものだった。
「洋介先輩、なんでみんなマンガのキャラクターとかぱくってるんですか?」
「ぱくるって、言い方悪いなぁ。まぁ、合ってるけど。二次創作っていうんだけどな、好きなキャラクターを自分で描いたりするんだよ」
「そんなの売ってもいいんですか!?」
「まぁ、そのへんはグレーゾーンなんだ」
「グレーゾーン?」
「各出版社は間違いなく良くは思っていない。二次創作の同人っていうのは基本的に著作権法違反だからな。まぁ一部のゲームとかは推奨してたりもするんだけど…」
「えっ、じゃあなんで」
「黙認してくれてるっていうのかな。勿論、その作品を尊重してる作品だけだけど。貶めるような作品は駄目だ」
「うーん?」
「過去に悪質なやつは逮捕される事件だって起きてるけど、それはよっぽどだし。それに…好きだから活動してるっていうのかな」
「へぇー」
感心したように返事をこぼす創の頭をぽんと叩いて、洋介は笑った。
「勿論、自分達は大丈夫なんて安心してちゃ本当はいけないんだけどな。まぁ、細かいこと気にせず、今日は楽しめばいいさ」
「はいっ!」
そんな話をしていると、アナウンスが流れてきた。
『まもなく開場となります。サークルの方は自分のスペースにお戻り下さい』
それを聞いて、意味も無くあたふたとする創に、洋介はくすりと笑った。
少しして、係員が洋介のスペースに近づいてくる。
「すみません、見本誌の提出をお願いします」
「あ、はい」
洋介が見本誌用のシールを貼った自身の本を一冊ずつ用意して、係員に渡した。
「ご協力ありがとうございます」
「はい、ありがとうございました」
お辞儀をして去っていく係員に、洋介もお辞儀をしながら言う。
「先輩、見本誌って?」
「このイベントの主催者に、問題のある作品が出回らないように見本を一冊渡すんだよ」
「へぇ」
「エロ本とか出してる人はその場でチェック入るんだけどな。うちは無いから回収だけ」
「えっ、えろほん!? そんなのも出してる人いるんですか!?」
「あぁ、多いよ」
さらっと言う洋介に創はくらくらした。
「カルチャーショックが多すぎる…」
「他にも色々あるぞ~」
「わあ、これ以上は頭パンクしますよ! あんたは慣れてるからいいかもしれないけど!」
「わっはっは」
洋介が笑いながら手馴れた様子で釣銭を用意して、これもまたカラーコピーで作ったポスターを吊り下げた。
「よっし、設営完了」
その言葉を受けたかのように、再びアナウンスが流れてきた。
『それでは、これよりコミック・ウォーを開催致します!』
開場宣言と同時に、地鳴りのような拍手で場が包まれた。
…始まってみれば、確かにお祭りだった。
一般参加者と呼ばれる、サークル参加者以外の大量の買い物客。
といっても洋介曰く、この会場に『客』というものはいないらしいが。
全員がイベントの参加者であり、全員が対等な立場にある。
だから、買い物をする側が偉いという一般的な常識は当てはまらない。
そんな自己責任の空間で皆が皆、目一杯楽しんでいる。
壁際には大手と呼ばれる、売れるサークルが配置されるらしく、長蛇の列が出来ていた。
中にはプロもいるらしいのだが、素人の集まりが売ったり買ったりをしている様は、創の目にキラキラと輝いて映った。
確かに、えっちな本を出している人も多く居て、創には少し目の毒だったが。
洋介の手伝いといっても、洋介のスペースは時折本を手に取る人が現われるだけで暇な時間がかなりある。
そんな時間、創は周囲のサークルを見て回っていた。
きらびやかな絵のマンガに、小説を出している人もいる。
いくつか本を買ったが、好きなキャラクター達が自由に動き回っていて、描いた人に尊敬の念すら覚えた。
買い物をしていて気づいたのは、同人誌の相場。
ページ数によって大きく異なるが、本としてはかなり薄いのに普通のコミックスと同じような値段が多くあって、創の小遣いでは大した買い物は出来なかった。
歩いている人の中には、テレビで見たようなコスプレの人も居てドキドキする。
一通り堪能して戻ると、洋介とお客さんらしき人が熱っぽく語っているのを見かけた。
「オレミタのあのシーンはすごかったですよね! 萌えアニメの真骨頂ですよね!」
「分かりますー! もう女の子達かわいすぎでしょう!」
「あ、創おかえり! お前もオレミタ好きだったよな?」
「は、はい、大好きです! やっぱ二次元の女の子はいいですよね…特に先週の水着シーンが!」
「おいおい、その若さで三次元諦めるなよ~。でも確かにあれはよかった」
「今度うちのサークルでオレミタ本出そうって言ってて」
「それ欲しいっ!」
テンションの高い会話がとめどなく流れ、その輪に入っている間、創はものすごく気持ちがよかった。
普段学校ではアニメの話なんかしないから余計に新鮮で、尚且つ同じように好きなものを好きな人がいるという事がたまらなかった。
「さっき買ってきたこの本良かったですよ! まだ残ってるかも」
「マジか! 創、ちょっと留守番頼む!」
「了解でっす!」
びしっと敬礼すると、意気揚々と創は座る。
「初めてのイベントはどう?」
ふぅと一息つくと、隣の男性が聞いてきた。
「最初は圧巻でしたけど、慣れてきたらすごく楽しいです! なんというか…本当にみんなマンガやアニメ好きなんだなって」
「好きじゃなきゃこんな活動できないよ~。仕事や学校の合間に同人誌の締め切り抱えてさ」
笑いながら言ってくるお隣さんに、創もふふっと笑った。
「でもね、買ってくれる人がいたり、話しかけてくれる人がいたり、友達や仲間ができたり…本当に楽しいんだ」
最高の笑顔を浮かべて言うお隣さんの熱に当てられたように、創は自身の内に熱っぽい何かを感じていた。
「オレ、こんな風にアニメとかの話できるの先輩しかいなかったから…」
「この世界にいたら、すぐ友達できるよ! それも濃い友達がね」
「マジですか」
「オレも連れが濃ゆーい腐女子でね…」
「ふじょし?」
「コラッ、ばらすなよ! あはは、気にしないで~」
よく分からなかったので、後で洋介に聞くことにする。
そんなこんなで閉場時間が迫った頃には、創はこの世界に強い憧れを抱いていた。
「創だって、この世界で主役になれるんだぞ。サークル主として」
「お、オレにも!?」
「お前だって絵描くだろう? まぁ、小説でもいいんだけど」
確かに、サークルを見て回ったときにレベルの低い作家も居た。
しかしそのどれもが一生懸命に描かれたように、作者達が本当にこの空間を楽しんでいる事は明白だった。
創はマンガというものは描いたことはないが、イラストは時折描いていた。
「受験終わったら、マンガ描いてみたらどうだ?」
「は、はいっ!」
創はその時、同人作家になりたいと思うようになったのだ。
それからは早かった。
とにかく校則がゆるい学校を探して、受験した。
親は基本的に放任主義だったので、説得も容易かった。
受験が終わってからは、洋介と同人に関する事を学んだ。
そして四月。
私立自由ヶ浜高等学校に入学することになった。
少し外れた場所にあるこの学校は、その名前通り自由な校風が売りだった。
アルバイトも許可されているし、申し分ない。
一つ問題だったのが、受験する時にアニメやマンガに関する部活が見当たらなかった事だが、創は思っていた。
無いなら、作ればいい…と。
まだまだ続きます。
少しでも楽しんで貰えれば光栄です。