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一人の青年、〝シグ・フロイド〟は荷馬車を引きながら、夜道を歩いていた。
フロイドは、商品を物々交換、あるいは貨幣と交換を行う仲介に立つ商人と呼ばれる者であった。中でも、特定の店を持たずに、客のいる地域へと商品を運び、そこでまた仕入れや販売を行う行商人であった。
行商人自体は、珍しくも無い。
しかし、この御時世にわざわざ自ら進んで行商をする者はそう多くはいなかった。
それは、商人損していつか蔵が建つとはよく言ったものだが、こんな御時世では、商人損していつか墓が建つ――などと、話半分にそう囃し立てられていたからだ。
確かに、それは上手い表現であった。
と言うのも、人間と魔物との間で激しい争いが繰り広げられていたからだ。人間と魔物との争いは、これまで幾度となくあったのだが、ここ最近でそれが更に激化し、外を出歩くことすら危険な状況であった。
人間が魔物を見掛ければ剣を向けるように、魔物も人間を見掛ければ牙を剥ける。そんな危険な道中を、荷馬車を引いて一人で行くなど、誰であれこれが危険なことであることを理解出来る。
ましてや、夜道を出歩くなど以ての外だ。
商人にとって、夜道と言うのは常に危険と隣り合わせだ。魔物は勿論のこと、狼と言った獣や賊と言った輩までいる。そんな夜道に出歩くなど、自殺行為と思われても何ら変わりないのだ。
けれど、それは同時に商機でもあった。
隣の街に在って、隣の村に無い商品を仕入れ販売することで、より多くの利益を上げられるからだ。しかし、その利益を上げるのがそう容易くは無い。今日も街で売る為の麦を隣村まで買い付けへ行った帰りであった。
例年通りであれば、今年も立派な麦が買い付けるであろうと踏んでいたのだが、足を運んでみれば、天候が荒れた影響か穂発芽となっていた。穂発芽とは、乾燥させた麦に雨が当たり、穂の状態で発芽してしまう現象だ。
穂発芽した麦は味が極端に落ちてしまい、野鳥や害虫さえも食べに寄り付かない程である。これでは、商品として扱うにはあまりに粗末であった。しかし、これは仕方の無いことであり、それが商売の難しいところであった。
古人、立夏後の雨は麦を害すとはよく言ったものだ――そんなことを一つ考えながら、フロイドは荷馬車を引いて駆けて行く。麦を買い付けた際に、〝カスロパ〟の村長が言っていた言葉が脳裏を過る。
「農耕には、どうしても豊作、凶作がつきものなんさ。豊作の時には、神様を祀り上げ、凶作の時には神を祟り上げるんさね」
「確か、去年の豊作の時は、初めに刈り取った麦を田畑へばら撒いていましたね。今年みたいに凶作の時には、一体どんなことをするんです?」
フロイドは興味本位で聞いてみる。
商人にとって、情報と言うのは非常に重要であった。一見一聞それだけでは役に立たなくとも、どこかで何かの拍子に役に立つことがあるからだ。その為、些細なことであっても、興味のあることや、知らないことを聞くということには、大きな意味があった。
「カスロパでは、凶作の時には最後に刈り取った麦をお焚き上げするんさ。来年は、良い麦をお願いします、手合わせて祈りながら神様に届けるんよ」
「だったら、この麦はお返しします」
フロイドは、荷馬車の一番上の最後に積んだであろう麦を手に、村長へ差し出すが、村長は首をゆっくり左右に振る。
「いやいや、こんな商品にもならん穂発芽した麦を買って頂いただけでフロイドさんには感謝しているんさ」
本来、商売としてなら穂発芽した麦など商品としての価値など皆無である。しかし、フロイドが購入しているのは、実績のあるカスロパへ来年への投資であり、信用と信頼の関係を同時に築いているのである。
俗に言う、持ちつ持たれると呼ばれるものだ。商人によっては、そんな甘い考え方をしていては、怪しい話に騙されると冗談仄めかして、眉に唾を掛けられるぞとはよく言われたものだ。
「それに、祈らずとても神や守らんさね」
フロイドは、小さく首を傾げる。
「と言いいますと?」
「神様の加護を得るんは、形式の問題ではなく、正しい行いと心掛けが大切と言うことさね」
村長は、手を差し出した。
「なるほど、勉強になりました」
フロイドは、その手を握り返す。
「神様の気まぐれに人間が振り回されているように見えて、人間の気まぐれに神様の方が振り回されているのかもしれんさね」
「ははは、どうでしょう」
フロイドは、力なく笑って見せたのだった。
そんな話を荷馬車の馬に語り掛けるが、当然のことながら返事をしてくれるはずなど無かった。しかし、そんなやりとりであってもフロイドの気は紛れるので、それはそれで良かった。
気が付けば、目的地の街〝ハーフェン〟はもう目の前だからだ。街の明かりがぼうっと光って輝いているのが見える。暗い夜道を一人で駆けてきたフロイドにとって、その灯は何よりも温かい光であった。
街の入口の前まで来てみると、何やら街が妙に騒がしい。昼間にハーフェンの街を出て来た時は、いつもと何ら変わらなかったのだが、一体全体何があったのだろうか。
フロイドは荷馬車から降り、門兵に尋ねてみることにする。