第二章 無限画布①
第二章 無限画布―悶え狂う凶器達―
鋭利は床に座り込んだまま、数々の武器を目の前に広げていた。
四方手裏剣。メタルハンマー。鎌。長針。サバイバルナイフ。ナックルガード。
そして最後に手渡された見事な仕立ての小太刀に感動を得ると、これらの研ぎに入る。どれも使い込んでいるのが刃の欠け具合や擦れ加減から伝わってくる。それでいてどれも刀身が歪んでないことからカイムという男の技量が伺える。
「しっかし、よくこれだけの武器を隠し持ってたなー」
てっきり丸腰に見えた彼から刀剣器が次々に出てくるのは痛快ですらあった。
「仕事柄のさがだべぇ、多いごとはええごとだ」
研ぎ石を挟んでの向かいで、カイムがどこかの里訛りで笑う。
「こうして手入れしてもらっのが、こいつらへの労いになるだよ」
その慈しみに溢れた視線の先にある武器たちは、鋭利の鮮やかな手付きの元で輝きを取り戻していく。それを見守りつつ、子供のように眼を輝かせるカイム。
「すげえなエイリさん。あっちゅーまに綺麗になっていくべ」
「もう習慣みたいなもんさ。この刀、特に古いな。どこで手に入れた?」
「父ちゃがこの国来るさ前にくれたんけ」
「……ん?」
聞いてはいけないことを耳にしてしまった気がして、鑢がけの手が止まる。
三本目の長針を置き直し、揺らいでしまった鼓動と頭の中を整える。
「え、と。『この国来る前』って、どこにいたの」
「『鉄』。実はな、驚くかも知れんがこいつ、」
ソファでくつろいでいた屏風が飛ばしてきた声に被せてカイムは答える。
「あーと、ドイチェだべ?」
「っへ、どいちぇ?」
どこだそこは。聞き覚えが無い地名だ。日本とも思えない。もしかして、外国?
「そん前はルーシアで、更にそん前がアルゼンチンかっちゃ? 元の生まれがどごだったかは、もう覚えてね。ここん来たのは依頼があったからだあ」
「……あー。元の生まれって、オマエもしかして、人間?」
「おらあ生まれた時から、父ちゃたちの子供で、正真正銘人間だべ?」
「そういうこった。そいつ、カイムは人間なんだ」
さっきそれを言いかけた屏風が煙草に火を付けながら天井を仰ぐ。
何と、と鋭利の手が止まる。では、ただの人間なんかに〈DRD〉と屏風はやられてしまったというのか。しかもたった一人に。
鬼形児と人間の性能差には天と地ほどの隔たりがある。異能の有無もそうだが、身体能力、頑丈さ、精神力、どれをとっても人間が鬼形児を超えることはない。
まあ確かに絶対というわけではない。浅部の鬼形児たちは人とそう変わらない者たちが多いし、強力な重火器や兵器は鬼をも圧倒する。厳しい修練を積んできた武道家が素手で鬼に打ち勝つ、なんて武勇伝もないこともない。
しかし〈DRD〉はこてこての武闘派のチームだったし、カイムの装備には手榴弾はおろか拳銃すら見当たらない。全部近接格闘用の装備だ。しかも逆ならともかく、カイムはたった一人で多数の鬼形児を相手して、圧勝したのだ。武勇にも程がある。
「……おいおい、そらちょっと刺激強すぎでしょ。オマエ何もんだ?」
「さっき名乗ったべ? おらはカイム=スピーキング。屏風さ、モイヒェルメルダーっちゅうのここん言葉じゃ何ちゅう?」
「俺が知るかい。モイヒ、ャ、ええ?」
「ルーシア語なら、ナヨームヌイウピッツァだど」
「余計知るか! ますます分からなくなったぜ!」
「私それ分かりますよ」
台所から、銀架が焼き肉を山のように積んだ皿を手にやってくる。
「『メルダー』が殺人者の意味で、『モイヒェル』が不意打ちとか卑怯。不意にて殺す者。つまり『暗殺者』のことです」
「おお、『アンサツシャ』。なるほど、覚えたさ」
「今日もガッツリ肉食うなー。野菜もちゃんと食べなさいよ? にしてもモイ、何とかなんて言葉、どこで知った?」
「この前勉強を教わってる教会で、聖書と一緒にドイツ語の辞典貰ったんです。でも帰って読んでみれば聖書の中身がラテン語で書いてあって、その場で両方とも投げ捨てたんですけど。役に立ちましたね」
片手に持った一冊の独語辞書をひらひら見せて、銀架はソファに座る。
いただきます、の宣言で始まるのは猛獣の時間だ。これを邪魔する者は彼女の顎によって肉と共に噛み千切られることになる。一番腹の減った時にはその顎力がいつもの三倍にまで跳ね上がっている、とは被害者の会代表の屏風の証言。
「ほえー、嬢ちゃん賢いべぇ。てえしたもんだ」
と、こちらが忠告する前に近付いてしまい、被害者の一員に加わるカイム。必死の悲鳴が部屋につんざめく。方々の体で逃げて来たカイムの手には綺麗な歯型。
「あー、お、驚っいたぁ。いったー」
「ご愁傷様。それで、オマエは暗殺者なのか?」
「おお、そうだぁ。おらは『アンサツシャ』なんでさあ。こん国で殺しの依頼、受けてここに来たんちゅうわけ」
「つまり戦闘のプロか。それでも〈DRD〉が負けたのは未だに信じがたいけど」
「鋭利さも相当の達人だと聞いたっぺ。あとで手合わせしてみっか?」
「ぇわお! マジでっ」
「……何でそんな喜ばしいんだ、お前」
と屏風の半眼もなんのその。うなぎ昇りに上がったテンションはそうそう落ち着かない。ってか落ち着かせて堪るもんですか、と。
約束に浮かれながらナイフの研ぎに入る。目の粗い砥石に寝かせて引っ掻くように研いでから、布で丁寧に拭い、緩んでいたグリップの接合部を新調し直して、完了。打撃系の武器たちは後回しにして、次は柄の古めかしさに反して刃には曇り一つない、まさに名刀の匂いのする小太刀の研ぎに掛かる。桶に用意した水を垂らしつつ、きめ細かい砥石に押し付け、上下に滑らす。鉄と石の擦れあう小気味の良いリズムが室内に広がる。
「なんで、もう終わりそうやな。ここら辺のはもう終わってんだ?」
カイムは作業の終わった武器たちを服の内側に元通りに仕舞い込んでいく。
その手が手入れの済んでいないハンマーにまで掛かったので止めようとしたが、逆に断られてしまった。もう良いさ、と。研ぎ師として憮然としないが、持ち主の意向に従うとしよう。てか研ぎ師じゃないし。
刀身を一度すすいで、タオルで水気を拭う。鞘に納めて持ち主に返すと、カイムは早速刀を抜いて、まじまじと刃紋を見つめて、感嘆の声を上げる。
「とんでもねー腕前だ。おらじゃあこう上手くいかん。そいで、さっきの暗殺の依頼のことでさ。おめーらの知ってる相手なんだったら、すっこし教えてくれんか?」
「ふーん、誰なのそいつ?」
カイムは、おおそうだべ、と頷いて柔和な笑みを崩さぬまま、
「……と、すまんち。おらもそろそろ行かなきゃいけねえみたいだっぺ」
急に大窓に近づいていき、窓を開放し、枠に足を掛けた。
それと同時に玄関の扉が開いて、騒がしい声と二人の男が現れた。
「おい! てめえら、〈彩〉と戦争だ! ってあ? 客?」
鼎と虚呂が部屋に入ってくるなり問題発言し、知らない顔のカイムを見つけた。
「引っ掻き回ってんのぉ。じゃ、さよならさ。アォフヴィーダゼーン」
とよく分からんこと言って、彼は三階の高さに臆することなく飛び降りていった。
一方鼎たちも、カイムという部外者の消失にどう反応していいか答えを出しあぐねて、困っているようだったが、ふと思い出したように捲くし立てた。
「ってそんな場合じゃねえ! おいてめえら、大変だ! 話を聞け!」
「聞くよ。だからちょっと待てって。何だよ次から次へと」
折角の大獲物を逃してテンションが駄々下がりになる鋭利だが、しかし鼎たちの持ち込んで来た何らかの厄介事を思うと、そうも言ってられないようだ。
「暇が終わったかと思えば、急にこのラッシュかよ。ったく、楽しいねぇ。これだから、人生って奴はやめられない」
親指に付着していた鉄の粒子を含んだ水滴を、舌で舐め取る。純鉄の味がした。
ごちそうさま、と向こうのソファで銀架が箸を置く音がした。
Fe