無二色調⑤
「《金族》が抱えている『大喰』不壊城鋭利の身柄を即刻〈彩〉に引き渡してください」
「……それが、本題か」
ええ、と錬一郎は優越の笑みを浮かべた。
「〈七大罪〉の力は一組織が抱えていて良い力ではありません。誰かが責任を持って管理せねばならない。もし〈七大罪〉が暴走したとしても、それを抑圧しうる力を持った組織が。それが可能なのは、僕ら〈彩〉を除いて他にないでしょう」
「ほ。鋭利は危ねえから、てめえらが預かるってか?」
「ええ。あなた方には任せられない。事が起こってからでは遅いんですよ」
錬一郎はボスの『彩色』も〈七大罪〉の一人だったことを思い出した。
〈七大罪〉の、その他を圧倒する無限の力に中てられたことがある。魂が震撼するにはそれだけで十分だった。まるで自然災害や物理法則がそのまま人の形になったような圧倒的な力に、錬一郎は畏れと恐怖と、底無しの憧憬を覚えた。
『大喰』の力もそれと同等のものだという。想像するだに恐ろしい。
つもりになれば個人で〈廃都〉の戦力図を塗り替えられる力を持った化け物。そんな脅威と争乱の塊をむざむざ見過ごす〈彩〉と『苦色』ではない。
「随分と言うじゃないか。こちらの意志は全無視かい? それに本人の意思も。〈彩〉に来いと言われたって、素直に頷くような奴じゃないよ?」
「ああ、虚呂の言う通りだ。俺らは仲間を危ねえからってパスするような真似はしねえ。ましてや、『管理』なんて口にする奴らにはな。悪いがその話は断らせてもらう」
予想してた答えに錬一郎は肩を竦める。どこか、芝居がかった動きで。
「でしょうね。でもこれは困りましたね。了承してもらえないのなら、お二人を帰すわけに行かなくなった。とことん、説得させてもらいますよ」
鼎がピクと片眉を上げる。虚呂は対照的に笑みを濃くしていく。
「……へえ、小僧が俺たち二人の相手するってか?」
「とんでもない。僕はあくまで交渉をしたいんです。間違って再起不能にしてしまったら大人気ないですからね。そんなの〈彩〉の幹部がやることじゃない」
「傲慢なセリフだよなあ。自分らがテッペンだと考えてやがる。王者のつもりか?」
「ええ、その通りですよ。何一つその通りです。僕たち〈彩〉に勝てるものなどいない。だから『傲慢』でいられるのです」
空気が錬一郎が何か言う度に険悪に染まっていく。
錬一郎からの分かりやすい挑発に、ここで乗ってくるほど彼らも愚かではない。ここは〈彩〉の本部。彼らにとって敵陣ど真ん中なのだから。
スッ、と右手を挙げると、見えない位置に潜んでいた部下たちが姿を顕わにする。いつの間にかカフェの周囲にいた者たちは全員立ち止まり、こちらを向いていた。それぞれの手に武と暴の力を持って、鼎と虚呂を取り囲む。
一階に下りて来るまでに直属部隊の〈仁王門〉に召集を掛けておいたのだ。二〇人単位で一部隊。それが五つ。百を超える視線が鼎と虚呂の二人に突き刺さる。
ふふ、と愉悦に笑んだのは虚呂だった。彼は実際は見えてないはずのその目でこちらを見回すように首を捻り、怒りなど微塵も含んでいない声で囁く。
「大した歓迎だね。こんな楽しいことになるんだったら、鋭利も一緒に来れば良かったかもね。根暗生活の良い憂さ晴らしになっただろうに」
おいおい、と明らかに楽しんでいる風の仲間に呆れる鼎。
「虚呂さんはこいつら全員とやり合う気ですかよ。流石にボスとして止めるぜ、それは。サヤコとの関係がギクシャクしちまうじゃねーか」
「……余裕ですねお二人とも。それで、どうしますか? 説得に応じるか、愚かなプライドを取るか。あなた方を取引材料にすれば、『大喰』も頷くでしょう」
「そんな優しいかな、あいつ。でも鋭利の足手まといは嫌だね。どうする?」
「どーもしねぇよ。〈彩〉に鋭利は渡さねえし、俺らも掴まんねえ。〈金族〉も潰されはしねえ。他の奴らもそう言うだろうさ」
「そんな虫がいい話が通るとでも?」
鼎は、それもそうだなぁ、と説得されたように呟いてから、どうしてかニマリと笑い、人指し指を一本立てる。その顔はまるで悪戯を思いついた悪ガキのよう。
「じゃ、こう脅してみようか。さっさとこの包囲を解いて俺たちに降伏しないと、ここにいるてめえらぜーいん潰しちまうぞ、ってな?」
「……え?」錬一郎の思考が瞬きする間に、複雑に絡まった。
もしかしたら自分は馬鹿なのだろうか。彼が何を言っているのか理解ができない。意味不明すぎる。今は降参か抵抗を選ぶ話ではなかったのか。なぜ脅す話になっている。なぜ優勢である自分たちが、降参する話にシフトしているのだ。
いよいよ気が狂ったのか? そう考えたほうが理解が容易い。
ゆえに、逆に心配にも似た想いで錬一郎はその真意を問うてしまう。
「ちょ、ちょっと待ってください。降伏って、どういう、まさか本気で言ってるのですか? 失礼ですが、お二人の力の程度は把握してるつもりですよ。決して個人の領域を出ない力だということも」
つまり、その程度では〈仁王門〉百人を相手できないということも。
しかし、そんな親切とも挑発とも取れるような物言いを笑い飛ばすように鼎は、
「いやな。総力戦になったら俺らに勝ち目はゼロだけど、ザコだけを狙って一気に消すことはできそうじゃないか? 例えば、建物の下敷きにして、とか」
「……え?」
と、不吉な響きに、率直な疑問の声が出てしまう。
「これ、何だと思う?」
鼎は自慢の自室を紹介するように足元の床を掌で示した。タイルの床があった。そこに今、正方形の形に切れ目が入り、扉のように蝶番に開いていく。四角の先に見えるのは仄暗い空間、ここと地下一階との間にある、何もない隙間。
何なんだ、これは、と本部の改築に携わった錬一郎が自問する。
こんなの、造っていない。こんなの、あるわけがない。
ぽっかりと生まれた暗い穴から、一つの箱が浮かび上がってきた。高さ一〇〇センチ。幅が縦横それぞれ一二〇センチ。材質は重コンクリート。
重たい汗がドボッと生じた。実際見たことはない、でも知っている。知識のおかげで嫌でも想像ができてしまう。もしかしたら、あれはあれなんじゃ、と。
蒼白になったこちらを確認して、鼎は満足げに発表する。
「今これと同じことを全部の階でやろうとしてる。この建物の支柱を切断する作業を。糸の配置は済んでいるからあとは命令するだけだぜ」
馬鹿な! と後ろに控えていた部下の一人が悲鳴のように叫んだ。
「ここで、共に死ぬつもりか!」
はは、と滑稽そうに目隠しの男が言う。
「そこまで馬鹿じゃないよ。大丈夫、僕がいるから。雲水と僕をこの世から『ずらし』て逃げるなんて、鼻歌交じりでできるよ」
錬一郎は先日にサヤコから聞いた二人の能力を思い出す。
鼎は意志の通った糸で物体を操る、超能系『傀儡糸』。
虚呂は他人の感覚と物体を『ずらす』、次門系『焦失点』。
どちらも厄介な能力だ。だから物量で一気に押し潰そうと〈仁王門〉全部隊を用意しておいたのだ。どんな鬼が相手でもそれを圧倒する兵力を抱えているからこそ、〈彩〉は化け物ゲテモノ集う〈廃都〉であっても最強でいられるのだ。
だがそれも、本部が人質となってしまっては何の役にも立たない。ここには非戦闘員や怪我人も多くいるのだ。およそ崩れ落ちる瓦礫に耐えられないであろう者たちが。
「見た感じ、これで三分の二は死ぬだろうな。その後に俺と虚呂が暴れたら残った半分は倒せると思うんだけどよ。なあ、六分の一になりたいか? お前ら」
「……ッ!」
ハッタリも勿論入っているだろう。実質まだされたのは本部の支柱を一本切られただけだ。それと床に大きな穴を開けられた。ってすでに一大事なのでは?
だが、たとえハッタリだろうが、多くの命を天秤に掛けられた現状に幹部である錬一郎は躊躇いを覚える。本当に六分の一とまで行かなくても、多くの犠牲が出てしまうくらいなら、相手の誘いに乗って勝負した方が賢明なのでは、と。
だから錬一郎は口を噤む。次の自分の一言が皆の生死を分けると覚悟して。
そして、次に生まれたセリフは嘲笑を含んだものだった。
「甘っちょろい、ことをしてるなガキども。欠伸が出る」
その声は、錬一郎が出したものでも、鼎や虚呂が出したものでも、後ろに控えている大勢の部下たちのものかというわけでもなく、では誰のものかというと。
鼎と虚呂の間に気配もなく座っていた、着流しの男が発したものだった。
「……っ!」
虚呂と鼎がそれぞれ驚愕を顕わにし、席を弾き飛ばして後ろに跳ねた。二人ともあの瞬間まで気付けていなかったのだ。左目に傷を負った着物の男に。
幹部の一人、『血色』の存在に。
「……てめえは、会議室にいた!」
カウンターの方に跳んだ鼎が敵意の声を上げ、車椅子を走らせた両手を『血色』に向けた。物体を操作する金色の糸が、彼の両腕から噴き出し、
その左腕が、ポロリと落ちた。
「……はぁ?」
二の腕から外れた鼎の片腕は、地面にゴロンと落ち、間抜けな主人と目を合わせる。
鼎の左腕に突如生まれたテラテラした肉と骨の断面が、プクゥと膨れ、
「……ッ、アああッッ!」
赤の色が破裂し、カフェの床を凄惨に染めた。
血飛沫の上がり続ける腕を何とか止めようと押さえるが、鼎は痛みに耐え切れず車椅子から転がり落ちる。一体何が起こったのかと、疑問を顔に浮かべて。
「……っ、雲水っ!」
虚呂が駆け寄ろうとするが『血色』が流水のように滑らかに動き、蹲る鼎の前に立ち塞がる。その手に持った刀を、鼎の頭に突き付けて。
仲間を人質に取られた虚呂は止まらざるを得ない。
刀を向けたまま『血色』は片腕を拾い上げ、その持ち主だった男を見る。
「脆いな、こんなものか所詮は」
「……てっ、てめえ、いつの間に俺の腕を……!」
「気にするな。貴様が遅く、俺が速かった、ただそれだけだ」
「……っく、っ。んの、クソ野郎がぁ……!」
無念と怒りがない交ぜになった怨みの眼で睨み上げるが、それでも痛みが勝るのか、鼎は身を起こすこともできずに無様に地を舐める鼎。
「……雲水っ! 落とすんだ!」
虚呂の声が飛んで、鼎が頷くように俯いた。同時に鼎の後ろで車椅子が糸で吊られたみたいに浮き上がり、復讐鬼の如く『血色』に飛びかかる。
『血色』は二度刀を振るう。それだけで車椅子は縦と横に四分割される。
だが、落ちてくるのは金属フレームの破片だけではなかった。
天井の一部が崩壊して、瓦礫が錬一郎たちの上に落ちてきた。鼎が脅しで語っていた、建物に糸を散りばめていたという話は本当だったのだろう。
「お願いします!」
錬一郎の指示に四人の部下が崩落の真下に進み出てきて、両腕を掲げる。
二人の手から発射された怪光線と奇妙な液体がそれぞれ瓦礫の塊を細かく砕いた。もう二人が、甲羅に覆われた腕と巨大化した掌で、その欠片たちを受け止める。
ブッ、と視界を埋め尽くす灰塵が舞い広がる。だが、それも後ろで控えていた一人が空気を操って集結させ、親指サイズのキューブにする。あとに残ったのは埃一つない、荒れ果てたカフェ。彼らのコンビネーションのお陰で怪我人はゼロだ。
自分が不必要と思えるくらい頼れる部下たちに心強さを得ながら、錬一郎は崩れた天井の真下で突っ立ってる『血色』の後姿を見た。〈金族〉の二人は、消えていた。
彼が見下ろしている足元には鼎が開けた四角の穴があった。どこかに空気の抜け道があるのか、ボォウボォウと風の音が聞こえる。外に繋がってる可能性が高い。
錬一郎は声を張り上げた。
「第三、第五部隊は急いで追いかけてください! 第二、第四部隊は外から出入り口になりそうな下水道などを探し出し、封鎖。第一部隊はここで待機。〈金族〉の二名が見つかったらそちらに投入しますので、臨戦態勢は解かないでください。
さあ、急いで!」
イエッサ、と輪唱が響き、四つの部隊がどっと行動を開始する。
足元の穴に四〇人が飛び込んでいく。もう四〇人が玄関に向かって駆け出していき、それを残された錬一郎と第一部隊が見送る。『血色』は穴の横を動かないでいたから、第三部隊と第五部隊の者たちに邪魔そうに見られていた。
「……あの、『血色』さん。フォロー、ありがとうございました」
「良い準備体操にはなった。が、そこまでだ」
気だるそうに吐くと、彼は刀を鞘に納め、「やる」と言って鼎の片腕を投げてきた。
「っと、わわ。こ、こんなの僕も要りませんよ!」
しかし抗議の声は黙殺され、『血色』は軽い足取りで玄関に歩いていった。戦闘面では気が回るが、それ以外だとてんで何もしてくれないのが、彼だ。
疲れがドッと来た。錬一郎はカフェの適当な席に座り、息を吐いた。
鼎の腕を、色々迷った挙句テーブルの上に置いてから、錬一郎は一部始終を見ていながらも一切干渉してこなかったカウンターの女性に紅茶を注文して、ようやく脱力し、
『結構、失敗ですよね、これ』
頭の中の『毒色』に話しかけた。
Fe