夢幻画才④
静かに目を瞑った鋭利は、自分の身体がそこにあるのを感じた。
走馬灯の暇もなく完全消滅すると覚悟していた鋭利は、未だにあり続ける自分の命に疑問を覚え、薄目を開けた、声を聞いた。
「鋭利にしては、諦めんの早すぎなんじゃねえか?」
「だね。らしくもない。一人じゃ心細いのかな?」
見知った二人の声が、二人の背中が目の前にあった。
黄昏の光をバックにした、ガタイの良い金髪男と、頭から布を垂らす痩躯。その二つが不意に滲んで、揺らいだ気がして、鋭利は慌てて目を拭った。
そこに体当たりを食らう。腰に今にも泣きそうな銀架が張り付いていた。色々言いたそうな顔をしているが、今はとにかく鋭利がどこにも行かないようにと、必死にしがみ付いている。ゴン、と後ろから拳骨を落としたのはフィリアだった。どう謝っていいのか分からなかったが、鋭利は、すまん、と小さく呟き、銀架の頭を撫でた。
破滅の光は依然と飛んできているが、その色が薄れてる。まるでこの世から『ズラ』されているかのように。弱まってもなお飛来する光は、鋭利たちの前に船首のように突き立った二枚の盾とぶつかって対消滅し、左右に流れていく。盾が消えるたびに、横の床タイルが金色の糸で剥がされて、新たな盾として飛んでいく。
無敵の猛威を振るっていた光が、二人のコンビネーションで防がれている。
それを認めると鋭利は、ふっ、と笑うように短く息を吐き、頭を上げた。
「感謝しろよ? 遅れたオマエらのために、見せ場を残しといてやったんだから」
「あら? だったら私の分も残ってるのかしら?」
美しい旋律がホールの天井から降ってきて、光を防がれて目を丸くしていた『薬色』をダンプカーサイズの巨大すぎる拳が押し潰した。
「ッッ!」
激震。フロアの悲鳴と破砕が成され、光の射出が停止する。
数メートルに及ぶ拳の上に乗っているのは、サヤコ。遅れて、玄関のドアをぶち壊して一台の軍用車が突っ込んでくる。運転席の屏風の他に、大鎌を携えた眼鏡の女と青い着流しの男の顔が見えた。
着流しの男に見覚えがあった気がしたがそれよりも、と鋭利は、腰に銀架を張り付けたまま立ち上がり、鼎と虚呂の横に並んだ。
「よくここが分かったな。腕の治療も、間に合ったみたいだし」
「まあ、な」と鼎は、黒ずんだ左腕を苦笑で撫でて、隣の虚呂をちらりと見て、
「大分てこずったが。サヤコが『街色』って奴の『念話』を受けて、ここにいることを知らせてくれたんだ。途中までだったら現状把握はできてる」
虚呂が続きを受け持つ。
「『薬色』君の力が、鋭利より上位のものだってことも、ね」
「ああ、そうでしたか。道理で手馴れたもので」
飄々《ひょうひょう》とした、変声期を遂げてない声が、サヤコの足下から聞こえた。
巨大なサヤコの右手。その下から黄色の閃光が弾けた。
「……ぐッ……!」
巨拳が消滅し、サヤコは広がる爆光に追いつかれないよう跳躍する。それでも彼女の右腕は肘まで消し飛ばされ、空中を駆ける途中で右足までもが食われる。
サヤコが天井を蹴って、鋭利たちの横に着地。広がっていた光が収まっていく。
光の中心部。拳型にへこみ、亀裂が走っている中央に、少年は立っていた。
少年はサヤコを見て、両目を三日月にする。
「ええ? どうして幹部である僕を攻撃したんですか? 反逆ですか?」
「戯言は止め。お互い全部を承知した上でここにいるんでしょ」
「おや、からかい甲斐がないですね。ですが、ええそうですね。これだけの戦力相手に遊んでる暇もなさそうだ。ではボス。仕方ないので、殲滅します」
「できると思ってるような口調だねぇ。一度目は許してやるけどさぁ。あんた今、誰を相手に喧嘩を売ってるのか、分かってるのかい?」
ミシ、と見えない重圧でサヤコの周囲の大気が圧迫され、歪んでいく。ギスギスと軋む空間の向こうで、あっけらかんに少年の鬼は答えた。
「ええ。過去の偶然の栄光に、いつまでもしがみ付いて離れない、老害の一人ですよね? 夢も約束も戦いからも逃げて、仲間であった人たちを一人も守れず、罪のない『彼女』を見殺しにしてまで、ずぅっと生にしがみ付いている蛆虫の、」
「へえ」
誰も聞いたことのない女の声がした。
次の瞬間、サヤコを中心にした空間の一部が前に弾け飛んで、少年を強襲した。
その動きは誰も視認できなかった。さっきまで鋭利の横にいたサヤコがその姿を捩じらせたと思ったら、風や床が爆散して、少年の前に立っていたのだ。
彼女の攻撃はすでに成されていた。
サヤコの貫手が、少年の腹を貫いて、
「……っげぁッ!」
パンッ、と『薬色』の腹が貫通の衝撃で破裂し、少年の胴体に大穴ができる。吐血と破裂した血肉がサヤコの顔を汚し、そこに第二波が来る。高速移動したサヤコに追随した大気がようやく追いつき、暴風となって少年の身を叩いた。
「……ぅぉぼぁ……ッッ!」
少年は嵐に殴られ、ズッとサヤコの腕から抜けて、コンクリの壁に叩きつけられる。グガゴッ、と壁に亀裂が入り、少年は前のめりに倒れる。
眼に見えて分かる、手加減という言葉の存在しない高威力の一撃に、誰もが『薬色』の絶命を疑わなかった。が、
「……、ゴはぁっ……! っく、フフフフフフ……」
ピク、と泳ぐように少年の腕がもがき、上体を起き上がらせた。その顔は、今にも息絶えてしまいそうな衰弱し切ったものだが、邪悪な笑みが尽きていなかった。
「ひゃ、ははは。ひゃあはははははあああああああああああああああああああああああああああ! 怒った? 怒りましたか、ボス? 図星突かれて過去をほじくられて仲間を汚されて、カッチーンと切れちゃいましたかぁぁぁぁぁああああ?」
一人の女は、鮮血に濡れた腕を振って、貫手のままクソガキを刺す。
「私の命を狙っただけだったら許してあげれたけど、〈彩〉が欲しいんだったら程々に相手してやったけど。だけど、ワタシたちの過去に触れるってんだったら、つまりは本気で跡形もなく壊しても、構わないってことよねェ?」
「け、ケケケケケケケケ! 良いですねえ、良いですねえ! うわあ殺されちゃうよオオオオオぉぉぉ! エンドルフィン出まくりだあああああああ! 脳内麻薬で溺れちゃうううううウウウウウウゥゥゥゥゥ!」
叫び、少年が飛び上がる。さっきまで死にそうだった『薬色』は、打って変わって狂ったように狂喜する。腹にあった空洞は、いつの間にか修復されている。
「僕を殺したければ一撃で消さないとダメですよおおぉ? 何度でも直しちゃいますよおおォ? 素材はさっき、いぃッッッッぱい手に入れましたからねえ」
「あっはっはー、黙れコマ肉。喋ってる時間も惜しいくらいにあんたを消し去りたいから消し去るわ。全部位をミンチにしてドブとかき混ぜて劫火で焼却してやル」
「ええ、是非お願いします。ボスに貰った恩は、きっちりと仇で返しますね」
少年が赤ん坊のように笑み、再びサヤコの姿が揺らぎ、跳んだ。
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