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夢幻画才②

 四方八方に滝がある。下と上の虚空から生まれ、上と下の虚空に消えていく幻みたいな水の外膜。水の壁は外からの光を歪め、こちらの姿を遮る。

 ゆえに、『サヤコ』は堂々と『彩色』の姿に変身した。

 勿体ぶってる暇はない。一気に披露しよう。我が悪魔の力を。

「気ままに『遺伝視ライブ・ツリー』。第一段階起動からの、合体よ♪」

 そして『彩色』から〈七大罪〉が一人、『傲慢』の姿に昇華し、彩子は生命をつなぐ大樹の眼球でもって、死に瀕している虚呂を認識した。瞬時に肉体情報が、虚呂と全く同じものになる。

 外見が、ではない。身体の中身が細胞レベルでコピーされたのだ。

 虚呂と同じ生き物と化した『傲慢』は、片手を虚呂の胸に突っ込んだ。

 茶色と緑の虹彩がキラン、と光り、腕が虚呂の胸と同化する。

「さぁーて、電気に怯えた不随意筋と肉体を、一気に修復しちゃおうかしらン」

 虚呂の身体が脈打つ。虚呂と同じものになった彩子の血が全身を駆け巡って、新たな肉体に移り変わっているのだ。今や彩子が一つの心臓となっている。

 樹の腕を引っこ抜いた時、すでに虚呂のバイタルは正常値に戻っていた。

「はいしゅーりょー。ワータシお疲れ様っ、と」

 姿を『傲慢』から『彩色』に墜落させ、『彩色』から『サヤコ』に戻す。

 宣言通り三十秒。水のヴェールが外された。

 

 颯爽と行われ始めた『海色』の水芸に鼎が目を取られてる内に、滝が消えていき、中にいたサヤコの姿が見えるようになる。その足元には一人の目隠しの男。

 虚呂の表情は、先程よりいくらか緩和されてるように見えた。

「サヤコ、治療術も使えたのか?」

「少しだけ、ね。秘匿だから、バラしたらバラされるわよ? こちらに」

 とんでもない、と頭を力強く左右に振って、『海色』に鎌を下ろしてもらう。

 サヤコは、これでもう別状はない、と言った。「きっと健康すぎて戸惑っちゃうわよ」というのはよく分からなかったが、そんだけ自信があるって表れだろう。

「『白金』の様子は?」

「死んでないから生きてるわ。とばっちりを受けただけって感じね。そんで医者がこんだけグースカ寝てんだから、大したタマだよなぁ」

 黒髪の和風美人が、寝ている金髪欧風美女を嘲る。嫌な絵面だ。

「戦闘民族の私たちと一緒にしちゃ駄目だって。なに? 嫉妬? 金髪に恨みでもあんの? それとも医者って職業? 低身長? あんた無駄にデカいもんね」

『海色』様を弄ってる……っ! あ、あの女何者? と周囲で起きるざわめき。

「……水姫、こいつらうっさい。帰らして」

「いつまでも見てんじゃないわ! とっとと散れ! 帰還しろっての!」

 予告無しにがなり立てた『処刑人』に怯えて、検問を張っていた者たちが蜘蛛の子散らして逃げていく。それに紛れて逃げようとしていた屏風は、まんまと『海色』に首根っこを掴まれて、ジタバタしていた。

「これで『白金』が起きればひと安心。それで、どうしたの。〈金族〉がほとんど揃ってこんなとこまで来るなんて。うちの本部に用でもあった?」

 鼎は苦い顔をして言い渋り、暫しの逡巡を見せた。

「……サヤコには、全部は話せねえが。〈彩〉のボスと、直接交渉してえことがあって飛ばしてきたんだ。……いや、もちろん、無茶なことを言ってるって自覚はある。だけど、どうか頼む! お前んとこのボスと会わせてくれ!」

 鼎は、藁にでも縋る想いで真摯に頭を下げた。サヤコは真剣な顔で頭を抱えてた。その傍らでは『海色』が腹を抱えて哄笑していた。

「いっひははははっ、は、ははっ、こ、こんなことって。い、いひひひ、だ、駄目あっははははは! お友達困ってるじゃんっ、応えてやりない『サヤコ』さん?」

「……逆にこれで、私が本当に真面目に『組織の秘密』を守ってるってことの証明になったんじゃないのぉお? ふ、ふふっ。私が、こんなに無力だったとは……」

「なっ! や、やっぱサヤコの力でも無理か……。っは、そうだ上級幹部なら。『海色』さん、無礼を承知で頼みます。どうか話だけでも聞いて、」

「ああ、いや。水姫に行かなくてオッケー。私の力で簡単に会わせられる。でも、問題が色々重なってるというか、今は立て込んでるというか……」

「……会わせらんねえ、か。だよな、よそのチームが急に来て、こんなこと言ってもな。いや、初めから無茶だってことは……」

「いや待って。結論早い、諦めんの早い、てかちょい待ち。ちょっと考えさせてほしい。う、うん。まずは、その用って方から聞こうかしら? ほら、それの深刻度によってボスが会ってくれるかどうか、決まるかもだし」

「……っそうかっ。そいつは安心した。虚呂の伝手を頼ってここまで来た甲斐があったぜ。交渉もこいつがするって言ってたんだけど、今、この様だろう?」

 ……虚呂めぇ、とどす黒い怨念の声がサヤコの方から聞こえた。

「どっから話したものか。……順を追って話さなきゃだよな」

 実際鼎は迷ってた。流石に鋭利=『大喰』の事実を話さないわけには行かないだろう。そこをぶっちゃけないと、今日の騒動は始まらないのだから。

 鼎は、鋭利の秘密を話す覚悟を決めた。そして口が開いた。

「何やら、とても愉快なことになってるようだ、ね」

 道路で眠っていた虚呂の、皮肉気な口が。


          Fe

 

 虚呂は二時間ぶりに昏睡から目覚めた。寝ていた間の記憶が一切ない。

 起きたと思ったら頭上でお間抜けな漫才が繰り広げられていたもんだから、口を挟むタイミングを迷ったのも仕方がないと認めてもらいたい。

 ともあれ、と虚呂は妙に快調な身体を起こす。

「これ以上話がややこしくなる前に、起きれて良かったよ。時間がないからね」

「虚呂、目覚めたかっ! 一時はどうなるかと……」

「安心するのはまだ早いよ、雲水。本題はこっからだ」

「私、……たちのボスに用があるみたいね。虚呂君が話してくれるの?」

「僕が話すしかないでしょう。貴女に、ね。端的に話すとね。現在、〈金族〉と〈彩〉の幹部たちが鋭利の力を巡って死闘を繰り広げている最中なんだけど。どうかそれを、ボスの方から仲裁してくれないかなあ、って」

 は? の声がまずのリアクションだった。

「何を言ってんの? 幹部が鋭利を? いったい誰が、そんな命令を……」

 サヤコの声に陰りが差す。それを聞いて、虚呂の口に笑みが生まれた。

「やっぱり、か。これでやっと肩の荷が下りた。『金』。終わるよ、戦いが」

「何だ? お前が言ってた『究極の伝手』ってサヤコのことか? それだったら全員知り合いじゃねえか」

「僕の口からじゃなきゃ話せない話題もあるのさ。ね、彩子(あやこ)さん?」

『彩子』の正しい読み方は「あやこ」。違う読み方をすれば「サヤコ」や「ザジ」、「あやね」「サイコ」などと色々変えることが可能だ。さながら彼女の肉体のように。

 彩子は黙りこくっていた。時折息を呑む気配から、驚きや納得が読み取れる。勘の鋭い彼女のことだ、あの短いやり取りで事態を推測しているのだろう。

 やがて思案の沈黙から帰ってきた彩子は、フッと苦笑し、

「何やら、うちの馬鹿たちが世話を掛けたみたいだね」

「こっちも何人か潰しちゃってるから、あんまり文句言えないよ」

 あん? と疑問の声を上げる鼎。不思議で堪らない、というように、

「ってか、どうしてサヤコに相談することが解決に繋がんだ? ……ん? つーか上級幹部の一人と一緒にいる時点で何かおかしくねえか? サヤコにもサヤコだけの、上層部とのパイプがあるってこと? 何で虚呂がそれを知ってたんだ?」 

 まあまあ、と勘ぐり出す鼎の肩を叩く、硬い音がした。

「ん? ……って刃が近いっ!」

 大鎌の背が鼎の肩に乗せられていた。『海色』はあくまで遊ぶような声で、

「細っかいことに拘るなって。うちの手はよく滑るんだから。それともあれかい? 自殺願望者だったんかいな。そーゆうんだったら、うちも気を付けねーが」 

 おおぅ、とその場にいたほとんどが吐息した。代弁者としてサヤコが、

「……あんた、良い性格してるわねえ」

「お生憎様、近くにいる誰かさんのお陰でね。っで、答えはどうだい、鼎雲水。あんたはうちを失望させてくれるんかい? それとも……」

 コテン、と大鎌の刃を倒して、鼎の首に添える。横に動いたら頚動脈を切ってしまうだろう距離に。鼎の首は縦に振られるしか未来はない。

「わ、忘れる、すぐに忘れる。あれ? 何の話してたんだ俺? やっべえ記憶喪失にかかった! あ、助かったか虚呂! さあステップして家に帰ろう! 凱旋だ!」

「いやいや、雲水。テンパってわけ分かんないこと言ってるよ? 大丈夫?」

 しかし『海色』はその答えがいたく気に入ったらしく、鎌を退けて、

「分かってくれたようで何よりだわー。その勇気を讃えて、うちも気を付けよう」

「わあい、嬉しくねー……」

 鼎が苦虫を噛み潰した顔になり、彼以外の口から苦笑が零れた。

 ともあれ、多くの善意により『サヤコ』の秘密は本日も守られた。


「ようやく終わったか、甘ったるい茶番が」

 不躾な声が飛んできた。ジープの陰から着流しの男が姿を表す。疲労とはまた別の理由で気だるげな雰囲気の男は、突っ立ってる『蒼鉛』の横を通り、こっちに近づいてくる。彼は彩子を見ると、切り傷で潰れた左目を歪めて、

「敵と歓談とは、邪魔したか女。今日も憎いほど隙がないな」

 男の親指は鍔を押し上げているが、彩子の後ろで大鎌に手を掛けている『海色』を見て、残念そうに刀から手を離し、袖の下に引っ込める。

 彼は確か、鼎の腕を切断した『血色』。彼の名を彩子が呼んだ。

「まだ諦めてくれないんかい、朱赫しゅかく? あんたがいるせいで、今月の幹部会議にも出席できなかったんだけど?」

「貴様の逃げ腰など知ったことか。火急の用がある。丁度良い。聞け」

「何だい、今日はやけに大人しいわね。じゃ、話しなさい」

「ちょっと待て。腕の件もまだ許したわけじゃねえが、てめえ鋭利をどうした」

 鼎の問いに朱赫は眉を潜め、

「エイリ? ……貴様、知り合いなのか。そっちも丁度良い。後で紹介してくれ」

「……は、はあ? 誰が、てめえなんかに紹介するか!」

「そうか、交渉不成立か。残念だ」

『血色』はあまり残念そうに聞こえない声音で淡々と言い、彩子に向く。

「では女、一つ報告だ。紅崎の刺客に『苦色』が何人かやられたのは知ってるな?」

「あー、そこから私知らないわ……。今日の私、完全に蚊帳の外ね」

「無視するぞ。刺客を追ってく中で、『苦色』内に裏切り者がいることが判明した」

 リラックスしていた彩子が、顔を強張らせる。

「……何? それは、確実な情報なのかい」

「ああ。〈彩〉の情報をリークし、鬼械と浅部の件に関わってると予想される。奴を探索してるのだが、女、どこかで見てないか」

「奴じゃ分からないわ。誰? その裏切り者は」

 朱赫が告げようとする横で、急に嫌な予感がして虚呂は誰にともなく訊ねた。

「ねえ。鋭利、ちょっと遅くないかな。倒したにしても負けたにしても、何もないのはおかしいと思わない?」

「ああ、確かにな。先に俺たちが行ってると思って、本部に行っちまったか?」

「なら良いんだけどね。結局『大喰』保護の話は『苦色』の独断だったみたいだし。でもそれ、『苦色』の誰かが裏工作したってことだよ、ね?」

 確信を深めるように呟き、虚呂は不安の果実が熟すのを感じた。

 何てこと、と向こうで裏切り者の名前を知った彩子が、息を詰まらせる。

「女、一度本部に戻るぞ。『街』に聞けば、奴の位置を特定できる」

「ええ、そうね。今すぐ本部に行って『街色』の治療を、……えっ!」

 彩子が急に額を押さえ、硬直する。彼女は険しい表情でこっちを見上げ、

「……本当に、急いで帰らなきゃいけないみたいね。本部が襲撃を受けてるわ。裏切ったあの子の手によってね」

 全員の顔色が一変する。『血色』が皆の背を押すように、吐き出した。

「『薬』の小僧め。俺の動きに気づき、先に『大喰』を捕獲する気か」


          Fe

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