最終章 夢幻画才
最終章 夢幻画才―廻し狂う邪神達―
「ふう。やれやれ、ね」
彩子は肩から力を抜いて、中層部第二十五地区の薄暗い路地に踏み込んだ。ここに入るまで心休まらなかった分、達成感もひとしおだ。
彩子のような化け物といえど、六時間ぶっ続けで深淵部の怪物どもと戦い続けて疲れないなんてことはない。もうクタクタのヘトヘトだ。とはいえ、隣の『海色』は連日連夜戦い続けているため疲労もこっちの比ではないだろうが。
しかし、深淵部の奴らの進軍も終わりの目途が立ってきた。ここ最近、奴らの進行が鈍いのだ。恐らくあと二、三日で彼らも落ち着いてくれるだろう。
そういうわけで、本部に帰還する前にここで『死色』たちと合流し、今年も無事〈廃都〉を守り抜いた彼ら四人を労ってやろうと予定していた彩子であったが、指定した場所に他の三人はいなかった。薄々予想できていたことである。
「仕方ない奴らだわねえ」
と嘆息し、軽く探してやることにした。見つからなかったら、『海色』と二人だけで祝杯を挙げてやろうとでも考えながら。
グルッと地区の外縁を回ってると、彩子は路地の奥の方で一つの騒ぎが起こってるのを見つけた。〈彩〉が直接運営しているわけではないが、ケツ持ちは自分らである。問題が発生してれば、ついつい首を突っ込んでしまうのは親心の一種だろうか。
親という言葉に苦笑しつつ、近くにいた『サヤコ』の知り合いに声を掛けた。
「どうしたんだい、この騒ぎは。男どもだけで無闇に集まって」
「あっ、サヤコさん。実は、この車をどうしようかって。通行の邪魔だし、でも『嵐色』様の命令で指一本触れるなって。それでこの膠着状態が」
「『嵐色』様が? 車に触れるなって、いったい誰が乗ってるのやら……」
探してる最中の馬鹿たちの名前がどうしてここで? と首を捻りつつ、彩子は汗臭い男衆を掻き分けていく。『サヤコ』を見ても何とも思わなかった彼らは、その後ろに続く上級幹部『海色』の姿を見て、顔を真っ白にしていく。
現場監督らしい男が、一台のジープの前で頭を抱えていた。
「あら御機嫌よう。いきなりだけどこの騒ぎは何? 何やら『嵐色』様が関わってるようだけど、その『嵐色』様はどこ?」
「む? 俺もよく分からんのだが、『幽色』様の部下を名乗る者たちが来てな。とりあえず通そうとしたら、雷が落ちたり、『嵐色』様が彼らに触れるなと命令したりで、困り果てていたのだ。『嵐色』様は説明もなしに行ってしまわれた」
「勝手に帰りやがったか、あいつめ……。見慣れない車種ね? 誰かしら」
小さく呟き、彩子は怪しいジープの中を覗き込んだ。
「……っ、虚呂くんっ? 『蒼鉛』も雲水も! いったいどうして彼らがここに。いや、それよりもこの始末は、誰の仕業……?」
「んだい。あんたの知人かい? ……うちは知らん顔ねえ」
『海色』が肩越しに覗き込んできた。今更ながら監督の男が『海色』に気付き、雷に打たれたように戦慄し、震えながら頭を垂れる。
「……何だか、うちの扱い酷うないかい?」
大鎌を背負った、眼鏡の秀麗な女が訝しげに漏らす。
中央に来たことで作業員全員が『海色』を目にし、瞬時に顔を青くさせる。『死色』の戦場にしか現れない(もとい働かせてあげない)という不穏な事実もさながら、『海色』の場合、彼女の前で迂闊なことをすると処分される、という噂があるのだ。事実無根の話なのだが、水姫の鋭い眼光と大鎌は『処刑人』と呼ぶに相応しい。
それを自分でも分かっているのか、水姫は周囲の反応に嫌な顔をしつつも、誤解を解こうとしない。話しかけたら更に怖がられることが理解しているから。
彩子は、ドアロックを強引に抉じ開けて、虚呂の容態を見る。
「虚呂っ、しっかりしなさい。何があったの?」
目隠しの彼を揺らす横で、クンクンと水姫が鼻をひ付かせる。
「……この匂い、イオンだね。雷覇の奴がここにいたんかしら?」
「『雷色』もここにいたって? ねえあんた、どうなの」
平伏してる監督に聞くと彼は、ははぁーっ、と額を地面に擦り付け、車がここに来て、四人の搭乗者が全滅して、『嵐色』が去るまでの経緯を証言し出した。
聞き終えて、まず怒りを顕わにしたのは水姫だった。
「あの馬鹿どもが……ッ! ボスの命令を無視して勝手に行動するたぁ、良い度胸じゃないね。見つけ出してたっぷりと折檻してやる……!」
水姫の怒気に押されたように、監督が、ヒイぃッ、と這って逃げていく。
「……どどどど、どうか、お許しをぉぉ~!」
寂しそうにそれを見送る哀愁の漂う背中に、彩子は急き込んで、
「水姫、こっち手伝ってちょうだい! すぐに彼らを治療しなくちゃ。……こんな時『街色』のコールがあれば良いんだけど……!」
彼女の『念話網』が有れば本部の医療班を呼び出せる。だが彼女のテレパシーは一方通行。いつ来るか分からない連絡を待ってる暇はない。
「……私たちが背負って、直接本部に連れて行ったほうが早そうね。ほら、水姫。車ん中の全員引っ張り出して」
「うちが手伝うこと決定事項になっとるし……。ったく人遣いの荒いことで。あんたがここまで狼狽するなんて、どういう知り合いさ、こいつら」
それは後で、と後ろの席のドアも外して、鼎とフィリアを道路に出す。
あの『海色』様を顎で使ってる……! と遠巻きから見ていた男たちがざわ付く。そっちへの弁明も考えておかねばだ。ああ、面倒が重なる……!
「……ッ、良かった。心臓は動いてるみたい」抱えたフィリアの鼓動を確かめ、「雷覇とぶつかって感電死しなかったのは、幸運って言って良いのかしら」
「一番負傷が濃いのは、この目隠しかねえ」
「みたいね。雲水も片腕が無いみたいだけど、鼓動は安定してるわ」
でも、どうしてこんなことに? 焦りと疑問が彩子の心を占める。彩子は逆側に回って運転席のドアを取っ払い、そこで失神している屏風を抱え上げて、
「――って、あんたは普通に寝てるだけかい! ややこしい!」
アスファルトにぞんざいに投げ捨てた。ゴチンと良い音が鳴って、いたぁー! と後頭部を押さえながら『蒼鉛』屏風が跳ね起きる。
「ってあれ? サヤコさん? ってどうして俺、外に?」
「どうしてはこっちのセリフだけどねえ。男手が増えたのは助かったわ。鼎たちを本部に運ぶ。私たちが二人を持つから、あんたは『白金』を持って」
えぇっ! と仰け反って驚愕する茶髪男。
「お、俺が『白金』に触って、い、良いの? ホント? ち、チクらない? 後で怒られないかな? なじられない? 皆に捨てられない? 梱包発送されない?」
あまりのチキン発言に、それと、彼が日頃受けているのだろう汚物扱いの環境を想い、その不憫さに彩子は涙が出そうになった。
「あっ、でも鋭利とか銀架ちゃんになじられるんだったらそれも良いかも……」
一瞬で涙腺が締まり、嫌悪感が嗚咽になって襲ってきて、いつの間にか『蒼鉛』を蹴り飛ばしていた。飛ばした先が水姫だったので、鎌の背で打ち飛ばされる。
ボールになった『蒼鉛』は近くの廃虚ビルのガラスを突き破って、全身血塗れになって転げ回っていたが、まあ彼のことだから大丈夫だろう。
「……何だいこの生物は」
外に転がってきた『蒼鉛』を足で踏み付けて、水姫が嫌なことを聞いてきた。
「身体能力は人間レベルのクセに、死太さでは他の追随を許さない軟体動物の一種さ。噛まれると頭の病気が感染するから触らない方が良いわよ」
どれも事実なのにどうしてこう胡散臭くなるのだろう、この男のデータは。
ふぅん、とどこまで信じたのか曖昧に頷き、水姫は足で屏風を裏返す。
「……あ、黒レース」
「…………」
水姫は静かに大鎌を手に取り、柄尻で屏風を持ち上げた。手首の返しで放り上げ、大鎌をバトンのように回して、成す術もなく落ちてきた屏風に、
「ってか覗いてんじゃねぇってのエロ餓鬼」
鎌の峰をフルスイングで叩き込んだ。
アッパーカットの軌道は彼の腹を抉り、もう一度大空に打ち上げる。
「ごォえッ!」と跳ね上げられた屏風は胃液を吐き散らし、目を白黒させる。そして落下地点で、再び大鎌を振りかぶっている水姫を見て、「ぼえぎゃ!」と普段でも使わないような奇声を上げて、掌から高圧スチームを噴射した。
蒸気が水姫の視界を覆ってる隙に、ゴキブリみたいに逃げる屏風。
「い、悪戯に対する仕打ちが〈金族〉と段違い! こ、これが、プロか!」
「よく分からん感心は良いから。つい乗っちゃった私も私だけど。さっさと手伝ってちょうだい屏風くん。『白金』が駄目なら虚呂くんで良いから」
「いや駄目ってことはないけどさ。何つーかなー、冷めてんなー……」
「ほら、ブツブツ言ってない担ぐ担ぐ。水姫もそこの金髪の娘を」
二人に指示し、鼎を持ち上げて首の後ろに回し、肩車背負い。足の筋肉が衰弱している分、上半身の発達が重さになって分かる。
折檻が足りないと思ってるのか、未だ屏風を睨んでた水姫だったが、不意にこちらの肩に乗ってる鼎に目を付け、眉を釣り上げるや否や、
「手前もだよ、気絶した振りしてボスの胸覗いてんじゃねえわクズ」
今度は鎌の刃を立てて回転。サクリ、と可愛い音がして鎌のクチバシが鼎の背中に突き刺さり、ちょっとの静寂があった。すぐに、
「…………いっっっっっっっっ、てええええええええええええ!」
絶叫と共に鼎が覚醒した。いや、狸寝入りだったっけ。
鼎が肩の上で暴れるが、それくらいじゃ彩子は落とさない。鎌を引っこ抜かれる際にも似たような絶叫が上がる。彼が大人しくなるまで待って、彩子は挨拶した。
「ハロハロー、お目覚めの気分はどう?」
憔悴した顔で鼎は、
「……答えの分かってる質問をするのは趣味が悪いぜ、サヤコ。俺は今、この気分に相応しい『最悪』以上の慣用句を探している」
「あらら。一人で立てる?」
ああ、と鼎は頷くと、のそのそと肩から降り、最後にドテッと落ちた。
「大丈夫? 調子悪いようね。いつもの〈金糸〉はどうしたの?」
「色々あってな。屏風、俺の椅子取ってくれ」
ああ、と屏風がジープから折り畳みの車椅子を出して、彩子がそこにお姫様抱っこで置いてやる。鼎は椅子に背をもたれて、一息吐き、
「悪いな、手間かけさせて。肝心な時使えねえってのは、もう駄目すぎるよな」
「らしくもなくネガティブね。『雷色』に襲われたらしいけど。虚呂と『白金』を治療のために本部に連れて行かせてもらうわよ」
「ああ、願ってもねえことだ。そうか、あれが『死色』か……」
ぼんやりと遠くを見る鼎。本当に弱気だ。昼間の幹部たちを相手していた様子が見る影もない。この六、七時間の間で何があったというのか。
「あ、ここの彼女も『死色』の一人よ。『海色』水姫様~」
ん、と水姫が会釈と逆の動き、つまり顎を突き上げて、見下ろす。
ぎょえ、と目を張り、背中を裂かれた痛みを思い返し、鼎は反射的にバックして距離を取ろうとする。が、片手操作なのでグルンと回り、上手くいかない。
「な、ななな、何故にここに。今日一日でどんだけ知り合うの俺! すっげ!」
うんうん、と彩子は満足を頷きで現す。やっぱいつもとのギャップもあいまみって、雲水のテンパリが一番愉快だわぁ。荒んだ心の清涼剤~。
「イチャついてるとこ悪いけどね。この目隠しの奴、泡噴いてるぞ」
「何ですって!」
道路に寝かされた虚呂が、泡を噴き出し魚のようにビクビク痙攣している。発作だ。笑い事じゃなくて深刻な状態だ。即急の治療が必要、だけどここに医者は、
「って横に医者いるぅー! けどその医者も死にそぉー!」
頭を抱えて天に咆える。
「打つ手無しやーん! もうどないしろっちゅーねーん!」
おどけてる風に見えるが、内心本気で動揺していた。決してそうは見せないが。
はあ、と水姫が呆れたように溜め息吐いた。こっちの心を見透かすように。
長年の直近であり、戦友である彼女は彩子の背を押してくれた。
「下手な関西弁やめんさい。ったく、ったく。うちのボスはほんに馬鹿ってか、自分勝手ってか。……たった二、三人の命に関わるってだけで、チームのトップシークレット明かさないで欲しいっての」
「分かってくれて嬉しいわぁ。愛してるわよ水姫。じゃお願い」
「何秒必要?」
「三十秒。それだけあれば、同化できる」
声を発して、〇・五秒後。水のカーテンが彩子と虚呂を包み込んだ。
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