歪曲額縁③
彼女は、ほぼ五年ぶりくらいに自分の足で地面に降り立った。
〈金族〉に窮地を救われ、行く場所を失ってたのを拾われたあの日以来だ。
おお、とアスファルトの硬さと日中に溜まった熱に足の裏を刺激され、『錫』の更地稔珠は感動する。と同時にこのまま倒れてしまおうかの欲求に襲われる。
いやいや~、と稔珠は頭を振った。
「珍しく積極的に出てきて~、五秒でダラけちゃいかんよね~」
自分の後ろ、一台のジープの中で眠っている仲間たちを思う。すっかり日の沈んだ曇天の空を見上げる。太陽は嫌いだから夜じゃなきゃ出てこなかったかも。
最後に、前に立ってる稲光の坊やを視界に入れる。
「あなた、誰だれ! 僕の(雷刃愚)吸収して、すごいよすごい!」
「やんちゃが~、過ぎたからね~。見た目通りで~、おつむも単純みたいで~、おね~さん慌てたよ~。私は稔珠さ~ん。じゃあ坊やは~?」
「ああ、そうそう! うんとね、やあやあ控えあろー、僕は〈彩〉の上級幹部が『雷色』の雷覇様であるぞー! あはははー!」
「じ~んせ~気楽そ~だね~。おね~さん嫉妬覚えちゃう~」
うんうん、とよく分かってないだろうに快活に首を振る『雷色』。
「お姉さん優しそう! でも後ろの守ったから敵なんだよねさよならっ!」
素早く決断すると『雷色』は強く光って、雷になって突進してきた。
雷に触れられる者はいない。その速度は光と同じ、一秒で地球を七周半する。その威力は木を焦がし、金属を焼き切る。雷を殺せる者はいない。そもそも生物ではないために。見ることも防ぐことも避けることも、逆らうことなどできるはずが無い、そういう自然現象の存在になって、『雷色』は身体能力皆無の稔珠に強襲を掛ける。
もちろん動体視力も壊滅的な稔珠に、『雷色』を視認できるわけがない。だから、自分の前に盾のように開けた『亜空館』の扉越しに、勝手にそう判断した。
「……えぇっ!」
何も無い異次元の深みに、『雷色』はどんどん迷い込んでいく。
疑問したところで身体は雷の速度で奥地に突き進んでいく。彼が止まろうと、反転しようと思考する一瞬の間にも、身体は秒速三十万キロで進んでしまう。
「思考が~、単純で良かったよ~。お馬鹿ってほんと扱いが楽」
とは言うものの、これは稔珠が誘導したようなものである。
ジープを襲おうとした大雷鎚を、稔珠は亜空間の穴に丸々飲み込ませることで無効化した。得意技をあっさり無かったことにされた『雷色』は自然と、同タイプの攻撃は避けるようになる。他にも、登場してからずっとクラゲみたいな調子の稔珠に、『雷色』はこっちの戦闘力の低さを見抜いただろう。威力は不要。極限の速度で決めようとし、そして会話中の奇襲と最短距離の突進を選ぶ。
これらの浅はかな計算を、稔珠は『雷色』の足りない頭にさせてあげた。彼は何一つ思惑通りに動いてくれて、それも含めて単純馬鹿と断じたのだ。
稔珠は丸まっていた背中を伸ばすと、雷の少年が光の速度で突っ込んでいった、無限入れ子状に構築した異次元の奥に囁きかける。
「私の仲間を殺そうとした罪。三日くらい、そこで反省してなさい坊や」
出るには少なくとも入るのに要した時間が必要だ。そのたった数瞬が流れる前に稔珠は、パチンと向こうと現世を繋ぐ唯一の門を、閉ざした。
「…………ふわあ~~」
拍手を打った手をしだらせ、ふにゃあと稔珠は背中を丸めた。尻を着いた。
「シリアスなんて~、慣れないことは~、したくないや~」
気合の抜け切ったいつもの怠け者に戻った稔珠は異界の穴を開けて、一枚の座布団を引っ張り出し、ゴロンと寝転がった。
うつ伏せで座布団に顎を乗せ、適当に話しかける。
「だから~、あなたの相手は~、しないよ~」
度重なる雷光に目を白黒させていた検問官たちがギョッと後ずさる。だが相手は彼らじゃない。彼らの中で一人平然と振舞っていた細目の男が、ニッと反応した。
おもむろに、狐目の男は両手を打ち合わせた。
「コングラチュレーション、ミセス。素晴らしい戦いでしたよ」
賞賛の拍手に、のんだらと寝返りを打つ稔珠。
「あなたが~、助太刀してたら~、死んでたのは私~」
「いえいえ御謙遜を。いえ、私がこう言うと逆に嫌味たらしいですかね。自己紹介は、あえて必要ありませんよね?」
「戦う気が無いんだったらね~。無いの~? 坊やも助けなかったし~」
「ええ、私は駄々っ子の坊やを探しに来ただけですので。それに、私どもは共闘は控えることにしているのです」
「あっはは~。騎士道~せ~しんて奴~?」
ノン、と首を振り、大袈裟に落胆して見せる狐目の男。
「ちょっと、街と仲間が脆すぎるので」
「……いや~、脆すぎるってあなた~」
「いえ、自分の保身のためでもあるのですよ? 実を言うと、初撃の雷を消してくださって感謝を述べたい。あれが落ちていたらここ一帯は壊滅してたでしょうし、後ろの部下たちもお陀仏だったでしょう。『嵐』を司る私も、無事じゃ済まされなかった」
ビクビクッ、と後ろにいた検問官やバリケート工作員たちがビビる。
「……あっそ~。思った以上に~、とんでもない子だったんだね~」
クルクルと指をこめかみで回す。ええ、と柔和な笑みが返された。
稔珠の脳内に、ドッと疲れと眠気と無気力の波が雪崩して来た。これに堪えられる『錫』ではない。稔珠は、ふわあ、と大きく欠伸して、
「私~、も~寝たいんだけど~、後ろのみんなも~、心配なんだよね~」
「ご安心ください。どの方も気絶しているだけです。もちろん、私たちも寝込みを襲おうなど致しません。警戒態勢など私には関係ありませんし」
「ん~。そりゃ有り難いけどね~。でも何で~?」
「何で、とは?」
「いや~、力あるんだし~偉いんだし~。もっと横暴かと思ったのに~。侵入者に優しさ見せるって~、何か違和感かな~?」
「権力への偏見がかなり有りますね……。私、ゲイなんですよ」
我が耳を疑った。脳が理解を拒んだのだ。
「……はあ?」
「おっと、言葉を御存知ありませんでしたか? 私、ちょっと年下くらいの同性がタイプなんですよ。丁度そこで眠ってる金髪の彼とか、モロに直撃です。だからこそ手に掛けるのは、もう忍びなくて。分かりますよね?」
「………………」
心に様々な想いが生まれたが、たった一言にまとめることに成功した。
「一つ~、言って良い~?」
「はい。何でしょうか」
「あんたら~、ただの馬鹿でしょ」
言い捨て、ポチャン、と地面に開けた穴に潜っていった。自室の異空間に。
外界との扉を閉じる寸前、男の小馬鹿にしたような声が聞こえた。
「イグザクトリー♪」
Fe




