歪曲額縁②
朱赫の放った抜刀は夕華の頭を越え、その真上で接触を果たした。逆方向から飛んできた別の刃と。その刃を振るった暗殺者の意思と。
「……っ、ぁあああ……!」
遅ればせに、夕華は頭を抱えてしゃがみ込む。屈んでから、そんなことしてる場合ではないと思い直し、そのまま朱赫の方に前転する。
朱赫の後ろに回り、立ち上がって敵を見る。攻撃を弾き返され、後ろに跳んでナイフを構え直したその相手。それは、
「さっきのチンピラ……! 縛ったのにっ?」
いや、と冷静な一部が驚きを押さえ込む。それもそうだが、それだけではなく、もっと何かが根本的に違う。この男から伝わってくる這い寄ってくるような殺気。ジワッと地面から染み出してくるような冷気。一度感じたこの感覚は、
「……カイ、ム……?」
茶髪男が片耳のピアスを揺らして、ケラケラと笑いながら告げた。
「ヒャハ、大せーいかーい! 恐怖の殺し屋カイムちゃんですよ~」
「あ、だってさっきのは、ただのチンピラじゃ、」
「んなの、演技だっちゅーの。操られてる不良のえーんーぎ。騙された?」
「はあああ……?」
理性が混濁しそうになる横で、着流しの男は何ともない顔で、
「俺は言ってたぞ、始めから。こいつがカイムだと」
「……ってあれ、操り人形を煽るための演技じゃなかったんかい! 乗ってやったのに! 乗ってやったのに!」
ノリノリで演じてやったのに! こちとらあんたら二人に躍らせられまくりだよ! 理想のピエロだよ! 『幽』の字が笑っちゃうね! もう誰も信じられない!
悔しさと情けなさと驚きとその他諸々でつい涙が出そうになるが、今は我慢だ。文句はあとでまとめて朱赫に請求しよう。利子も付けてやる。
朱赫は切先を下げ、投げ出すような形に刀を持ち直した。
「それがニャロラーニュか? 安っぽいな」
「いんや、これはイェンだ。ひゃひゃひゃひゃ。今回は会話してくれんのね朱赫くぅん。おいら嬉しいよ~」
「戯言はいい。一つ聞こう。『塵色』をやったのは、お前か?」
「『塵』? ひゃはー彼はまだよ。え? 何? 彼やられたの? ラッキー!」
ぎゃひゃひゃ、と下品に笑うと男はこちらに向き、しなを作った。
「ってか酷いじゃない。あんた殺したはずなのに、不死身だったのね? 聞いてないわ。本部の間取りは正確だったのに肝心なとこでダメねー」
「間取り? 貴様、どこでその情報を知った? 依頼人か?」
「バーカ、教えるわけねーだろ」
カイムがベーと舌を伸ばす。朱赫はそれで納得した風に頷き、
「そうか。依頼人、いやその協力者か。そこから漏らされた、か」
「いや待て俺の話聞けしコラ」
朱赫は華麗に無視する。
「その協力者が〈彩〉の者しか知らない情報を流した。これで確定だ。〈彩〉の中に裏切り者がいる」
相変わらずの論理の跳躍に、慌てて制止を掛けた。
「はーいストーップ。何あんた。裏切り者の線まだ疑ってたの? 情報なんてどこからだって流れるよ? 私みたいなスパイ使ってさ」
ああ、と朱赫は素直に頷いた。予想外でちょっと面食らう。
「そこだ問題は。貴様の秘密なんて調べればすぐに知れることだ。あいつは不死身など、そこも知らずに誰が殺しに来る?」
それは確かに引っ掛かっていた点だった。
『幽色』夕華の異能『再生死』は、生と死を繰り返す能力。数日で死に至る病に罹患している障害と死ぬと肉体が再生を始める異能という、それしかしない、それだけの力だ。
だがインパクトはでかい。できるだけ隠そうと努力はしているが、仕事をしていれば嫌でも知られてしまう。隠密部隊〈草蔭〉の全員は当然知っているし、外部の者だって、そこらの情報屋にでも聞けば格安で教えてくれるだろう。逆に仲間で知らないのは、本部に篭もってばっかの研究員や技術者のメンバーぐらいかもしれない。
そして、カイムは夕華のその特性を知らなかった。
「そこが、そもそもおかしい」
とチーム内の検察が主任務の朱赫は言う。
ある時は組織の者しか知らない情報を教え、ある時は調べればすぐ分かる情報さえ教えなかった。明らかに偏りがある。ソース元の個性が現れる。わざと教えなかったか、自分の知ってることしか伝えなかったから、そんなことが起こったのか。
「よってこう推測できる。これは本部内に常駐していて、自分の情報の正しさによっぽどの自信がある者の犯行だ。それこそ幹部クラス、とかな。さて、重ねて聞こうか無粋な暗殺者。その協力者とは誰だ?」
問いに乗せられて、夕華の戸惑う視線が暗殺者に送られる。
カイムは、ニコニコと明るい笑みを浮かべていた。
「うんうん正解正解。いやー流石に紅崎の御曹司。よっ、名探偵! この万能人め! 全部その通りさ、あんたらん中に裏切り者いるんやよ?」
「そうか、では戦闘だが、その前にもう一つ聞いておこう」
「んもう、しつこいボーヤねっ。何かしらーん」
「貴様が手を下したのは、『毒』だけだな?」
その耳を疑う問い掛けに、夕華の方が意味が分からなくなった。
「ちょ、ちょっとアケちゃん、それってどういう……? それって、え? だって今までにやられたのは『謡色』さんとツバメと『毒色』と『塵色』の四人で、それが実は『毒色』だけだったって……。私らの名前だって知ってたのに」
「知ってるのと利用するはまた別だ。暗殺者の活用法を、暗殺に限らないのもな」
「じゃ、じゃあ、他の三人は誰に?」
「そんなの協力者だと、端から決まっている。情報を流し、暗殺者を隠れ蓑に、厄介な順に手ずから消していった反逆者だ。万能タイプの『謡』、テレパシーを使う『街』、実力未知数の『塵』。実に計算高く行われている、気持ち悪いほどだ。今残っている幹部を見てみろ。戦闘じゃ全く使えない奴か、逆に戦闘しか能がない脳筋ばかりだ」
「いやアケちゃん、それ墓穴掘ってない?」
気にせん、と朱赫は胸を張った。ああ、このポジティブさが自分にもあったら。
「……ん? それで、結局誰が裏切ってるの?」
「奴の答えがそれを定める。しかし、それどころではなさそう、だがな」
饒舌だった暗殺者が急に黙りこくったことに、夕華は今更ながら気付いた。
「…………」
暗殺者は笑みを消し、表情を無に沈めていた。
断続的に伝わってきた冷気が失せていた。カイムの、見えない角度からにじり寄ってくる冷たい殺気を感じない。急にいなくなったのかと思い、つい見渡してしまうが、しかし間違いなくカイムという暗殺者はそこにいる。
電柱のように、何気なく突っ立っている。
どうしてだろう、とてつもなく不吉な予感がした。
怖くないのに、怖い。冷たくないのに、冷たい。見えないのに、見える。
カイムはいないのに、そこにいるのに、まるで存在が、皆無?
夕華は、全身の筋肉が強張って動けなくなっていた。
やがて、そいつは口を歪める。笑みを形だけなぞって。
「――君は、敵だな」
「敵は貴様だ」
「そして素敵でもある」
「俺にとってはただの敵だ」
「君ほどの強敵に恵まれた俺は、幸運だね」
「貴様を相手せねばならんために、俺は幸運を逃した」
「俺は君と殺しあうために生まれてきたんだ」
「貴様は俺に殺されるために死ね」
「何だよ、楽しもうぜ?」
「あの世でしてろ」
「つれないね」
「つるな」
はは、とゼロの気配は笑う。
「君は倒さなきゃいけないみたいだ。人間だから無視しても良いと思ったけど、心はすっかり鬼に傾いてる。やれやれだ」
「俺のことを俺以外の者が語るな。げごろがぐるすぞ」
「は? 八ヵ国語喋れる俺でも、知らん言語は喋れないよ?」
「安心しろ。俺しか使わん」
それはそれは、と苦笑するカイム。
夕華は、二人の濃密なプレッシャーの晒し合いに圧倒されて、呼吸を忘れていた。ようやく深呼吸するかたちで酸素を肺に取り込んだ。
手足の痺れたような感覚はいつか消え、圧迫にも少しずつ慣れてきた。脅威は脅威として依然とそこに現存するが、無理やり視界範囲内に、感覚内に納めてしまえば向き合えないこともない。
夕華は震える膝で強引に立つと、深く深く空気を呑んだ。自然と噴き出てくるヌメ付く汗を拭いもせず、カイムの真正面に立つ、着流しの背中を見つめた。
「『血色』。私も戦う。あいつは、私たちの敵だ」
「引っ込んでろ。大人しく。そこも俺の間合いだ。近くに立たれることは足を引っ張られると同義だ。さらに言おうか? 言わせるな」
「……いや、分かったよ。ありがと」
彼の厚意に、夕華は足を引いた。さっきので理解できた。この二人の戦いにおいては自分は役立たずでしかないと。距離を取ることでしか貢献できない。
下を向いていた朱赫の刀が角度を変え、カイムを刺す。
「〈彩〉が『血色』朱赫。多くを切り捨ててきた俺が、今から貴様も屠る」
カイムはバタフライナイフを畳み、短めの刀を背中から取り出した。
「俺はカイム=シャリーハ=ポポロープ=エーベンシュルツ=アモーチエス=クレナイザキ=イェン=ニャロラーニュ=ガンバード。カイム=SPEAKING。八つの血と技を引き継いだ、剣士にしてアサシン。尋常に参る!」
抜刀せず、柄と鞘の中ごろを握って、カイムは半身に構える。
「さあ、食らい尽くしてやる!」
朱赫の宣言が響き、二人は同時に飛び出した。
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