第五章 歪曲額縁
第五章 歪曲額縁―溺れ狂う害虫達―
期待してたわけではなかったが、『血色』の策は想像以上に杜撰なものだった。
彼は言った。適当に歩いてれば奴の方から見つけてくれるだろう、と。
一〇〇パーセント相手頼りの愚策中の愚策なのに夕華がまだ本部に帰還もせず、朱赫に付き従ってるのは何故かといえば、彼に聞きたいことがあったからだ。
「ねえ、紅崎一族ってどうして〈廃都〉を狙ってるのかな?」
回答は無言でなされた。つまり無視だ。
「じゃあ、アケちゃんてどうして一族抜けてきちゃったの? たのたの?」
二人は、半分寝ていてもう半分異様な熱気で起きている歓楽街を歩いていた。風俗系のより純粋な酒場が多いここはユグリゥス街という。ここの領主組織のトップの名前から付けられたものらしく、住人はユーグと略すとか。
夜の街を男女二人っきりで歩いてるってのに、この男はちっともムードってもんを意識しないんだにゃー、と夕華は時折目に入ってくるラブい男女セットから目をずらし、人波を突き進んでいく朱赫の背を見て、嘆息する。
思えば自分も〈彩〉を支える隠密という、女を捨てて生きている身。こうして女性を意識したのは、いつぶりだったろうか。一年、いや三年ぶり? そのブランクのおかげで、現在の自分にある女子力とやらは皆無だ。
はあー、と己に落胆。でもずっと伸ばしっ放しだったロングが突然ショートになったのは残念だ。あの髪型、結構気に入ってたのに。幽霊みたいで。
クルクルとハンマーを回して肩に乗せる。工事現場から拝借してきた鋼鉄製だ。小ぶりめだがヘッドの重みが結構あり、端を持って振り回せばしっかりとした遠心力が返ってきて、それなりの威力が期待できる。
そして、いくら武装しても勝てると思えないのが、前方を行く彼だ。
まず化け物ゲテモノが跳梁跋扈する〈廃都〉で、その身一つでやって行けてるという事実が信じられない。『苦色』で唯一の人間なのに、検察及び執行という役職に就いているのもおかしいと思う。実は鬼形児でした、という噂が立つほどだ。
そんな彼が育った紅崎という家系。彼を知ることは紅崎を知ること。紅崎を知ることは彼を知ること。そんな気がするのだ。
その彼は現在、少し変だった。
朱赫が変なのは常日頃のことだが、それはあらゆることに無関心を貫くスタイルがだ。今の彼はそうではなく、どこか浮かれているように見えた。嬉しそうなのだ。動きの一つ一つがうきうきしてるというか、何かを期待しているというか。
例えば。爪先で跳ぶようなテンポの速い歩き方。いつもなら摺り足での、無音かつ安定感のある歩き方をしているのに。無気力を表していた猫背も今だったら少しだけ改善されている。ホント、微かにだが。
「んーとさー、何か良いことでもあった?」
何気なく世間話のノリで聞いてみたら、これには彼の反応があった。
「別に。いつもと変わらぬ日々だ」
素っ気無い回答。だが、彼が問いに答えたという事実がそこに何かを潜ませる。
ピコーンと、ひらめき。三年ぶりに乙女のカンが発動した。
ははーん。ちょっとこれは、何かあったなあ?
下世話な妄想がニューロンを暴走させる。そう思って彼の様子を見てみると、その不審な所作が、戸惑いや躊躇いと名付けられるものということに気付く。
封殺せずわざわざ否定したということは、逆説的にそれは肯定。
そして戸惑いや躊躇い。落ち着かない動作。浮かれてる、期待している。
乙女のカンが断定する。
それは春の到来だと! 運命の出会いだと! 初恋だひゃっほーい!
『血色』の恋、なんて言うと吹き出してしまいそうだが、有り得ないことではない、だろうきっと。いやはや、仲間として喜ばしい限りだ。こんな彼も一人の男であったと確認できて良しなに良しなに。みんなにも是非教えてやろう。
さらに追求したい欲はあったが、この男はおふざけで人の命を奪える冗談の通じない野郎だ。無意味に死にたくないし、時間が無駄になるのは避けたい。
話の筋を戻そう。さて、次なる問いは。
「ん~、カイムって何なの?」
無言が返された。今度こそ黙殺だ。
あや、これも空振りか、とクルクルとハンマーを回す。だけどまだまだ諦めないよー、と思考を回す。自分を襲ってきたカイムの格好を思い出した。
「あの暗殺者、女装で殺しに来てたけど。まさかみんな、あんなのに騙されて殺られたわけじゃ、ないよねえ?」
「女装?」
疑念の篭った声で、朱赫は足を止めた。
「そんな一族いたか? いや、そのふざけた感性。敵を嘲笑う手並み。中国のイェン家、か。大陸の血族がすることは、やはり理解しがたい」
気になる単語が幾つか出てきた。夕華は身構える。情報を受け取るために。
何やら朱赫も興が乗っているようなので、このまま畳み掛けてみよう。
「イェン家? カイムって紅崎の人間じゃないの?」
「立場としてはどこの人間でもない。奴は八つの一族の血を織り交ぜた、ハイブリッドの血筋であり、その一つが紅崎だ」
「えっと、混ぜたって。八つの一家での、政略結婚みたいな?」
「ああ。貴様らと同じだ。鬼の子。素質のある血を混ぜて子を成していけば、いつか全てのポテンシャルを持った暗殺者を作れるのでは、とな。実に下らん。完成するまで時間が掛かる上に、成功が確約されてない」
「だけど、カイムはその成功例だって?」
「完成体、だ。人格の分裂という弊害が起きてたが、それも成功の兆しの一種、か。そう考えるとこの事態も納得できる」
「でも、人間なんでしょ。それが私らを圧倒するとか」
夕華としてはまだ納得がいかない。強力なサラブレッドだとはいえ人間相手に『苦色』のメンバーは、自分は遅れを取ってしまったというのか。
すると朱赫なあっさりと言った。こっちの固定観念を砕くように。
「俺も人間だ。鬼の子といえど不死ではない。殺すだけなら容易い」
「……そうだね。あんたが、そういう暗殺者だったもんね」
朱赫の一人語りが続く。
「奴は八種類の才能を秘めている。その実力は未知数だ。だがその反面、多重人格というのは難儀な欠点を抱えている。一度自分を疑えば、そのまま己を見失いかねん。
――そうだろカイム?」
図ったタイミングで、朱赫がすれ違ったチンピラの腕を掴んだ。
「……は? なっ、んだよ、てめえ!」
そのピアスで茶髪の男は目を白黒させて狼狽した。困惑が色濃く出ている。
往来のど真ん中で立ち止まったこちらを、人の流れは怪訝に見つめながらも滞留することなくさっさとスルーしていく。
「この手離せよ! んだよいきなり!」
「とぼけるな貴様。殺すぞ」
「いやだからてめえ、『はい』って言っても殺るつもりだろっ。何だよ、何で俺はいちゃもん付けられてんだよ。俺が何したってんだ?」
不条理を訴えたチンピラが感情を昂らせて、うぐうぐと涙ぐんでしまう。ちょっとこれは酷いんじゃないかな、と夕華は言葉を挟むことにした。
「ストーップ! ちょっとアケちゃん、無関係の人巻き込んじゃ、めーっ!」
「は、下らん茶番だ」
朱赫はピアス男の腕を捻り上げ、叫びを倍増させる。何事かと視線が集まるが、厄介事は誰もが御免のようで、何もなかったように目を逸らしていく。
まずい。夕華はサッと肝を冷やした。こんな大通りで騒ぎを起こしたら警邏が飛んでくる。〈彩〉の下層構成員ならまだしも、自分らは幹部だ。チームの恥晒しになるか、無駄な争いの種を増やすことになるか。場合によってはここの支配チームとの組織レベルでのいざこざに発展しかねない。ボスとユグリゥスさんに怒られちゃう!
……それにアケちゃん、自己弁護という言葉を知らないからねー。
身を弁えるということを知らない。何で幹部になれたんだこの奔放の塊。
「まだ観念しないか。よほど刀の錆びになりたいらしい」
「いやっ、だから知らねーって!」
朱赫は聞く耳持たずで、男を掴むのと逆の手を刀柄に伸ばした。
これは効いたのだろう、チンピラは騒ぐのをやめ、両手を上げた。
「わ、分かった。俺がなんで文句付けられてんのか、ホントさっぱりだが、あんたの言い分を通そう。俺だって殺されたくねえ」
「何だ貴様。言ってることが矛盾してるぞ。分かってるなら懐の物を取り出せ、構えろ。弱者をいたぶる趣味はない。苦しまずに処分してやる」
「コラ」
またしても虐め始めた朱赫の側頭部をゴ、とハンマーでぶっ叩く。ごぁっ、と油断してたので奇麗にクリーンヒットが決まり、吹っ飛ぶ朱赫。
「全く。あんたも大概じゃん? 一般人巻き込んで何楽しんでんだーい?」
「ぐっ、ぐぐ。貴様、まだ分からんのか。こいつが、」
「はいはいお黙りよ~。二撃目食らいたい?」
ハンマーを頭上で掲げると、朱赫は呻きを挙げて黙った。身体能力や暗殺スキルが高いとはいえ耐久力はあくまで人間である。ダメージは避けたがる。
まあ、殴っておいてあれだが、夕華も朱赫を疑ってるわけではない。彼が言うのならそうなんだろうと、信じてやるくらいの信頼はある。ただその行程がいささか急で乱暴なものだったので無理が過ぎると思ったのだ。
「まーまー、ここじゃなんだから、ちょっとあっち行きましょーね」
チンピラの腕を掴んで、了承を得る前に強引に路地裏に引っ張っていく。朱赫はその後を、猟犬か番犬かのように見張りながら、ついてくる。
車一台分の幅がある路地裏だ。狭いところだと逃がしにくいメリットがある反面、戦いにくいというデメリットがある。無関係の人を巻き込まず、敵を逃がさないようあまり広くなく、ハンマーや刀を存分に振り回せる余裕がある広さ。よって一車線のこの路地とかが丁度良い。
「さて。それで、何でアケちゃん、彼が奴だって思ったんさ」
容疑者を逃がさぬよう前後で挟んだまま、向かいの朱赫に聞く。カイム有力候補の彼はこちらの間でおどおどしている。ふん、と朱赫は鼻を鳴らした。
「簡単なことだ。こいつはあの通行人の中から唯一、二度すれ違った。それで三度目にそうだと確信しただけだ」
その言葉を頭の中で噛み砕いてみる。それの意味することは、
「……うん? それって、あんたすれ違った全員を覚えてるっていうの!」
驚愕の事実に見張ると、朱赫はそれを否定した。
「阿呆か。そんなの無理に決まってる。大衆の中から同じ闘気を感じたから見てみたら同じ顔だっただけだ。それが三回も繰り返されれば、疑いもする」
「……あれー? 無理って何だっけー?」
まあまあ、と混乱する自分を治める。朱赫のスペックが前以上に釈然としなくなったが、それはともかく。こいつの証言が真実だとすると、
「……もう、一押しってとこかな」
こちらの目の前で怯えている姿は、どう見てもただのザコだ。夕華を殺しに来た時の凍える殺気と噛み合わないし、そも暗殺者にも見えない。
「とりあえず、武装解除してもらおっか。ほら君、懐のもん出して出して」
「ああ? んなのこれだけだよ。武装ってほどじゃねえし」
出てきたのはバタフライナイフだった。外見的にピッタリな装備である。が、
「これ、外れなんじゃない? どう見たって一般人だね」
「暗殺者の、得物ではないな」
「ね? ほら、もう行っていいよ」
「え、あ、良いのか? そっか。いや、分かってくれたんなら良かった」
あっさり解放されて拍子抜けのチンピラは迷うように踵を返し、大通りの方に歩いていく。そのどこかしょんぼりとした背中を二人で見送り、
「いやあ、アケちゃんたら〈彩〉の幹部がこんな不良まがいのことしてるって知られたら、チームの皆に叩かれちゃうぞー?」
「望むところだ」
望んでどうする……、と突っ込もうとしたら、別の声が先に入った。
「……フルカラァーズゥ?」
巻き舌の、チンピラの声が小路地に響き渡った。
「……たぁくふざけやがって、人違いとか、はああああ? あの〈彩〉が、マジふざけ、おお? これさああ、ヤッてもよくねえ、ってか良いよなあ殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す死ね死ね死ね死ね死ね〈彩〉をおおおおおお、ぶっ殺せええええええええええええええええええええええええええええええ!」
一人の青年が感情を爆発し、発狂した。
チンピラが壊れたラジオのように意味不明なことを叫びながら、ナイフを振りかざして飛びかかってきた。敏捷な動きで朱赫の背にナイフを突き込、
「はいストーップ」
夕華の右肩から先が、ヒュっと風を切った。
ゴッ、と速度と遠心力の乗ったハンマーが男の顎を横から打ち抜いた。軽くもえぐい下顎の外れる音がして、男の顔が風車みたいにグルンと回った。
白目を剥き、泡を噴いた男は膝から崩れ、前のめりに倒れていく。その側頭部を「邪魔だ」と朱赫が蹴って、逆方向に押し返す。
ふん、と仰向けに倒れた不良を見ずに、朱赫は不満を口にする。
「こんなので殺れると、そう思われているのが、実に気に食わんな」
「イラつかないイラつかない。無秩序に襲わせて、混乱を誘おうとしてるのでしょうよ。にしても、これで操り人形くん三人目、と」
気絶したチンピラの手首を靴紐で後ろ手に縛り、一息つく。
「厄介だねぇ」
夕華は、疲労を隠さずに正直な感想を述べた。
「朱ちゃんが見抜いてくれるから良いけど、この襲撃、本当アトランダムだね。どいつもこいつも操り人形に見えてくる。これも一族の秘技って奴?」
「ニャロラーニュ家。痕跡を残さない暗殺術に関しては随一だ。この術は麻薬で思考を鈍らせ深層心理に刻み付けるもので、兵としての質は低くなるが持続時間は長く、操れる人数に上限がない」
「こいつみたいに、そこらのチンピラばかりだったら楽で良いんだけどさ。二人目の自爆少女みたいのは、もう御免だよ?」
夕華はここに来る前に撃退した二人の刺客を思い出した。一人は男性でもう一人は少女。彼らはすれ違い様に、突然人が変わったように襲ってきた。強くはないのだが、突然来るのと無闇に殺すわけにもいかないのが難点だ。
始めは驚いたものの、三人目ともなれば慣れが生じてくる。
で? とカイムの術に運悪く選ばれたチンピラを見下ろし、
「それでどうやって、カイム本人に辿り着くつもり?」
「数を作ればパターンが生じてくる。術による襲撃が始まったのが、二つ前の地区から。この地区に入って三人目。奴はこちらを監視している。近い」
「それは頼もしーね。でも操れる上限がないなら、奴に会ったとき何人増えてるかなー。何十人? そうなったら私は逃げるよ! あんたに全部任せてね!」
「安心しろ。もう補足した」
え? と発した直後だった。
朱赫の右腕が柄に触れ、一気に掻き消えた。白刃がこちらの頭に向かって伸びてきた。白い鋼が仄暗い路地で煌めき、目を丸くして動けないでいる夕華の、
「…………ッ!」
頭上で激しい火花が生じた。
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