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間章 観客脱帽

 間章  観客脱帽コンサルタント



 そうか、そうだったのか!

 ソレを認識した瞬間に全身を駆け巡った天啓は、芥子粒ほどしかなかった正気許容値をすんなり通り越して、己の精神を塗り替え、肉体を超越し、魂を覆した。

 自分の想いは、驚愕と歓喜の念は有頂天にまで極まった。

 ここはこの世の終着点。無間地獄を越えてさらに下の大無間地獄をも越えて、生者死者問わずあらゆる存在の侵入が禁じられた、ゆえに名付けられぬ始原の闇。

 深淵部のその中心。赤い電波塔が傍らに見える、とある議事堂の最下層。

 麗しき『彼女』はそこで永久の眠りに就いていた。

 深淵部には常に『混沌』が飛び交っている。

 暴走。破壊。衝動。殺戮。闘争。狂気。混乱。失墜。怨念。快楽。崩壊。堕落。

 それらの理由はすべて、『彼女』という一つの存在に集約される。

『彼女』を見つけ出せば、世界はいくらでも変えられる。運命を歪められる。

 だがそれを一番に阻むのは『彼女』自身の肉体だ。

 死体になってもなお排出され続ける『毒素』。依存と発狂と暴走のエキス。大半の者は深淵部に足を踏み入れた時点でその『無慈悲な選定』に潰される。乗り越えたとしても『彼女』には決して近寄れない。そこに在る。そこに居る。そう感じただけで『彼女』はその者の精神を汚染し、肉体を破滅させ、魂を陵辱してくる。

 ゆえに大争乱の日から延々と粛々と、『彼女』はそこに君臨し続けた。

 しかし、自分はそんな障害を平然と無視し、ここに立っている。何の因果か運命か、自分は『彼女』の毒を無効化できるのだ。

 深淵部には大量の秘密が埋まっている。中層部や浅部にいては永遠に知れなかったであろう禁忌のデータが溢れかえってパンデミックを起こしている。初めてここに進入したのはそういったタブーに対する好奇心に突き動かされたからだった。新たな知識を入手していく度に、自分がより高尚な存在に昇華したのを感じた。次第にその感覚に病み付きになっていき、好奇心は際限なく膨らみ続けていった。チームでの役割を果たしながら、誰にもばれないよう深淵部に通いつめる日々が続いた。

 ある日、チームへの忠誠心よりも、真理への探究心が上回った。

 その頃か。土御門玄鶴という老いた男が接触してきたのは。

 土御門の流してくれる情報や物資は非常に心惹かれるものばかりであった。何せ知りたいことは湧水の如く出てくる。組織への義理があるため表立って協力はできなかったが、新たな武器の材料となる鬼形児の死体の横流しは請け負った。

 今のところ取引に支障は出ていない。鬼形児の死体を加工するのは自分にとってそれほど難しいことじゃない。そして入手するのも。〈彩〉の幹部という立場もそうだし、深淵部には素材は嫌ってほど大量にある。鬼の死体の宝庫だ。

 それからも、色んな真実を心に刻んでいった。

 大争乱の真相も知った。〈廃都〉成立の背景も知った。〈七大罪〉の詳細も知った。研究所と鬼形児の生誕も知った。『冥屍魔狂』と呼ばれる化け物たちの異常性を知り、『四仙』と呼ばれた守護神たちの偉大さを知った。東京で生きていた人間たちを知った。

 そしてとうとう知的欲求を抑えきれず、『彼女』に会いに行った。

 この世で最も高貴で最も美しい、絶対であり禁忌に彩られた破滅の女神に。

 深淵部の最奥。〈廃都〉の中心地。『淫欲』の陵墓。混沌の発起点。

 そこに『彼女』はいた。

 革命という名の衝撃が嘘で覆われていた自己を塗り潰す。

 脳裏を巡る、これまでにない甘美で劇的で戦慄と秩序を孕む、世界の真実。

 革命は自身の異能が第三段階に達したことで為された。あまりに純度の高い『彼女』に晒され、無理やり自分の根源を知らしめられたことで精神はより絶頂に昇りつめ、魂は世界との一体化を果たした。こここそが真理への近道だったのだ。

 そしてその時。心は完全に〈彩〉から乖離した。

 ようやく知った。自分が仕えるべき本当の主人、世界という超越者を。

 転がり、廻り、壊れ始めた運命と自分は対峙する。


「あらあら。御機嫌よう」


 唐突に。『彼女』に魅せられていた自分の背中に、淑やかな声が届いた。

 どんな鬼も近寄れないはずの神聖たる陵墓で散歩道のように存在するその女性は、トリップから戻ってきたばかりで呆然としているこちらに対し、ソソソと歩み寄ってきて間近で見上げ、首を傾げる。

「あなたは、あなたは。どなた様で御座いますか?」

 小柄な女性。だけどその風貌からは老成した揺るがぬ雰囲気がある。白のワンピースと鼻に乗った丸メガネ。その奥にある澄みきった純真な瞳。

 無垢そのもの。そう感じた。

 穢れを感じさせぬ純白な彼女は、こちらに笑いかけ、どこか困った顔で訊ねた。


「ねえ。ねえ。私は誰なのでしょうか?」


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