素描万化⑧
蛇行しているタイヤ痕からしてその運転が下手なのは一目瞭然だった。
ビームライトとエンジン音が夜の闇に色を付け、不安を滲ませた4WDを先導する。砂利やたまに大きな石、瓦礫もある、を踏み飛ばす音がその後を追う。
ジープは夜の〈廃都〉を爆走していた。猛進しているのは中層部と深淵部のギリギリの境界だ。深淵部に入らず、しかしすぐにでも深淵部に入れるようにと。矛盾とも葛藤とも見えるドライブをするその操縦者が、力の抜ける情けない声を上げた。
「うわああ、やだよやだよぉ~。怖いよ~。引き返したいよ~」
「うっせえわっ!」
後ろの席の眼が覚める金髪の麗人が、操縦者の頭をはたいた。
「いてっ!」後押しされた頭がハンドルにぶつかり、ジープが蛇行する。
慌ててハンドルを切った屏風は恨めしげにフィリアを見るが、怪光線の眼に負けて無言で戻っていく。女に勝てたら苦労しない、が近頃の屏風の悩みである。
疲れたから運転代わって、と虚呂に頼まれたのがついさっきで、うっかり了承してしまったのが五分前だが、しかし自分が運転の仕方を全く知らないことを思い出したのがハンドルを握ってすぐのこと。やっぱ断ろうと思ったのに虚呂は本当にギリギリだったのか、助手席に移ったかと思うとさっさと睡眠に入ってしまった。
本番に向けての充電もあるのだろうが、せめて運転を教えてからにして欲しかった。
今のところ事故は起こしていないがハートはすでにストレスフル。それもあって屏風は非常に心乗りしてなかった。逃げ腰かつ意志薄弱。それが自分ではあるのだが、今回は殊更に重症だった。百メートル進むごとに不平を言ってる始末である。
「いやだってさ、俺らだけで特攻なんて万に一つも無理でしょ? だったらここら辺で止まってさ、鋭利たちが帰ってくるのを待とうって」
「あんたもさっさと諦めなさいって。私はもう腹括ったんだから。それに、もうここは敵の陣地内。今更後戻りはできないわ」
フィリアがウインドウの向こうを眺める。横から華やかな光が絶えず降るかかり、こちらの暗い顔を照らす。すぐ近くに〈彩〉直轄の繁華街があるのだ。道はそっちの方が広いのだが、流石に人通りの多い道を突っ切る自信も度胸もない屏風はそこを避けて、その横にある一台しか通れそうにない細い道を走っている。
「あとどれだけ走れば良いのよ。正直僕ちゃん限界ですよ?」
「およそ一キロってとこだ。ん……、痛みが、増してきたな」
「……思ったより迫ってたんですね。あーやべえ、緊張とかが嫌な感じに俺のやる気を削いでくる。うわ、ますますやる気出ねぇ~」
グデェとハンドルに寄りかかる屏風。と、その上半身を起き上がらせるものがあった。進行方向に見える赤い光。それが大きく左右に振られている。
ジープを進ませていく。それは発光灯を持った男だった。ライトを持っているのは一人だけだが、他にも数人が作業していた。大きな瓦礫や一抱えある砂袋を道路上に積み重ねて並べている。丁度一台の車だけ通れそうな隙間があるが、そこには発光灯を持った男が立っていた。「まずいわね……」隣でフィリアが囁いた。
強引に行くかどうかの葛藤は短かった。ここで騒ぎを起こすわけにはいかないのでブレーキを踏んで停止。ライトを持った男が寄ってきて、窓に強面を寄せてくる。
「ここから先は〈彩〉の領地だ。Uターンしてさっさと帰れ」
「検問ですか。この先で何かあったんですかい?」
そ知らぬ顔で訊ねてみると、男は不快げに渋面を作った。
「部外者には関係ないことだ」
「……まあそうだけど。でも、そっか。進入禁止かあ。でもなぁ、ここで帰って良いのかなあ。あの人に怒られないかなぁ?」
「ん? 何だ。組織に用でもあるのか?」
いや、と屏風はここで声を小さくして、検問の男に顔を近づけた。こっちがやろうとしてることを見抜いたか、フィリアが呆れ顔で頬杖を突き、鼎が含み笑いがバレないように明後日の方向を向いた。
「……実は俺らな、『幽色』様直属の秘密部隊なんだよ。『幽色』様の命令でさ、現在『苦色』を襲ってる暗殺者の情報を掴んで帰ってきたら、コレだろ? 事は一刻を争うというのに、俺らこんなとこで油売ってる場合じゃないんだよね」
「っむ、むむ? それはすまないが。だが貴様の顔、一度も見たことないぞ」
「顔? ああ、これか?」
屏風は掌で自分の顔を覆う。それを外すと、そこには検問の男と同じ顔があった。
「あーあ~、声はこんな感じか。顔を見たことないのは当然。だって俺も自分の本当の顔忘れちまったもの。変装は密偵の基本だぜ?」
「何と……! む、むう。しかし、誰も通すなとの命令が……」
「そっちの上司のせいで『幽色』様の邪魔されちゃあ堪んないね。良いから、ゴタゴタ言ってねえでさっさと通せ。時間がねえんだ。それとも何か? また新たな被害者が増えても俺たちには関係ねえ、ってか?」
「ん、んん。分かった。通るがいい」
男がすごすごと下がっていく。後ろのフィリアから口笛が鳴った。
バリケートを組み上げていた他の者たちも一旦作業を止め、こちらの邪魔にならないように脇に退く。屏風はほくそ笑みがばれないように少し俯いた。
アクセルを踏み込もうとして、横からあどけないクスクス声が聞こえた。
屏風のすぐ横の、変則ギアレバーの上に、全裸の少年が座っていた。
「クスクスクス。ねえねえ。君たち誰だよ、僕知らなーい」
「……っ! な、誰だ!」
動揺が車内に広がる。その少年はさっきまでそこに存在してなかったのだ。屏風の詐欺が成功し、俯いて目を外す時まで。いや、俯いたところで真横の異変に気付かないわけがない。後ろにいる鼎やフィリアが見逃すはずが無い。
では、この裸の少年は一体いつ、どうやってここに入ってきたのだ。
そんなこちらの当惑に素っ裸の少年は、何一つ隠すつもりのない天真爛漫な彼はクスクスと楽しそうに笑いを振りまき、
「こっちが訊いてんのにそっちが訊くとかズルーい。アハハハハハ! だーれだ誰だ? ぼーくはだーれだ? ヒントは〈彩〉の偉い人! とぉっても偉い人!」
その発言に、鼎が話していた『薬色』という少年幹部のことを思い出し、後ろの鼎に問おうと振り返る。鼎の膝の上に裸の少年が座っていた。
「……っ! な、何!」
鼎とフィリアが驚く。もう訳が分からない。瞬間移動? 時間操作? それとも幻でも見せられているのか。ここで起こっている不条理の正体は何なのだ。
「あれれ? もしかして『錬金術』の錬一郎と勘違いしてる? んもー困るなー。僕の方が先にいるのに有名なのはあっちなんて。そう思うでしょ?」
問われるが、誰も答えられるわけがない。
中々発進しようとしないジープを不審に思ったか、検問の男が再び寄ってくる。だが、後ろから誰かに呼ばれて戻っていった。助かったとは思わない。助かっていない。未だに脅威の塊が後部座席に座しているからだ。
足も動かせない、能力も使えない鼎が、それでも膝上の少年を睨んで、
「……会議室にいなかった幹部のどっちか、か?」
いや、実の所それは質問ではなかったのだろう。それはただの希望。そうであったらどれだけ良いかという切望の想い。現実逃避の問い掛けであった。
それがゆえに、真実という最悪の地獄を引き出してしまう。
「ううん。僕はあんなすぐ入れ替えちゃうようなザコじゃないよーだ。ふふんふふん。大ヒント出しちゃったー! あーもう分かっちゃうよねっ」
ゾワッ、と屏風はすぐ近くで起こってる現実に血の気が引いた。
奴は、今何を言った? 何を言って何を言って何を言って何を何を、どういうことだ? 駄目だ理解するな、それ以上考えるな、と臆病な心が叫んでいる。得意の逃避も逃げる先が見つからない。未来が見えない。真っ黒の闇しか見えない。
隣で寝ているはずの虚呂から、どうして寝息が聞こえないのだ。後ろで対面していた鼎とフィリアの反応が、プッツリ途切れたのはどうしてだ。
その存在が、ボンネットの上で寝転がっていた。背筋が痙攣した。
「そこにいた目隠しの人ね、僕に気付いて攻撃しようとしてきたから、そうなっちゃったの。でも自業自得だよね? 人に戻ってからだったら触れても大丈夫だったのに、焦ってライジュウモードの僕に触っちゃったんだから――」
少年の全身が光り始める。バチバチと音を立てて放出していく。電気を。自然災害の閃光を。雷を身にまとっていくように思えたが、それは違った。それでは足りない。
「……マジかよ。ここで来んのか、『死色』――ッ!」
少年は、光る身体を徐々に半透明に、雷撃そのものへと進化させて、
「っでさあ、『雷色』の僕も知らない君たちって、誰なの?」
次の瞬間、暗雲の空から破滅の迅雷がジープに駆け下った。
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「…………?」
屏風は、自分の命が残っていることを幸運ではなく、走馬灯の一種だと勘違いした。
フロントガラスからも確認できる天上の雲の中心に開いた、光る渦。
そこから中型ビルと同じくらいの太さの雷がここに落ちてきたのだ。車のボディがアースになるからと言って、助かるような規模ではなかった。今こうして生きているのだから間違っている予測なのだが、あの雷撃は一発で死ぬものだった。
なのに自分は生きている。これこそが不条理だ。
ボンネットの上から車の前に移動して、片手を天に掲げている『雷色』もそれは予想外の事態だったのか、眼を丸くして呆気に取られていた。
彼が見てるのは、どうやらルーフの上のようだ。そこに何かあるのか。自分が生きている謎の答えが。屏風も屈むように身体を倒し、上を仰ぎ見る。
ジープのすぐ真上に、正体不明のグルグルした混沌の穴が開いていた。
その中から怠惰の限りを尽くしたようなダラけ切った声と、二つの裸足の裏と、真っ白の足とヨレヨレの服の端がゆっくりとゆっくりと落ちてきた。
「……ああ、やっぱりこれ夢だ……。だって、」
だって、と屏風はさっき見たものを記憶に刻み付けるように目を瞑った。
天が引っくり返っても外界に出てくることなど有りえないあの人が、空から天女みたいに降りてきて、この俺にレースのパンツを見せてくれるわけないもの。
夢だと分かったので屏風は背もたれに身体を預け、眠ることにした。子守唄代わりに取り出した煙草を一本を口に咥える。火は点けない。咥えるだけ。
外の音が、あの人の声が聞こえてくる。
「あはは~、あ~んしんして~。この私が~みんなを守って、あげるから」
はっ、と笑い、これも都合のいい幻聴だな、と風を遮る名の男は結論し、世界一怠け者の彼女の勇姿を見ることなく眠りに付いた。




