無二色調②
〈廃都〉でも特に人の少ない領域、深淵部に、ふと荒涼然とした空気を吹き飛ばす立派な建物があった。警察のマークが各所に見える建造物。その玄関に元の名前が刻まれていたところに上書きして、一つの漢字が彫られていた。たった一文字。
彩、と。
堅固な塀と門を潜り、〈彩〉の敷地に入っていく三名の姿があった。
二人の男と一人の女。前を行く女は平凡な見た目をしていた。だがその後ろをついていく二人の男の外見は、何とも奇怪なものだった。
右の男は金髪の精悍な顔振りで、車椅子に乗っていた。その車椅子は余計な機械など一つも付いていないのに、手で触れずともスイスイと進んでいる。
その隣を歩いている男は痩身で、ただ顔に何重にも巻きつけられた目隠しを付けていた。これでは見えるものも見えない。なのに足取りに迷いはない。
それをこっそり盗み見て、前を歩く女――サヤコは思うのだ。
こうやって並んでいると、こいつら変態にしか見えないわぁ、と。
それで彼らへの評価が変わるわけではないのだが、ふと〈彩〉の幹部たちと比べてみてしまう。その結論はどっちもどっちという、あまり笑えないものだった。
玄関のドアを潜ると、広いホールがある。多くの者が淀みなく動き回り、隅の方では休憩中なのだろう、雑談している一団も見られる。
受付の左右には奥に続く廊下があり、三人は右の廊下を選んで――と言っても選んでいるのはサヤコなのだが、エレベーターに向かう。
「あ、サヤコさんお疲れさんッス。クレイン作戦部長来ませんした?」
「さあ、いつもの四階トイレに逃げ込んで、寝てんじゃない?」
「おお、サヤコ先輩おはよー。あれ? 新入り君?」
「お客さんよお客さん。もうお昼よレミ。シャキッとしなさい」
「……あ~、骨がゴリゴリ言いよる……。ああサヤコさん、この前ありがとね……」
「全然良いけど。博士もあんま篭もり過ぎないようにね」
「もう若くないって、分かってんだけどねえ……」
すれ違い様に知人らと言葉を交わし、人が途切れたところでエレベーターに辿り着いた。丁度扉が開き、サヤコが乗りこみ、その後を男二人が粛々と続く。
十五階のボタンを押し、エレベーターは上昇する。
車椅子の男、鼎が上っていく箱の中で、ぽつりと、
「やっぱ金持ちだな、〈彩〉は。こんな装置まで持ってるなんて」
「金持ちっていうか贅沢だよね、いちいち無駄に。クーラーも完備してるし、でも君には嬉しいんじゃないの? 暑がりだしね」
気楽に目隠しの方も続く。二人の言葉にサヤコはフルフルと首を振った。
「贅沢はちょっと違うわ。電気が腐るほど余ってるんさ。作り過ぎちゃう奴がいてね。使わなければバッテリがオーバーヒートを起こしてしまうから、こうやって過剰に使ってるの。この暑さも引けば、また別の手段を考えなきゃだわ」
ほお、と車椅子上で真剣に頷くのが鼎雲水。
チン、とエレベーターが階に到着し、扉が開いていく。心地良い冷気が三人をすぐに包む。うん、確かにちょっと浪費が過ぎるかもしれない。
「剛毅な話だ。それに、この建物も補修が行き届いてるじゃないか。〈彩〉には優れた技術者がいるんだな。『鉄』にも見習わせたいもんだぜ」
「鋭利の技術力には負けるわよ。ま、うちにも、頼れる坊やがいるのよ」
十五階の廊下は一階と違って赤い絨毯が敷いてある。足跡を吸収してくれるその上を進む三人。鼎は今度は車椅子を手で動かしている。
「俺たちが〈廃都〉最大チーム、〈彩〉の定例会議にお呼ばれするとは、気の引き締まる思いだな。ちなみに『銅』の虚呂さんは、どんな御用件だと思うかね?」
「〈主人公〉の残党絡みかな? あの件で色々お世話になったからね」
二ヶ月前に〈主人公〉の起こした、〈廃都〉全土を巻き込もうとした事件騒動。その事後処理のほとんどを進んで受け持ったのは〈彩〉である。
とはいえ〈主人公〉の蛮行には〈彩〉も手を焼いていたのは事実なので、それを解体まで追い込んでくれた〈金族〉には、感謝は出ても文句が出るはずもない。
「今日はそれじゃないわよ。詳しいことは幹部の方々に直接聞いてちょうだい」
「僕はそれよりもっと詳しいだろう人に、直接聞いてみたいものですけど、ね?」
「……虚呂くん? …………ね?」
サヤコはスウッと剃刀のように微笑み、鼎から見えない角度で虚呂の五本の指を、それぞれ別方向に捻ってあげると、彼は冷や汗を垂らしながらも笑顔で頷いてくれた。
理解のある子で良かったわぁ。千切らずに済んだ。
指をさり気なくさすっていた虚呂がピクと反応し、廊下の奥に顔を向ける。少しして誰かの走ってくる音がした。突き当たりの角から少年が飛び出してくる。
「あっ、サヤコさん! すみません、ここまで来させちゃって」
まだ成長期に差し掛かってないくらいの少年。白シャツに黒ズボン、そしてサスペンダーと良いトコのお坊ちゃまのような折り目正しい服装。ただ腰から吊るしてある、ごついツールセットだけが不釣合いに映る。
「大丈夫よ。ってかアタイなんかにあなたが敬語使っちゃ駄目じゃない」
頭を撫でてやると、表情に喜色が混じる。ここら辺まだ可愛いものだ。
「誰だ、その良い子オーラばんばん出てる少年は」
「ふふ。これがさっきの話でも出てた頼れる坊や。『薬色』の薬師丸錬一郎。幹部なのよこれでも。〈彩〉一番の技術者よ。いや、」
錬金術者かしら、と言って手の下の錬一郎に試すように笑いかける。彼は人前で褒められたせいで赤くなっていた。
「よ、宜しくお願いします。『金』の鼎さんに、『銅』の空廻さんですね。僕は本部守護隊〈仁王門〉の隊長である、『薬色』の薬師丸錬一郎です」
「ああ、今日は宜しく」
「お手柔らかに」
二人と錬一郎が軽く握手を交わし、錬一郎の先案内で歩きが再開される。
「なあ薬師丸、ここ辞めて俺んとこのチームに来ないか? お前だったら空いてる『水銀』の座あげちゃうぜ」
「こらこら、他人のチームの重役を勝手にスカウトするんじゃないわよ」
「あはは……。すみません。僕はまだこのチームでやるべきことがあるんです」
うむうむ、当然だ。〈彩〉の幹部がそう簡単に鞍替えするもんですか。
「おお、立派な忠誠心。良いね、ますます気に入った。もしここクビになったら、いつでもうちに来いよ。歓迎してやるから」
「『金』が女性以外にこんなに心惹かれるとは、珍しいね。もしかして可愛ければ何でもいいのかな? 男女構わず」
虚呂が漏らした恐ろしい呟きに少年の表情が固まる。鼎が慌てて弁護する。
「そ、そんなわけないだろ。変なこと言うなよ虚呂、誤解されるだろっ」
「……あ。そ、そうですよね。いや、もちろん信じてませんよ。はい、全然」
言いつつも錬一郎は鼎からそっと離れる。鼎はがっくりと首を落とす。
錬一郎の足が豪奢な両開きの扉の前で止まった。
少年幹部が片側の扉を押し開き、扉を押さえてこっちに振り返って、
「どうぞ、中へ。他の人たちがお待ちです。『苦色』の皆様が」
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