素描万化⑤
『渦色』は寡黙な男であった。それは声を失う障害を持っているからだったが、それを抜きにしても寡黙であることを好み、心掛けていた。
『渦色』の本名は白木一彦というのだが、そのあまりの凡庸さに誰もが異を唱える。そぐわな過ぎると。結局この名前を認めてくれたのは付き合いの長い『謡色』とボスの二人だけだった。父と慕ってくる錬一郎だって名前では呼んでくれない。
だが『渦色』は、自分が普通の男であると知っていた。つまらないことで悩み、下らないことを楽しめるただの愚直だと。逆に不思議だ。どうして皆、自分のことを特別視するのか。よく修行僧だと勘違いされるこのスキンヘッドだって、自分なりのお洒落なのに。これは妻以外には話せない秘密だが。
昼間だって分かったような顔をして、錬一郎の仲間への想いなど考えずに偉そうにしてしまった。いや、自分は何も言ってないのだが態度で示してしまったのだ。自分がこうすればこの子はこう受け取ってくれるだろうと、知っていて。
恥ずかしい。自分だって未熟者のくせに。
本部の方で問題が発生したのは知っている。土御門の刺客に幹部の何人かがやられていることも。しかし『渦色』はそっちは他の者に任せると決めて、目前の敵に集中する。今まで潜んでいたのは〈金族〉を監視するためだった。こちらからは襲撃しないが、もし彼らが本部に攻め入ろうとしたら立ち塞がる、と。
自衛という名目がなければ、自分は十全に力を出せない。
だが、仲間を守るためだったらあらゆる敵を食い散らかせる、というのは結局は、己の罪の言い訳を仲間に押し付けて呵責を和らげているだけである。これは業の輪廻だと『渦色』は考えていた。仲間のためだからといって罪を犯し、仲間に罪を押し付け、同時に己も仲間からの罪の押し付けを食らっている。
しかし、ならばこそ、その関係を愛と呼ぼう。
自分の想いや汚いものを預けることのできる関係を、愛と呼ばずに何と呼ぶ?
今、自分の前には二人の少女が立っている。
黒髪の鉄腕女と、銀髪の少女。
四方の電灯は大蜘蛛状態の自分には眩しいが、その下にいる二人の眼を見て、こっちの姿に驚いてはいるが恐れてないことを知る。それの嬉しさと、仕舞いには銀髪の少女がこの姿の自分を『人』扱いしたことが愉快で、つい笑ってしまった。
不意打ちは自分の流儀に反する。始まりの合図を身を沈めることで伝える。自分より遥かに小さな二人が迷わず構えたのを見て、『渦色』は再び嬉しくなる。
大蜘蛛はさらに深く、四対の節足を曲げると、道路を深く深く踏みしめ、
『………………ッッ!』
バネの如く、一気に、天に跳び上がった。
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前後不覚。『幽色』夕華はそんな状態に陥っていた。
夕華は仲間の安否を確かめるため、『血色』と共に仲間を探していた。そのはずだった。それなのに、彼女は自分がしていることの意味を見失いかけていた。
「これって、一体どういうことなのさ!」
涙を堪えた嘆きは、無意味に診療室に響いた。
『塵色』がある治療院で見つかった。ただし、目も当てられない悲惨な容態で。
タイル床に俯き、夕華は小さく繰り返す。どういうことなのさ、と。
華龍を出た後、夕華と『血色』は、まだ彼が残っている可能性を考えて、『塵色』に任せていた中層部の総合治療院ホワイタルに足を運んだ。少し抜けている彼だったら異変に気付かず、まだ残ってるんじゃないか、と。
案の定彼を見つけることができた。が、それは変わり果てた姿でだ。
生きてはいた。心臓も肺も動いている。五体も揃っている。
だが、『塵色』の顔は無くなっていた。
顔の皮膚が消えていた。その下にあるはずの頬肉も、無ければおかしい表情筋も、するっと消えている。両の眼球が抉られ、鼻が剥がされ、歯も舌も取られている。現在『塵色』の顔を覆っているのは血管だけであり、その間から白骨がチラチラと覗き、そこに口内の桃色が加わり、不気味なコントラストを呈している。
奪われているのは顔の部品だけだ。耳より後ろには一切加工がされていない。顔面にだけ施された徹底振りが、これをやった者のどうしようもない狂気を伝えてくれる。
乾いた呼気が、空洞としか表現できない口から漏れる。押さえるものをなくした顎からは次々と涎が零れ、シーツを濡らす。窪んだ空っぽの眼孔からは涙も零れていない。血さえ一滴も零れていない。
そう。その顔はまるで、爆弾で吹っ飛ばされたように破壊されているのに、一切出血をしていないのだ。まるで怪我など一つも負ってないかのように。
数百本の血管は一本も傷つけられず、ただ顔のパーツだけが奪われている。
一体どんな技術があれば、どんな能力があれば、どんな精神があれば、こんな所業が成せるのか。
看護師が『塵色』の剥き出しの顔に包帯を巻き直していく。無理を言って包帯を取ってもらったが、しなきゃ良かった、と夕華は後悔した。
ああ、うう、と声に成ってない呻きが包帯の下から聞こえる。顔のパーツを生きたまま剥がされたのは、どれ程の痛みだったのか。精神が崩壊しててもおかしくない。
「こんな、こんなことって! どうして、こんな酷いことがっ……!」
顔を覆い、込み上げてきたものを抑える。後ろから『血色』の声が掛かった。
「まずは落ち着けと、勧めるぞ夕華。叫び、嘆こうが、こいつは変わらん」
「……っ、あんたもちょっとは……! …………ううん、いや、そうだね。ごめん。八つ当たりした。『血色』が悪いわけじゃないのに」
「さてな。問題は原因、これをやったのが誰か、だ」
妙な発言に夕華は、疑問を得た。
「誰かって。そんなの紅崎一族の手によるものでしょ。これも恐らく、何かの鬼械を使われて……。それとも、心当たりがあるの?」
「それを今から探る。おい、幾つか聞くぞ」
ベッドの周囲に集まっていた看護師たちに、朱赫は質問をした。
「こいつがやられた瞬間を、誰か目撃してなかったか。念のため、最後にこいつと会話していたのは誰だ?」
「ああ、それ私よ。こいつ、巧祇人と話してたのは」
巧祇人の顔を、両腕から発する暖色の光で包んでいた女性が、その行為を続けたまま返事する。彼女だけ白衣ではなく、Tシャツにスウェットと簡素な格好だ。
「話を少し聞かせてくれ。あんたは?」
「私は百利。玄関で誰かの倒れる音がして、見てみたら彼がこんなことになっててね。私含め三人の治療師が診てみたけど、原因も治療法も不明。こうやって体力を回復させてあげることしかできないわ」
「コギトが、襲われてたとこは見てないんだね?」
「ええ。でもそういえば彼、少し誰かと話してたような気がするわ。みんなも聞こえなかった? 玄関の方からさ、話し声」
百利が看護師たちに聞くと、何人かが同意を示した。『塵色』が誰かと話していたという証言に、夕華の脳内に別の可能性が生まれる。
朱赫は『塵色』の身体を、袖を捲くったり、靴裏を見たりと検分して、
「靴の片方は結んである。靴を履いてるところを狙われたか?」
朱赫はしゃがみ込み、履く動作を再現する。両手が下に行って頭が隙だらけだ。
「それに、話してた? のん気に靴を履きながら? 敵とではないそれはノーだ。これは『塵』が油断していた。相手に気を許していた証拠」
「許していた? ……それって、あんたまさかっ」
その言い方だと、『塵色』がまるで仲間にやられたみたいじゃ……!
夕華は、話が望まぬ方向に動いて行ってることに焦りを感じた。いや、自分でも予想はできていたのだ。ただ、その可能性は考えないよう目を背けていた。
だが、そんな甘い逃避は、百利の言葉でとどめを刺される。
「待って。そういえば彼、『同じ幹部として』って言ってた気がする」
「そうか。すると『塵』をこの状態にした奴は、『苦色』の誰かかもしれない」
夕華は、脳の一部がショートしたように痺れたのを感じた。
「……『血色』。いくらあんたでも、言って良いことと悪いことが、あるわよ」
「逸るな、勘違いするな。俺は『苦色』の中に裏切り者がいるとは、そんなことは思っていない。これを仕出かした奴の見当を付けてるだけだ」
「『見当を付けてる』? 馬鹿にしないで、裏切り者を検察し、処断するのがあんたの役目でしょ! はっきり言いなさいよ。私たちを、仲間を疑ってるんでしょ!」
ああ。何してるんだ。自分は何を言ってるのか。朱赫はただ犯人を見つけようとしてるだけなのに。自分は裏切り者なんていて欲しくないと、願っているだけなのに。どうしてこいつを責めるようなことを言ってるのか。
しかし、朱赫は憎たらしいほどに冷静だった。
「勘違いするなと、言ったぞ俺は。こちらにそう思わせ、組織内に混乱を呼ぼうというのが、紅崎の狙いかもしれん」
「えっ。これが、罠? じゃあやっぱ紅崎の奴らが……!」
「否、確定するのは早い。やはり〈彩〉の中に裏切り者がいて、そいつが『塵』をやったという方が、自然な説明が付く」
意見を二転三転させる朱赫を半眼で見るが、彼は気にせず結論した。
「ともかく、行動する他あるまい。百利とやら、ここの者じゃ治せないようなら『塵』は連れていくぞ。『幽』、人手を呼べるか」
「うん。本部の医療隊に診せれば、手があるかもだしね」
「俺らは俺らのすべきことを。さあ行くぞ」
夕華は通信機で部隊の者に連絡し、簡潔に指示を出した。瀕死の『塵色』を本部に輸送し、即刻治療せよ。治療が困難のようならば護衛するように、と。
こっちが端末を切るのを待たずに『血色』は出ていってしまう。夕華も、「すぐに私の部下が来るから」と百利に伝えて、慌てて追いかけた。
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