素描万化③
鬼形児にとって名前、そして名付け親というのは重要なファクターだ。チームの先輩から巧祇人という名と今の役職を受け継いだ『塵色』は特にそうであった。
十年前の争乱の後、鬼形児は生き延びるために人間の生活様式を模倣し始めた。真似る対象がヤクザやギャングなどであったため、チームや縄張りといった組織形態になってしまったのだが、それは良いとして。
鬼形児の模倣は生活だけではなく、その『らしさ』にまで及んだ。人間の人間としての人間がゆえのらしさ。それの最も明快なるものがつまり名前であった。
愛やら友情は実感が持てないという鬼が多かったが、名前は誰もが欲した。研究所の時代に呼ばれていた認証番号ではなく、研究を重ねられて付けられた能力名や生物分類名ではなく、自己を表現する自分だけの名前。
人間らしいものなどちっとも持ってないが、それだけは人間らしくありたい、と。
巧祇人は煮詰まった思考を停止させると、声を飛ばした。
「貴様、どこに行くんじゃい」
足音を隠して部屋を出て行こうとした看護師の背中に、ビィンと鉄の棒のように緊張が走った。彼女は振り返り、視線を泳がせて、
「え、いや、あの、私、と、トイレに……、」
「嘘言うない。そう言って逃げるつもりじゃろ。じゃが、どこにも行かせんぜよ。これは戦争じゃ。敵前逃亡なんて許さん」
「で、でも、」
「デモもメーデーもねえ。もちろんクーデターもじゃ。もう少しじゃ、巻き込まれたあんたにゃ悪いが、もう少し我慢しちょくれ。なっ」
片手でお辞儀するように頼み込むと、彼女は諦観の息を吐いて戻ってきた。
再び重い沈黙が訪れる。やがて信念が固まり、巧祇人は手を動かした。
「ええい、覚悟のベッドじゃい! さあ勝負!」
五百円玉を三枚重ね、力強く五枚の手札を叩きつける。
「ハートのフラッシュじゃ!」
「あー、私Aのスリーカードね。っでモモちゃんは?」
「え、私は、K・10のフルハウス、です」
パタと対面二人の手札が開かれ、頭の中が一瞬真っ白になる。
「オォマイッゴオォォォォオオー! また負けたぁー! 三日分の食費がぁー!」
スリーカードを宣言した女は、ベッドしてあったチップを全部回収してフルハウスだった白衣の女に渡し、呆れ返った風に頬杖を突いた。
「私思うのよ。あなた勝負事に向いてないんじゃないかって。顔に出まくりよ。モモちゃんなんか耐え切れなくなって席を外そうとしてたし。長考散々した末に、やっぱ負け勝負に乗っちゃってるし」
「うるへー。俺の勝手じゃーい。くっそ、次こそは勝っちゃるぜ」
「あんたそう言って何度目? 『塵色』さん?」
くそー、と不平を口ずさみ山札をシャッフルする『塵色』巧祇人。
「巧祇人って呼んでくれ、看護師さん。プライベートはこっちを使っちょる」
今はプライベート? と耳に痛い言葉が聞こえてくるがシャットアウト。
「じゃああんたも『看護師さん』じゃなくて百利って呼んでよ。それと私は医者よ。非常勤だけどね」
一人だけラフなスウェット姿でナースっぽくないとは思っていたが。
「非常勤か。本業はチームの治療師か? どこのじゃ?」
「んーん。教会でシスターやってる。『神サーマのヤロー信じなサーイ』って。ここは週に二回でね。で、わざわざそんな日に〈彩〉に乗っ取られるとはねえ」
「そうけ。こっちの都合で封鎖して悪いなあ。事が終わったらすぐ退散すっから、もうちっと我慢な。さあ勝負、勝負!」
トランプを叩き、一枚ずつ三人の前に配っていくと、さっきフルハウスしたモモちゃんが立ち上がり、恥ずかしそうに百利に耳打ちする。
「えっ、本当にトイレ? もう負けっぷりがツボにはまって耐えられない?」
「むう、言葉もないぜよ。行ってきな」
モモが急ぎ足で部屋を出ていった。嘘つき呼ばわりしちまったなあ、と少し反省。しかしこうなると、ポーカーの参加者が二人になってしまう。それでも勝負はできるのだが、寂しいし、やっぱ物足りない。百利が他の暇している看護師たちに呼びかけてみるが、ルールを知っている者はいないようだ。
「ここらが潮時じゃかなあ。負け越しは悔しいが仕方ないの」
「あらら。コギトさんは随分と物分りの良い人みたいね。その調子でフィリアのチームと戦うのやめてくれない?」
百利の言葉に後ろのナースたちが、うんうん、と同意してくる。
「うーん、ここの可愛い娘多いし、良い人ばっかじゃから、できればそん願いも叶えてやりたいんじゃがよ。俺も仕事じゃし、チーム大事じゃしなあ」
「悩んでくれるだけ有り難いわね。じゃあ世間話でもする? コギトって珍しい響きだけどどうやって書くの? カタカナ?」
「ちゃあんと漢字じゃい。チームの先輩から受け継いだ名でな。遺言で幹部の座と一緒に貰ったんじゃ。口じゃ上手く説明できんが、こう書く」
スラっと空に書いてみるが、百利ははてな顔。上手く伝わらなかったようだ。
そりゃそうじゃ、とトランプを箱に戻し、ポッケに仕舞う。
「もう死んじまったが、先輩はすげー人だった。そん人も『巧祇人』っちゅーから説明がややこしいが、当時『苦色』の誰よりも強かったんじゃないかの」
「へえー。そんなに強かったんなら、彼はどうして死んでしまったの?」
「自分ガツガツ入り込んでくるけんの……。アレじゃよ、アレ」
巧祇人は手繰るように指を回して、言う。何よりも不条理で不可避なアレを。
「先輩の死因は、寿命じゃ」
微かに百利と聞き耳を立てていた数人の看護師らが息を呑んだ。
「二十六歳やった。あと四年は生きれたはずなんじゃが、な」
三十年。それが遺伝子改造とクローン技術によって造られ、先天的に細胞分裂の回数が激減している鬼形児の予測された寿命だ。異能と障害を抱え、人間を優に超えるバイタリティを持つ鬼たちの、誰もに課せられた最大級の刑罰。
『初代』、最初に造られた鬼形児たちは今年がその三十年目であり、死者は少しずつ増えてきている。巧祇人は自分の製造年を忘れてしまって実年齢が分からないままだが、それでも残された時間は〈廃都〉で過ごした過去よりも短いだろう。
「……死んでしまったら何もかもお終いね。強さも後悔も。思い出も」
「マジでグイグイ入ってくるじゃんのぉ、逆に心地ええわ。こんな生まれつき決まっとった運命に文句を言う気も起きんし、どうしようも無いから、どうしようとも、どうとも思わんよ。今時どこの誰も気にしてへんし、気にする方がおかしいじゃん」
大したことじゃないけん、とカラカラと笑う。
「……そう、そうかもね」
真正面から見つめられて巧祇人は言葉を返せなくなる。体を逸らせば、視線の繋がりは解ける。だからそうする。ごく自然に、目の前から逃げる。
おっと、とわざとらしく手首を見て、デジタル時計を読み上げた。
「えーと、十八時十一分、午後六時か。やっぱちょっと気になるのぉ」
腰を上げ、伸びを一つ。背中がポキポキ鳴る。猫背で座ってたせいじゃな。
ん、と意味もなく頷くと、巧祇人は百利たちに冗談めかして敬礼して、
「長い間すまんかったぜ。もう俺も行くから、あとは好きにやっちょくれ」
「行くって、あんたここは良いのかい?」
「良いんじゃよ。どうせザコどもは潰したじゃろうさ。ここを乗っ取ってる意味はもうほとんど無いけん」
中層部で最も有名かつ誠実な診療所はここだ。格安でどんな者だって治してくれる。
敵対してるザコチームの奴らが治療を受けれないよう、ここを乗っ取っていたのだが、敵の殲滅が終わったら入る予定の『街色』の連絡が一向に来ないのだ。
時間が経つごとに嫌な予感は膨らんでいった。
こちらを忘れるほどの事件が起きたか、もしくは『街色』の身に何かが、と。
いずれにしても異常事態と判断して、巧祇人は行動することにした。
「ここでグダグダ遊んでても解決せんしの。さあて仕事すっか」
頭のカンカン帽を整えながら、丁度よく戻ってきたモモちゃんに別れのジェスチャー、待合室を出て行こうとする。背中に百利の声が届く。
「じゃ、お元気で。また来たら今度は歓迎してあげるわ。本気でね」
「ん。そら楽しみじゃ」
後ろ手に振るい、部屋を出て玄関に向かう。
この治療院は玄関ホールからまっすぐ伸びた廊下の左右に診察室などがあり、『塵色』はその一番広い待合室に従業員を集め、占拠していたのだ。ちなみに上階は職員のアパートになっていて入院は不可らしい。
マジに欲しいくらいじゃのぉ、と名残惜しく待合室を振り返る。
と、腰に衝撃。余所見をしてたせいで何かにぶつかった。
木の台が傾いて、上に乗っていた花瓶がそのまま落下する。ガシャン、と湿りと硬い音で割れ、廊下に水と陶器と花が広がった。
「おっと、まーたやっちまったよ。じゃけん、俺って奴はのお」
反省よりも先に、自分に対する情けなさに落ち込む。その場にしゃがんで、粉々になった花瓶の破片を慎重に掻き寄せて、一つの山にする。
「水は諦めっか。って証拠バリバリ残るじゃん。あー、やり直してえ」
巧祇人は盛った破片の山に、左手をかぶせる。特に宣言も気合も必要ない。光も音も発生しない。気温が少しだけ下がったかもしれない。
その左手が膨らんだ。そう見えたのは錯覚で、実際は手の下の物体が左手を押し上げたのだ。カチャカチャカチャッ、と硬い音が重なり、すぐに収まる。
巧祇人の手の下には、元の花瓶が完成していた。口に拾った花を挿す。
「これで元通りっと。ま、少しくらい水無くったって生きられるじゃろう」
ニッ、と自分の仕事ぶりに満足の笑み。すでに萎れて来ているため完全に元通りというわけではないが、身勝手なのは性分だ。それ以上呵責は感じない。
『塵色』巧祇人の『復元図』は、壊れた物体を直す能力である。
一番の使用法は『塵』の名の通り、廃棄物を再利用することであるが、
「しっかし今日力使ったのこれが初か? ここ襲撃した時も無抵抗じゃったから戦わずに済んだし。誰も来んかったし、楽な一日じゃったなー」
と玄関まで来て、そこで座る。紐靴なのでいちいち手間が掛かるのだ。能力を使った直後は手足の先が酔ったみたいに鈍感になるので、さらに手間取ってしまう。
ちょうちょ結びに苦戦していると、誰かがドアを開けて入ってきた。
「何じゃい、今さら敵か? ……ってホントに何じゃ。お主かい」
入ってきたのは自分の知り合い、というか同僚だった。
「………………」
「どうしたんじゃ、こんなとこ来ちょって。ああ、もしや緊急事態を知らせに来てくれたんか? むっかしい顔しといてんの。ってそれはいつものことじゃったか」
「………………」
「まあ、同じ幹部だから本音言うがの、今回の件は全体的にやーな感じじゃ。でっかい山が動く予感が、っと、ちょうと、靴の紐結んでくれへん?」
しかし、いくら話しかけてもウンともスンとも応じようとしないそいつの様子が、いよいよ薄気味悪く思えてきて、巧祇人は冗談めかしてこう言った。
「何じゃお前、×××××じゃねえみたいじゃの。偽物か?」
カカカ、と快活に笑った。
コン、と額が軽く鳴った。
自分の額を相手が触ってきたのだ。巧祇人は何のつもりかと、相手を見上げる。だがそれよりも早く、回避も驚く暇もなく、焼却するような熱波が顔面に広がり、巧祇人の意識は一瞬にして刈り取られた。
身体は後ろに倒れ、甲高い悲鳴が廊下の奥から届く。
カラコロン、と閉じられたドアのカウベルが空しく響いた。
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