素描万化②
腹が減ったから晩飯にしよう。
そんな理由で『血色』朱赫は単独行動を取っていた。浅部で暗殺者の情報収集をしてたら時間が経ち、空腹になったのだ。『薬色』に文句を言われたが、走って撒いてしまえばそれも戯言、無いも同然。途中、人力タクシーも用いてここ、浅部第六地区まで来た朱赫は評判の中華料理店の前に立っていた。名は華龍。
「少々奴は心配性すぎる。しかし仲間が連続でやられてる、こんな日だ。その思いも当然。俺も想定しておくか、最悪の場合を。対策としては……」
朱赫は相手のいない会話を紡ぐ。相手がいても、同じことを口にしているだろう。朱赫にとって会話とは情報交換と状況整理に使うもの。後者の場合、わざわざ一人以外でやる意義が感じられない。
華龍と記されたガラス戸を潜り、席に案内する給仕に付いていく間、店内の客がこちらを見てざわついているのに気付いた。正確には、朱赫の顔を。
あぅう~、と奥から店長らしきチョビ髭が出てきて、話しかけてきた。
「こ、困るネ。その顔の刺青、あんた〈彩〉の者だネ。他のお客さん、怯えてるヨ。ここで食べるなら、せめてその刺青隠してくレ!」
ん? と朱赫は裂傷があるのと逆の、右頬を触った。〈彩〉の証明書ともいえる漢字の刺青、自分の場合『血』の字が刻んである顔の右面を。しかも顔の傷と服装を合わせれば、こちらの正体を当てるのにそう時間は掛からない。
「店追い出すヨっ! は、早く、早くっ」
店長に急かされ、朱赫は考え込む。目を瞑り、んむ、と唸り、
「……――これは、オシャレだ。偶然方向性がどこかのチームと被ってしまい、非常に遺憾だ。世の中とは、予期せぬ偶然の繰り返しだ。よって、そういうことだ」
店長がずっこけていた。ざわついていた客たちも。
朱赫はこれでこの件は解決したというように、給仕が勧めた四人席にちゃっちゃと座り、メニューに目を落とす。店長も複雑そうな顔をし、やがて肩を落として厨房に戻っていった。周囲の視線も少しずつ減っていく。
だが、それでも残った気配、好奇とは別種の鋭い気配を感じ、朱赫は顔を上げる。すると向かいのテーブルの、特徴的な客とバッチリ目が合った。
漆黒の髪で黒い右目と赤い左目の凛々しい顔つき。シャツの袖からは義腕。
しかし、その全身から発しているオーラは完全に同類、狂戦士のものだ。
朱赫は思考を停止させた。混乱のためではなく、興奮を抑えるためだ。
一瞬で燃え上がった戦闘欲の熱を冷ますためだった。
何だ、と朱赫は口元を押さえた。
何だあの素晴らしい存在は。あの美しい、硬く鋭い破壊的な闘気は。身悶えするとはこのことだ。目を合わした瞬間、全身に戦慄が走った。あいつは、何だ!
だが、酷く魅力的だからといって簡単に我を忘れる朱赫ではない。社会に生きるべくの最低限の倫理は持っている。朱赫はその戦士から目を逸らすことができなかったので、急いで目を閉じた。腹を据え、ゆっくりと目を開き、再び相手を見、
初め以上のインパクトが来た。
愛刀の柄を我知らず握っていた。今すぐ斬り掛かりたい衝動を、日頃から考えている、今の日常を捨てた場合のデメリットの羅列を思い返し、必死に抑えつける。
〈彩〉で戦闘に明け暮れる最高の日々と、目前にいるナイスな狂戦士との有頂天バトルを天秤にかける。困ったことに良い勝負だった。どっちも捨てがたい。
これはいかん、と朱赫は席を立った。頭の中が煮え付いてきた。これ以上見つめていたら欲求が爆発してしまう。顔でも洗おうと足を便所に向ける。
トイレの鏡に映った自分の顔を見て、自分が今、らしくもなく興奮していることを自覚した。顔には出てないが微かに眉尻や頬、首筋に無駄な力が入っている。首裏に触れればジィヮッとした汗の感触。心臓の鼓動なんか、通常時の五倍速で鳴っていると思えるほどだ。脳内麻薬もドバドバ垂れ流れているに違いない。
全然ダメだ、と逸る肉体を再び鎮めていく。相手を見なければ容易い。充分に落ち着いた上でトイレを出る。出口で誰かとぶつかりそうになった。
注意力が散漫になっている。やはりまだ正常ではないか、と朱赫が一歩引くと、向こうもまた足を止めて、互いに顔を見る姿勢になった。
「っと悪い、ってあれ? オマエ、さっき目が合った……」
さっき目の当たりにした凛々しい義腕の戦士だった。
朱赫の手が悪魔が宿ったように、愛刀の柄に走っていった。
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鋭利はトイレの前で一人の男と対峙していた。偶然目が合った相手だ。
この季節にピッタリな浅い色の和服に、左目から、大胆に開いた胸元まで届く大きな切創が目立つ無愛想な男。一度見たらそうそう忘れられない外見だ。
その彼が今、自分で自分の右腕を押さえるというパントマイムを演じていた。
……見た目より、騒がしい奴だなー。
まるで悪霊に取り憑かれたかのように右腕を堰き止める彼に、鋭利は少し引いた。距離にして一メートル。このくらい距離を開けておけば安全だと感じたのだ。トイレの扉前からはさっさとどいて欲しいが。
男は何とか謎の発作を抑えられたようで、荒い息を吐いた。
「……どちらかを捨てねば、か。間々ならぬな。それが現実か」
と思ったら男の急な落胆に、鋭利は眉をひそめた。
「あんた、どうしたんだ? 何者?」
「誰だって良い。評判の料理を試しに来た、単なる食客だ。その立場もここで捨てる、そういうことになってしまうが……」
「? よく分かんないが、気を付けろよ? さっきのあんた凄い形相だったぜ」
咄嗟に逃げちゃったよ、と何の気なしに距離を戻していく鋭利。彼の目に一瞬だけ不穏な影が甦るが、鋭利は無視し、男の腰の武器に目を付ける。
「……忠告、感謝する。俺の刀に、興味があるのか」
「うんー、柄構えと鍔の意匠が気になって。それってまさか、高値で取引されてる『ビゼンオサフネ』って業物か?」
ここ最近、外から出回ってくる『名刀』の登場のおかげで、鋭利の造る刀剣器の売上げが縮んできているのは〈金族〉の誰にも相談できぬ悩みだ。
「備前、か。その手の物は大抵パチモン、それか数打物だから気を付けろ。俺のは無銘大磨上、型式としては正宗らしいが、使えれば何でも構わん」
乱暴な物言いの奥に、刀に対する信頼や愛着めいたものを感じられて、鋭利はますます興味を引かれる。刀とその持ち主に。
「マサムネか、良いね。名前聞いていいか? アンタの」
「朱赫だ。赤い名前だと感じろ。貴様は何だ」
「鋭利。鋭いだろ? アンタみたいのもいるんだな。油断がねぇや」
遠目に見た時にも感じたが、こうして相対してみるとなるほど。気だるげな体勢や淀んだ目付きの奥に、抜き身の刀のような寒い気配を秘めている。今、まばたきでもしたら、その隙に斬り付けられる――、本能がそう叫んでいる。
「貴様も面白い、そんな闘気を発してるな。剣士のようにも見えるが、銃を扱うようにも見える。剣にしても何を使うのか、大剣なのかナイフなのかさえ、検討が付かない。間合いが実に読めん。あえるなら、オールラウンダーか」
「あえるって略すんだ……」
茶化すのと裏腹に、鋭利は納得した。自分が外から見てどういう風に見られるのか初めて知った。ありとあらゆる鋼鉄武具を生み出し、手足のように扱う自分は、言われて見れば確かに決まった間合いがない。徒手空拳で戦う時も、義腕と義足があるから左右で重さが違うし、体重も食事によって変わるという不安定さ。敵のステータスが不確定というのは、敵の方からしたら堪らないだろう。
己の強さの理由を一つ知れて、鋭利は微妙に悲喜交々。嬉しいけど、純粋な強さではないよなぁ、と。まあいいやー、でどっかに投げ飛ばす。
「キヨービンボーでね。何か、お薦めはあるかい?」
「何でも振るえるというなら、その特性は大事にしておけ。俺なら打刀、それ以上長くても短くても、動作に付いてこれなくなる。だが大方貴様、武器をよく壊してるんじゃないのか? しかも戦闘中に」
「おお、ご明察。ちょいと乱暴に使っちゃってるかな。ま、武器なんざいくらでも造れるから困りはしないんだけどー」
「感心できんな、その心構え。物とはいえ自分の一部だ。自身を大事にしろ」
「……よその人にフィリアと同じ説教を食らうとは。ま、アリガトーと言っとく」
ブルリ、と膀胱に刺激の波が来て、鋭利は本来の用事を思い出す。
「じゃあ。オレはここらで」
「ああ」
男は背を向けテーブルに戻っていく。その背に別れ際にボソッと。
「……いつか、サシでやりたいなぁ」
着流しの男が再び発作に襲われた。しかもさっきより激しい。猛牛のように暴れる右腕を全身で抱え込んで、床を転げ回る。
ここまでの変態は久しぶりに見た。いやはや、世界は広いなあ。
「……ふっ、ふふふ。そうだ、焦ることはない。同じ街に住んでいる、ならばその内ぶつかることもある。この街は狂った楽園、争い止まぬ修羅の街。運命が求めれば、戦いの時は来る……」
怪しく呟いてるのは、恐らく自分に言い聞かせているのだろうが、それは別れに対する答えのようにも聞こえた。だから鋭利は頷いた。
「ああ、そうだな。運命の岐路でまた会おう、シュカク」
悶える男が小さく身震いし、背中を見せたまま片手を挙げた。
未来への約束に胸ときめかせる鋭利に、尿意が寄ってきた。
鋭利は急ぎ足でトイレの扉を押し開けた。
後ろから誰かの駆け足と、アケちゃーんっ、と女の声が聞こえた。その声に何となしにデジャヴを感じるが、鋭利は好奇心を捨てドアを閉めた。
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朱赫は床に寝そべったまま、鋭利の後ろ姿を見送った。
「……らしくもなく、話し込んだ。興奮、いや未練か」
結局最後まで斬りかかるという選択肢を捨てることができなかった。今だって衝動を抑えるのに必死なのだ。我のことながら実に女々しく、愚かしい。
と、騒がしい足音と喧しい声が小娘を付属させて走ってきた。
小娘はこっちの名を呼んでくる。勝手に付けられた渾名の方だが。
「アケちゃんアケちゃーんっ! 大変大変一大事ってかやっと見つけたぁ!」
そのままボディプレスしてきそうな勢いだったので、朱赫は億劫だが体を起こすことにした。体当たり気味の女を、頭を掴んでとめる。
「食事処ではしゃぐな、鬱陶しい。何の用だ、『幽』」
飛び込んできたおかっぱ娘、『幽色』の頭を押し返す。
とと、と短い髪が揺れ、『幽色』は腕を開きバランスを取る。姿勢が整い、直立不動になると、彼女は前のめりになって口の蓋を開ける。
「もー探すの大変だったんだからね。念話はなぜか来ないし、通信機アケちゃん持ってないし。巡回中の部下に聞き回ってよぉやく居場所突き止めた感じでぇっす!」
「テンションがいつもより、かなりというレベルで高い。余程の一大事、ならば用件は、『苦色』を狙う暗殺者のことか」
明らかに自身の物であろう血を襟元にベッタリと付着させた『幽色』を観察し、彼女の身に襲った事態を想像する。
正解、と『幽色』のテンションが一気に素に戻る。
「その様子だとそっちも襲われたみたいね。分かってる範囲の被害は?」
「『街色』がやられた。『薬色』は途中で助けた。が、今は別行動中なので知らん」
「わお! 相変わらずの無責任っぷりだね! こっちは、『毒色』が弱ってたとこをやられた。燃やされて死んだよ。一緒にいた私も、首チョンパで、ね」
肩のラインで切り揃えられた短髪を摘み、苦笑する『幽色』。
「これで、九人中三人がやられ、三人が行方不明中。やれやれ、使えぬ奴らだ」
「さっきまで行方不明だった一人がよく言うね! 取り急いで残りの皆を見つける必要があるよ。『塵色』と『渦色』さんと錬ちゃん。誰か、心当たりは?」
「探しは専門じゃない。俺はただ殺るだけだ。動くしかない」
朱赫は面倒そうに、足を店の出口に向けた。実はそれほど不快に思ってなかったが朱赫は心を痛めていた。勿論仲間のためではなく、華龍の料理を一口も食べずに帰ることへの残念からだった。注文前だったのが、不幸中の幸いといったところか。
「暗殺者が、今日のメインディッシュか。充分に味わいたいものだ」
「死んじゃ駄目だよ? 私みたいにネー! アヒャヒャヒャやはアヒャ!」
『紅鬼』朱赫。『笑亡霊』夕華。二人の元暗殺者と元始末屋は、近々起こるであろう戦いの宴に喜悦の笑みを浮かべ、華龍をそっと後にした。
そして、その一部始終を目撃していた一団があった。
怨敵でも見つけたかのように息巻く車椅子の男を、目隠しの男と金髪の女が宥める。そこに黒服の女が戻ってきて説明を受け、すぐに一つ提案を出す。仲間たちの了承が得られる前に黒服の女はさっさと出口に走り出し、残った五人も急いで彼女を追って、華龍を出ていく。
後に残ったのは食べ尽くされた大量の皿の山と、慌てて厨房から出てきて、彼らがいたテーブルの横で「食い逃げされたッ!」と崩れ落ちるちょび髭の店長と、手の中にある〈長老会〉行きになるであろう未払いの領収書の束だけだった。
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