第四章 素描万化
第四章 素描万化―遊び狂う餓鬼達―
人質には逃げられてしまったし、振り出しに戻ってしまったわけだ。
「というより、一歩も前進してなかったんだよなー。毒入り羊羹とかも入れると、むしろ後退気味? そろそろ切実に発展が欲しいトコだね」
鋭利が肘突いて、前に語り掛けた。
「……だから、私の所に来たというのですか。実に良い迷惑ですなぁ」
対面に座る、妙に年寄りめいた男が渋面を見せてきた。
丸テーブルが幾つか置かれたホールがある。テーブルの数はニ〇個。各テーブルには彩り鮮やかな料理が並べられており、それに箸を伸ばす客たちがいる。
ここは浅部第六地区にある中華料理店華龍だ。
そのテーブルには八人が座っていた。内の二人がこの地区の統治者である〈長老会〉のトップとその補佐官。残りが、出不精の理由でここにいない『錫』を除いた〈金族〉の六人だ。八人テーブルをフルに使っているので、少し手狭に感じる。
〈長老会〉の長、眼鏡を掛けた優男が、隣の補佐を労わるように、
「比嘉君もすまないね。〈蒼竜庵〉との会談の後で疲れているだろうに、こんな私用に巻き込ませてしまって。やはりチンピラとの関係はすっぱりと断っておかねばだね」
「いえ、俺の方は別に。それに伽藍様の盟友のようじゃないですか」
自分の右腕である比嘉の言葉に、馮河先伽藍は静かな声音で言い返した。
「彼らには『盟友』という表現で間違ってないが、あそこのチンピラとだけは本当に赤の他人だから。くれぐれも、そこだけは勘違いしないでくれよ。私の沽券に関わる」
ピク、と眉が揺らいだのは、伽藍とできるだけ顔を合わせないよう、九十度の席に座って明後日の方向を向いていた屏風だ。彼が反射的に言い返そうとするのを、横の虚呂が襟を引っ張ってとめる。
中国茶のおかわりを店員に申し付け、鋭利は話を戻した。
「〈彩」をどうにかしなくちゃ自宅の修理もできないってね。元『水銀』のお前に知恵を貸してもらおうと馳せ参じたわけですよー。なあ『金』?」
「困った時のお互い様頼りって奴だな。ってことで昔の馴染みでちょっと情報を分けてくれねえか?」
伽藍は顔色を微妙に呆れに傾け、だが無表情を保つ。
「私はあなた方に助けられたことなど、一度も無いのですがね……。しこりは残りますが、話を伺いましょう。情報とは、どのようなものが入り用で?」
低頭な伽藍に対して、鼎はあくまで居丈に頷き、
「一番知りたいのは『苦色』の情報なんだが、それはお前には期待しない。お前んとこを巻き込むギリギリのラインだし。だから聞くのは二番目の、浅部の近況。今回の件の発端は〈彩〉は敵対している浅部のチームの反撃だ。最近そういう話の上がっているチームに心当たりがないか?」
鋭利たちの一先ずの目標は〈彩〉の本部を目指す、であった。
敵陣に特攻するという奇策を目標に定めたのには二つの理由がある。
一つは鼎の左腕を取り返すため。腕が無い限り、鼎の力を使えない。『白金』には腕を繋ぐことはできても、生やすことはできないのだ。幸い腕が〈彩〉本部にあることは判明している。鼎の左腕の断面から出ている一本の極細の糸、それが腕までの道を示してくれるのだ。そのたった一本の〈金糸〉が、鼎が今使える唯一の力で命綱である。
そしてもう一つの理由が、起死回生の一手がそこにある、と虚呂が発案したからだった。〈彩〉本部に行き、ボスか、ボスと連絡が取れる『街色』に会えば、これ以上の無益な争いを止められるかも知れないと。
〈彩〉のボスが〈金族〉の呼びかけに応えてくれるとは到底思えないが、虚呂としてもそこは「賭け」らしい。本当に敵対の意思があれば会ってくれないだろうが、もしそうでなく、ボス自身に〈金族〉を害する気がなかったのならば、『苦色』を止めてくれるよう交渉することも可能だと、虚呂は言うのだ。
こいつが言ってた、『最強の伝手』の相手ってまさか……、とその策を聞いた全員が思ったが、当の虚呂は柔和に微笑むばかりで何も言おうとしない。
しかし一考の価値ありとして、〈金族〉の方針は決まった。
タイミングの良いことに『苦色』は浅部のチームの掃討に躍起になっている。この隙に〈彩〉本部に潜入し、鼎の腕を奪取する。その後ボスか『街色』を面会する。
そこの交渉に失敗したら、本気で逃亡して行方をくらますしかないが、そこに不安は無い。族員はここに(『錫』を除いて)全員揃っているし、逃げるのは十八番だ。鼎と虚呂の力さえあれば外への逃亡だって無理な話ではない。
何にしても〈彩〉の動向を知るの一手。それには浅部の状況を把握することが肝心となる。もし浅部で、大規模な動きがあれば〈彩〉はそれを潰すために必ず動く。
その時こそ〈金族〉の反撃の時だ。
心当たりですか、と寝惚けるように伽藍は呟いた。
「〈彩〉に敵意を持つ、〈彩〉を憎んでいるチーム。それが、さっき聞いた四つを含めますと二〇個ですかね。全部聞きたいですか?」
多いな、と思うと同時に、それを熟知している伽藍の変態振りに久々に引いた。
そんな大量に知ってるとか、この男、日頃何を考えて生きてるんだ、と。
ビビリなのか、慎重なのか、使命感なのか、熱心なのか。
「いや、そんなにいるなら良い。じゃあ三つ目だ」
まだ痺れ毒と腹下しのトラウマが残ってるのか、鼎は目の前の料理を見ては顔を強張らせ、しかしその向こうにいる伽藍に問いを続ける。
「そいつらが手を組んで〈彩〉の領地を襲撃する、っていう話は?」
「さて。ありましたかな? どうもこの歳になると記憶が曖昧で……」
「……あたしの診療所、あたしがいなくなったら施設と看護師ごとあなたの〈長老会〉に差し上げるわ。それとも、永年フリーパスをあげようかしら?」
「ああいや、『白金』。私は決してそんなつもりでは。ううむしかし、それは実に魅力的ですねえ。つい乗ってしまいそうだ」
「じゃ、何が望みだ伽藍。言っとくけど、あんま期待できんの出せねえぜ?」
「それは重々承知ですよ。族員が一番の資本。それが〈金族〉ですからね」
穿って言えば一文無し、って奴ですが、と嫌味を挟み、
「私の願いもそれと似たようなもの。私はただ、浅部全体のために動いている。ゆえに、あなた方の可能な範囲で浅部の平穏を守ってください。〈彩〉からだけじゃなく、自滅しようとする者たちからも。それが私が血族に託す、最初で最後の願いです」
柔和な笑みのまま、伽藍は頭を下げた。
それは彼の、〈金族〉との真の決別でもあったのだろう。私たちのそれぞれ守りたいものは違う。もう仲間とは言えないし、思ってない。お互いに。
しかし、それでも違う組織として、協力し合える関係でありたい、と。
伽藍の願いに鼎は、瞼を閉じて、しかし淀むことなく言い放った。
「――約束しよう。〈金族〉は浅部のためにも動く、と」
伽藍は、もう一度頭を下げ、《金族》の長に感謝と敬意の念を表した。
「……それが聞けただけでも収穫ありです。ではお教えします。実は数日前から、十個のチームが手を組み、中層部の《彩》の領地を奪おうという話が上っています。その中心組織が〈逆天道化師〉であるということが、私たちの目下の悩みでして」
その組織名に皆が首を傾げ、銀架が疑問する。
「えっと? 何ですか〈逆天道化師〉って」
「一度だけ聞いたことある気がするね。けど、何の名前かは覚えてない」
「私も虚呂に同じさ。あ、すまんね、これと同じの三皿おかわりするわ」
「こっちもお願ーい。いやー、このホイコーロ鉄分効いてるのがクセんなるねー。あ、それと炒飯大盛りを。ん? 何の話中?」
卓上の料理が大食漢の女二人と肉のみを食べ尽くしていく銀髪少女によって、見る見る内に減っていく。しかもおかわりをどんどん頼んで。男たちはそれらをスルー。会計することになるだろう伽藍だけが、冷や汗を増やしていく。
「誰も知らないようですね。ま、中層部の者ではその程度でしょう。チーム名自体は有名じゃありませんので」
伽藍は仕方なさそうに苦笑し、口を開く。が、それに先行して閉口していた屏風が言い捨てるように答える。
「〈逆天道化師〉ってのは、〈八部衆〉を輩出してるチームだ。『迦楼羅』と『夜叉』をな。浅部を守護する立場のチームが、浅部を戦乱に陥れようとしてるんだったら、そりゃ慌てるわな。中層部の俺らには知ったこっちゃねえが」
「……あなた、是非とも始末したいですねえ。しかしその通りです」
こそこそと、箸を止めた銀架が鋭利に口を寄せ、
「あの、〈八部衆〉って?」
頬っぺが汚れてたので、拭いてやりながら、
「浅部を守護してる八人がいるんだよ。内外両方の敵から浅部を守り、安寧秩序を保つためのね。浅部で最強の八人だって覚えときな。で、それを二名ずつ出しているのが浅部の四大組織で、〈逆天道化師〉はその一つってこと」
浅部には荒事の得意ではない、しかし〈廃都〉を回していく上には欠かせない、〈浅部商業連合〉のような、住人の生活に密接に関わっているチームが幾つかある。そのようなチームを暴力から護るために、浅部の四大組織が手を組み、抑止力の顔役として〈八部衆〉を集めたのだ。
だからこそ〈八部衆〉も四大組織も、他のチームの模範となる行動を取らなければならないのだが、〈逆天道化師〉はそのルールから外れようとしている。
「へー、じゃあ〈彩〉が次狙うとしたら、それですかね」
言って、銀架は役目は終わったと言わんばかりに、猛獣の食事を再開する。
でしょうねえ、と伽藍は同意を示し、つい本音の渋面を覗かせる。
「いつどこで結集するか、まだ調べが付いてないのですが、反抗勢力をまとめて始末できるチャンスを〈彩〉は逃さないでしょう。〈道化師〉も地区には困ってないでしょうに、どうやら組織の成長が狙いのようで。他チームからの信頼を集め、ヘッドハンティングや中層部への進出を野望してるのです。全く、良い迷惑です」
「なるほどなあ。ああ、質問は以上だ。ありがとな、約束は守るぜ」
「あ、タンマ。オレから、最後に一つ」
と鋭利は箸をピンと立てる。伽藍も座を整える。
「さて、何ですか」
「もしオマエが〈彩〉とやり合っていたら、『苦色』の中で一番警戒するのは誰だ?」
ほお、と伽藍は初めて興味の色を見せた。
「ふむ、難しい質問です。私が、例の『苦色』と争うとしたら。あまり考えたくないイフですが、でも、どの人が、ですかねえ」
伽藍は指を組み、口元を隠すようにして、楽しそうに喋る。
「どちらかを味方するわけにはいきませんので、はっきりと答えられませんが、私が警戒するのは、きっとあなた方にとっては予想外の相手ですよ」
「予想外……?」
柔和な笑みの男は、ええ、と微笑み、
「思っても見ない相手でしょう。第一印象だけでは分からない、知っててようやく警戒できる相手。そういう鬼にご注意を。しかし、これだけではヒントとして成り立ちません。もう一つ、特大サービスを付けましょう」
「なハハっ、良いねー。随分と含むじゃないか、『水銀』。さぞ自慢の隠し玉があるんだろうな。でも気を付けろよ。訳知り顔って結構ムカつくんだぞ?」
そーだそーだ、と外野で騒いでいるチンピラに『白金』が拳骨を落とす。
「これは失礼。余計な口まで滑ってしまった。では、公平を約する私から最大限のサービスとして、これをお教えしましょう。私が警戒する相手はタイプ的に、鋭利、あなたとよく似ておりますよ」
「オレと……?」
なおも追求しようとする意を感じたか、断ち切るように伽藍は手を打つ。
「さて、懇談会はここまでです。私たちはもう行かせてもらいます」
颯爽と立ち上がる。横の比嘉がそれに続き、伽藍の肩にコートを掛ける。
「ありがとう。では皆さん御健闘を。しかし、あなた方は相変わらず、面白いことに首を突っ込んでおられますねぇ。いえ、実に愉快」
彼はチラと遠くを見た。そっちにあるのは店の入り口。そこを、今まさに入ろうとしている男がいた。深い傷を顔に刻んだ、蒼い着流しの男。
伽藍は店に入ってきた男から目を外し、背を向けて、手を振った。
「さて、それでは。再見」
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