魂泥細管⑤
ポタと、温いものが頬に垂れてきた。覚えのある熱さと匂い。血だ。
錬一郎が恐る恐る目を開けると、刀を持つ男の腕に一本の木串が刺さっていた。
声色からして無愛想と分かる声が叱責を飛ばしてきた。
「何を呆けてる。さっさと逃げろ。人質になっても見捨てるぞ、俺は」
「は、はい! すみません『血色』さん!」
声の飛んできた方向に謝り、侵入者の股下から転がり出る。侵入者の男は『血色』の登場にこちらへの興味を一切失ったようで、その逃亡を何するでもなく見過ごした。
錬一郎は二人から遠ざかる。二人の戦闘に巻き込まれないようにと。
「何だ貴様は。いや答えなくてもいい、俺の寸暇を邪魔しおって。では処刑だ」
『血色』は摘んでいた串団子を一気に口に突っ込み、近寄ってくる。
相変わらずの横暴とも言える論理展開で。
「おお、てめぇが『血色』だな。誰かと思ったら朱赫じゃねーか懐かしいゼェ」
あ? と露骨に眉をひそめ、口の中のものを嚥下する『血色』。
「なんだ、紅崎の者か。気に食わんな。貴様も俺が目的か?」
錬一郎は紅崎という名に『血色』を向き見る。その名は土御門に仕える暗殺者一族のものだったはずだ。『血色』が鬼形児ではなく、〈廃都〉の外から来た人間だということは知っていたが、まさかその二つが関連してたとは。
「そいつはちょおと違う、と言わせてもらおう。俺の目的はてめぇら九人幹部の首だ。でもまァ、あんたが楽しませてくれれば、俺は帰るかもだぜェ」
「待て。虎斑との連携じゃないだと? 何がしたいのだ、あの愚兄は。ん? そういえば貴様、俺に何の用だ?」
「あ、あん? 聞いてなかったのかよ。だから暗殺しに来たんだって、てめぇらをまとめてなぁ。っで、こっからどうする、一族の元エリートさんよォ」
「そうか貴様、『スピーキング配合計画』のガキか。前に一度だけ会ったな、カイム。が、実に下らなくなった。所詮は温室育ちか」
「何の話だよ、おい……。今すぐ殺られてえのか、おぁ?」
声に苛立ちが混じり出す薄金髪の男。刀を腰元に構え、膝を溜めた。
「止めとけ。今の俺は、雑魚を相手してやるほど優しくない。だが、近い内に土御門を潰しに行くのだから、やはりここで潰しとくか」
完璧にずれた応対を見せる『血色』。またか、と錬一郎は嘆息する。
彼の他人の話を聞かない病気は重症だ。彼との会話法を心得ているのはボスくらいで、他の者では五分も続かない。余裕そうに振舞っていた侵入者の男も、あまりに酷すぎる扱いに耐え切れなくなってきたようで、声尻を振るわせ、
「だ・か・らっ、やってやるって言ってんだろ! ふざけてんのかてめぇ!」
「それはこっちのセリフだ。喋る前に掛かって来い。さあ刀を構えろ」
「ッ~~~~~~~!」
声にならない男の悶え。『血色』のマイペースにも有意義な活用法があったものだ。
侵入者はしばらく震えると、だらんと脱力し、顔を拭った。
彼が顔を上げた時、肌色は変わってなかったが、どこか別人に変わったように思えた。よく見ると、瞳の色が変化していた。青色から灰色の虹彩に。
男はさっきまでと違い、かなり肩と頭が落ちた猫背で、顔だけ持ち上げ、
「……私、の、役目。次、行かなきゃ、次、次」
ボソボソと単語を零し、猫背の男は海老のように後ろに跳ねた。そして男は走り出す。こちらに背を見せることなく、追いかけるのも躊躇われるような気持ち悪さと素早さで、猫背の後ろ走りのまま去っていく。
残された『血色』は刀から手を離し、大して残念でもなさそうに息を吐いた。
「出し抜かれたな。あれは動きからして、エーベンシュルツのパターンか」
「あの、知ってるんですか、あの男を。同じ紅崎、なんですよね」
「奴は紅崎じゃない。遠い親戚だ」
「え? 紅崎じゃ、ないって」
「ふん」『血色』は鼻を鳴らし、歩き出す。そっちは本部ではない。錬一郎は一旦帰還すべきか迷ったが、今はそれより情報だと思い、赤い和服の背中を追った。
「他の人も、無事だといいのですが」
「一人確実に無事じゃない。いやある意味もう大丈夫か。『街色』だ」
「『街色』が? それはつまりどういう……」
彼の歩みは足捌きが特殊なのか、他の大人よりずっと速い。『薬色』は半ば走りながら彼を追い、問いを重ねる。この人はマイペースだが声は届いてるはずだ。
「『念話網』の定時連絡、それが来てないだろ? 中々来ないと思い、本部に行ったらあの様だ。まさか襲撃とは。中々あじな真似をする」
「まさか。本部に何かあったんですか!」
「騒ぐな。『街色』が斬られ、瀕死状態で見つかった。ただ、それだけだ」
「な……! どこが、それだけですか! 一大事じゃないですか!」
しかし『血色』は血が通ってないようにも見える淀んだ目付きで見返し、
「喚くな。すでに医療部の者らが治療に当たっている。気になるのは、よく奴はあそこまで入り込めたものだ、しかも単身で」
「あの男は、いったい。最後、まるで他の人間になったみたいな感じでした。多重人格者という奴でしょうか」
戦闘の最中にも男は入れ替わった。始めは黒髪だったのに、急に金髪になった。そして最後の豹変。これで少なくとも、三つの人格を持っている。
「観察眼は良い。カイムは、八つの人格を操る八重人格者だ。貴様には荷が重い」
「八……っ!? それはまた、桁違いな」
驚くことしかできてないが、『血色』はこちらのリアクション自体に興味がないようで、それ以上説明することなく、話を進めていく。
「奴め、次は誰を狙う? 表に出ている四人の内の誰か。『毒』、『渦』、『塵』『幽』。そして『街』がやられた今、連絡手段はほぼ断たれた、か」
「……彼らは、まだ奴の存在を知りません! 危険です!」
「元気だな。羨ましいぞ少しだけ。なら、俺らが向かうべきは、浅部だ」
錬一郎は『血色』の有無を言わせぬ指示に、頼もしさを感じていた。
いつもは面倒臭がりで戦闘狂の『血色』がきびきびと動いている。しかも仲間の安否のために。それは憧憬さえ覚える心強さだった。
「……まあ、変人なことには変わりませんけど」
〈彩〉の風潮か、それとも鬼形児全体に言えることなのか、錬一郎の知人には変人が多かった。少なくとも、錬一郎の前を目を輝かせながら暗殺者を求めて歩く『血色』は、生粋の変態で間違いないだろう。
でもだからこそ、こんなに頼もしいのだと思う。父さんも、〈彩〉の皆も。
苦労は総押し付けですが、と苦笑し、『薬色』は同僚の後を追った。
Fe
痛い。怪我を負っているからでなく、狭い空間に押し込められてるからだ。
銀架は薄暗闇の中で目を覚ました。少しだけ気絶していたみたい。
そこは見覚えのない個室だった。黒白のマーブル模様の壁と天井。個室といっても広さは半畳しかない、檻のような空間だ。背中と膝を折り曲げた状態で寝てたようで、痛みは鋭角に捻った首からだ。座り直すと、自分の座高にぴったしだった。
「何ですか、この居心地悪い空間は」
自問しても答えはないが、銀架はこうなる前を回想する。
……鋭利さんの言われるままに伏せたら、光が破裂して、足元が消えて……。
そして今ここ。鋭利は爆破すると言っていた。ならばここは、
「……天国? 地獄? 大地獄? 何にしてもちんけなあの世ですね」
斑な壁にブー垂れる。何も無いにしても程がある。責任者を出せ、おい。
「あはは~、ちんけで~、わ~るかったねぇ~~」
這い登るような声がした。この間延びした独特の声は〈金族〉の七人目、『錫』の更地稔珠のもの。彼女は空間に隙間を作り出す鬼形児で、一日二十時間眠っている。
するとここは『錫』の『亜空館』の中なのか。入るのは初めてだ。
「『錫』さん、いつもこんな薄気味悪い空間で寝てるんですか? 悪趣味ですね」
「よ~けいな~、お~世話~。放~り出~すよ~」
彼女の声が四方から飛んでくる。と天井が急に消え、黒い穴がそこに生まれた。足元の床がバネ細工のように跳ね上がり、銀架を黒い穴に押し込む。
ぬぷんと油面を通り抜ける感触がして、外に吐き出された。身軽な銀架は浮遊し、黒い穴が消失していくのを見る。穴が消え、その下から現れたのは床だった。
それは焼き焦げた床。他にも、天井に壁、家具のどれもが焦げ付いている。
銀架は軽やかに着地。その隣でベチョ、と粘っこい何かが落ちる音がする。
「あいったぁー、腰打ったぁー!」
腰を抑えて悶える粘っこい何かの正体は、屏風だ。
彼の顔を見ただけで不快指数が跳ね上がった気がする。気のせいではないはず。
「あ、銀架ちゃん。大丈夫だった?」
こっち見んな笑顔を見せるなやめれ死ね。あとちゃん付けするなキモい死ね。
それらを敬語調で包み隠さず伝えてやると、彼は咽び泣いて喜んでくれた。
スルスルと他の族員も黒い穴から飛び出てくる。
虚呂は音もなく優雅に降り立ち、鼎は車椅子を巧みに操り、奇麗に着地を決める。
よっこいしょー、と年寄り臭い掛け声で穴から這い出てきたのは、白衣の北欧風美女医のフィリアだ。彼女は床が煤けているのに気付き、自分の摺ってしまった白衣の前面を見つめ、諦観の息を吐いた。
揃った五人はそれぞれ顔を見合わせ、床に一つだけ残った闇色の穴を見下ろした。そこからのったりとした声が出てくる。いかにも眠たそうな声で、
「み~んな~、無事かな~? 毎度だけど~、鋭りん無茶するね~」
「ああ、助かったぜ。まさか冗談だと思ったのに、マジでやるとは……」
と、鼎は無残な焼け野原になったオフィス内を見回し、
「その鋭利はどこにいるんだ。しばき倒してやりたいんだが」
「ん~ん、鋭りんは~、一番に出てって~それっきり~。採取だって~」
採取? と首を傾げると扉が無くなってた玄関から、鋭利が顔を現した。
「ただいまー、と。分身体、ゲットしてきたぜい」
飄々とした鋭利は引っくり返っていたソファを立てて、そこに腰を下ろす。片手に持っていた小瓶を光に透かすように掲げ、片目で見ながら、
「逃げ遅れてた奴をちょろっとね。これ、さっき襲ってきた奴の一部」
「へえ、そいつが。色々言いたいことはあるけど、それはお手柄だね」
「にしてもちっと代償デカかったかなー? 火力優先で選んだけど、部屋一つとインテリア一式台無しにしちったよ。ごめんな、毎回毎回短気で」
鋭利は声を真剣なものにして頭を下げた。殊勝な態度に、鼎は少し困ってしまい、
「ん、まあ、ギリギリだったからな、負傷者がゼロなら結果オーライって奴だ」
「そう言って貰えると。ま、敵さんも、第一の目的は果たしたってことなのかな」
鋭利は部屋を見渡し、ここにいない捕虜を言外に示した。
ただポツンとあったロープの切れ端だけが、彼女がここにいた証拠だった。
Fe
夕華は、こちらが支えてやることでようやく立ってられる眼鏡の男を見た。
両腕と左足、頭や胴体の一部までが惨たらしく削られ、全体の四割近くが欠損している彼は、爆炎で細菌を燃やされてしまった『毒色』だ。
こちらも焼けたジャージの上を脱げ捨てて、かなりボロボロの見た目。
夕華はかなり軽くなった彼の、取れてしまいそうな肩をヨッと担ぎ直して、
「いやっはー、散々だったね『毒色』さーん。わざわざ助けに来てくれたのに、こーんなことに! これからは軽率な行動は控えるヨッ、ユウちゃんはんせー!」
気にするな、と喉が焦げてしまったのか、イガっぽい『毒色』の声。
「お前の、迂闊さはいつものことだ。今回のは、完全に、私の失態、だ。ちゃんと、用心して掛かれば、こんな事態にはならなかった……」
「いやー、あんなの用心しようないし。代わりに私も逃げれたし? 一人助け行って一人負傷。プラマイゼーロ! あんま責任感じる必要ないってないって」
部下の失敗をよく尻拭いする『幽色』は、眼鏡の同僚を軽口で慰める。今は崩れそうだからやらないが、もう少し無事だったら肩とか叩いて励ましてただろう。
「全身に、燃え移る前に、人間体に戻ったから、最悪は免れたが。相手の情報、少しは掴んだんだろうな? それがお前の、やり方なのだから」
知将を名乗る『毒色』の言葉に、〈彩〉一の隠密はニパァ、と笑い返し、
「そりゃモチのロンのこと。『大喰』ちゃんは前情報があるから良いとして、他『蒼鉛』、『白金』、『錫』の能力、バッチリと見てきたさ。さっさのさぁー」
「ふっ、それは、頼もしい限りだ。鬼械回収の方も一通り片が付いただろう。皆に招集を掛け、本部に戻って再び作戦会議だ。……む? 連絡といえば『街色』からの連絡が来てないな。『幽色』の方は来ているか?」
んんんー、と首を振り、『幽色』は困った風に空を仰ぎ、
「私の方もさっぱり。どうしたのかな? いつもは真面目さんなのに」
「奴め、帰ったら説教だな。大体あの小娘はいつもいつも私を……」
ブツブツと日頃の鬱憤を呟き出した『毒色』に、あははー、と苦笑する。
ふと、空から軽やかな靴の音と、鈴の音みたいな声がして、
「――『炎蛇之牙〈スサホムロ〉』ッ!」
蛇の形状をした熱波が、逆さ落としに降ってきた。
赤い舌口、火炎だ。火蛇は八つに分かれ、一直線にこちらを狙う。
「……くっ……!」
脊髄反射で、腕の『毒色』を突き飛ばし、左右に分かれる。
だが、降ってきた炎蛇は柔軟に軌道を変え、『毒色』の身体を飲み込み、
「……ッ!」
一瞬で燃え咲ける。『毒色』の頭が火に削られ、胴体と足が焼滅していく。
『毒色』が消えていくのを見守るしかできない夕華の前に、歪なナイフを構えた人影が降り立った。そいつは赤熱した刃を振るい、その切先をこちらに向ける。
襲撃者は女に見えた。だがそれが女装であることを、多くの隠密を見てきた夕華は見抜く。己の正体を、うやむやに誤魔化すための、女の格好だと。
『毒色』の身体の一部が悲鳴を上げて細菌化し、声もなく燃やされていく。左足が半ばから折れ、火達磨になった体が傾いでいき、背中から倒れて、
アスファルトとぶつかって、粉々に砕け散った。
破片となっても火は消えることなく、執念深く燃やし尽くそうとする。
もう駄目だ、どうやっても助からない。夕華は顔を落とし、視線を外す。
こちらのショックを知って知らずか、女装の襲撃者は朗らかに言う。
「一応確認するわ、『毒色』と『幽色』ね? お命頂戴しに来たわよ?」
チッ、と内心で舌打ちをつく。戦闘では『毒色』の方が頼りになる。物理攻撃のほとんどを食らわない彼を傷付けられるものなど、例のように火炎くらいだ。
手負いの隙を狙われてしまったのは、運の悪さか敵の戦略か。
チッ、と今度は包み隠さず舌打ち、鬱々と毒づく。
「……何だよこのクソ空気読まないクソはクソだろってか大体女装って何だよそれ変態じゃん恥ずかしくねえの人間として生物としてこの男使命感とか愉悦に浸ってんじゃないのキんモーそれともアレか興奮してんの馬鹿じゃねーの腐った液出してんじゃねえよイカレポンチが何格好付けてんのダサダサだしクソクソクソキチガイインポがテンション下がるわ死ねよマジでうわー……」
「おおっ、そこまで言うのっ。ちょっとぉ酷くない?」
野郎がしなを作ってくねりくねりと踊る。正直に素直に真面目にキモい。
愛用の大鉄棍『ぼーんすねーく二号』は本部に置きっ放しだ。徒手空拳で勝てる見込みゼロ。『毒色』のように、一撃で殺されるのがオチだ。
「……ま、そっちは構わないとして」
ボソッと。一息挟み、敵を見据える。
「ってか君さぁ、私を襲うってどういう了見? 馬鹿でしょ。私のこと知らないの? そりゃ有名じゃないけど、でも命狙うんだったら、ねえ?」
少しでも知っていたら誰も殺そうとしない。それが『幽色』という存在だ。
「何よ、知ってるわよお。『苦色』なんでしょ? それで十分」
「それってつまり、それ以上のことは知らないってことだよね? それは何も知らないのと同義なんだよー」
そして知らないことは、この街では死に繋がる。
敵のたかが知れたところで、夕華は唾を飲み、覚悟を決め、震える拳を構えた。
「まあ、知らないまま帰ってくださいな、と」
女装の暗殺者が三日月の笑みを浮かべ、目前から掻き消えた。
後ろで靴音。首に冷たい鋼が入り込むゾッとしない感触が全身を這いずり回り、
「ッ!」
ブッ、と電気コードを断絶したような音がして、夕華の頭は空高く舞った。
紅の日光が飛んだ生首の黒髪を赤く染め、惰性で佇む身体を優しく支える。
静謐な闇が赤い空を東から西へと上塗りして、侵食していく。
夜が近付いている。




