第一章 無二色調①
第一章 無二色調―溢れ狂う悪鬼達―
九月も中旬。厚い雲を伴ったじめったい残暑が日本全土を包んでおり、それは捨てられた首都〈廃都〉にも、特に色濃く覆っていた。化け物変態が多く生息するこの街でも暑さはまた別問題らしく、住人たちは確実に体力を奪われる。台風ほどではないが、自然環境の恐ろしさを思い知らされる時期である。
「あちぃーです」
不壊城鋭利が蒸し暑さの篭った〈金族〉ビル三階の応接間で、不快感を押し殺しながら機械いじりに勤しんでいたら、陰鬱な声が扉を開けて入ってきた。なんとも聞くだけで暑くなりそうな声だ。
顔を上げると頬を伝って、顎から一滴が落ちた。玄関前にいる銀髪の少女を視覚すると鋭利は、ニッと朗らかに笑み、
「や、お帰り銀架。護衛は上手くいった?」
「ええ、まあ。抗争中だからってあの人数は多すぎだと思いますけど」
「〈煉獄外道〉のボスは頭数がなければ効果を発揮しないタイプの鬼形児だから。ま、とりあえずはご苦労さん。銀架の手が空いてて助かったよ」
鋭利の労いもそよ吹く風に銀髪の少女、飛鳥弓銀架は扇風機の前を陣取り、涼を図る。ちなみにそれは浅部の闇市で買ってきた中古品だ。さりとて高いわけではないのだが、無事作動する家電機器は希少なため〈金族〉にはそれ一個しかない。たった今造っていたのはオリジナルの試作機で、五度目のチャレンジ。
「何で鋭利さんはそんな涼しい顔でいられるんですか……」
吹く風に向かって、ああああ、と遊んでいた銀架が恨めしそうに言った。
「んー元々体温高めだからなー。鋼鉄の体のお陰だろうね。でもその反面冬は寒すぎる。左腕も凍り付いちゃうし、凍え死ぬね、ありゃ」
自分の左腕、鋼鉄で造られた義腕をさする。胡坐を掻いている左脚もまた、金属特有の黒いきらめきを返す。左の腕と足、更には左の眼球までもが鋼の機械が代わりを果たしている。それが鋭利の肉体だ。
「私は断然冬の方が好きです。また造ってるんですか?」
銀架が這い寄ってきて、こっちの手元を見た。
「……鋭利さん。それって、モーターじゃなくてエンジンじゃありません?」
「おっ。そーだよ、っと」
中々の慧眼だ。これはジャンクのバイクから取り出したエンジンだ。
シャフトにプロペラを填め、堅く、きつく、ボルトを締める。
大きさ一・五メートル。軽量チタン合金製。六枚羽。そんなプロペラを。
横からそれを見ていた銀架は、むむ、と半眼になり、
「……もしかして鋭利さん、空でも飛ぶつもりですか?」
「送風機って奴だ。涼しいぞ。計算上風速四十メートルを出せる。さあ試運転だっ♪」
「部屋の中で台風を起こすつもりですか! 止めてください!」
銀架の叫んでの懇願に、スイッチを入れようとした手を渋々引っ込める。空を飛ぶってアイデアは良かったから今度はそっちの方に転用してみよう。
ふう、と安堵した銀架は、ぐるっと部屋の中を見回す。
隅に積み重なっている拾ってきたジャンク品たち。南の壁には本棚が並び、その逆には寝室と台所とトイレ兼浴室の三つのドアが並ぶ。部屋の中心には小さいテーブルと一対のソファ。奥には大きめのデスク。雑多とした、いつもの室内だ。
「みなさん、今日もいませんね。ヘルプ要請ですか?」
「うん、今日もみんな助っ人として出てるよ」
二ヶ月前に正義とヒーローを演じていた組織、〈主人公〉が解体された。壊滅ではなく解体であったため、残党たちは色んなチームにバラけて、〈廃都〉の戦力図が一新された。パワーバランスの急激な変動のせいで、近頃小さな抗争が乱発しており、
「雲水の顔が広いせいでヘルプがたっくさん来て、全員出るはめになって」
少し悔しそうに、続ける。
「オレも出れれば良いんだけどー」
「二ヶ月前の事件のせいでアレの噂が出回ってますからね。それが収まるまで外を出歩けないんですよね」
うん、と手元のエンジンに目を落とす。
今から十年前、二〇〇四年に東京という大都市を人間の手から奪い取り、この壊れた街を作り出した〈七大罪〉という七人がいた。
二ヶ月前の騒動で、鋭利が〈七大罪〉の『大喰』だったことが判明し、後日その話が中途半端に噂となって〈廃都〉を駆け巡ってしまい、今や誰もがその噂の真偽を気にしている状態なのである。鋭利としては事実なので別にバラしても良いと思うのだが、他の族員たちは無駄な騒動を招くだけだからと、噂が消えるまで鋭利の外出を禁じた。
「ったくつまんねー。オレもバトりたいなー。身体が鈍ってきたよ、鋭利なのに」
「その闘争心は錆びないですね……。霧が消えてましたけど、屏風さんも?」
「ああ、護衛だってさ。そっちはあいつ一人で充分だろ。それ専用だし」
手元から目を離さず言外にここにいない『蒼鉛』威風堂屏風を褒める。
二十四時間、霧を生む能力を使い、ここ一帯を外部から覆い続けている屏風はそういう意味ではかなりの実力者だ。その点のみに関しては、決して侮れない。
「それであの性癖さえ無ければ……」
悲しそうな声を出したのは彼に気に入られている銀架だ。
「ロリコン趣味ね。でも何かされたわけじゃないんだし、何かあいつにできるわけじゃないんだし、良いんじゃね?」
「……まあそれはそうなんですけど」
釈然としない風の銀架。その気持ちも分からないでもない。二ヶ月前、防衛本能を働かせた銀架が彼を殺しかけたのは記憶に新しい。色々と情けない男なのだ、彼は。
「たぁだいまー」
気の抜けた声と共に、話題の屏風が帰ってきた。なんだか疲れ気味だ。
「お、早いお帰りで。何かあったのか?」
「ん、何て言えば良いか分からんけど、護衛は失敗して〈DRD〉は全滅した。ごめん」
頭を下げる屏風。おや、とその頭を小突く。この男が最も得意とする護衛の仕事に失敗したのもそうだが、こうやって素直に非を認めるのも珍しい。
「……ってええ! 全滅!? 何でオマエ生きてんの? 幽霊?」
「いや、違うチームだからって彼が見逃してくれて」
「彼?」興味を持った銀架が鋭利の脇から顔を突っ込んでくる。
「そうそう。で、彼が俺の〈迷霧〉の中、〈DRD〉の皆さんを全滅させたカイム君です。はいどうぞー」
「よろずくおねげーじまず。おらカイム=スピーキングと申じますわ」
『蒼鉛』の後ろから田舎臭い男が顔を出した。ポカンとする鋭利と銀架。
屏風が申し訳なさそうに頼んでくる。
「今日の寝場所を探してるって頼まれたから、連れ帰ってみました。こいつ、泊めてやってくんねぇかな?」
そんな彼の顔と、いかにも厄介事の種しか持ってなさそうなカイムという男の顔を見て、鋭利はプルプル震えると、
「よぉっくやったぁー!」
両手の親指を上げて喜びを叫んだ。
「鋭利さん!?」銀架が信じられないという風に振り向く。
「よーし、これでまた面白いことが起きるぞー。楽しくなるぞー。バトれるぞぉー! うっきうきだーっ! 人生バぁーラ色ぉー!」
「鋭利さん、あなたどんだけ暇だったんですか!」
小踊りしながら狂喜している鋭利を見て、銀架が叫び、屏風がほっと胸を押さえ、少し不安そうにしていたカイムという男は、ほっこりと微笑んだ。
「さあさあなーにが、起っこるかなー?」
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二〇〇四年。今から十年前の七月一日に、一つの大事件が首都を襲った。
今までの歴史上で、最も世界の常識を覆したと言われる大事件。
それが首都大争乱だ。
クローン技術と遺伝子改造技術によって造られた、異能力を生まれ持った子供たち。当時の正式名称は失われ、残った名前は『人工変異遺伝子型奇形児』。通称、鬼形児。
十年前、彼らは持てる力をもって暴れ、日本の首都を完全に破壊した。
大都市を人の居場所として完璧に壊し、
東京のほとんどの人間を壊し、
対抗する軍隊を壊し、
常識を壊しまくり、
異常をばら撒いた。
七日間にわたった争乱は、鬼形児たちの要であり指導者でもあった〈七大罪〉の一人、『淫欲』の『覚醒罪』の死によってあっさりと終着した。
しかし破壊に破壊を重ねられた東京を再起するのは難しく、また『覚醒罪』の力による汚染が残っていたため、新たに立ち上げられた日本政府は東京を日本領土から省くことを決定し、愛知を首都として、日本の再建に力を注いだ。
東京は日本国の上にありながら、どこの国でもない、どこも統治しようとしない、無法地帯と化した。生き残った鬼形児たちや、犯罪者。脛に傷のある者に、外国からの不法入国者。様々な人種が集まり、入り乱れ、異常と狂乱のるつぼと化した。
そして、十年。この街は〈廃都〉としてあり続け、今日がある。
二〇一四年九月十日。〈廃都〉に十一度目の秋が訪れようとしていた。
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