魂泥細管③
屏風は、『幽色』の自我の強さに舌を巻いた。こいつ、すげえな、と。
十五分間続いたくすぐり拷問に、先に根を挙げたのは屏風の方だった。
腹筋を痙攣させ、腹膜筋を躍動させ、失禁しつつ、奇声と共に悶え苦しんだ『幽色』はしかし、拷問に耐え切った。呼吸困難に陥って息も絶え絶えの『幽色』を見下ろしながら、それと別ベクトルで疲弊し切った屏風は羽箒を手放し、尻を着く。
「……駄目だ。これ以上は無理、いや無意味だ。俺じゃ歯が立たねえ」
拷問は刺激に慣れさせてしまったら負けだ。ある程度耐えられれば、相手にとってその後は同じことを繰り返すだけであり、しかしあまり無茶をして、殺してしまうわけにもいかない。当然、執行人の心が鈍ってしまっても、そこで終わりだ。
屏風の観念のセリフに、顔を背け耳を塞いでいた鼎が、ほっと胸を押さえる。
それが合図だったかのように、皆の顔から緊が抜け、部屋に漂っていた剣呑な空気が霧散していく。見てくる面々に対し、屏風は見返し、
「この女、相当口がかてぇ。分かった事といえば精々、彼女の名前が夕華だという事と、胸がEカップだという事ぐらいだ」
「うーんそれは困っ、って何であんたそんなこと聞いてんだいっ! もっと肝心なことを聞きな! 死ぬかっ! 死にたいのかっ! 死にさらせっ!」
『白金』が逆ギレかと思わんばかりに雷を落としてきた。鼎がサムズアップをこっちに送ってきたので同様に返す。鋭利と銀架の姿が見えないと思ったら、ソファの陰にしゃがみ込んで二人して胸を押さえ、イー……、と切なそうに鳴いていた。
「外見的要素は興味がないから何でもいいけど、他にも分かったことはないかな、『蒼鉛』。流石に、成果がさっきのだけってことはないよ、ね? どんな下らないのでも些細なことでも良いから」
「うーんとな? 能力や弱点等については全滅だ。幹部の名前は、『街色』がツバメっていうらしくて、他の奴らのは漏らさなかった。あ、趣味は散歩だって。健康的だよな」
「だから、何でそんなことまで聞いてんのよ、あんた……」
胡乱な『白金』を、まあまあ、と鼎が諌める。
じゃあさ、と虚呂が思わせ振りにゆっくりと『幽色』の前にしゃがみ、
「僕からも一つ、良いかな。幹部の人に直接訊いておきたいことがあってね。正直に答えてね、僕は『蒼鉛』みたいに、冗談とか織り交ぜる気は、一ミリもないから」
静かな声の奥に潜んでいる圧に、『幽色』の喉がヒィっ、と鳴る。
「……お、お手柔らかにでお願いするよう……」
「んん? あはははは大丈夫だよ、『幽色』さん。僕だってこういう行為が好きなわけじゃない。――で、最悪、二の腕のどの辺まで千切っても、大丈夫?」
「ぜ、全然、言葉が通じないよこの人! さっきの、さっきの人カムバァック!」
芋虫のようにウネって懇願する『幽色』を手で押さえて、虚呂は、
「訊きたいことは一つだ。君たちのボスは、この事を知っているのかい? 『大喰』欲しさに、〈金族〉にちょっかいを出したことについて」
芋虫の蠕動が止まった。その上で不思議そうに見上げ、
「……? 何その質問? ボスが知ってるかって、そんなんが知りたいの?」
「これが結構重要なことでね。つまり、『大喰』を保護するっていう大胆かつユーモラスな提案は誰がしたのかなぁって。ボス? それとも、幹部?」
『幽色』は問いの真意が掴めないようで、首を傾げて、
「うーん、と。発案は『苦色』で、ボスの承諾は得たって、聞いてたけど……?」
「……承諾を得た、ね。それで誰が、ボスの確認を取ったんだい? 君たちもボスの顔を知らないって聞いたことあるけど」
「ブブー。答える質問は一個だけだよーんっ」
虚呂の腕が半透明になって、『幽色』の腹に突っ込まれた。
「……っ、わあああ! う、腕がお腹を貫通、ってえ? すり抜けてるっっ!」
「五秒後にこの状態を切って、腹の中を掻き混ぜる。五、四、三……」
「わわわわ、タンマタンマタンマ! ストーップ! 乙女のお腹を何だと思ってんの!」
「二、一……」
「止めてくれないっ!? …………こ、今回は、始めからそういう話になってて。いつもはツバメがボスと連絡を取ってるんだけど、ツバメも知らなかったみたいで」
「ツバメってのは、『街色』のことだよね。彼女は今どこ? 本部にいるの?」
「え? あの子はいつも本部にいるけど……。って、君らまさか……?」
虚呂は、フフッ、と柔らかく笑い、腕を『幽色』の胴体から引っこ抜いた。
「どうやら、裏で画策してる人がいるみたいだね」
虚呂が『幽色』の前から退く。そんな彼に鼎が皆の疑問を代表して、尋ねた。
「虚呂、さっきの質問ってどういう意味があったんだ?」
「んー、話すと長くなるけど。ま、僕には最強の伝手があるってこと」
「いや全く説明になってねえし……。まあ信頼はしてるがよ」
さあて、と鼎が手を打ち、皆の意識を集めた。
「情報源としてはイマイチだったが、幹部の一人を捕まえられたんだ。幸運と言っていい。『街色』って小娘はテレパシー使いで、一人は刺客にやられたっていうから、相手すべきはあと六人。楽勝だろ?」
「いや、俺とか『白金』とか『錫』さんのことも考えてくれよ? 自分基準で俺らを巻き込まないで。暴力反たーい! 平和ばんざーい!」
「嬉々して拷問してた口でよく言えるなー、オマエ」
あまり突かれたくない部分を鋭利に突つかれ、ウギ、と声が出る。
「少女趣味な上に加虐嗜好。加えてビビリ。……これはもう、人間失格レベルですね」
「グふっ……は、ははーん! 過去は振り返るな前に進もう! だよな、『金』!」
フォローを求めてボスに振り向くが彼は、うーん、と腕組みして、
「進むったって、情報不足だから作戦も立てられないし、立ち往生してる感はあるよな。ああ、もちろん屏風が、それでもやりたいってんだったら俺も止めねえがよ、……まあ、一人で頑張れや」
「鼎がまさかの優しくない! いやまさかでもないか。『錫』さんはまだ寝てるし、『白金』にはそんなのは無理だろうし……」
「……あんた、私に特別治療されたいのね? 〈虐・癒光〉食らいたいのね?」
「そういえば稔珠が起きてこないね。僕らがあれだけ騒いでたのに。不貞寝か、な?」
「後で散々怒られるでしょうね、屏風さん。異次元二十四時間放置とか」
「いやははー、それで済めば良いけどねー。アイツ執念深いし」
末恐ろしい内容の会話をハイテンションで誤魔化し、屏風はなおも続ける。
「……ああ! 俺を助けてくれる心優しい人はいないのか!」
屏風が叫び終わると、嫌な沈黙、白けたムードが漂う。あれ? といつもだったら調子よく乗ってくれる鋭利や鼎を見るが、返ってくるは冷たい視線。
と、そこに、
『ほう。ならば心優しい私の、こんな手助けは如何かな?』
邪悪な笑い声がして、玄関の隙間から、黒い煙が噴き出した。
全員すぐに身構えるが、黒煙は一気に広がり、視界を覆い尽くす。目蓋や唇の間から、いかにも健康を害しそうな煙が染み入ってくる。喉をムカムカと攻め立てる。
次の瞬間、〈金族〉のメンバーは目をかっ開き、喉を押さえ、悶え出した。
『白金』の――煙を少し吸ったのか、震えた声が煙の向こうから聞こえる。
「気を付けて! この黒いのに触れちゃ駄目! これ、細菌だわ!」
ごほっ、と無理に喋った『白金』が苦しそうに咳き込む。触れるななんて、そんなの不可能だ。煙はすでに部屋中に充満している。すぐに、この部屋を出るしかない。しかし、細菌はこちらの肉体を蝕み、体の自由を奪い始めている。
意識が朦朧とする中、屏風は聞き慣れた、掠れた声を聞いた。
「みんなー、頭伏せて、息止めててー。――ビル爆破させるから」
えっ、と誰ともなく声が上がり、同時に煙の奥で何かが上に投じられ、
「…………ッッ!」
圧力を持った赤光と荒々しい轟音が、フロア全てを塗り潰した。
中層部第五地区を覆い隠す霧に、まず細かい震えが走った。
濃霧の中心地にある雑居ビルの三階部分が、激しい爆音で外に吹き飛んだからだ。
まるで自爆したように。鮮やかに、華やかに。
しかし、滾々《こんこん》と溢れる霧はすぐに震えと煙を飲み込み、消し去っていく。
後には閑寂だけが残り、続くのだった。
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