魂泥細管②
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街を軽やかに疾走する一人の影があった。
白藍の小袖を着流しに、左目を縦断し胸まで抉る、深い切り傷を付けた男。
『血色』朱赫である。
『……《我宴》のデータ、更新されたわよ』
走っている彼の脳内に、少女の言葉が再生した。『街色』の念話での定時報告だ。そっちに集中して怪我しても仕方ない、そう判断し、朱赫は足を止める。
『例の地区に入った。敵の詳しい居場所も教えろ』
そこは浅部第四十地区、十日前《我宴》というチームに奪われた地区だ。『血色』はここの奪還と《我宴》を潰す係に回され、嫌々ながら来たとこである。
朱赫は、自分の服に染み付いている、先ほど付いてしまった赤い汚れの取り方に、頭を悩ませ、同時に念話の向こうにいる少女に文句を付ける。
『つまらん。全く心が躍らん。よくも俺に回してくれたな』
しかし『街色』は取り合おうとしない。言ってるほど不満を持ち合わせてないことが、念話で伝わっているからだろう。
『……《我宴》とそこに渡された鬼械の情報。どっちから聞きたい?』
『どっちでも良い。残党数だけ教えろ。あとはその分消すだけだ。ああ、さっき三人消したから、マイナス三か』
『……数は二十三。十日前の抗争で九人が負傷中。鬼械は黒い宝石が付いた指輪で、』
「もう良い。実戦する。とっとと終わらしたいんだ、俺は」
口で言ったことも伝わるはずだ。『血色』は壁にもたれていた背中を上げ、奥地に行けば勝手に見つかるだろう、と思い、足を進めていく。
朱赫の頭の中に、『街色』の脱力の思念が伝わってくる。
『……鬼械の回収をしてくれれば、何でも良いけど。奴らのアジトは、河原近くの通りに面した十八階建てのビルよ。一番大きいからすぐに分かると思う』
「そうか、じゃあすぐに消えろ。思索の邪魔だ」
再び溜め息の気配の後、頭から『念話網』が抜けていく感触。それに満足し、『血色』は足を速めていく。最後の欠片が抜けていく隙間に、一つの念が聞こえた。
『……ユウが《金族》に捕まった。頑張って』
自分の足が停止した。すでに『街色』の気配は消えている。
『念話網』は、術者である『街色』からしか繋げられない。言い捨てた事の真偽や詳細を知りたくても、次の報告まで待つしかない。
「…………」
彼は少し考える。『街色』が最後にこれを伝えてきたということを。
奴と長い付き合いというわけではないが、お互い長く《彩》に仕えている身だ。その言葉の裏は十分読み取れる。『街色』は、要するにこう言ったのだ。
知りたきゃ、とっととぶっ潰して来い、と。
「……ふう、ようやく火が付いてきた。面倒ではあるがな」
呟き、『血色』は刀をスラと抜き、道路に落ちていた細長い影を、切り付けた。
ジャンッ。アスファルトが断たれ、刀が一周し、影の形が歪む。
「一番面倒なのが、貴様らのような輩だと、そういう自覚はちゃんとあるか?」
歪んだ影は、沈黙を返す。が、『血色』が再度刀を構えると、影は遅々した動きで立体的に立ち上がり、その歪んだ姿を晒した。
それは黒子の格好をした、半ば人間を辞めた畜生どもだ。
一番前にいる黒影が覆面を外し、枯れ木のような声を出した。
「……見事だ」
「ほう? 今の一族は貴様まで出すのか、虎斑。所詮は雑魚の一匹だが、今は副長だったな貴様は。一族の連中は余程暇と見える」
「我は、貴様を迎えに来た。紅崎朱赫。玄鶴の次子よ」
『血色』朱赫という男は、闇の一族を見捨て、〈廃都〉での飽くなき闘争を選んだ荒武者は、すげなく返す。
「どうしてだ。今更俺に執着する、その意味が分からん」
「貴様は首長の器だ。ゆえに我らは、貴様の帰還を望む」
「するとあの男はもう死ぬのか。実に朗報だ。祝儀でもやろうか?」
貴様ッ、と影の一人が飛び掛ろうとするのを、手前の虎斑が諌めて、
「……是非、朱赫殿には一族へ帰還して頂き、次代の首長へと」
それを無視し、影の数を数えていた朱赫は、ふむ、と置き、
「六人、大層な歓迎だ。なのにこんな雑魚ばかりとは。腑抜けの兄もいないとなると、どうした貴様ら? 遊びに来たのか? ああ、奴の訃報ご苦労。だからもう去ね」
「……致し方ない。断ち切れ、『屈折之ッっ……?」
短刀を構えた影たちが、途端に、覆面の下で悶絶を浮かべ、
「ああ面倒だ。また汚れた」
声が針のように突き刺さり、影たちの胴体を膨らみ、爆散した。
腹が破裂し、肋骨と背骨と内臓を露出させた影たちの上半身が傾ぐ。開いた腹の穴から噴水の如く血液が噴射し、『血色』の着物を染めていく。
「九重裂き流奥義〈断腸〉。総員鬼械装備とは面白みのない。そんなモノに頼ってるから、こんなのも防げない。しかし一応生き残ったか、虎斑」
「き、さまぁ……!」
斬り込みが浅かったか、出血はあるが破裂はしていない虎斑が跳び退き、大刃のナイフを持ち直した。逆の手で、ひょろりとした細い杖を取り出し、
「復活せよ、『死骸之杖』!」
ボゴオ、と液状に近かった死体が泡立ち、人の形を、生命を取り戻していく。
それを見て朱赫が鼻白んだ。
「確か報告にあったな、死者を生きてた時間に戻す杖。一度回収もされたはずだが、さてしかし、知れば知るほど下らん技だ」
再び立ち並んだ影どもを睥睨し、朱赫は刀を突き付けた。
「邪法に手を染め、脳まで腐ったか? 雑魚が何度復活しようが同様に殺すだけだ。俺に殺されるだけだ。無意味だ無価値だ時間の無駄、だ」
そして朱赫は、頭を極限まで落とした前傾姿勢になり、刀を引き、跳び出した。初期動作から『血色』は全身を躍動させ、必殺の刃を振り下ろす。
まず一番近くにいた影が粉微塵になって、血霧となった。〈断腸〉のアレンジ、骨に振動を伝え、内部から崩壊させる〈断罪〉だ。
赤き荒武者は、生まれた血風の中を突き抜け、次の一人を縦に斬り下ろす。真二つになった影が倒れる。すると三つの影が、左右と上から一度に来た。朱赫の刀は振り下ろされたばかりで、左右はともかく上からの斬撃には間に合わない。
故に朱赫は、刀を道路に突き立てた。跳躍し、その上で倒立する。
「……っ!」
上からの小刀の突貫を、タイミングと位置をずらして回避する。
逆立ちの勢いと伸筋を連動させることで前方宙返りの速度を増幅。上体を屈して、左右からの斬撃をやり過ごす。空振った左右の影は、返す手で二撃目を振るってくる。同タイミングにすることで一度に防御できぬようにしている。だが、
「〈月影〉があるぞ」
朱赫の手には刀が戻っていた。上半身を持ちあげた時、引き抜いていたのだ。
刀が円を描くように高速で振るわれる。空中のため威力はないが、振り幅と速度に制限はない。刀は三百六十度回転し、左右からの刃を同時に受ける。
ガギャンと二つの金切り声を響かせ、朱赫の足が地面に着く。
「さっさと去れ。〈竜泉〉」
扇を広げるように刀を振るい、着地していた影、刀を弾かれた左右の影、それぞれの首に切っ先を掠りつけていく。斬るのではなく、抉る。首表層の肉を抉り出すのだ。
結果、三人の首は赤い源泉となった。
残りは一人。虎斑だけだ。
と、朱赫が見回すと、その虎斑の姿が消えていた。どうやら部下を見捨てて逃げたらしい。副長の役目とか、報告の義務とかそんな言い訳だろう。
「逃亡とは。下らなくなった、落ちたもんだな。五年前以上、いや以下、か」
刀を収める朱赫。鞘に仕舞われるその銀刃には一点の汚れも曇りもない。だが、服は返り血や腸などの残骸で散々なもの。そんな裾を嫌そうに摘み、朱赫は、
「はあ、また買い直すしかないな、これは。『塵』にでも頼んでみるか?」
『血色』は走り出す。こう見えて奇麗好きでさっさと着替えたい彼は、仕事を早く済まそうと、足を疾風のように速める。
少し大きい通りに入り、朱赫は鋭い速度のまま、背の高いビルに突入していった。
惨劇の悲鳴が響き始めたのは、しばらく経ってからだった。
それ以前の敵は気付かぬ間に消されていたからであり、それ以降は、無抵抗に飽きた始末人が姿を現したからである。断末魔の声は断続的に響いていく。途中止まるのはそれ程の実力者がいるということであり、しかし留まることがないのは、単に今回の相手が悪すぎた。ただそれだけでしかない。
やがて、一際大きい絶叫がビルを貫き、沈黙に落ちていった。
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その部屋は冷酷無残な処刑場と化していた。
《金族》ビルの三階、オフィス兼居間の一室。そこに一人の罪人が転がされていた。
《金族》の六人が一人の部外者を見下ろす。
「おらおらっ、仲間の情報を洗いざらい吐け。もし、吐かないのなら……」
「ど、どうする、の、かなあ?」
ジャージに身を包んだ女罪人が、茶髪の処刑人にたどたどしく聞き返す。
ゴクリ、とジャージ娘、『幽色』と名乗った娘と観衆の喉が鳴る。
「吐かないのならぁ……」
「は、吐かな、いのならぁ……?」
ゴクリ。場の緊張が高まっていく。
観衆の一人、銀架がこちらの裾を引っ張り、
「びょ、屏風さんが本気です! あんな恐ろしい屏風さん見たことない……!」
「ああ、オレも奴のあんなマジの姿を見るのは初めてだ……!」
屏風が、今は無慈悲な獄卒が、一歩『幽色』に近づいていく。
「え、ま、まさか。やめて、そ、れは、それだけは、ダメだって……!」
『幽色』が彼の手の内を見て、拒否と恐怖の声を投げる。だが、良心を捨てた屏風の足が止まることはない。追い詰めるように、少しずつ寄っていく。
彼の手には二種類の物が持たれていた。その二つに彼女は怯えているのだ。
「俺も、そう。鬼じゃない。お前に選ばせてやる。二つに一つ。どっちがいい?」
両手に拷問道具を構え、屏風は問いかける。段々と可哀想に思えてきたのか、見かねた鼎が屏風の肩に右手を掛けて、
「も、もう、良いじゃないか。俺としても、こんな残酷な手に頼りたくは」
その手を、やんわりと払いのけ、屏風は毅然とした目付きで、
「悪いが、今は『金』の意見でも聞けねえ。これは誰かがしなきゃならねえことなんだ。それは、こん中じゃ俺が最適だ。だから、あんたは黙っててくれ」
「……だけどよ! そんな、そんな酷ぇことを……!」
諦めず突っ掛かろうとする鼎の肩を、後ろから虚呂が押さえる。
「雲水、『蒼鉛』が正解だ。今は非常事態なんだよ。方法を選んでられない」
鼎は情けない面で振り向き、消沈して車椅子を反転させた。
「俺の見てない内にやってくれ。俺には、耐えられねえ……!」
屏風は頷き、床に転がされた『幽色』に、無感情な視線を戻す。
「さあ、貴様の未来を選べ。正直に全て答えるか、どっちかの刑を受けるかを」
〈迷霧〉によって意識の混濁が続く『幽色』は、弱々しく答える。
「仲間を、売るの、は絶対に、ごめんだよー、っと」
「なるほど。その意気や、敵として天晴れ。そして残念でならない」
言い、両手の物を見せびらかすように、彼は腕を開いた。
銀架が、ひぃい、と悲鳴を搾り出し、鋭利はその凶器を、緊張で凝視する。
屏風の右手にあるのは、鋭く尖った刃先を持つ、刈りバサミ。
そして左手にあるのが、柔らかい穂先を持つ、羽箒。
縄で縛られている『幽色』。その足は靴が脱がされ、裸足だった。
えーと、と直前になって怖気づいたか、彼女の声が小さくなり、
「ち、ちなみに、右の鋏で、何するつもり……?」
無論、と鋏を開閉し、重々しく答える屏風。
「お前の、腰まで伸びた黒髪を、可愛いボブにする。前髪を眉の上で整えてやる。まあ、態度によってはセミロングで済ませてやるがな」
彼の言葉に『幽色』という少女は声を震わせ、叫んだ。
「……ぅっ! や、やっぱり、なんて、恐ろしいことを……!」
「ふふふ、女の命ともいえる髪を、こーんな冴えない男に弄られるという屈辱。お前に耐えられるかな?」
「そのぉ、左だと、やっぱり、足の裏を……?」
「そう。気が狂うほどに、足の裏をくすぐり続ける。いつ終わるかも分からぬこの苦痛。およそ常人に耐えられる苦しみではない。さあ、どうする『幽色』? お前は今、人生の岐路に立たされている。いずれにしても人間を止めかねない危険な選択だ。俺としても、理性ある選択をして欲しいな」
逡巡を見せていた『幽色』は一度強く目を瞑り、そっと開いて、
「えっと、どっちもヤだけど、選ぶなら、左、かな?」
覚悟の言葉に、執行人は息を吐き、馬鹿な選択をした少女を見下ろす。
「強情な奴だ。だが、嫌いじゃない。さあ頑張って腹に力を篭めな」
鋏を仕舞い、腰を落とすと、少女の素足を掴み、左手の羽を近づける。
「さあ。処刑開始だ」
次の瞬間、室内に笑いと苦悶の混じった絶叫が破裂した。
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