無限画布⑥
「父さん、終わりましたか?」
ずっと続いていた戦闘音がやっとのことで鳴り止んだので、錬一郎は角を曲がって、そのアーケード通り跡に入っていった。
爆破工作を繰り返し、一通り残党を片付けてきた『薬色』は、現場に桁違いのサイズの蜘蛛の巣が張ってあるのを見て、『渦色』が今回も本来の姿を出したことを知った。
そこまでの敵だったということでもあり、『渦色』という戦士が格下相手でも本気を出すことを厭わないぐらいに誠実な性格であるという証拠でもある。
敵に礼儀を重んじるという思想は素晴らしいものだと錬一郎も思うがそれでも、彼の元で育てられ、暮らしていた八年間、結局倣おうという気にはなれなかった。声を発しないから目立たないが、もしかしたら彼こそ奇人変人超人溢れる〈彩〉の中で一番まともで、唯一の常識人なのでは。
そんなことを『渦色』を探しながら思う。あちこちに残った焦げ跡や瓦礫、陥没痕がここであった戦闘の激しさを表すと同時に、『渦色』の強さを際立たせる。特に自分が戦場に出るようになってからそれをよく痛感するのだ。
甘さを見せるということが、いかに難しいことなのかということを。
そんな思考の最中、こっちに歩み寄ってくる禿頭の男を見つけた。『渦色』だ。
軽く手を挙げて駆け寄り、錬一郎は彼の背中に乗ってる人物に気付く。
「父さん。ご無事のようですね。背中の女性は誰です?」
「……………………」
「……ああ、〈氷冠〉の。『ここで殺すには勿体ない逸材だったから』って、またそんな下手な言い訳言って。甘いんですよ父さんは。いつか寝首を掻かれても知りませんよ? といっても、父さんのことを恨んでいる人がいるとは思えませんが」
「……………………」
「いや、『俺に復讐したい奴はいっぱいいる』って、自分で言ってどうすんですか……」
こちらの脱力の声に、『渦色』は堅い相好を崩して苦笑した。
錬一郎は十一の頃まで『渦色』に育てられていた。その頃のクセが抜け切らず、二人きりで話す時はつい、父さんと呼んでしまう。最近はもういいやと開き直っている。
三歳から八年間、声を失った彼と共に暮らしていたので、表情を見れば大体の言いたいことは読み取れる。端から見ればまるで魔法か痛い独り言のようだろう。この方法で『渦色』と会話できるのは〈彩〉では自分ともう一人。彼の研究所時代からの親友で、『苦色』の一人でもある『謡色』だけだ。彼は、前日刺客に討たれた幹部である。
「……『謡色』さん、蘇生がまだ上手く行ってないようですね。やはり破壊された頭部の修復が難しいとか。ほぼ原形を留めてなかったといいますからね」
隣の禿頭がやるせない顔を作る。いつも通りなのに、どこか泣きそうな。
しかし避けては通れぬ話なのだと、錬一郎は強気に報告を進める。
「『毒色』さんも〈ロアーズ〉の制圧が完了したようです。邪魔者も消して、これで外の土御門には伝わったでしょう。こちらの意志が」
「………………」
肯きの後に、『渦色』は少しの翳りを表した。どんな時であろうと能面を貫ける彼がこういう顔をするのはわざとだ。昼間のことを気にしているのだろうか。あまり彼個人としては乗り気ではないようだ、〈金族〉との抗争は。
「…………………」
「『こんなことしてる場合じゃない気がする』。僕も同じ気持ちですよ。まさかあの『謡色』さんがやられるなんて。〈金族〉だって生半可で挑める相手じゃない。でも、このままじゃ〈彩〉が潰される。新たな戦力を入手しなければ」
『渦色』が切なそうに曇天を見上げる。その顔の意味は見なくても分かる。
『いつか、争いが絶える日は来るのか』
これは筆談で聞いた言葉だが、『渦色』の装飾ない本音だろうことは、これまでの付き合いで理解できる。
必要ならばいくらでも非情になれる彼はしかし、必要以上の争いを好まない、とても鬼らしくない穏やかな性格の持ち主なのだ。
だが、彼の身に憑いた異能はそんな甘えなど許さず、鬼を戦場に駆り立てる。
様々な敵を想定して幅広いタイプの鬼形児を選出している『苦色』であるが、それでも『渦色』の実力はずば抜けてトップクラスだ。そもそも今回の三チームの制圧も『土蜘蛛』の彼一人で充分クリアできる作戦だった。しかも自分や『毒色』よりも迅速に、その上スマートに済ませられたことだろう。
だけど、確かな実力があるからこそ、切迫感が足りていない。
「二ヶ月前の〈主人公〉の解散によって、この街の戦力図は変わりました。その煽りを一番に受けたのは、彼らと表立って敵対していた僕たちです」
正義を騙っていた〈主人公〉と〈彩〉の対立は、この街では誰もが知っている関係であった。崩壊した〈主人公〉のヒーローたちが様々なチームに吸収されていった時、〈彩〉が一人も彼らを引き入れることができなかったのは当然の結果といえる。
「他チームの戦力の増強。そんな時に鬼械による浅部地区の侵攻と暗殺者の襲来。さらに今は『死色』とボスが化け物を抑えるために深淵部に出張している時期です。『最強』の看板を狙ってるチームが仕掛けてくるとしたらこのタイミングでしょう。結託されたら、鬼械が中層部にまで出回ってしまったら……、」
不安の混じり出した声に気合を入れるため、まず一呼吸を入れ、眼光に力を入れ直し、錬一郎は声を叩き出した。
「〈彩〉の栄華は崩れる。そうなったら、〈彩〉はお終いです」
「………………………」
横を歩くかつての父が、かつての息子を見下ろす。その目には沈みがある。その目の真意は掴めない。しかしこの人ならこういう時、どのようなことを言うのか大体想像できる。だから錬一郎は彼との会話を続けた。
「『栄誉にしがみ付いていても仕方ない』ですかね、父さんが言いたいのは。ええ、そうですね。別に『最強』じゃなくなったって〈彩〉は続いていくでしょう。希望が失われるわけでもないです。立て直すことも再びやり直すこともできるでしょう。
でも父さん。それは強者の驕りだよ」
『渦色』が震えたのが視界の隅に見えた気がした。錬一郎はそれを確かめない、初めから見えなかったかのように、顔を前に向けたまま続ける。
「崩壊が始まれば、まず崩れるのは、見捨てられるのは浅部の支部とそこの仲間たちだろうね。僕たちだって人だ、全てを守れるわけじゃない。せいぜい数個の地区と本部だけだよ。他の地区は見捨てることになる。そこの、何百人もの仲間と一緒にね」
ようやくこちらの意図を理解したのだろう『渦色』が、表情をふと変えた。
困惑から静謐なものに。錬一郎でさえ初めて見るものに。
「だけど、そんなの僕は嫌なんだ。これまで守ってきた町や仲間たちが、敵の手に奪われてしまうのは。『最強』という後ろ盾があれば皆を守れる。だから、」
だから、と言葉を切ったこちらの頭を、落ち着かせるようにポンと叩かれる。
『渦色』は苦笑顔でこちらを見つめ、頭から手を離す。前に向き直した横顔はいつもの、堅く鋭いもの。けど、いつもより柔らかいようにも見える。この顔は、昔にどこかで見たことがあるような……。
「……喜んでいるんですか? 父さん」
答えはなかった。彼はただ足を速めた。錬一郎を置いてさっさと先に進んでいく。慌てて追いかけ、隣に並ぼうとするが、『渦色』の類まれぬ身体能力がそれを許さない。彼は速度を疾走のそれに変え、あくまで子供の『薬色』を置き去りにする。
「ま、待ってください。父さーんっ!」
懸命に追うが、すぐに彼の背中を見失い、錬一郎は追いかけるのを断念した。
足を止めてから、さて、これをどう『毒色』に説明しましょうか、と考えながら、錬一郎は集合場所に急ぐことにした。
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