【四章】王からの願い
ユリウスはアイラの言うことをいぶかしがりながらもいつもの通路を使わずに裏側──これはユリウスが王になにかあった時のために作った逃亡用通路──を使って王の部屋へと向かった。
王は確かにユリウスが来るのを待っていたのだが、前からではなくて横から出てきたことに慌てふためいた。
「ユリウス、時間通りだがどうして今日はそちらからまいったのか?」
「申し訳ございません。本日は点検がてらこちらからお邪魔しました」
ユリウスのとっさの言い訳に未だ荷物のように抱えられているアイラは感心していた。
もちろんユリウスに実力があるのは知っているのだが、舌先でこうやって丸め込んで今の地位を手に入れたに違いない。本来ならば臣下であるユリウスは王城に毎日はせ参じて王のご機嫌うかがいをしなければならないはずなのに、のらりくらりと言い訳をして呼ばれた時だけでよいということにしたのだろう。
そう考えると色々と納得がいく。
そんなことをつらつらと考えているとユリウスは肩からアイラを降ろし、ぐっと王の目の前に身体を押し出された。アイラは首をひねってユリウスを見上げて睨み付けた。ユリウスは紫の瞳をきらりと輝かせて口角をあげた。
「師匠、なにをするのですかっ!」
「王はおまえに用事があるんだとよ」
アイラはユリウスの言葉に目をまん丸にした後、慌てて王へと顔を向けた。それからユリウスにたたき込まれた王への挨拶をするために右足のつま先を左足の少し前に出して床に付け、軽く膝を曲げてから上衣の裾をつまんで頭を下げた。
「はっ、初めまして──アイラ=エイドレイラードです」
アイラの挨拶に王は目を細めて笑みを浮かべた。
「今日は堅苦しい挨拶は抜きでよい。今日、おまえたちふたりを呼んだのにはわけがある」
「はい……」
ユリウスだけが呼ばれるならともかく、アイラまで呼ばれるような用件とはなんだろうか。まったく見当もつかず、アイラは渋い表情を浮かべることしかできなかった。
ちなみにすでにアイラは挨拶の姿勢を崩し、普通に立っているだけだ。
「ユリウス、話が長くなるからそこの椅子を持ってきてくれないか」
「……だとよ、アイラ」
「はい。それでは少し失礼します」
「うむ。わしはユリウスに言ったのだが、まあよい」
アイラは王が指さした椅子二脚に近寄ったのだが、ここで迷った。この椅子を持って行くのはよいとして、どこに置けばいいのだろうか。
「師匠、椅子はどちらへ運べばよいのでしょうか」
「あー。ここに」
「え……師匠? どこからそれ、出してきたんですかっ!」
「どこって棚から」
「それ、どう見てもお酒ですよね?」
「かたいこと言うな。王の許可は取ってある」
アイラは眉をしかめながら王へ視線を向けると、にこやかな笑みを返されただけだった。
アイラは言われるままに王の前に置かれた小さな机の横に椅子を二脚置き、しかしアイラが座る椅子はユリウスから遠ざけて置いた。
「どうして遠ざかるんだ」
「師匠がことあるごとに触ってくるから」
「いいじゃないか。俺の愛情表現を素直に受け入れろ」
「嫌です」
「ははは、おまえたちはいつもこんな調子なのか」
「え……あ、すみません……」
そういえば王がいたのをアイラはすっかり忘れていた。恐縮して小さくなるアイラに王はますます笑い声をあげた。
「ユリウスが久しぶりに長居をしてくれる気になったようだから、酒でもなんでも好きにしてくれればよい」
「……まさか王、俺を呼び出すためにアイラを招集したのか?」
「まあ、それもあるのだが、アイラにも用があるのだ」
「わたしに……ですか?」
「そうだ。ひとつ相談があって来てもらったのだが」
「相談……ですか?」
王から直接で相談なんてなんだろうか。
アイラはなにを言われるのか分からず、どきどきした。
「相談というか、お願いに近いかもしれないな」
「わたしにできることでしたら」
「これはアイラ、きみにしかできないことだと思う」
「…………」
王自らアイラにしかできないなんて言われると、アイラはどうすればよいのか戸惑ってしまう。
ユリウスはすでに一人で手酌して酒を飲み始めてしまっているが、話は聞いている。
「アイラ、わしからお願いするのは間違っているのかもしれないが、ユリウスの側にずっといてやってくれないか」
「え……?」
なにを言われるのかまったく分からなかったが、王からの願いはあまりにも唐突でしかも筋違いとも取れる内容だった。
「あの……?」
「ああ、順を追って説明しよう。このユリウス=ヤルヴィレフトという男とわしとはまったく血縁関係にはないと先に言っておこう。だが、わしはユリウスに何度も命を助けられたのだ」
「……師匠が人助けなんてまったく想像できないのですけど」
「ははは。そう言ってやるな。本人は否定するが、この男はなかなか優しいぞ」
「あれは別に助けようと思って助けたわけじゃないと何度も言っているだろう」
「ユリウス、おまえがそう思っていても、わしは助けられたと思っているから間違ってない」
「……そういうことにしておいてもいいですけど」
そういってユリウスはしかめっ面をして杯に注いだ酒をちびりとなめた。
「とまあ、こんな感じでな。それで何度も助けられたので礼をしようとしたら要らないと言うのだよ、この男は」
「だから助けてないのに礼をもらっても困ると何度も言っているだろう」
「しかもこの男、相当の腕を持ちながらもどこにも所属してないと申すではないか。わしはな、ユリウス。おまえみたいな男を捜していたのだよ」
「……そりゃどーも」
「王宮内は様々な思惑と陰謀が渦巻いている。重臣たちは信用しているが、いついかなる時に足下をすくわれるとも限らない」
「というからすくってやったんだよ」
「師匠、あなたはなにをしてるんですか」
「ああ、あの時は楽しかったなあ。しゃがんだから了承してくれたのかと思ったら、いきなり片足が上がったからさすがに焦った」
「王を怒らせて処刑されてやろうと思ったのに、爆笑されただけだったから……あまりの器の大きさに敵わないな、と」
「なんだ、処刑されるのを望んでいたのか?」
「……そうだよ」
「どうした。失恋でもしてヤケになっていたのか?」
「そういうのではないけど、まあ……近い」
「かわいいよのぉ。はっはっは」
「師匠が……失恋……? やっぱりお相手は男性だったんですか?」
「おまえ……。俺はそういう趣味はないぞ!」
「ほう、ユリウス。今まで妻を娶ってないのはそういうことだったのか」
「ちょっと待ってくださいって! 誤解だ! 俺は普通に女性が好きですって!」
「まあ、男が好きでも女が好きでもどちらでもよいのだよ、今は」
「いやそこ、とても重要ですよ」
王はユリウスの言葉を無視してアイラに向き直った。
「それでだ、アイラ。この男がどこかに行ってしまわないように監視をしていてほしいのだ」
「それ、本人がいる目の前でお願いするようなことなのか?」
「それで時々でいいからユリウスとともにここに来てほしい」
「え……と? 師匠がわたしを放り出さない限りは師匠の元に居着こうと思っていますのでそれはいいのですが」
「をいっ」
「こちらにわたしまでお邪魔してよろしいのでしょうか」
「ああ、むしろ頭を下げてでも来て欲しいと願っている」
「……頭を下げなければいけないのはこちらだと思うのですが、ご迷惑でないのなら師匠の首に縄を巻いてでもお呼びくださればいつでも来ます」
「そうか。それはありがたい」
とそこでアイラは思い出した。
このやりとりが二度目であるということを。