【二十章】確認すること
胃の中がかき回されているような今まで感じたことのない不快感。さらには目を閉じているのにめまいまでする。
それが永遠に続くような、一瞬のような時間の感覚が分からなくて息が止まりそうになった後。
どさりとどこかに身体が投げ出され、ユリウスの上に重みが加わった。
「うぐっ」
「ててて……」
気持ち悪さとめまいに支配されているために目を開けられないが、ユリウスの上にアイラが乗っかっているらしいということは分かった。
ぎゅうっと腕に力を込めるとしがみついてきた。
不快な感覚が落ち着くまでユリウスはアイラを抱きしめていたのだが、落ち着いてくると今度は落ち着かない気持ちになってきた。
めまいが完全に治まったのを確認して、ユリウスはゆっくりと目を開けた。
「…………」
ユリウスの身体の上に乗ったまま、アイラは幸せそうに眠っていた。
時止めの魔術を少し使っただけで激しく消耗するのだから、時を戻すなんて世界の理に逆らうような力を使えば想像もつかないほど疲れるだろう。しかしだからといって安全も確認しないで寝てしまうとは。
アイラの頬をぷにっと押してみたが、まったく反応がない。それだけ消耗しているのだろうとユリウスは認識することにした。
それはともかく、ユリウスは周りを見渡して、自室に戻ってきたことを知った。そして散らかった様子を見て、今日の朝まで戻っていることをなんとなく知った。ほっと身体から力が抜けていく。
「それにしても、困ったお姫さまだ」
ユリウスのことを信頼しているかのように無防備に寝顔をさらしているのを見て、思わずため息が出た。
「これ、俺じゃなかったら襲われてるぞ」
そう独りごちて、少し身体をずらしてアイラを布団の上に降ろした。そして身体を離そうとしたが、アイラはそのことに気がついたのかユリウスの服をきつく握りしめた。
ユリウスはあきらめ、アイラを抱き寄せた。
この様子では、起きそうにない。
今度はどんな変化が起こっているのか分からないけれど、時が戻った後は何事も起こらないからどの選択肢を選んでも大丈夫だろう。
「……王の呼び出し、断るか」
ユリウスは魔術で王へ伝言することにした。アイラが体調を崩したのでいけなくなったという内容を込めた鳥を作り出し、王の元へと放った。
「俺も疲れたから寝る」
下敷きになっている掛け布団をどうにか引っ張り出し、ユリウスは自分とアイラにかけた。
「おやすみ」
ユリウスもいつになく魔術をよく使ったため、疲れていたのだ。
だから目を閉じるとあっという間に眠りに就いた。
+◇+◇+◇+
目が覚めたら見知った人の寝顔。……というのはあまりない状況だ。だけどアイラの目の前にはユリウスがいて、焦った。
「うひゃあ」
アイラの声にユリウスは目を覚ましたようだ。身じろぎすると目を開け、アイラが起きていることを知ると、それはもう幸せそうに甘く笑いかけてきてぎゅうっと身体を抱きしめてきた。
アイラはそれだけでなんというか、胸焼けを起こしそうだった。
「おはよう」
寝起きだからか少し掠れていたけれど、いつになく甘ったるい声にアイラはめまいを覚えた。
しかもさらにユリウスは予想外の甘ったるい囁きをした。
「アイラ、結婚しよっか」
「……はあ? なんですか、唐突に」
なんだそれは。
寝起きに言うような言葉か?
「師匠、起きてますか?」
「ばっちり」
「なんか変な夢でも見ましたか?」
「んー。見たといえば見たかなあ」
「きっとそのせいですね」
「まあ、夢のせいってのもあるけれど、アイラは俺に着いてきてくれるっていうし、だったらきちんとけじめ付けた方がいいかなと思ったんだが……。駄目?」
「駄目とかなんとかという問題以前に解決しないといけない問題がありませんか」
「たとえば?」
「わたしたちは果たして時を戻ってきたのか」
「それなら戻ってきている」
「今回、師匠も一緒に戻ってきてますよね?」
「戻ってきてる」
「どうして戻っていると分かるのですか」
「それなんだが、俺、今日の朝、寝るときに着ていたそれを机の上にたたんで出てきたんだ」
「いつも投げっぱなしの師匠が珍しい」
「なにかいつもと違うことをしておけば時が戻ったときにわかりやすいかと思ってやったんだ」
「なるほど」
「それで、戻ってきてすぐに机を見たら、たたまれていた」
「……それにわたしたち、馬車の上で襲われました」
「そう。ここに戻ってきているということは、時が戻ったと考えて問題ない」
「……なにか変化はあるのでしょうか」
「帰ってきてからすぐに寝てしまったから、分からない」
「確認はしてない?」
「アイラが俺にしがみついていたから動けなかった」
「う……っ」
「それでだ。今回のことで分かったことがある」
「はい」
「アイラ、好きだ。結婚してください」
「え……」
「師弟関係、解消しよう」
「……そもそもがわたしたちは師弟関係だったのでしょうか」
「少なくともアイラが俺のことを師匠と呼んでるからそうだと思っていたけど?」
「師匠からなにかを教えてもらいましたか、わたし」
「教えた覚えはない」
「教えられた覚えもありませんね」
「……なんだ、最初から師弟関係ではなかったのか!」
「そうですねぇ。でも、だからって父でもありませんし」
「それは勘弁してほしい」
「では、わたしは単に同居人?」
「俺は保護者か? ……保護者から伴侶に格上げしてもらえませんか」
「それは格上げなのでしょうか?」
「少なくともアイラは俺と同等の立場になるよな?」
「……ちょっとお時間をいただけますか。いろいろと考えたいことがあるので」
「一刀両断でばっさりではないんだ?」
「してほしいのですか?」
「いや。理由を付けて嫌だと拒否されるかと思っていたから、想定外な返答で困ってる」
「わたしだって思うところがそれなりにありますし、それにすごく困惑してます」
「俺はアイラが好きだよ?」
「────っ! そーいう甘ったるい言葉を簡単に言うからっ!」
「俺の中のアイラへの愛があふれ出してほとばしる思いが言葉になっているだけだ」
「…………」
「時の女神の伝説とは違って、俺は押しまくる!」
「師匠がよく分かりません」
「情熱に生きる!」
「……一番遠い位置にいる人だと思いますけど」
「アイラへの情熱だけは違う!」
「暑っ苦しい」
「アイラが『はい』と言うまでつきまとう!」
「…………」
アイラは思った。
時を戻したときにこの人は絶対にどこかで頭をぶつけたに違いない、と。
そうでなければいきなり結婚しようなんて言うわけがない。
時が戻ってからこちら、ユリウスの言動が前と変わっているのはやはりアイラがユリウスに対して好意を抱いていることをはっきり自覚したからなのだろうか。
それとも、これはアイラの願望なのだろうか。
ユリウスが死んでからアイラが死ぬまでの間、独りで淋しかった。
淋しさを忘れたくてアイラはユリウスの跡を継いで宮廷魔術師になり、この家を処分して住まいを王宮に移した。それは王が望んだからだ。
王宮には常に人がいた。気配を探れば人の気配がした。それでも一番感じたい気配はやはりまったくなくて──。
周りに人がたくさんいればいるほど、アイラは孤独を強く感じた。
とはいえ、宮廷魔術師という仕事はアイラにとってはとても楽しかった。言ってしまえば『雑用』ではあったけれど、めまぐるしく変わる仕事内容は飽きなかった。
──だからこそ余計に淋しさを覚えたのかもしれない。この楽しさをユリウスと共有できれば、と。何度思っただろう。
時が戻り、やり直しができるということは、後悔しないように人生を送れということ──なのだろうか。
となると答えは自ずと決まってくるのだが、どうにも引っかかるものがある。
「師匠」
「……なんだ」
「確認したいことがひとつ……いえ、ふたつ、あります」
「ふたつ?」
「はい。ひとつは前回、第二王子に襲われて時が戻ったときは第二王子は最初からいない人になってました」
「ふむ」
「今まで時が戻ったとき、わたしを殺してきた人たちは元から存在しない人になってました」
「……俺は全部は認識していないが、まあ、そうなのだろう」
「でも今回、わたしは死ぬことなく時を戻しました」
「まあ、時を戻さなくてはならない原因を作ったのは第一王子だが」
「とりあえず、危害は加えられてません」
「だが、なにがしかの変化はあるはずだと」
「そう考えるのが今までの流れを考えると自然かと思うのです」
「ふーむ。それならば、明日辺りにでも王のところに行くか?」
「王のご予定が空いていれば」
「空いてる、空いてる。暇してるよ」
「しかし、王ですよ?」
「さっき、王から返事が返ってきたんだ」
「え……? あっ! そういえば今日!」
「心配するな、行けないというのは連絡した。それに対して、明日、来てほしいってさ」
「……今度は死ぬような目に遭わないですかね」
「分からんが、今までのことを思えば大丈夫だろう」
「そう信じてます」
「それで、もうひとつは?」
「はい、もうひとつなのですが。もう一度、教会に行きたいのです」
「ふむ?」
「気になることがあるのです」
「明日、王に会った後に行くか?」
「時間は大丈夫でしょうか」
「遅くなるようなら、泊まればいい。まつりが終わったあとだから、宿は空いてるだろ。宿が無理なら、また教会の屋根裏を借りればいい」
「分かりました」
「それで、俺の求婚に対する答えは?」
「ふたつの疑問に答えが出てからにしてください」
「場合によっては振られる可能性があると?」
「振られないという自信はどこからくるのですか」
「絶対にアイラは『はい』と答える!」
「……未来視ですか」
「いや。勘だ」
「願望の間違いでは?」
「…………」
「さて、と。ご飯、作ってきます」
「え、あ、ちょっと待て!」
「はい、なんでしょう」
「おまえ、あんだけの魔術を使った後だぞ? 立てるのか?」
「問題ない……ことなかったです。なんですか、これ。身体に力が入らないどころの騒ぎではないのですが」
「俺がなにか作ってくる。朝食のパンの残り、あるよな?」
「あったはずです」
「じゃあ、パン粥作ってくる」
「はい、すみません」
「いいってことよ。待ってろ」
そうして温もりが離れていく。
淋しいから行かないでと言いたいけれど、アイラは我慢した。
ユリウスが部屋を出ていったのを見て、アイラは深く息を吐いた。
まだ確認をしていないけれど、第一王子はいるような気がする。そうしないとこの国がなくなってしまう。
王に子どもがいないのなら、親戚などからという手もあるが、そうなっている気配はない。それに第一王子はアイラを殺していない。
アイラに危害を加えた者だけ元からいなかったことになっている。ので、今回は存在しているだろう。
今回は初めての状況なのでどうなっているのか予想もつかない。
明日、真相が分かるだろう。今、ぐだぐだ考えても変わってしまったことがまた変わるわけないのだ。
そう思って目を閉じると、アイラは自分が思っているより疲れていたようで、あっという間に眠ってしまった。
しばらくして様子を見に来たユリウスが苦笑して布団をかけ直すのはもう少し後。
アイラはそのことも知らず、すやすやと眠りに就いた。




