【十六章】淋しさを埋めてくれる人
台本に目を通したユリウスは思わずため息を吐いた。
この台本の元になったのは時の女神伝説で、クロヴァーラ国内ではそれなりに知られているものだ。
村の青年の元に、美しい女性が天から舞い降りてくる。そして二人は一瞬にして恋に落ちたというところから話が始まるのだが。
ユリウスが最初に知ったときに抱いた感想は、
──ありえねぇ。
だった。
村の青年が美しい女性を見て一目で恋に落ちるは理解はできないが分かる。しかし、天から舞い降りてきた女性は時の女神さまなのだ。村の青年を見て一目惚れなんてするのか?
それにまだ突っ込みどころはある。
お互いに想い合っているが想いを伝えられないってなんだ。どうして好きなのに好きだと伝えられない?
「俺なんて玉砕しまくってるぞ」
思わず台本に向かって悪態をついてしまったユリウス。
しかも時の女神はともかく、青年はこの女性の正体を知らないはずだ。
いや、そこはやはり疑問に思えよとも思う。
だって天から舞い降りてきたんだろう? 普通の人間ならあり得ない。いや、魔術を使えば……いやいやそれでもやはりおかしいだろう。
駄目だ、突っ込みどころしかなくて科白が覚えられない。
「結ばれたってよーするにヤっちまったってことだよな」
アイラが聞いていたら怒り狂いそうなことをユリウスは呟いた。
さらにユリウスは突っ込む。
天にバレて連れ戻されるって、幸せの絶頂からどん底にたたき落とす必要はどこにあるというのだ。しかもなんで青年は目印として教会を建てる必要がある? しかもその資金はどこから出てきた。
「……あほらし」
真面目に突っ込んではいけなかったのかもしれない、この手の伝説には。
悲劇の青年が時の女神を想って建てたと言いたいのだろうか。
「にしても、この伝説が本当ならば誰が時止めの魔術をかけたんだか」
まさか時の女神がかけたのか? そうなると意味が分からない。
「……はあ。それにしても科白が多すぎる。暗記は苦手なのに」
どうにか覚えられたとしても、演技なんてしたことはないし、感情移入なんてとてもではないができないから棒読みになること間違いなし。
「悲劇は昔から好まれる、と。人の不幸は蜜の味、飯ウマって性格悪すぎだろ」
あまりにも覚えられなくて思わず現実逃避をしてしまったが、そういうわけにもいかないだろう。
「真面目にやるか」
なによりもアイラのためだ。がんばれば少しは見直してくれるかもしれない。
しかし、時の女神役は人気で、候補者が演技をして人気投票で決めると言っていたが、この青年役はどうやって決めるのだろうか、とふと疑問が浮かんだがユリウスは頭を振って雑念を追い出した。
ユリウスは当たり前だが知らなかった。時の女神の相手役を決めるのは選ばれた時の女神が決めるということを。そしてその意味するところはというと、逆告白。
そして青年役の科白が妙に多いのは時の女神役の女性にいいところを見せるため、だったりする。
そんな村では知っていて当たり前のことも部外者であるユリウスが知るはずもなく。
必死になってユリウスは科白を覚えるのであった。
+◇+◇+◇+
夕方になり、本番前に一度、通し稽古が行われることになった。
ユリウスはだいぶ覚えたものの、自信がない部分がかなりある。通し稽古の時はまだ台本を持っていてもいいということだったので片手に持って練習場所である教会内へと赴いた。
舞台に見立てられた広い空間を見てユリウスの身体に知らないうちに力が入った。
「ユリウス殿、こちらだ」
ヘルガの声にユリウスはぎくしゃくと近寄った。
「あれ? アイラは?」
「あの……ここです」
ヘルガの後ろから声が聞こえ、ちらりと顔をのぞかせたアイラを見てユリウスはぎくりと身体を強ばらせた。
そこには、村で見た白い髪の女性がいた。
いや、よく見ると髪色が違っていた。
「……おかしいですか」
「え、いや……」
普段のアイラは髪を結い上げ、お団子にしている。髪をほどくと癖があるから波打っている。しかし今のアイラはあの女性と同じように真っ直ぐになっていた。
「壁画に描かれた時の女神の髪の毛はまっすぐに長いそうです。だからこんなにされました」
「そっか」
あまりの出来事に動揺して大した返しができなかった。
「それでは、始めるか」
「はい」
その一言にユリウスは動揺している場合ではないと気がつき、背筋を伸ばした。
結果。
アイラは何度か見たことがある劇だったし、時の女神をやりたいと言っただけあり科白も問題なく暗記していたし、しかもよどみなくすらすらと言えていた。
一方のユリウスは初めての割にはマシ、という程度。しかもアイラにずいぶんと助けられた場面が多かった。
「まあ、上出来だろう」
「時間ぎりぎりまで練習を粘る」
「アイラに触発されたか?」
「好きな女にあんまり格好悪いところは見せられないからな」
ユリウスはそういって控え室に戻っていった。
一方のアイラはというと、素っ気なさすぎるユリウスに落ち込んでいた。
せっかく綺麗にしてもらったのに、褒めてくれなかった。なんだか悔しい。
ユリウスの反応の薄さにアイラよりも周りのおばちゃんたちが黙っていなかった。激しく殺気立っているのを見て、おばちゃんを敵に回すと怖いとアイラが思った瞬間だ。
「せっかく綺麗にしたのに一言もなし?」
「……いえ、たぶんあれでも緊張していたのかと思います」
「それにしても一言もなしは最低と思うわよ。アイラ、他の人にしなさい!」
「ぇ……」
「今からでも遅くないわよ」
「あの……。別にわたしは師匠のことをその」
「好きではないの? それならなんで青年役に指名したの?」
「……ぁーぅー」
なんと言えば納得してもらえるだろうかとアイラは考えるのだが、一言で説明できる適切な言葉をアイラは持っていなかった。
アイラはユリウスのことが好き……なのだろう。ユリウスがアイラを庇って死んだ後、一人で生きていくのがとても辛かった。そう、この教会で暮らしていた日々と同じようなもので……。
そこまで考えて、アイラは気がついた。
アイラを引き取った人がユリウスでなかったらどう思っていたのだろうか、と。
たまたまユリウスがアイラを引き取ったから、そしてアイラの淋しいという気持ちを埋めてくれたから好きだと思っているだけ? ユリウスである必然性は?
時の女神の物語も時の女神が最初に会ったのが村の青年ではなかった場合、どうなっていた?
──そこまで考えて、それが無駄な考えであることに気がついた。
今、アイラがずっと一緒にいて欲しいと思っている相手はほかの誰でもなくユリウスだというのが重要なのだ。嫌いではないからこそ一緒にいたいと思っているのだろう。
「あの……。ずっと一緒にいて欲しいと思ったから」
アイラの声は小さかったが、おばちゃんたちの耳にはしっかりと聞こえていた。
「なるほど、なるほど。それは確かに重要な気持ちだわ」
「アイラ、きっとその気持ちが好きなんだよ」
「……好き?」
「嫌いな相手と一緒にいたいと思わないでしょう? それなら、それは好きってことよ」
「一人は淋しいから、たまたまそばにいた師匠にいて欲しいと思っているだけではないのでしょうか」
「それでもいいんだよ」
「そうそう」
「好きっていうのが恥ずかしいのなら、好意を抱いてるでもいいと思うよ」
「いや、それって好きを言い換えているだけなんじゃないの?」
「良いと思っているが適切?」
「まあ、少なくとも負の感情ではないということでいいんじゃないの?」
おばちゃんたちはわいわいと言い始めてしまった。
アイラはそれを聞きながら考える。
少なくともアイラはユリウスに対して悪い感情は抱いていない。今はそれでいいのかもしれない。
「さぁて! 劇本番の前に食事をすませましょう!」
ヘルガの声にわぁっと歓声が上がった。
アイラはおばちゃんたちに連れられて、別室に移動した。すでに何人か来ていて、食事をしていた。
「さあ、好きな食べ物を皿にとって食べてちょうだい」
ヘルガの説明を聞いた人たちは部屋に入って皿を手に取ると料理を取り始めていた。アイラもそれに倣った。
わいわいとにぎやかに食べていたけれど、やはり心の片隅で淋しいと思ってしまっていた。
「あ……」
そうか。今、ここにはたくさんの人がいるけれど、ユリウスだけがいないのだ。
「あのっ」
アイラは食事もそこそこに立ち上がった。
「どうしたの?」
「師匠はどこにいるのでしょうか」
「あー、食事に誘ったけど、覚え切れてないから要らないと言われたのよ」
「それならわたし、師匠に食べ物を届けてきます!」
「あら、そう? 助かるわ」
アイラは摘まんで食べやすそうなものを選び、自分の食べかけのお皿とともに手に持った。
「行ってきます!」
「気をつけてねー」
そんな声を背中に聞きながら、アイラは部屋から出た。
ユリウスのいる部屋は聞いていたのでそちらへと向かった。たどり着き、扉を叩くとかなり間が空いてから返事があった。
「アイラです。軽く食べられるものを持ってきました」
先ほど、あまりにも素っ気なかったし、科白を覚えようとしているところみたいだったから開けてもらえないかもと今になって気がついておろおろしてしまったが、あっさりと扉が開いた。
「おっ、美味そうじゃん。腹減ってたんだ。……て、それって俺のとアイラのか?」
「はい。ご迷惑でなければ一緒にと思いまして」
「ああ、ちょうど煮詰まってきたところだったし、相手がいた方が覚えやすいからちょうどよかった。入って」
「……それではおじゃまします」
おずおずと入室してくるアイラにユリウスはにやりと口角をあげた。
アイラが卓にお皿を置いたのを確認してからユリウスは口を開いた。
「髪型、変えたんだ」
「え……と。はい、時の女神役だからと引っ張ってのばされました。すごく痛かったです」
「あのふわふわのままがよかったのに」
「師匠はまっすぐな髪は嫌ですか?」
「嫌ってわけではないけど、いつものがアイラらしいなと思って」
「……時の女神役が終わるまで、このままでいるのを許してください」
「許すもなにも、いや、別に俺はどっちでもいいんだけどさ。髪型変わってもアイラはアイラだし」
「え……」
「や、まあ、その。……なんだ、つまり、うん。その髪型も、似合ってる」
「────っ!」
ユリウスに褒めてもらい、アイラは顔が真っ赤になったのが分かった。
「その、なんだ。いつもと違うとどうすればいいのか分からないな」
もしかして、さっき素っ気なかったのは戸惑っていたせいだろうか。
アイラとユリウスの間に何とも言えない空気が漂った。
ユリウスはそのぎこちないむず痒いような空気が嫌で、それを壊すように口を開いた。
「……せっかく持ってきてくれたから、食べようか」
「あ──はいっ」
お互い、なんとなくいたたまれなくて、ぎくしゃくとしながら椅子に座った。
「飲み物はそこに用意してくれている」
「これですか?」
「ああ。喉にいいらしい」
「これから劇ですものね。うれしい心遣いですね」
「おう」
いつものようにユリウスが感謝の祈りをした後に二人は食べ始めた。
教会から引き取られて十年。アイラはずっとユリウスとともに成長してきた。
これまでがそうだったように、きっとこれからもアイラのそばにはユリウスがいる。
悲しい結末をアイラは知っているけれど、やり直す機会が与えられた。
今度こそユリウスとともに歩んでいけるようにしなければならない。
だから今日のこの劇は是非とも成功させなければならない。
この部屋には二人きりだけど、さきほど感じたような淋しさはまったくなかった。
この人は淋しさを埋めてくれる人。
今のアイラにはそれで充分なのではないかと思えた。




