【十一章】消える
痛みが治まったアイラはユリウスに抱きしめられていることに気がつき、慌てまくった。
「うわぁぁあっ! 師匠、なんで抱きついてるのですか!」
「アイラが痛いって言うから……」
「いっ、痛くなんてありませんからっ! 離してください!」
「なんで?」
「朝食の準備をして、迎えが来るまでに着替えを」
「今日は気が乗らないから行くのをやめようぜ」
「……それ、死にませんか?」
「うぅむ。アイラの記憶ではどうなっている?」
「わたしが覚えている限りでは王から呼ばれたのは一度だけなのですよ」
「……一度だけ? それはいつ?」
「それがですね、記憶が曖昧ではっきりしないのです」
「曖昧なのはどうしてだ?」
「師匠、それでは逆に質問しますけれど、一昨日の夕飯はなんだったか覚えていますか」
「覚えているわけがないだろう」
「それと同じですよ」
「だけど、王から呼ばれたなんて普段ないことだろう」
「ええ。ごもっともです」
「それで覚えてない?」
「覚えてないというか、曖昧というか、ぼんやりしていると言えばいいのでしょうか」
「ぼんやりとはどういうことだ」
「思い出そうとしても霧がかかっているみたいだと説明したら分かります?」
「要するに二日酔いの次の日に飲んでいるときの記憶がよく分からないのと同じようなものか」
「二日酔いになったことがないですから分かりませんけど、たぶんそれに近いのだと思います」
アイラの返事にユリウスは人差し指で眉間を軽く叩いた。
これは考えているときの癖だなとアイラはユリウスの動作を見守っていた。
しかし、いつまで経ってもユリウスは動こうとしないのでアイラは両腕で胸を押して身体を離そうとした。
「ちょっと待て、動くな。もう少しで思いつきそうなんだ」
「思いつくってロクでもないことでしょう?」
「うむむむ……。もう少しでひらめきそうだったのに……」
「とにかく、作ってきます!」
「……分かった。準備ができたら呼びに来てくれ」
「はい」
アイラは寝具から抜け出し、隣の自分の部屋へ戻って着替えると、台所へと向かった。
少し前から気がついていたけれど、アイラはすべて覚えていると思っていたが違ったようだった。時間が戻る前、直近の出来事は嫌というほど覚えているけれど、今、自分が立っている時間軸から未来になればなるほど記憶が曖昧だ。
しかも今、アイラがいる時間は前とは違ってきているから、この先はどうなるのかさっぱり予想がつかない。
しかも半年後に死ぬはずだったユリウスが昨日死んだ。
ということは、極端な話になるが未来がまったく別物になっている可能性が高い。
それでは、本来起こるはずだった未来はどこに消えたのだろうか。
アイラの前に二つの選択肢があり、選ばれなかった選択肢を選んだ場合はどうなるのか。
──そこまで考えて、アイラは考えるのを止めた。
とてもではないがご飯を作りながら考えられるようなことではなかったからだ。
それに寝起きでお腹が空いていたのもあるから食べた後に考えることにした。
朝食の準備ができて後は食べるだけという段階でユリウスは部屋から出て台所へやってきた。
今日は温めたパンと残りの野菜の煮込みと果物だ。今日は汁物がないので代わりに温かいお茶を用意した。
ユリウスはまだ考え事をしているようだったが椅子に座り、アイラが向かいに腰掛けたのを確認すると食事の前の祈りを口にして食べ始めた。
いつもはくだらないことを言いながらの朝食だがユリウスが無言なのでアイラも食べながら考えることにした。
しかし食べながら考えるなんて器用なことができないアイラは、食べることに集中してしまった。
食べ終わってほどよく冷めたお茶を口にしてからアイラは気がついた。
──食べることに夢中になってしまった。
なんとなく負けたような気分になりながらアイラは食事が終わっても席を立たないユリウスの前の空になった食器を下げて洗った。
そういえば王に呼ばれていたような気がするのだが、何時なのだろうか。
「あの、師匠」
「……ユリウス」
「師匠、本当に今日は王のところに行かないのですか」
「昨日は名前で呼んでくれたのに。……まあ、いい。王のところに行くのはどうしようか悩んでいる。そこで今、考えているのは三つだ」
「三つ?」
「一つ目は二人で行く、二つ目は俺だけ行く、三つ目は二人とも行かない」
「えと。わたしだけが行くというのは?」
「ありえないね」
「どうしてですか?」
「一人で行けるか?」
「行けるかと思いますけど」
「うーむ。一人で行かせるのは気が進まないのだよ」
「だからどうしてですか」
「例えばだが、第一王子に襲われたらどうする?」
「……どうしてそこで第一王子が出てくるのですか」
「第一王子であるルーカスはおまえも知っていると思うが女癖が悪い」
「第三王妃までいる上に側室も百人近くいると聞きました」
「そうなんだよ。……あれのせいでこの国の財政が傾いているという話だ」
「……そうですよね、あの人たちを養わなければいけませんものね」
「しかもだ、子どもも何人もいて継承権争いがすごいことになっている」
「……もいだらどうですか?」
「は?」
「それだけ子どもがいるのならもう要らないでしょう」
「お、おう」
「師匠は男性にしか使わないから問題ないですね」
「アイラちゃん?」
「病気には気をつけてくださいね」
「…………」
「中身はともかく、わたしは自他ともに認める美少女ですから確かに危険ですね」
「自分の評価がよくわかっていると褒めておこうか」
「……言わないでください。恥ずかしいのですから」
「ということで危険なのは分かっただろう?」
「……分かりました。一人ではぜっっっっっったいに城には近づきません」
「そうしておいた方がよい」
「それで、師匠がなにを悩んでいるのかはなんとなく分かりました」
「なにか当ててみろ」
「どれが正解かわからない」
「……当たりだ」
「行きませんけど、とりあえず今のところわたし一人で城に行くという選択肢を入れて四つですけど、どれが正解か分からない。もしかしたら全部はずれかもしれない。それに最悪なのはこれ以外にもあるかもしれない、と?」
「そうだ」
「とりあえず、わたし一人が行く以外の選択肢を全部試してみたらどうですか」
「おまえな、分かって言ってるのか?」
「わかってますよ。間違った選択をしたらわたしが死ぬだけですよね」
「分かってないじゃねーか」
「え? 間違ってますか?」
「間違っている。どうしておまえを犠牲にしなければならない」
「そんなに構えなくていいですよ、師匠。ちょっと痛いだけです」
「あのな。あんなに身体を震わせて痛いと唸っているのを見ておいて簡単に死んでこいなんて言えるわけないだろう!」
「でも、こうしていたって間違いだったら死にますよ」
アイラの言葉にユリウスは黙り込んだ。
「あのですね、師匠。これがわたしの持って生まれた力かどうかは分かりませんけど、産まれたときからの付き合いなんですよ。年季が入ってます」
「…………」
「なにもしないという選択もありますけど、それが必ずしも死なない選択とは限りません」
「……そうだな。『生きている限りは大なり小なり選択している』とだれかが言っていた。選択しないのも選択、か」
「とりあえずですね、王はお待ちかねだと思われますので行きましょう」
「アイラといちゃいちゃしていたい」
「遠慮します」
「冷たいな」
「師匠が暑っ苦しいですからちょうどいいと思います」
「なるほど。俺たちはお互いを補っていると」
「前向きですね」
「まあな。さて、着替えてくる」
「はい。わたしも部屋に行きます」
アイラはユリウスの後ろについて部屋に戻り、服が決まってなかったのを思い出した。
引き戸を開けて服をにらみつけたけど決まらず、目をつむって手を伸ばして掴んだ服にすることにした。
「えいっ!」
アイラが掴んだのは、ピンク色のワンピースだった。
ずいぶんとかわいらしいのを選んでしまったなと思いながら着替えた。
+◇+◇+◇+
前回の件があったので二人は慎重に城へと向かった。城へ入るのは前回とは違う場所からだったが、王の部屋にはやはり隠し通路からにした。隠し通路を選んだのは、さすがに王とユリウス以外は知らないはずだからだ。
慎重にしたからか、今回はあっさりと王の元へたどり着けた。
「やはりそこから来たか」
「こんにちは、こちらから失礼します」
「今日も点検か?」
「……前回、通ったときに少し気になるところがあったから確認のためだ」
「なるほど」
ユリウスは通路の途中で立ち止まってなにかを確認していたので今回は嘘ではないかもしれない。
「おや。アイラ、今日はまたかわいらしいな」
「ありがとうございます」
「うんうん。やはり女の子はいいものだなあ」
アイラは前回同様に椅子を運んで王のそばに座った。
ユリウスは今日は飲むことなくむすっとした表情でアイラが用意した椅子に座っていた。
「息子が一人だけだと淋しい」
「え……」
アイラは思わずユリウスの顔を見た。ユリウスも同じことを思ったようで腰を浮かしかけたがあわてて座り直した。
「第一王子は確か──」
「ルーカスか」
二人の記憶と合っている。
「わしにルーカス一人しか子がいなかった反動からか、三人の王妃に側室は九十六人もおる。もう一人で合わせて百人だと喜んでおった」
その話を聞いたアイラとユリウスは嫌な予感がした。
これはなにかよくわからない旗が立った、と。
アイラとユリウスはしばし王と話をして辞した。
帰りの馬車の中、二人は無言だった。




