節分の鬼
本日2月3日、節分ということで、
ニュースで2つ、子どもたちの豆まきの様子が紹介されているのを見ました。
1つは、お寺の行事で、地区の幼稚園の子どもたちが招かれた本堂に、大人の扮する3匹のリアルな鬼たちがちん入。ちょっかい出された子どもたちがぎゃんぎゃんに泣いて怖がる、というVTR。
もう1つは、幼稚園内の行事で、こちらは園児が扮したかわいい鬼たちと、和気あいあいの楽しいVTR。
どちらも楽しくてけっこうなんですが、どちらが節分の鬼として正しいか?となると、前者の怖い鬼たちじゃないかと思います。
もしかしたら保護者の中には、子どもたちをこんなにひどく脅かしてトラウマになったらどうするの! と、お怒りの方もいるかも知れませんが。
怖い、ということを子どもたちに教えることは必要だと思います。
危険なのは、怖いことを怖がらないことだと思います。
痛ましい事故で、マンションの上階のベランダから幼い子どもが転落して死亡する、ということがあります。どうやら、
高いところから落ちると痛い → もっと高いところから落ちると怪我をする → もっともっと高いところから落ちると死んじゃう、
ということが分かっていない子どもがいるようなんですね。
幼い子どもを育てる環境で危険を除去するのは必要なことですが、極端に過保護な環境では子どもが危険を学習することができなくなってしまうようです。
危険に対する恐怖を持てないのは自分を守る能力が劣っているということです。
ゴルゴ13曰く自分が生き残ってこられたのは「俺がウサギみたいに臆病だからだ」そうです。
だから鬼は怖くなくてはいけないのです。
そうした意味で鬼をコミカルに優しく表現して「怖くないよー?」というのはよろしくありません。
怖い鬼に子どもたちがぎゃんぎゃん泣いて怖がったら、大人たちは「怖くないよお」とあやすのではなく、「怖いねえー」といっしょに怖がってやればよろしい。
後で豆を投げつけて「鬼は外ー!」と倍返ししてやるのだから。
むやみやたらと恐がりなのも困りものですが、怖がることを知らないよりはずっとましです。
恐怖を知った上で、それを克服する術を学ぶ、
……ある程度大人になれば怖い鬼が、お面をかぶって、赤や青のけっこう恥ずかしい全身スーツを着て、人間の大人が演技しているだけなんだ、と分かるだろう。
そう分かっても、幼い頃に味わった恐怖はきっと無くならないだろう。
それでいいんだと思う。
鬼は色々な災厄の象徴で、それ自体は決して世の中から消える物ではない。それは大人だって怖いのだ。いや、正体を知っている大人こそ、本当はもっと怖いのだ。普通の人間が包丁を持って鬼に変身することだってあるんだから。
そして、鬼は架空の存在で、現実にそういう物はいない。
だから安心して「怖い物の象徴」として、子どもたちに怖がらせておけるのだ。
子どもたちに、危険を知って、危険を回避して、安全に日常生活を送ることの出来る、自分を守る能力を身につけさせる為の、安全な学習装置の役割を果たしているのだ。
以上、
この論理は以前ホラーについても展開しました。
節分の怖〜い鬼同様、読んでも安全なホラーもよろしくお願いします。