表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
73/100

ダーティハリー

 夜中に突然見たくなってDVDを(途中までですが)見ました。

 なんで見たくなったかというと、テレビでメガネをテーマにした番組をやっていて、メガネを効果的に着こなした映画俳優としてジョニー・デップ、オードリー・ヘップバーン、ハロルド・ロイドが紹介されましたが、映画俳優でメガネというとわたし的には「レイバンのサングラス」=「ダーティハリー」となったわけです。


 ダーティーハリー。

 いわずと知れた(ってのも昔の話か?)クリント・イーストウッドの代表作&代表キャラクター。

 わたしは長年のイーストウッドファンだったんですが、実は最近はすっかりアンチに転じていて、それと言いますのもアメリカの銃規制問題で、イーストウッドも規制反対派だそうで、

 なんだけっきょくあんたもマッチョイズムのナルシスト野郎かよ、

 と、がっかりして、すっかり過去の作品も見る気がしなくなってしまいました。

 イーストウッドは自身の主演作の多くを自ら監督していますが、男臭いかっこいい映画を監督主演するというのは、日本で例えれば高倉健が自分の主演作を監督するようなもので、

「自分、不器用ですから」

 なーんてかっこつけた役を、自分で監督して演じるなんて、どれだけ恥ずかしくてナルシスチックなんだ。

 なんて風にすっかり白けてしまったんですが。


 にもかかわらず、この映画はやっぱり本当に面白いと思う。


 これは自身の監督作ではなく、監督はドン・シーゲル。

 イーストウッドは1992年の監督主演作「許されざる者」でアカデミー賞の作品賞、監督賞を獲っていますが、この映画をマカロニ・ウェスタン(イタリア製西部劇)時代の恩師セルジオ・レオーネ監督と共にドン・シーゲル監督に捧げています。

 特にドン・シーゲル監督は自身の演出の直接の師であったと思われます。


 ドン・シーゲル監督。

 代表作はやっぱり1971年の「ダーティハリー」で、他にも数作イーストウッドと組んで、79年、二人で組んだ最後の作品「アルカトラズからの脱出」が自身にとっても最後の傑作と見ていいでしょうか?

 職人的アクション映画監督というのが一般的な評価だと思います。




 さて、相変わらず長い前置きですが。


「ダーティハリー」です。


 刑事物バイオレンス映画の代名詞的な作品で、その評価ももちろんなんですが、

 職人監督ドン・シーゲルの技が炸裂した、



 サスペンス演出のお手本



 映画なのです。

 50年代から斜陽の映画界にあって更に不遇のB級仕事に甘んじてきたシーゲル監督は、低予算の中で、シナリオ段階から綿密に演出を計算して、無駄なく必要な撮影だけして、ビシッとスタイリッシュに作品をまとめ上げる腕を磨いていき、この撮影法はそのままイーストウッドに受け継がれています。


 サスペンス映画の神様というとヒッチコックですが、図らずもヒッチコックと同じ制作スタイルになっています。

 ヒッチコックは様々なスリル&サスペンスの演出法を開発して、神様と呼ばれるわけですが、時代的な技術の未熟さで今見るのはちょっと辛い部分が多いです。

 「ダーティハリー」はすっかり基本的な映画技術は確立していて、今見ても十二分に面白いです。


 さて、サスペンスの教科書に作品丸ごと掲載すべき傑作なので、部分的に完全ネタバレで具体的に解説したいと思います。




 まずはシナリオ的な演出。


 最初のアクションの見せ場である、

 ハリー・キャラハン刑事がたまたま銀行強盗事件に遭遇し、銀行から出てきた強盗たちを自慢のマグナムでバアン!バアン!と撃ち殺し、最初に出てきて撃たれた犯人のところへ歩いていく。

 倒れながらもこいつはまだ生きていて、少し手を伸ばせば届くところにライフル銃が落ちている。

 やってきたハリーが銃を向けて言う。

「あ、あ。

 おまえの考えてることはお見通しだ。俺が6発撃ち尽くしたか、それともまだ5発かってんだろう? 実を言うと俺も興奮しちまって何発撃ったか数えるのを忘れてたんだ。だがまあ、こいつはマグナム44、最もパワフルなハンドガンだ、おまえの頭なんて1発できれいに吹っ飛ぶぜ? おまえは自分の運を信じるか? 試してみろよ、チンピラ」

 汗だくの顔でハリーと銃を見比べる犯人。ライフルに向かっていた手が、力なく握られる。

 ハリーはライフルを拾い上げ、駆けつけたパトカーに向かう。その後ろ姿に犯人は悔しまぎれに声を掛ける。

「へい。

 どうせ弾なんて残っちゃいねえんだろ?」

 ハリーはムッとした顔で振り返り、銃口を向け、顔を引きつらせる犯人、引き金が引かれ、カチッ。弾はなかった。引きつった顔から安堵して気が抜ける犯人。悪戯っぽく笑って去っていくハリー。犯人は「このくそったれめ」と悪態をつき、警官に連行される。


 お見事です。

 わたしの拙い文章は別として、実に上手い、しゃれた演出です。




 次に犯人と犯行の描き方。


 物語はスコルピオを名乗る連続殺人魔がサンフランシスコ市に市民の命を人質に身代金を要求し、これを逮捕せんと追うシスコ市警とハリーの対決を描いたサスペンスアクション。


 市長は身代金の要求に対し新聞の三行広告で「金を用意する。ただし時間が掛かるので待ってほしい」と答えるが、画面に登場した犯人はそれを破り風に乗せて捨て去る。

 場所はビルの屋上。

 犯人はスーツケースを開け、中には分解したライフル銃のパーツが納まっている。

 まずスコープを取り出すと、獲物を物色して大学?の門へ向ける。

 革靴をズボンの裾にキュキュッとこすって磨き、(←この仕草を「犯人の偏執的な性格を見事に描いている」と、荻昌弘さんだったかなあ? 解説で褒めてました)

 さてスコープで覗いていると、出てきました、白人の青年と、続いて青いショールを羽織った見るからにカマっぽい黒人青年。

 よし、こいつに決めた、とニヤッとする犯人。犯行予告で「次は黒人の変態野郎(←すみません、昔の映画なので)を殺る」と予告しているのだ。

 スコープで仲良く並んで歩く青年二人を追っていく。

 ところが望遠なので木の陰に隠れてしまうと、いったいどこへ行ったのか分からなくなる。

 スコープを放して、ちっくしょ、どこ行きやがった、とキレた顔で髪振り乱して探し回る犯人。

 見当をつけて再びスコープを覗き、いた、木の陰から出てきて、先のベンチに並んで腰掛けた。

 ニタア、っと笑う犯人のアップ。

 ケースに駆け戻り、慣れた手つきで素早く銃を組み立てていき、スコープを装着。

 位置について、いちゃいちゃ楽しそうに話しているカップルの、黒人青年に照準を合わせ…………ラロ・シフリンの音楽(「スパイ大作戦」「燃えよドラゴン」)がサスペンスを一気に盛り上げ、

 上空にパトロールのヘリコプター。

「屋上の男! 銃を置いてその場から動くな!」

 ヘリとターゲットを見比べて、くそ、と逃げる方を選んで慌てて出口に向かう犯人。

 こうして何も知らない黒人青年の命は救われた。フー………


 この後、パトロールを行うハリーと相棒の夜の間に起きた2つのちょっとした愉快なエピソードが描かれ、


 昼間。

 事件現場に向かうハリーと相棒。

 スコルピオの次の犠牲者が出てしまったのだ。

 撃たれたのは黒人の少年。遺体を覆っていた布をハリーがめくり、後ろから覗き込んだ新人の相棒が思わず顔を背けて口を押さえ、布を戻したハリーは立ち上がり、周りに声を掛ける。

「誰か犠牲者を知っている人は?」

 場所は特に何もない白い砂地。ぽつぽつ立っている野次馬の中に一人の黒人女性。

「名前は◯◯。わたしの息子よ。息子はまだ10歳なのに」

 と怖い顔でこらえていた涙をこぼす。

 いたたまれない雰囲気に厳しい顔のハリー。



 この一連の流れ、お分かりでしょうか?

 まず最初のエピソード、屋上から何も知らない遠いターゲットを狙って、あわや、というサスペンスを盛り上げながら、ギリギリで助かって、ああよかった、と観客を安心させ、


 特になくてもいいエピソードでちょっとだらけさせ、油断させたところで、


 次の犠牲者が発生し、ここでは、観客にサスペンスを楽しませることなく、犠牲者が出てしまったという結果だけ見せて、犯人の卑劣さに怒りを燃え立たせる。


 お見事です。

 わたしがこの文章を書こうと思ったのはこのシーンを見てで、わたしも全然人気のないホラー小説なんか書いているんですが、

 あ、自分のホラー&サスペンスの書き方って、これをお手本にしてたんだ、

 と思ったのです。


 ホラーとサスペンスというのは、実は同時にはなかなか成立しないもので、サスペンスというのは危険にさらされている対象が助かるという期待で、ハラハラドキドキを楽しむもので、その挙げ句に殺されてしまったらそこまでのハラハラドキドキが非常に後味の悪い、白けた物になってしまう。

 上の最初のターゲットの青年と犠牲になった少年のエピソードを比較すると、実は最初の黒人のお釜青年に対し、観客はけっこう「なんだ、殺られちゃえばよかったのに」と悪い期待をしていた自分にニヤニヤしたことと思う。ここで失敗したから後の少年が犠牲になってしまったので尚更「おまえが殺されとけばよかったんだ」と、一見お釜青年の方にバッシングが向かいそうだが、じゃあ本当に青年が殺されていたらどうかと言えば、それはやっぱり後味の悪い物になっていただろうし、観客の期待通りに青年が殺されていたら、犯人は観客の側のヒーローになってしまう。実際人が殺されなければ話が盛り上がらないので、サスペンス映画で殺人者がヒーローになってしまうパターンは往々にしてある。後の犠牲者としてより悲惨な黒人少年がサスペンスの挙げ句に殺されたらと言うのが言語道断なのは分かるだろう。だからここでは殺されたという事実だけ示し、それだけで十二分に犯人に対する怒り、憎しみが観客の間に湧くように、ちゃんと計算されているのだ。


 お見事! と思いつつ、実は自分もホラー小説の中でこのパターンで犠牲者の描き方を決めています。殺される場面を具体的に描くか、描かないか、ですね。かなりはっきりパターン分けされています。



 夜中このシーンまで見て寝たので、このエッセイもここまでとします。

 映画はこの後も

 ビルとビルの間で激しい銃撃戦が繰り広げられたり、

 身代金を託されたハリーが犯人に電話の指示で走り回されたり、

 犯人に乗っ取られたスクールバスの屋根に飛び乗って振り落とされそうになったり、

 工場内での追っかけ&撃ち合いがあったり、

 と、たっぷりハードなアクションがあります。

 この犯人を演じる役者さんの演技もすごいんだけど……十分長くなったのでここまでにします。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ