ノウイング
これもディザスター(大災害)映画です。
これも、というのは公開当時、この後に「2012」が控えていてパスしちゃいました。シネコンの廊下に横長の特大ポスターが貼ってあって、なかなかそそられる感じだったんですが。
「2012」は「インデペンデスデイ」のローランド・エメリッヒ監督。わたしはこの監督の「デイ・アフター・トゥモロー」が大好きで、張り切って映画館に観に行きましたよ。大スクリーンで観る大災害シーンはそりゃあもう大迫力でしたが。終盤、くっだらない陳腐な自己満足のヒューマニズムなんて持ち出したせいで思いっきりむかつく大嫌いな映画になり果ててしまいました。もしかしてこの監督ってやっぱりアホなのかなあ?なんて思ったりして。ストーリーはそのままでもキャラクターの描き方が違えば素直に面白く観られたと思うんだけどなあ。
で、後に「ノウイング」をテレビ放映で見て、「こっちが正解だったなあ」と………
「デイ・アフター・トゥモロー」がこのパターンだったんだよな。勘が悪いなあ。
「ノウイング」は好きな映画です。
宗教がらみの部分があって、苦手な人は駄目でしょうが、前半はホラーチックで、ラストも含めてわたしはかなり好きです。
以下、完全ネタバレでしゃべりたいと思いますので、まだ見てなくて、見ようかなあ〜〜という気のある方は読まないでください。
では、行きますよ?
※ ※ ※ ※ ※
※
※
※
※ ※ ※ ※ ※
この映画は自分の気に入らない結末の映画は絶対許せない!という人には全く向かないだろうと思います。
確かにわたしも全く救いのないラスト……「セブン」なんかが代表だと思いますが、そうした映画は嫌いです。ホラー好きのくせにバッドエンドは嫌いですし。
しかしこの映画のラストは……救いのないバッドエンドとは違うと思うのです。
そりゃあ確かに、とってつけたような救いがありますが、それは一見そう見えるというだけで、これは単に救いのない話に「それじゃああんまりだから」とおまけで付けたわけではない。これはこの物語の本質的な部分なのだ、と思う。
主人公ニコラス・ケイジは大学の天文学の先生。
息子の小学校で50年前のタイムカプセルが開けられ、当時の児童が描いた絵が入っている。その中から息子が受け取ったのは、絵ではなく、訳の分からないたくさんの数字の羅列だった。
父親はふとした思いつきで数字を区切って見ていくと、そこには恐ろしい予言が隠されていた。50年前に書かれたはずのそれは、その後50年間に起こる大災害の日時と死者数を正確に記していたのだ。
そんな馬鹿なことがあるわけない、これは何かの偶然だ。そう疑いつつも父親は数字を検証し、これから先に予言されている大災害に注目し、それが事実であるならば、なんとかくい止めることは出来ないか?と行動する。しかし、その予言の最後は、人類にとって最悪の災害を示していた。
父親が予言の信憑性を確かめている間、息子には謎の人物が姿を見せるようになり、謎の囁き声が聞こえるようになる。父親が50年前数字を書いた人物を捜すと、彼女は既に死亡し、その娘と孫娘がいるのだが、その孫娘にも息子と同じ囁き声が聞こえ、謎の人物が迫ってくるのだった。
彼らはいったい何者か? 予言の数字との関係は? 数字の予言する最後の災害は本当に起こってしまうのか?
……というストーリーなわけですが、ま、予告通りにネタばらししますと、太陽の巨大フレアによる地球壊滅の予言なわけです。地球がすっぽり巨大な炎に包まれてしまうわけですから、そりゃあもう、逃れようがないわけです。
ひっどい話ですね。最初から助からないというのが決まっているわけですから。
そうなんです。これは最初から助からないというのが確定している話なのです。
で、
単純にストーリーだけ追っていると、救いようのない絶望的な話ですから、人類どころか地球が滅んでしまうわけですから、
「なんだ、このクソ映画!」
と腹を立てる方も多いかと思いますが。
しょうがないですね、これはそういう話なんですから。
決まっちゃってることなんです。
で、
そういう救いのない話ですから、おなさけで、まあ未来のある(選ばれた)子どもたちだけでも助けてあげようと、(謎の人物たちの正体である)天使もどきの宇宙人たちが、世界各地で選ばれたおりこうさんのカップルを宇宙船に乗せて、災害の届かない宇宙に脱出させてあげて、来るべき地球再生の時に向けて、別の楽園のような緑の惑星に移住させてあげる、というラストなわけです。
そう、この宇宙人たちが、光の翼っぽい物を広げて宙に浮かび上がって、その他にも聖書の予言の絵なんかが出てきて、キリスト教の終末思想的な臭いがして、ここら辺も嫌いな人は受け付けないかと思いますが。
しかしですね、その論理で行くと、神様の正体は宇宙人だったってことで、これって、キリスト教的にはどうなんですか? けっこう「けしからん!」という説じゃありません?
で、
ここから先は完全に個人的な解釈なんですが。
主人公が数字の意味に気づくのは、9・11と、奥さんがホテル火災で亡くなった日付を見つけたからなんですね。ここで彼は悩むわけです、もしこの予言を先に知っていれば、妻は死なずに済んだんじゃないか?と。更に、奥さんの死によって世の中には運命なんてものはなく、何もかも偶然の積み重ねでしかない、と無常観をもっていたのが、いや、物事というのはすべて決まった運命があるのか? それは、避け得ない物なのか?と考えるわけです。
偶然の未来を予測することは可能か?
不可能だと思います。
ここでこれ以上のことを考えないと、この映画は「全然脚本のなっていない、もったいぶった見せかけだけのくっだらないB級映画」になってしまうのでしょうが。
アインシュタインの相対性理論によって(でいいのかな?)この宇宙において物質は決して過去には戻れないと決まっています。
決まった未来の予言なんて絶対に不可能なんです。
それを可能に出来るのは何か?
宇宙の外から、その宇宙の未来を観測して、宇宙の外からその宇宙の過去の時点に戻って、その宇宙に介入する、
ことだけだと思うのです。
つまり、この宇宙人は、もともとこの宇宙の人間ではないのです。しかも彼らは既にこの宇宙の未来を観測して、地球がその災厄を決して逃れることが出来ないと知っているのです。彼らにとって地球の滅亡は決定事項なのです。
そこで彼らはどうするか?
もしかしたら、彼らの科学力ならば、太陽フレアの巨大爆発を止めることも出来たのかも知れない。少数の子どもたちだけでなく、もっと多くの人間を救うことだって当然出来ただろう。
しかし、しかし、この惑星が自然の摂理の中で滅んでしまうことは、彼らにとってはいったん起きてしまったことで、それを外からの介入によって防ぐことが、この宇宙にとって良いことなのか? 主人公の立場で考えるなら、では過去に戻って奥さんを救えるとして、しかしそれをしてしまったら、もしかしたら、自分の息子も自分といっしょに太陽フレアによって死ぬことになってしまうかも知れない。地球人にとっては(現時点において)地球が全てだけれど、もっとうんと文明の進んだ宇宙人からすれば、地球人も他の多くの中の一宇宙人に過ぎないのかも知れない。そうしたことを考えて、この宇宙人たちはこの宇宙への介入は最小限にとどめて、未来への影響を最小限にとどめることを条件に、ごく少数の子どもたちに種の存続を許可したのかも知れない。
もっと考えるなら、最後に子どもたちが降り立った(安っぽい)天国のような穏やかな自然の惑星は、ひょっとすると、何万年も経った未来の再生した地球かも知れない。(←空を見ると違うなと思うけれど。)はたまた、この惑星はこの宇宙の物ではなく、彼らがやってきた、別の宇宙の惑星かも知れない。(←これも宇宙人の生体と違うと思うのでないかなと思うけれど。)
ま、そんな風に(無理やりだけど)考えると、これはかなりアクロバチックにバッドエンドを力業で(出来うる限り最大限の)ハッピーエンドに改変した物語で、B級と言えばB級だろうけれど、地球の滅ぶ様をながめながら、(それでも)「良かったね」と思っていいんじゃないだろうか?
というわけで、わたしはこの映画が好きなんです。
だいたいさあ、「2012」なんて、「おまえら、みんな死んでしまえー!!」とか、キアヌ・リーブスの「地球が静止する日」なんかも「こんな甘ったれたクソガキに騙されるな! こんな馬鹿な人類、迷ってないで、さっさと掃除してしまえ!!」とかって思いませんでした? わたしは思いっきり思いました。
まあ、「ノウイング」の人類はそんな「クズ」というわけでなくて、ごくごくまともな人たちで、滅んじゃうのはかわいそうだけど、だから救いがあっていいじゃん?
選ばれたイヴの母親はかわいそうだったけどね、この母親故の愚かしさとその末路って、確かに残酷だなあとも思うけれど。とってつけた安っぽいヒューマニズムとは対極的な人間観測で、シビアだけれど、気持ちいいです。
ああ、そうだ。
この宇宙人たちは地球人を救ってやる義理は何もなくて、単に善意から地球人種を存続させてあげようということだと思う。これが「2012」とか「地球が…」の自分勝手なクソ野郎たちばっかりだったら、とても「存続させてあげよう」なんて思わないはずで、そういう嫌な人間が全然出てこないのもこの映画のいいところですね。もしこの物語にこの宇宙人が出てこなかったら、それこそ「こうして地球は滅びました。おしまい。」で終わっちゃう話ですからね。その方がいいですか?
監督は、アレックス・プロヤス、「アイ、ロボット」の監督ですね。この映画も好きで、けっこう好きな監督みたいです。「ダークシティー」も面白かったなあとビデオを捜したんだけど見つからなかった。
「ノウイング」ではなんとなくヒッチコックの「めまい」を彷彿とさせるところがあって、なんとなーく、自分と趣味が近いのかなあ?なんて風にも思いました。