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刀語(かたながたり)

 最終回を見るのはちょっと重くてしんどかった。


 地方在住者には貴重な深夜アニメ「ノイタミア」枠(フジテレビ系)。

 この前が「サイコパス」→第1話見て「うげええ〜〜〜」と思って以降パス。

 同じく「ロボティクス・ノーツ」→第1話「最近の若者は何考えてるのかさっぱり分からないな〜〜」以降パス。

 という流れでうっかり第1話を見逃してしまいましたが、2話以降は全部見ました。


 全12話。1話=1時間。


 連続アニメで1話1時間というのは他に記憶がないですね。他にあるかな?


 原作は今をときめく西尾維新。本屋に行くとやたら目に付くものなあ。超人気作家なんでしょう。でも実はわたし、まったく読んだことがなく、このアニメが初・西尾維新でした。ですので以下の文章はファンの方から見るとまったくとんちんかんな物になっているかも知れませんが、なんにも知らない素人の勘違いした見方と言うことで笑っていただければと思います。



 物語は時代劇でお馴染みの剣豪の◯番勝負物。


 時は架空の江戸時代。将軍の命令により戦国時代の伝説の刀鍛冶の銘刀12本を集める美少女と青年武道家の旅と決闘の物語。

 物語の基本設定は時代劇、時代小説でお馴染みのそれですが、そこは今をときめく、若者に絶大に支持される人気作家、オーソドックスな物語に盛り込んだ諸設定はユニークのオンパレード。

 名前がユニークでとても漢字で書いてられないんですが、

 伝説の刀鍛冶シノザキ・キキの残した12本の刀というのが「完成系変体刀」と呼ばれるそれぞれキャラの立った刀で、中にはおよそ刀の形をしていない物もある。

 物語は基本的にその刀の所有者と青年武道家の刀を賭けた決闘という流れになるのだが、

 将軍から刀集めの命令を受けた役人が奇策師(戦術参謀?)のトガメ=本人曰く「けっこうな年」の美少女。

 そして彼女に雇われて闘う武道家が、刀を使わない剣の流派=虚刀流のシチカ。


 この奇策師トガメが、まあしゃべるしゃべる。1時間の内30分くらい彼女のおしゃべりなんじゃないかという印象ですが(実際そんなことはないけれど)、読者のツッコミを先回りして更に先へ先へとひたすら展開していって読者に考える隙を与えないと言うのが、ちらっと立ち読みした作者の持ち味なのかな?と思います。

 この「刀語」原作は「講談社BOX」レーベルの箱入り仕様で、畏れ多くて取り出してまで立ち読みしなかったんですが、他の文庫作品をパラパラ拾い読みして、「うん、原作はパス」と即決したのでありました。

 正直言うとアニメの方も最初はあまり良い印象ではありませんでした。ふうーん、最近こういうのが流行りなんだあ〜〜、みたいな感じで。

 でも、面白かったんですね。

 だんだんはまって、のめり込んでしまいました。

 頭の中でオープニング、エンディングが再生されると切ない気分になります。

 このトガメちゃんが今流行りのツンデレ美少女で、途中からひたすらイチャイチャデレデレでかわいいったらないですね。

 トガメちゃんにデレデレされるシチカ君も、表面的にはなかなか反応の鈍い現代イケメン青年で、男子からも女子からも支持率高そうですね。

 ではこの作品がイケメン君とツンデレちゃんのラブラブお気楽道中記かと言うと、これがなかなかハードで殺伐とした展開をしていくのです。


 基本的に12本の刀の持ち主は刀を手放してくれません。刀を巡る決闘の結末は、多くは相手の死です。

 ところがこの「死ぬ」という行為が、わりと当たり前のことなのです。

 実は刀集めをしているのはトガメ・シチカペアだけではなく、お手柄を狙う忍者軍団も刀を集めている。それで物語も単なる1本の糸だけでは構成されていない。この構成の仕方も上手いんですが、西尾維新という人は印象では乗りで書いているようでいて、その実、全体をかなりかっちり構成してから文章を書くタイプだと思うんですが、どうでしょう?

 この忍者軍団=マニワ忍軍も見た目はマンガなのに、性格はかなり極まっている。任務のために人の命は、自分の命も含めて、完全に二の次と決め込んでいる。で、実際に仲間の命も簡単に差し出すし、自分の命も差し出す。そこになんの躊躇もないし、悟りきっているように見える。この覚悟がないと、その最期は悲惨を極めることになる。

 この感覚は、実はある作品群とそっくりだ。

 それは、白土三平の一連の忍者マンガ。


 「刀語」全体が白土三平の忍者マンガとすごく似た感触がある。

 表面的にはマンガで、劇画で、あり得ない漫画的な剣術や忍術がど派手に展開して、すごいすごい!と興奮させておいて、それが物語の内面へ踏み込んでいくと、どんどんどんどん、重く、悲壮な物へと変質していく。

 「忍者武芸帳」も「サスケ」も途中までは忍者アクション物としてすごく面白いけれど、物語が深まっていくに従ってどんどん悲壮な展開になっていく。歴史群像劇「カムイ伝」もラストは本当に悲惨な物だったし、待ちわびていた「カムイ伝・第二部」もあまりにヘビーな展開に途中ですっかり嫌になって、読むのやめちゃったものなあ。登場人物たちに対してあまりに容赦がなさ過ぎる。

 「刀語」も終盤同様の色彩を帯びてくる。

 武道家として決闘で相手を殺すのを当たり前に捉えて疑問を持たなかったシチカが、自分のやっている事の意味を考えるようになる。

 彼はそこに自分なりの答えを定めて、白土マンガのひたすら生きるためにギリギリの戦いを続ける登場人物たちとは違った、現代の若者に近い価値観で、さわやかで前向きな人生観を持つようになる。

 殺伐とした世界で、イケメン青年とツンデレ美少女の青春ラブストーリーとして、主題となる糸は展開していく、、、、ように思えたのだが。


 第十一話までと、ラスト第十二話で、作品のイメージはガラリと変わる。

 このラストを決めた上で原作者が全体を構成したのは間違いないだろうと思うが、そうして振り返ると、これまでの物語がまったく違った感情で思い起こされる。

 それは作者の読者に対する裏切りであり、作者のこれまで死んでいった登場人物たち全てに対する裏切りのように思える。

 結局のところ、「刀語」はやっぱり白土三平マンガの虚無感をそのまま継承した物語に思える。絶対に意識していると思うんだけれど。勘違いかなあ?


 しかし、物語の最終話で作者が示した人の世に対する虚無感を、そのまま悪態をついて突っぱねることは、出来ない。

 最近の若者がこの物語の結末をどう見るのかは分からない。わたしはもう全然若者じゃないので。この作者がこれだけ若者に支持されているゆえんは、この「刀語」にも存分に発揮されていると思う。

 この、「どうせこんな物」という冷めた感覚は、それこそ昔の劇画系時代劇にはたくさんあったと思うけれど、それは時代劇に多く見られた感覚で、現代劇ではせいぜいかっこつけたハードボイルドをファッションとしてまとっていた程度だったような気がする。昔の「現代人」は自分たち自身の人生観や社会観にはもっとバイタリティー溢れる前向きの姿勢があったんじゃないかと思う。

 でもわたしは現在、この「どうせこんな物」という冷めた人生観、時代観にかなり共感を持ってしまう。それは特にこの1、2年強く感じるようになってしまったのだけれど。

 わたしの世代「80年代青春組」は他の世代から攻撃されることが多い(というのは被害妄想か? でも精神科医の香山リカさんは「脳天気なおぼっちゃま体質」と言った感じで苛立ちを表していた)。しかし、80年代バブル経済絶好調でイケイケだった苦労知らずの若者たちだったが、我々には「ガンダム」があった! 男のロマンだった「宇宙戦艦ヤマト」にアンチの旗を翻し、人の世の「正義」や「歴史」がいかに人の都合で作られる物であるかと、それに踊らされる世の人間たちの愚かさを、はっきりと示した。それは絶望でもあったけれど、希望でもあった。ちゃんとこうして分かっているんだから、それはきっと、これからの時代は、同じ過ちを繰り返さずに、もっと賢く平和な世界を作っていけるはずだと、イケイケの好調経済の中で夢見ていたのだ。・・・・全部夢だったよね、確かに。

 バブルの弾けた以降の90年代、2000年代の若者たちは、もうそんな理想、信じないよね。

 わたしが時代の虚無感を感じたのはそればかりでもなくて、

 やっぱり限られた人生、時間の中で、どれだけの時代を過ごせるのかな、と。

 今の若い人には当たり前のパソコンもケータイも、子供時代の我々にはまったくの夢物語だった。それが実現された今の世の中にいて、「すごい時代になった物だなあ」と感心すると同時に、「だからなんなんだ?」というがっかりした気持ちも同時に味わっている。

 技術的、物質的には今の世の中は子供時代にリアルに思い描いていた未来をはるかに飛び越えてしまっている。けれども、人間自身がそれに見合って進歩してきたかと言えば、全然変わってねえじゃねえか?と思う。「ガンダム」もいまだに新作が作られてるし。「ゴルゴ13」もいまだに現役だし。技術の驚異的な進歩に対して人間の意識・思想の進歩はあまりに遅く、幼稚なままだ。むしろ機械に肩代わりされて退化している部分も多い。

 人間は頭は良くなっているけれど全然賢くなっていない。結局人間自身は進歩すると言うことはないのだろうか?

 ま、それもまたちょっと違う。わたしもいまだ80年代組として脳天気に人の未来に希望を持っている。ただし、それは自分が希望していたよりもずうっと先の未来のことになりそうだし、それを享受できるのは限られた人たちだけのように思うけれど。

 けっきょく我々は自分が生まれてしまった限られた時間、時代の中にしか生きられない。環境的に思い通りにならない不自由の中で生きるしかない。

 それはもう、受け入れるしかないんだろうな、という虚無感だ。

 しかしまあ、それにしたって、今生きている者はいいけれど、ある意味時代のために闘って、命を落として、しかし結果的にその時代に裏切られて闘いも死も何も意味がなかったと宣告された者は、やっぱりむなしいよな。

 歴史にはそうした無駄な死が累々と連なっているんだろうし、それは現代を生きる我々も同じ事だろう。

 我々がこの世に生きている意味というのは、外側からは「無い」場合が圧倒的に多いんだろう。

 だからこの世に生きていく意味は、自分で見つけないと駄目なんだろうな。

 俺はもう手遅れだな、と、

 虚無的に思ってしまったのでありました。

 世の中に見切りを付けた、個人主義。

 これが今の若い世代には一番ぴったりする感覚じゃないだろうか?



 なんだかこの文章のせいで「刀語」がすごくつまらない作品のように思えてしまったかも知れないけれど、それはわたしの語り口が下手なのであって、語り口のものすごく上手い「刀語」は、悔しいくらいにすっごく面白かったです。

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