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クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ!オラと宇宙のプリンセス

 例年のごとく去年劇場公開された物をテレビ放送で見ました。

 この前作「嵐を呼ぶ黄金のスパイ大作戦」は「傑作である!」と、かなり熱っぽく語ってしまいました。

 同じ監督・脚本コンビの今作、かなり期待して見ました。


 前作に引き続き今作も見て改めて思ったんですが、この脚本家の方、ふだんの世の中の見方と、世の中の「ここに怒っている!」というポイントが、自分とすごく近い、というか、自分のドッペルゲンガーじゃないか?と思ってしまうくらいそっくりに感じました。


 自分的にはものすごくよく分かる物語でした。


 一方で、


 世の中って、ぜんっぜん、分かってくれないんだよなあ…… あーあ…………


 というやるせない気分にもなってしまいました。




 今回の映画を評価するのは難しい。

 自分の分身(←おいおい)が書いた脚本なのですごく個人的な好みに合った映画なのですが、一般大衆向けの娯楽作としてはどうなのか?

 これは挑戦したハードルが娯楽作としてはかなり高かったと思います。



 この映画に悪役は一人も出てきません。



 今回物語の舞台となるのは地球の兄弟星である「ヒマワリ星」。

 ヒマワリ星は地球よりはるかに文明の進んだ惑星で、UFOを飛ばすくらい科学技術も進んでいるが、社会も平和そのもので、何十年も犯罪は起こっていない。わたしのような人間が憧れてやまない理想世界です。

 一方の地球はと言うと、ストレスまみれで、精神的には荒廃した状態。これは惑星が本来持っている「なごみのオーラ」=「ヒママター」が枯渇したためで、

 毎度お馴染みの設定ですが今回は妹ひまわりが一種のスーパーラッキーガールで、

 彼女が「プリンセス」としてヒマワリ星にいさえすれば、「ヒママター」が両惑星に行き渡って地球も救われる。

 逆に、ひまわりがヒマワリ星から離れてしまったら、ヒママターの枯渇した地球はそう遠くない将来滅び、ヒマワリ星も道連れに滅ぶことになる。

 そんな馬鹿な、と、まったく聞く耳持たない野原一家であったが、それは紛れもない事実だった。


 プリンセスという「公人」になったひまわりには家族でさえもまともに面会できない。

 当然怒りまって大暴れの両親を王宮の人間は「困った人たちだ。なんで分かってくれないのかなあ?」と持て余し、つまみ出す。

 怒り心頭のひろしとみさえだが、ヒマワリ星のヒマ人たちはみんな平和ないい人たちばかりで、プリンセスひまわりを心から歓迎している。

 ひまわりがヒマワリ星のプリンセスでいさえすれば、みんな大喜びで、地球の将来も安泰。

 このまま野原家がひまわりをあきらめさえすれば、

 全ては丸く収まる。


 自分たち家族が別れて暮らすことを受け入れさえすれば、全ての人が平和になれる。


 受け入れなければ、地球の悪い状況はどんどん悪化していき、将来的には両方の星が滅びることになる。


 全人類の平和のため、家族で一緒に暮らしたいというのは許されないわがままなのか?


 全人類の平和のためには、家族を差し出すことが正しいことなのか?


 と、葛藤が生まれるわけです。

 これは一見この物語のために無理やり作られた設定のように見えますが……似たような状況は……ありますよねえ? 分かるでしょ、大人なら?


 ヒマワリ星の人たちはインテリで、みんなの平和のためにごく当たり前のこととして状況を管理し、それが正しいと分かり切っているから、そのやり方を変える気はまったくなく、それが分からない頭の悪い地球人の家族をひたすら「困ったなあ」と持て余す。

 一方の地球人の野原家はちっとも状況を理解しようとしないで、自分たちの当たり前の感情ばかりを当たり前のこととしてぶつけて暴れ回る。

 まったくどっちも困ったものです。

 もうちょっとお互い歩み寄れないかと、見ているこちらはイライラします。

 わたしたちは地球人ですから、融通の利かないヒマ人たちにもうちょっと柔軟になって欲しいところです。

 物語はけっきょくのところ「(ひまわり姫)伝説の続き」が実現して、実に都合よく大団円を迎えるわけですが、ここはさすがにわたしも無理やり都合よすぎるなあと感じましたが、この脚本家が自分の分身と思う上手さは(←おいおい)ヒマワリ星の大王の視線で、この大王が愉快なことをやって笑わせようとするんだけど顔が怖すぎて笑えないと言う困ったキャラなんだけど、事態をアクロバティック的に上手くまとめる「伝説の続き」を「さっぱり分からん」と言いつつ、その視線を見ていると明らかに最初からそうなるようにし向けています。

 この大王が、この映画全体を見渡す主観になっているように思います。

 これがまたこの映画を娯楽として楽しみづらいものにしていると思います。

 コミュニケーションの不在にイライラさせられ(←ここがこの映画の一番のテーマだと思うんだけど)、大王という実に大人の視点ですれ違うヒマ人と野原家のどたばたを眺める描き方は、しんちゃんのおバカな大活躍を期待する観客には退屈で、「さっぱりわけ分かんない」と思われてしまっただろうと思う。



 わたしも下手な小説なんぞを書くときに常に思い悩むのが、


 面白い話というのは、誰かの不幸をネタにしなければ成立しないのだろうか?


 ということ。

 わたしは平和な理想世界を描いた物語が好きで、未来世界においてそれが実現している「スタートレック」シリーズの世界観が大好きで、わたしも理想世界を舞台にしたかなり長いファンタジーを書きました。

 わたしの試みは結局のところ理想を壊す要因をあぶり出す形でグロテスクに破綻してしまいましたが、ともかく、

 悪人や不幸をネタにしない娯楽物語というのは、なかなか成立させづらく、

 それはどうしても観客に頭のお利口さを求めるインテリな作品になってしまいがちのようです。



 今回のクレヨンしんちゃん映画、わたしは自分自身の好みにぴったり合った、すごくよく分かる映画でしたが、世間は真逆の反応だろうなと、見ながらやるせなく思っていた次第です。

 社会派しんちゃんとでも言えそうな前作と今作、わたしは両方とも傑作だと面白く見ましたが、特に今作は成績が振るわず、現在公開中の次回作は新しい監督脚本コンビにバトンタッチして、ひたすら分かりやすいおバカ路線になっているようです。ま、それも楽しそうでいいですけれどね。

 残念だけど、やっぱり難しい挑戦だったなあと思います。

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