怪談とホラー
先日うちの地域の地方新聞に稲川淳二さんの「怪談ナイト」に関するインタビューが載っていました。
ツアー20年目ですって。
毎年行きたいなーと思いつつ、いまだに行ったことないんですよね。金のあるときにはスケジュールが合わず、暇なときは金がないときで(@ナウ)。
死ぬ前に一度は観たいものです。
インタビューの中で怪談とホラーについて語っています。これも宣伝(あさって公演)ということで拝借しますと、
__≪昨今の恐怖をあおるテレビの”心霊番組”に対しては≫
「怪談話は事件じゃない。全く別物」と否定。
「小泉八雲さんが言ったように、怪談は日本人の感性。起こったこと自体の怖さより、それが我が身に迫ってくるかのような臨場感、生み出される想像力にぶるっと震える。凶暴で陰気なホラーとは違う」
と、語っていらっしゃいます。
”ホラー”なんて物を書いてる身としては、ギクッとする部分と、うなずける部分と、両方ありますね。
でも、このインタビュアー、心霊番組の現状を分かってないなあ。こっちゃあ心霊番組が軒並み打ちきりで商売上がったりで困ってるんだから、ぶつぶつぶつ…
稲川淳二さんの意見も分かるんですが、ちょっといい人になり過ぎちゃってないかなあ?という気もします。
怪談というのが恐怖ばかりじゃない、怖い出来事を通した人間の様々な心の機微を描き出すところがいいんだ、というのも分かるんですが、それもいいんですけれど、怪談が恐怖を忘れてしまったら、それは、つまらないと思います。
稲川淳二さんの怪談がなんで面白いかというと、それはもう「怖いから」というのが第一です。そこに、「怖いだけじゃなく」というのが、後からついてくると思うんですね。
怖くなかったら、ただのいい話で、そんなもの、全然面白くないですよ。
しつこいですが、
このインタビュアーの言う≪昨今の恐怖をあおるテレビの”心霊番組”≫と稲川淳二さんの言う「凶暴で陰気なホラー」にはズレがあると思います。そうであってほしいという個人的願望もありますが。
今やっている≪テレビの”心霊番組”≫というのは、「世界の恐怖映像ベスト」と「ほんとにあった怖い話」くらいのものじゃないですか? それも年にたった1、2回ずつ。(あーあ、ほんとに減っちゃったなあ)
「世界の恐怖映像ベスト」の方は大半が明らかな素人映像作家の創作ビデオで、全然、”心霊”なんかじゃありません。「怖い映像自慢大会」と言うのがふさわしい番組です。
「ほんとにあった怖い話」は今は本当に再現ビデオだけになっちゃって、こちらも”心霊”色はすっかり薄くなってしまいました。
再現ビデオは巨匠鶴田法男監督が年に1回元気に頑張ってくれていますが、これは、稲川淳二さんの怪談に通ずる職人芸です。
いわゆるJホラーというのは、怖いことを描いているから怖いんじゃなく、出来事を怖く描いているから怖いんです。世の中何が怖いって、刃物を振り回している人間が一番怖いです。でもそれをホラーで描いても、全然、面白くないです。
Jホラーの怖さは描写の怖さです。極端な話、幽霊が出たって、「あ、珍しい物が出た」ってくらいで、たいして怖い物でもないかも知れない。「怖いぞお〜、怖いぞお〜」とさんざん怖がらせて描くから、怖いんです。それは怪談の話術に通じます。それを≪昨今の恐怖をあおる≫と否定されちゃったんじゃあねえー……
世の中というのは困ったもので、「女子供をありもしないくだらない迷信で怖がらせるとはけしからん!」というつまらないことを言う頭の固い馬鹿……ああいやいや、至極常識的な方がいらっしゃいますが。
つまらないよね、ほんと。
こういうことを言う人がいるから、すっかり心霊番組は無くなっちゃったんだよね。
そういう常識的な人でもお墓参りはして、神社にお祈りはするでしょう?
人の魂や神様はあっても、幽霊はいちゃいけないの?
つまらねえよ。
今の世の人間関係が殺伐としてしまっているのは、科学が心霊を否定してしまったからだと、わたしは80パーセントくらい本気で思っています。
人間の心まで脳科学で物理的な現象だと解明されちゃったんじゃあねえ、人間死んじゃったらそれまでで、後にはなんにも残らない。どうせ何も残らないただの物理現象なら、そんなもの、初めからどうでもいいじゃないか、と、みんなそう思うようになっちゃったんじゃないですか?
ちょっと話がずれました。軌道修正。
Jホラーというのは計算ずくの職人芸なわけです。
で、このインタビュアーさんの言っている(こだわるなあ)”心霊番組”というのは今や壊滅状態で、”心霊”が誰にも信じられなくなっちゃったから、ホラーはそれこそただの怖がらせるだけのホラーになってしまったと思うのです。
今のホラーの流行りって、シチュエーションホラーですよね?
もしもこういう状況になったら、っていう。
殺人トラップの仕掛けられた屋敷からの脱出とか、
こういう条件の人を殺してくださいというルールで殺しあったり。
……面白いのかなあ? わたしもこの手のものは正直言って嫌いなんですが。
けっきょく幽霊=死後の心が最新科学で否定されちゃったから、ホラーの怖さの対象が具体的な暴力や殺人に向かうしかなくなっちゃったんだと思うんですね。
心霊を否定する人、世の中がこうなって、それで、満足ですか?
ああ、また戻っちゃった。
怪談をホラーとは違うんだと、稲川さんもおっしゃっておられますが、でもですね、昔の怪談って、けっこうスプラッターな物が多いんですよ。具体例は言いませんけれど。
昔の方が、物が刀や刃物に限定されていたんで、人の死ってむごたらしく生々しい物が多かったんじゃないかと思うんですね。今よりずっと死は身近にあったでしょうし。身分制度なんかで直接は口に出せない鬱屈した不満や恨みもいろいろあったでしょうし。けっこう凶暴で凶悪な物だったんじゃないかと思うんですね。
もともと怪談というのは「不思議な話」であって「怖い話」に限定された物じゃなかったということですから、だんだんとホラー要素がエスカレートしてきたのかも知れませんね。まあ現代といっしょです。
日本の怪談を文学的に高めてイメージを変えたのはそれこそ外から来たインテリ、小泉八雲さんの業績なんじゃないかと思います。
ところで日本の古典ホラーの代表というと「四谷怪談」でしょうが、これ、怖いんでしょうかねえ?
わたし、子供の頃はともかく、今は全然怖いと感じないんですよね。
これは理不尽な仕打ちを受けて殺された不幸な女の人の、幽霊になっての復讐劇でしょう?
正義はお化けの方にあるのです。
お化けにさんざん怖がらされて、狂って死んでいく男なんて、ざまあみろとしか思わないで、全然、怖くないですよ。まあ、そういう身に覚えのある男なら怖いかも知れませんが、わたしは清廉潔白ですから。(むなしい)
これはいわば、幽霊版「必殺仕事人」ですよ。
幽霊は、怖くないです。
で、良識的な人は、だからやっぱり怖いのは人間なんだと、したり顔で解説するのでしょうけれど……ホラーとしては、全然、面白くないです。
ホラーというのは理不尽な物です。
理屈のない物です。
かくたる理由、納得のいく理由がないから、怖いんです。
そして、おそらく人というのは、全体的な精神バランスを保つために、時としてホラーを自ら欲するものなのでしょう。
人によっては突然無性にジェットコースターに乗りたくなるのといっしょです。
ホラーというのはある面、社会を精神的に安定させる薬のような役割があるのでしょう。
でもそのホラーが、著しく人の精神を害して狂わせる劇薬では困ります。
ホラーとは別でしょうけれど、わたしはサイコスリラーというのも嫌いでして、昔は喜んで読んでいたミステリーもすっかり読まなくなっちゃいました。
昔のミステリーは無邪気な物だったんですよ。動機も分かってみれば単純な物で、ミステリーの興味は「どうやってやったのか?」というクイズ的なところにあって、示された解答は明快で。
作者がミステリーを書く動機も「人をびっくりさせてやろう」という無邪気なものだったと思います。
今のミステリーは……もう5年くらいまともに読んでませんが、動機は複雑で理解しがたく、トリックの解答もやたら細かいところで複雑だったりしてスッキリしない。何より嫌なのが、犯行の描写がリアルすぎるんですね。被害者の死体の様子が解剖学的にやたら詳しかったりして、読んでてうんざりします。
楽しくないですよ。
サイコスリラーなんて犯罪者の精神がいかに複雑にねじくれているかなんて、分かりたくもない。
刃物を振り回す人間といっしょです、そんなもの、娯楽として全然面白くないですよ。不快です。
社会が精神安定剤として求めるホラーは、一見毒に見えて、その実無害なファンタジーという方が安全です。
でも今の社会はそのせっかくの安心な薬を、自分で捨ててしまった。
頭のいい馬鹿ですね。
愚かだなあと思います。
心霊否定派の言うことも分かるのです。
いわゆる霊能者という人間に「あなたは祟られていますよ」「このままではたいへんなことになりますよ?」と脅されて財産をごっそりだまし取られる霊能詐欺というような被害があったりして。
でもね、信じちゃう人は、何を言ったって信じちゃうんですよ。特に年寄りとか、迷信深い人は、否定的な意見には頑固に耳をふさいでしまって、ますますのめり込んでしまいます。
霊能者にしろ、お寺だの神社だのにしろ、みんなサービス業と思えばいいんですよ。
どうせみんな目に見えない、効能だのなんだの、立証なんて出来っこない物なんだから。要は当人がどれだけ満足できるかという、心の満足度の問題です。
信じちゃってる人に霊能そのものを否定してもしょうがないから、むしろ、「うちの先生は女の怨霊にはめっぽう強いですよ?」「うちの先生こそ頑固な先祖霊の説得はお手の物ですよ?」「うちは同じ祈祷を半額の値段でいたしますよ?」「それならうちはこういうサービスがありますよ?」「品質第一です。うちの神様はこれこれこういういわれのあるたいへん立派な神様で」という風に、みんな肯定した上で、ざっと横に並べて利用者が「さあてどの霊能者、神様にお願いしようかな?」と、オープンに、いろいろサービスを選べる状態にしてあげればいいんですよ。社会がかたくなに否定するから、精神的にまいっていて何かにすがりたいと思う人は、みんな社会に背を向けてその弱みにつけ込むインチキ宗教に入れ込んじゃうんですよ。
表社会が否定するから、裏で悪徳霊能商会がカルテル組んで、一人カモを見つけると次から次へとたらい回しにして、骨の髄までしゃぶり尽くすような悲惨な被害を出しちゃうんですよ。
みーーんな、オープンにしちゃえばいいんです。
霊能を信じちゃって悪徳霊能商売の被害に遭ってる人は、否定して無理やり説得するより、「全国ありがたい神社仏閣最強パワースポット巡り」にでも連れていってあげればいいんですよ。
精神安定剤としてお化けは必要なんですよ。
自然や昔ながらの文化を守るのに妖怪が必要なように。
昔の心霊オカルト番組はね、例えば「あなたの知らない世界」のように、お化けをただ怖がろうというんじゃなく、研究しようという姿勢があったんですね。心霊研究家の新倉イワオさんとか。つのだじろうさんの心霊マンガ「うしろの百太郎」なんかもそうです。
心霊という物に対してすごく真剣だったんですよ。
それを最新科学にかぶれた世間は寄ってたかって「馬鹿馬鹿しい」「くだらん」と否定して、無くなっちゃった。
新倉イワオ先生、今頃どうしてんのかなあと思いつつ検索してみたら、今年2012年5月9日にお亡くなりになっていたんですね。享年87歳だそうです。残念。どうぞあの世でお元気に。
稲川淳二さんの怪談はいいですよね。怖くて、楽しいですから。
怖い、という精神的体験がいいんですよ。
お化けを怖がるというのは、その元である人間の心を恐れることですから、昔の人が悪さをする子供に「悪いことすると地獄に堕ちるぞお!?」と脅かすのといっしょで、道徳的にもいいんです。
「地獄に堕ちるぞお!?」と言っている大人がそれを信じているかは怪しい。子供を脅しながら内心ニヤニヤしてるんでしょう。
それでいいんですよ。分かっているけれど、それが人の成長や社会の安定に必要なことだと理解してやってるんです。それが伝統的な立派な大人です。
今の社会は、本当に大人げない、頭のいいことを鼻にかけたクソガキみたいな人間ばっかりですね。
ほんと、つまらねえなあと思います。