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ダークナイト

 祝地上波初放映!のクリストファー・ノーラン監督作2連発の、第2弾



  ダークナイト The Dark Knight



 2008年、クリスチャン・ベール、ヒース・レジャー、アーロン・エッカート共演。

 「バットマン ビギンズ」に続く新生バットマンシリーズ第2弾。


 こちらも以前書いたレビューを。



「これは本当に凄まじい映画だ。この映画が何を描いているかと言えば、世界の中のアメリカそのものだ。テロとの戦いが、逆にテロリストを生み、正義であったはずの戦いが追いつめられ悪の手段を取らざるを得ない。そしてバットマンは自らそれを引き受ける覚悟をする。しかし我々はそれを「かっこいい」と称えることにためらいを持つ。この映画はテロと戦うアメリカ賛歌なのか? しかしバットマンはひたすら苦悩し、ストーリーは混沌として、何一つ明確な答えを示すことが出来ない。純粋悪ジョーカーの凄まじいキャラクターはこの時代の狂気そのものの体現だ。ひたすらヘビーでハードな、我々の時代の刻印。」



 わたしはこの映画に関しては冷静さを欠いて感情的になってしまう。

 全世界的な大ヒットに関わらず日本ではさっぱり盛り上がらなかった。

 わたしはこの映画を「ま、まあまあなんじゃないの?」とか「どうってことないじゃん?」とか白けた批判をしている意見を見ると思いっきりむかっ腹が立って罵倒してやりたくなってしまう。

 映画の好き嫌いは当然あるだろう。むしろこの映画を手放しで褒めそやす意見はあまり信用できないと思う。しかし、この映画に「つまらない」という意見を吐く奴は、よっぽど世界情勢に無関心な脳天気か、ただの馬鹿か、どっちかだと断じる。

 何故このリアルなメッセージが伝わらないんだ!?と、嘆かわしい。

 今や国際関係ですっかり蚊帳の外の日本にふさわしいと言えばふさわしいけれど。


 メッセージと書いたけれど、実はメッセージを何も発信できないもどかしさを描いた映画だ。

 結論を書いてしまうけれど、これは正義が敗北する物語だ。悪が正義を打ちのめし、バットマンは自ら悪を引き受けることによってギリギリのところで正義を救う、非常に苦い話だ。

「何故こうなってしまうのだ?」

 という怒りと嘆きが闇を背にしたバットマンの漆黒の影からもうもうと立ち上るようだ。

 何故こうなってしまうのか?

 ありとあらゆるものが悪い方へ転がっていってしまう。

 人々は悪に恐怖し、悪に誘惑され、正義を信じられない。

 闇の中で悪を討ち正義を守るバットマンが、その正義を明るい表の世界に返し自分は消えていこうと考える。

 しかし新たに現れた悪=ジョーカーがそれを許さない。

 ジョーカーは狂っているがとてつもなく頭がいい。破壊と狡猾な知略と、両面で悪逆非道の限りをつくし人々を恐怖に陥れ、正義を悪へ堕落させようとする。

 何故奴はそこまでやるのか?

「おまえは俺には絶対勝てない」

 とジョーカーは狂った笑いを上げてバットマンを挑発する。

「おまえと俺の、何が違う?」

 バットマンは正義か?

 正義は非合法な悪の手段が許されるのか?

 では正義の正当な手段が悪を退治できるのか?

 正義とは何だ?

 −−そんな物、自分の立場でいくらでも変わる物ではないか?−−という現実を今まさに我々は某国の政府による民衆の虐殺事件で見ているではないか? あれは悪だと我々は思う。しかしある国とある国がその悪の政府を擁護して正当な正義を行わせない。しかしそれを非難する権利が……アメリカにあるか? 地域と国が変わればあっさり立場が逆転するではないか? −−正義なんて、そんな物だ。これがバットマンの抱えるジレンマだ。表の正義が正義を行えないから、裏の自分が今まさに行われている悪を叩かなければならない。しかしその手段が無法を呼び、事態を混沌とさせ、……ジョーカーのようなモンスターを生み出してしまう。

「おまえが正義なら正々堂々顔を見せて俺と勝負しろ!」

 そんな弱点を突くジョーカーの挑発に、闇の中のバットマンは苦々しく怒りを募らせるしかない。


 では我々はどうしたらいいのか?という問いを、この映画は突きつける。

 それぞれが自分の正義を主張してまとまらず、なし崩しに悪を放置している。

 自分は行動しないくせに、人の行動は批判して、自分の正義を主張する。

 巨悪は放置しているくせに、ちんけな悪を糾弾して自己満足に浸り、本当の現実を見ようとしない。結果悪に手を貸している。

 我々がこの映画から得るべきメッセージはたくさんある。

 「つまらん」なんて言う奴は、全く物を考えない、馬鹿だ。




 しかしながら。

 この映画が素晴らしいのはテーマ性に依存してのことではなく、1本の映画として、とてつもなく面白いからだ。シリアスで深いテーマ性と映画ならではの娯楽性が高いレベルで融合しているからこその大傑作なのだ。

 正義が悪をやっつけるヒーロー物としてより、強烈な悪のカリスマ=ジョーカーがグイグイ引っ張るクライムサスペンス、アクションとしてとにかく面白い。


 テーマ性なんて、実はどうでもいい。


 それは我々観客が勝手に考えればいいことで、映画が映画を作る動機として持つべき物ではない。

 わたしがサム・ライミ監督の「スパイダーマン」シリーズに今一つ乗れないのは、テーマが先にあって、そのテーマを語るために物語が作られている、小学校の「道徳」の時間に見せられるような人形劇のお説教臭さを感じてしまうからだ。

 テーマやメッセージは受け手が自分の意見として自発的に持ってくれなければ意味のないことで、作品が自分でしゃべってしまっては駄目だと、わたしは思っている。

 この映画の素晴らしいのはまさにその点だ。


 これは勝手な憶測だけれど、この映画の出発点は


  バットマン


  ジョーカー


 という、コミックのキャラクターだろうと思う。

 何故今バットマンなのか?

 今現在バットマンがバットマンとして活躍すべき必然性はどこにあるか?

 そのバットマンの敵としてジョーカーはどこからどのような登場をすべきなのか?

 そのようにキャラクターをリアルに考察していった結果、必然的にああいったストーリーになったのだと思う。

 スパイダーマンとどこが違うんだと思われるかもしれないけれど、実は大した違いはないのかもしれない。違いは、テーマのためにご都合的にストーリーを操るかどうかの点だ。スパイダーマンはそれをしてしまっている。ダークナイトはそれをしなかった。だからダークナイトはとっちらかったまま放り投げておしまいになってしまっているけれど、それが今の世界の中でとことんリアルにキャラクターを突き詰めていった結果のことなので、これほど世界中の観客の心に深くアピールすることになったのだと思う。



 7月28日、新生バットマンシリーズ三部作の完結編「ダークナイト ライジング」が公開される。

 ものすごく大きな期待と、不安と、両方ある。

 第2部が悪の勝利で終わったのは「スターウォーズ 帝国の逆襲」と共通する。スターウォーズシリーズで個人的にベストはこの「帝国の逆襲」だ。これも予定調和でないストーリーを描いたところに驚きと、終演後も高い興奮の持続があったのだが、今ふと思い出して「ダークナイト」もそうだったなと思う。

 シリーズ完結作の「スターウォーズ ジェダイの復讐」は一転予定調和の大団円で、正直言ってストーリー的には驚きも感動も何もなかった。

 「ダークナイト ライジング」に「ダークナイト」以上の驚きはあるのか?

 不安を抱えながらも思いっきり期待したい。クリストファー・ノーラン監督はきっと期待に応えてくれるはずだ。


 その前に、まだ見ていない人はこの機会に是非、我々の不幸な時代が生み出してしまった必然的な大傑作を見てもらいたい。

 今度こそこの国も目覚めますように。

(※放送は6月24日(日)午後9時からテレビ朝日系です)

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