デイ・アフター・トゥモロー
自分が映画のことを書きたくなるパターンが分かりました。自分の好きな作品をけなす批評を見ると「自分はこう思う!」と意見表明したくなるんですね。
で、この映画も。
この映画はテレビ放映で見たんですが、映画館で見れば良かったなあと思いっきり後悔しました。公開当時否定的な意見ばかりが目について(わたし的に言えば)騙されちゃったんですよねえ………。まあ…、「GODZILLA」があれだったからなあー…、「ゴジラ」じゃなきゃモンスター映画として普通に面白かったのになあー、ブツブツ。
この監督は巨大な被写体を描くのが上手いですね。それだけって気がしないでもないですが、いいんです、それが見たいんですから。
「その巨大さをどう見せるか」
の見せ方が上手いんですよね。脚本も画の撮り方も上手いなあと思います。
おっきい物がいきなり「ドン!」と出ても、スクリーンの大きさは変わらないですから、その大きさは伝わらないわけです。夏祭りの花火をテレビで見ても全然面白くないですものねえ? この監督が上手いのは身近なスケール感で、「え? まだ? まだ? まだあ? もっと大きいの?」と、徐々にそのスケール感を「実感」出来るように計算して描いているところ。B級だろうと馬鹿馬鹿しかろうと映画は「画」で見せる娯楽ですから立派です。
でもこの映画、映像の迫力だけが魅力ではないと思います。
「デイ・アフター・トゥモロー Part2」を期待した「2012」はわたし的にはイマイチで、あそこまで災害が巨大になってしまうと「ああ、こりゃ無理だ」と自分なんかは絶対に助からないと思うんですね。「デイ・アフター…」や「インデペンデンス・デイ」はまだ頑張れば逃れられるかと期待できてそこにスリルやサスペンスが生まれて来るんですがね。「2012」は迫り来る災害からの逃走劇も完全にマンガになってましたからね、面白いっちゃ面白いけど……、あんまり真剣に見る気にはなれなかった。
「デイ・アフター…」では人々が必死になって大災害と戦う姿が描かれています。
中でもわたしが一番感動したのは観測所で最後までデータを送り続ける教授と助手たち。
彼らは既にそこから脱出できないのを知っていて、家族に会いたいなあと思いながら、子どもや孫たちの未来のために最後まで自分たちの仕事をまっとうしようとします。尽きようとする灯油をスコッチで代用しようとする助手に教授が「何を考えているんだ? これは飲むためのものだ」と最後にみんなで乾杯するところなんて泣けてくるじゃないですか。
しかし無情にも巨大な災害は必死な人々の運命を分けていきます。
この映画を批判する意見で圧倒的なのが、映画の後半、吹雪に閉じこめられて孤立する息子を救出に向かう気象学者の主人公の行動。
「まったく意味がない」
「馬鹿じゃないか」
というのが批判する人の意見ですが、わたしは普通に、至極もっともだと感じました。
確かに、事実だけ見れば、行ったところでどうなるんだ?、どうせ嵐が晴れれば救援ヘリが来るんだから意味ないじゃないか?、とわたしも思います。
しかし、そういうことじゃないんです。
それは、全体を俯瞰して「分かっている」わたしたちの視点から言えることで、吹雪の中孤立している遭難者には分かりません。頭では分かっていても、このまま救助もなく凍え死ぬのじゃないか?という不安はどうしても拭い切れません。それに対し、「大丈夫だ、父さんが必ず助けに行くぞ!」というのは遭難した息子に対して当然掛けてやるべき励ましの言葉です。きっと助けが来てくれる、と強く思えるから凍える寒さにも耐えようと頑張れるんです。
でも結局行ってもしょうがないんだから、わざわざ吹雪の中出かけていく必要ないじゃん?、というのは至極もっともなのですが、これも、そういうことではないんです。では、嵐が晴れて表に出てきた息子にヘリで悠々父親がやってきて、「いやあ、助かってよかったなあ。頑張ったぞお?」と声を掛けて、そうしたら息子はどう思います? 理屈では分かっても、「でも、父さんはけっきょく僕が一番大変な時に来てくれなかったよね?」とひどく白けた、冷たい感情を抱くんじゃないでしょうか? 「必ず助けに行く!」と約束したことを実行してくれたから、結果的に無駄な行為であったにしろ、信じた心は報われ、息子は「ああ、頑張ってよかったな」と思えるのではないでしょうか?
このエピソードには映画前半で、妻や息子の人生において、とても大事なところでいつも父親は研究に飛び回っていて不在だったという前振りがあります。ここで父親が「行く!」と言って行かなかったら、親子の信頼関係は二度と修復されないでしょうね。お決まりの、無駄なドラマといえばそうなんだけど、映画全体の構成としても良いストーリー運びだと思います。無謀な父親に仲間たちが同行するのも、純粋に友情からと肯定的に見てもいいんじゃないでしょうか? その熱さが、人類の未来へとつながっていくのだと信じたいじゃありませんか。