クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ黄金のスパイ大作戦
まったく思いがけず、傑作だと思います。
今回のストーリーはかなりエグイです。これを読んでいるのはだいたい大人の人たちだと思いますので、どこが傑作なのか説明するためネタバレで書かせていただきます。純粋に映画を楽しみたい方は読まずに、ご覧になってからお読みください。
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今回しんのすけはスパイになって活躍します。
大好きなアクション仮面をサポートするためのスパイ団にスカウトされ、ちょっと年上のレモンちゃんという女の子とコンビを組んで、アクション仮面から託されたあるミッションを遂行することになるのですが…………
このアクション仮面スパイ団は真っ赤な偽物。アクション仮面ファンのしんのすけを釣るためのエサで、その実態はある独裁国家のスパイ組織であり、しんのすけにはとなりの国の研究所からある発明品を盗ませようとしていたのだ。
ここからこの映画が傑作である理由ですが、
ある独裁国家というのは、まあ当然日本にもお馴染みの某国を想定しての設定でしょう。
しんのすけがコンビを組むレモンは、軍部のそれなりの地位にあると思われるスパイ夫婦の娘で、コンピューターのハッキングもお手の物、驚異的な身体能力を示す彼女は幼い頃から両親に厳しい英才教育を受けてきたと思われます。劇中レモンは通信機で上官でもある母親と連絡を取り合うのですが、母親はあくまで厳しく、「できるわね?」と娘に任務の遂行を義務づけます。娘レモンもまた「はいママ。問題ありません」と義務に忠実に、母親の期待に応えようとします。
なんとも厳しく冷たい親子関係です。
しんのすけはある理由でこの任務に必要不可欠で、レモンはアクションスパイのエージェントと偽ってしんのすけに近づき、任務のためならばしんのすけの友だちたちも平気で嘘をついて危険な仕事に利用し、しんのすけの家族にも接触します。
レモンの冷たい親子関係の対比としてしんのすけの野原一家が登場します。
その家族揃っての食卓でもレモンは自分の境遇を偽り、聞き分けのよいお利口さんを演じるのですが、しんのすけの父親ひろしに
「レモンちゃんは物分かりがよすぎる! 子どもはもっと我が儘言って親に甘えるものだ」
と半分説教のように温かく言われます。この言葉でレモンはショックを受けたように中座するのですが、実はそれは本国からの指令によって一家を拉致する手はずのためだった…………非情です。
この映画で主人公しんのすけはかなり馬鹿な子どもとして描かれています。
マンガ的に「おバカ」というより、かなり腹の立つ頭の悪いガキとして描かれています。
人の話を聞かない、我慢できない、単純、我が儘。馬鹿。
大人が考える「どうして子どもっていうのはこう馬鹿なんだろう」と腹立たしく思う子ども像に描かれています。かなりウザい、むかつく馬鹿ガキです。
しんのすけが「悪のマッドサイエンティストからアクション仮面の大切なアイテムを取り戻す」ミッションとして侵入する研究所の博士は、実は素晴らしい善人で、わざわざしんのすけに事の真相を明かし、「君は騙されて悪いことをさせられているんだよ?」と教えてくれるのに、馬鹿な子どものしんのすけは言うことを聞かず、博士の大切な発明品を盗み去ってしまう。
その後で騙されていたことを知り、ショックを受けるのですが……、馬鹿なおまえも悪い!
善人の博士に対して、博士から発明品を奪わせた国の独裁者=二人組の女(モデルはpossible姉妹でしょう)はろくでもない世界的テロをもくろむ悪人です(言ってることをよく聞いてるとかなり具体的で危ないネタです)。
ここまでのストーリーは、そのままシリアスな謀略サスペンス映画に転用できる物です。アクション仮面なんて子供だましで笑っちゃいますが、例えば、外国から知らずに麻薬を運ばされていて、有罪になって終身刑、または死刑にされてしまう、なんていうニュースがありますよね? そういう怖い話です。
クレしん映画として致命的かも知れませんが、笑いはあまりありません。ギャグはたくさんちりばめられているのですが、正直あんまり面白くない。「ブリブリ〜!」なんてやられてもちっとも笑えない。「面白い映画」を求めて、「つまんない」と言う人も多いでしょう。
この映画も最後はお約束のドタバタ活劇になって大団円を迎えます。
任務遂行の手段としてしんのすけを騙すところまでは承知していたレモンが、しんのすけと拉致された家族が人体実験に使われ、ようやく自分の任務に疑問を持ちます。
レモンが独裁者に忠誠を誓う両親と国を裏切って、しんのすけと一家を脱出させ、自分のせいで実現しようとしている世界テロ計画を阻止するため死をも覚悟して破壊工作を行おうとする。
その破壊工作も両親によって阻止されようとする。レモンの奥歯に発信器が埋め込まれ、彼女の行動は常時見張られているのだった。
しんのすけが応援に駆けつけ、ここでレモンは初めて子どもらしい感情をあらわにして両親に逆らう。
「この国のやろうとしていることはおかしいよ! 大人のくせに、そんなことが分からないの!?」
と。傑作だなと、確信しました。
野原一家も当然応援に駆け戻り、レモンの家の謎の家政婦イツハラ(「家政婦は見た!」)も参戦し、大騒動の内にクライマックス。…………これが傑作。ここまで笑いが不発だったムラムラをドッカーン!と大爆発させて、気持ちよく大笑いしました。
この映画のストーリーはシリアスに語れば現実的にすごく怖い物です。
それを「クレヨンしんちゃん」のくっだらないギャグとして描いているのは、感覚の鈍い、頭の固い人間にはピンと来ないかも知れない。
しかし考えてほしい、ではこれがリアルでシリアスなアクションやサスペンスで描かれたら、我々はその内容を素直に受け入れることが出来るだろうか?
「大人のくせに、そんなことが分からないの!?」
という少女の、子どもの、叫びを、素直に心に受け止めることが出来るだろうか?
シリアスな現実的にリアルな物語として描かれたならば、その迎えるハッピーエンドは確実に「嘘」になるし、きっとわたしたちは語られるメッセージに対しても、「いやまあそれは分かるけどね。でもね、現実にはいろいろ難しい問題があってね」と、「大人の理屈」をこねて、自分たちが解決できない「現実の問題」にいろいろ言い訳するのではないだろうか? ちょうど今、テレビで政府や官僚だの偉い人たちがいろいろ「現実的な」言い訳をしているように。
映画はお約束の大団円を迎える。現実には絶対あり得ない物凄いことが起こって独裁体制は崩れ去る(と思われるほどのインパクト)。
この馬鹿馬鹿しさに、わたしは「ざまあ見ろ!」と喝采を送りたくなった。
これは「クレヨンしんちゃん」というギャグの描き出すファンタジーだ。
シリアスな局面はけっきょくのところ誰一人傷つかずに上手くまとまってしまう。
わたしたち大人は現実の世界でこんなに上手く「革命」や「勝利」が起こらないことを知っている。
そうだったらいいなとは思う。
この映画は調子のいいギャグファンタジーだが、そこに現実の世界に厳然として存在する問題が、強いメッセージとして描かれていることを受け取るべきではないだろうか?
強圧的な独裁体制によって自分たちの行いに疑問を持つことを許されない国民。その両親の下に生み育てられた子どもは、最初からそれを「おかしい」とは思わない。それが「当たり前」なのだ。国の外に出て、外の世界の「当たり前」を見て初めて自分たちが「変わっている」ことに気づいても、自分たちを縛り付けている鎖を、まず心が、うち破ることもすごく難しいのだ。
「大人のくせに!」
と少女が叫ぶように、そうした国や政治の最大の被害者は、子どもなのだ。
映画を観る子どもたちはレモンのような子どもが本当にいるのかなあ?と不思議に思うかも知れない。わたしたち大人は独裁的な国家で人民が虐げられ、民族紛争宗教紛争で子どもがテロの道具として使われている現実を知っている。
それを明確なメッセージとして打ち出したこの映画にわたしは尊敬の念を抱く。
心に鎖を掛けられている子どもたちにこの映画を見せてやりたい。
クライマックスの爽快なファンタジーが、現実の世界でも起こることを夢見る。
子どもに叱られる恥ずかしい大人じゃあ駄目だなあと反省します。ごめんなさい。
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以上のようにわたしはこの映画を傑作だと思うのですが、気になるのは、こうして大人がシリアスに論じる内容を、肝心の子どもたちが「面白い」と思うのかどうか。
今回主人公しんのすけはストーリー上かなり割を食ったキャラクターになっています。あまりお利口ではないキャラクターは一見初期の悪い子ちゃんのキャラクターに立ち返ったように見えるかも知れないけれど、全然違います。初期のしんのすけが「だってオラ、子どもだも〜ん」と確信犯的におバカをやって大人を困らせていたのに対し、今回のしんのすけは本当にただの馬鹿なクソガキです。いつも通りのおバカでラッキーでクレバーなしんちゃんを期待したファンは戸惑い、がっかりするところが大きかったと思います。当然意図的に「日本のふつうの子ども」として設定されたのだと思います。ふつうの子どもじゃないレモンの視線を強調するためでしょう。
映画のテーマやメッセージを子供と一緒に見に来ている大人もちゃんと受け止めているのかどうかもちょっと不安です。むしろ「子どもにこんな物見せなくても……」と眉をひそめているかも知れない。だとしたらちょっと情けない。いいかげん子どもに言い訳するのはやめようよ?と思う。大人だってそんなたいそうな物じゃないんだから。でもさ、子ども、しんのすけのために必死の形相で「ウオーーッ!」とか言ってるひろしとかみさえって、かっこいいじゃない? 大人ももっとこの映画に熱くなっていいと思います。
まだ映画を見ないでこれを読んでいる人には完全に変な偏見を植え付けてしまっていると思うのですが、映画そのものはここで語ったような重いシリアスな物では全然なく、最初から最後までおバカなギャグの連続で、単純に笑って見ていればいい物です。(……ま、終盤までなかなか笑えないんですけれどね。だから最後クライマックスは溜まりに溜まったフラストレーションが一気に解放されて、あ〜気持ちいい〜〜、です)
わたしはこの映画に謝らなければなりません。この評論集で11年5月16日に「映画クレヨンしんちゃんシリーズ」を取り上げ、「オトナ帝国」と「戦国大合戦」はあんまり好きじゃなく、それ以降はクズだ!みたいにさんざん悪口を書いたんですが、その時点で最新作が4月16日公開のこの映画だったわけで…………たいへん!申し訳ありませんでした!! 観もしないでどうせ駄目だろうと決めつけていました。すみませんでした。…………えー…、言い訳をさせてもらうと、今回から監督が代わっているんですね。きっと気合いを入れて作ったんじゃないかなあ…………と。
おそらく最高傑作と評価されている「戦国大合戦」は「大人の純愛ロマン」を描いて異色でしたが、原敬一監督は案の定ほとんどやり逃げで、この後を作るスタッフはたいへんだろうなあと思っていたんですが、なんだかすっかり勘違いした「誰のための映画だ?」というのが続いて、すっかり興味を失ってしまいました。ようやく「大人も泣ける映画」の呪縛からは抜け出してきたのかなあと思っていたのですが、今回は「シリアスな人権問題」というテーマを全面的に持ち込むことで異色でした。それを軽やかなギャグで描いているところが素晴らしいです。ウェットにならないところにスタッフの男らしさを感じてかっこいいです。ちょっとひねると頭を使わない鈍い人は全然分かってくれないんですが……これでいいです!
この監督、増井壮一監督、脚本、こぐれ京さんですか、わたしはどういう方なのかまったく存じ上げないのですが、次作である最新作「オラと宇宙のプリンセス」でもコンビを組んでいるようで、期待できるのではないでしょうか? 果たしてシリーズのメインのお客さんである子どもたちの信頼を取り戻すことが出来るか? 勝負でしょうね。わたしはさすがに映画館に観に行くまではしませんが、また来年のテレビ放送を楽しみに待ちたいと思います。