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押井守に反論してみよう!PART2

 PART2です。

 しまった、反論してみよう!と言いながら前回は反論になってなかった。

 では押井バッシングを開始しましょう。


 若い制作者の作品やオタクを批判するようになったのは、「スカイクロラ」の頃からじゃないでしょうか?

 それ以前は知らないのですが、NHKの特番で見たインタビューで「自分の年齢相応に若い人たちへの責任を感じる」みたいなことを言っていたように思います。


 ……ふっ、

 年寄りになったもんだぜ。


 前回も書きましたがわたしは年寄りの感性は信じていません。若者と年寄りでは単純に時間の流れが違います。年寄りのテンポは若者には耐えられないほど鈍いです。ファンの方には申し訳ないですが宮崎駿の「崖の上のポニョ」もわたしは全然面白くなかった。(「千と千尋の神隠し」はものすごく面白かった。「ハウル」も面白かったです)「ポニョ」はひどい言い方をすれば「じじいの映画」と感じた。「子どものための映画」と言いながら、社会に対してチクリチクリと年寄り臭い嫌味を刺して、以前の映画では掘り下げて描いていたそういう部分が本当に年寄りの愚痴レベルに留まっていて、ムカムカと腹が立った。何故こんな不愉快な映画があんなにヒットしたのか、わたしの感性では理解できない。宮崎駿のブランド力とテレビの大量宣伝効果だと思う。

 と言えば、当然ファンの大々的な反発を受けると思いますが、反発するのはいわゆるオタクアニメとは縁のない一般の普通のジブリファンだと思います。そこで、そういう人たちに、ではジブリ作品以外にどんなアニメ映画を観ていますか?知っていますか?と訊きたい。おそらくほとんど知らないと思いますし、興味もないと思います(知ってるのは「ポケモン」と「ドラえもん」「名探偵コナン」くらい?)。ではあなたはどうやってジブリアニメを知りましたか?と訊かれれば、ほとんどは最初はテレビで「トトロ」や「魔女の宅急便」や「ナウシカ」を見た、と答えるのではないでしょうか? それも当然で、多くの一般人はそもそもアニメなんて言う子どもの見る物、興味を持っていないと思うのです。なんだか評判がいいみたいでテレビでやってるから見ていたら、びっくりするくらい面白くて、感動した!というのがジブリ初体験だったのではないでしょうか?

 「トトロ」とか「魔女の宅急便」って、いったい何回くらいテレビで放送しているんでしょうか? 他にこれだけ回数放送されるアニメ映画って、後は「ルパン三世」くらいのものじゃありませんか?

 他のアニメ映画って、一般には存在さえ知られないのですよ。それを支えるのはやっぱりオタク的な熱心なアニメファンだけで。

 そこで宮崎駿に腹が立つのが、宮崎おじさんはそうしたオタクアニメファンが大嫌いで、そんな奴らが喜んで見ているオタクアニメが大嫌いなんですね。アニメが嫌いなんですよ、このおじさんは。

 宮崎駿のアニメ嫌いは、キャスティングにはっきりしていると思います。メインのキャラクターはほとんどタレントに占められて、それはテレビに取り上げられて宣伝になるようにという計算もあるでしょうが、やっぱり監督本人の意向も強いと思うのです。一般のアニメ声のアニメ声優が大嫌いなんですね。わたしは逆にすっかりセレブタレントのステイタスになっている「宮崎アニメ臭さ」(いかにも一生懸命本気で演じてますみたいな〜)にうんざりしています。「魔女の宅急便」までプロの声優が演じている作品はごく自然に観られるのに。例えば考えてみてくださいよ、みんな大好き!「となりのトトロ」でメイちゃんやサツキちゃんを今をときめく子役タレントや若手女優が演じたりしたら……ものすごく違和感を感じるんじゃありません? そんなの嫌だ!って思いません? メイちゃんはメイちゃんで、サツキちゃんはサツキちゃんで、他の(演じている)誰かじゃなくって、だから素直に親近感を感じられて楽しいんじゃありません?

 アニメ業界には制作スタッフも声優も、宮崎アニメに憧れて、出来るものならいっしょに仕事がしたくて、プロになった人も多いと思うのです。しかし宮崎監督はそういう声優を使いません。アニメファンからしてみればどうでもいいタレントを大量に投入します。宮崎アニメに出演するなんて、憧れる声優からすればどれほどの勲章であるか知れないのに、まったく受け付けません。その上でオタクアニメを批判する宮崎駿はアニメファンからすれば裏切り者です。

 ものすごく憧れて、裏切られて、その上「最近のアニメはどーたらこーたら」と批判されたんじゃあ、大御所に対して「はいはい、どーせ僕らはあなたとは違うC級Dame級のクリエーターとも呼べないクソオタク絵描きです」と、(そこまで卑屈にはならないかも知れませんが…)反発を感じるんじゃないでしょうか?

 わたしは宮崎駿監督を偉大なアーティストであり思想家でありクリエーターであると尊敬しています。

 なんだか今さら取って付けたようなことを言いますが、それは他の多くのアニメ制作者も同じだと思います。しかし、じゃあ自分たちも宮崎アニメのようなオリジナルの自分たちの理想とするアニメを作ることの出来る環境にあるかと言うと……、それは前回さんざん述べたとおりです。商売と、現場クリエーターの創造性がなかなか上手いバランスで成り立っていないと言うのが現在のアニメ界の問題だと思います。その責任がどこにあるかというのも前回さんざん述べました。

 ここで改めて何が言いたいかというと、

 宮崎駿監督! あなたほど恵まれた環境で仕事が出来ているアニメ作家なんて、他に一人もいませんよ!

 と言うことと、

 今のこういうアニメの環境を作った、あなた方もその一員じゃないんですか?

 と言うこと。

 2番目については宮崎監督は「冗談じゃない!」と怒るでしょうし、怒る資格があると思います。1番目については明らかに今の特大の成功した環境というのは日本テレビがバックに付いているからです。これは日本テレビと組む前の「となりのトトロ」と手を組んだ「魔女の宅急便」以降の興行成績の差ではっきりしています。ただこれも、大手メディアと組めばそれで成功するのか?と言えばそんなことはなくて、何よりも作品の魅力であり、宮崎監督の才能であり、それまでの実績であり、その才能を理解する周囲の熱心なサポートがあったからです。宮崎駿は何もいきなり大成功を手にしたわけではなく、おそらく、誰よりもアニメの具体的な仕事を膨大にやってきた、才能と仕事量の、当然報われるべき結果であり、商売としてのアニメと制作者の作家性が合致した幸福な成功例と見ていいでしょう。このコンビネーションが他の多くの制作現場でも実現できるとよいのですが。宮崎監督にしてみれば若いアニメ制作者たちは「まだまだ努力が足らん!」ということかも知れません。


 あれ? これって「押井監督に反論しよう!」だったよね? なんで宮崎駿監督に飛び火してるんだ?

 と言うところですが。

 冒頭に書きました押井監督のインタビューの発言は、宮崎監督の影響があるんじゃないかと思うんです。

 一見まったく作風の違う二人であり、お互いにけなし合う(?)喧嘩友だちのようですが、ものすごーくレベルの高いけなし合いで、それはお互いに才能を認め合っているからだと言えるでしょう。なんだかんだ言いながら押井監督にとって宮崎監督は尊敬する偉大な先輩だと思うのです。自分も年を取って、若い頃は先輩の大人の意見に反発していたのが、だんだん自分も経験的に同じような考えが芽生えてきて、過去の宮崎監督の意見に素直に従うような心境になったのではないでしょうか? 以前は自分がそう見られていた「若造」たちを自分がそう見るような立場になって、より鮮明に見えてしまう部分もあるのでしょう。

 二人は同じ時期に押井監督「イノセンス」宮崎監督「ハウルの動く城」を共にジブリの鈴木敏夫プロデューサーの下で作っている。鈴木プロデューサーのパイプを通じて見ないふりをしながらお互いの仕事を意識していたところがあるんじゃないかと勝手に想像する。この時期を境に押井監督は心境的に宮崎監督に素直になっていったんじゃないかとこれまた勝手に想像する。(まあ物事そう単純なものとは思わない。いろいろ複合的な事情があるのでしょうけれど)

 こうして押井監督は宮崎監督に引きずられて「じじい」になっちゃったんじゃないかと思います。

 あのさー、


 また話が飛びますが、レディー・ガガが人気ですよね。現在日本ではほとんど唯一ヒットしている洋楽アーティストという気がしますが。彼女が「ライク・ア・ヴァージン」のマドンナの後継者だというのは誰も異論はないと思いますが、わたしはマドンナが嫌いです。マドンナは作品の内容よりコンセプトの目新しさで売れている現代アート的なアーティストだと思います(日本ではすっかりお茶の間的には過去のスターだと思いますが、欧米では現役のスーパービッグスターです)。その彼女もいい年してまだやるか!?という過激パフォーマンスで頑張っていて立派なものですが、一時期は欧米人にありがちなヨガ思想にはまったりして、「あの頃(ライク・ア・ヴァージン)のわたしは…」はみたいに過去の自分を痛ましく振り返って現在の若い子たちへのメッセージにしているみたいなところがあって、わたしは思いっきり、「ケッ」、と思ったわけです。あれっだけ世間の良識から大ひんしゅくを買いながら「目立って成功した者勝ち!」と若い子たちに勘違いさせてさんざん風俗を乱して、それで大儲けして大金持ちになったくせに、今さらそりゃねーだろ!と腹が立ったわけです。成功した人間が過去の成功を否定するような発言って、ほんっとーーに!、ムカつくんですよね。じゃあそれに踊らされていたファンはなんなんだ?と。さすがマドンナはその点賢く、現在は自分の受け持つべきキャラクターをしっかり引き受けた活動を続けていて偉いものですが、わたしはしつこい性格なので一度白けてしまった相手にはもう興味が持てません。現役の若いレディー・ガガの方が断然面白いです。

 マドンナはそうして自分本来のキャラクターを引き受けた現役の活動を続けている。

 では押井守はどうなのだろう?


 押井守の出世作はテレビアニメ「うる星やつら」です。

 現在のオタクを直接生み出した元祖がテレビアニメ版「うる星やつら」だとわたしは思います。

 日本のアニメのオタク文化を考えたとき、その元祖は「宇宙戦艦ヤマト」の大学生を中心とした熱心なファンたちだったと思うんですが、幼かったわたしの印象では、すごく真っ当に「作品」として熱く語っていたように思うんですね。今のいわゆる「オタク」とは質が全然違って、彼らは元々ハードなSFファンが中心で、あくまで作品の「ファン」だったと思うんです。

 そのファンに「オタク」というキャラクターを与えてしまったのが押井版「うる星やつら」で、…わたしは原作マンガのファンで、アニメ版は嫌いでした。何が嫌いかって原作ファンとして言いますと、原作は基本的にとにかく面白いギャグマンガなんです。露出の高い美少女宇宙人が大挙して登場する、まさにその後のオタクアニメ的なポップな要素もたっぷりありますが、原作者高橋留美子さんはプロ中のプロという漫画家で、読者が何を喜ぶかというサービス精神はたっぷり持ちながら、「マンガ」という自分自身が大好きなスタイルには頑固にこだわっている人だと思います。ところが押井版の「うる星やつら」は、作品としての「マンガ」という枠組み、スタイルを、制作者が内部に入り込むことでぶち壊してしまったんですね。高橋留美子先生がインタビューで「どんなファンレターをもらうのが嬉しいですか?」という質問に「何ページの何コマ目の女の子がかわいいといった軽いものがいいです。「うる星やつら」の作品世界がどうのと長々書いたようなものはちょっと違うかな、勘弁してほしいなと思います」みたいに答えていたと記憶しているんですが、これがまさに押井アニメ版で、作中で作品世界を語るのは押井監督の持ち味で、監督なりの映画観、作品観でしょう。それを自分のオリジナルでやるのは勝手にやればいいですが(または「パトレイバー」や「攻殻機動隊」みたいに特殊な作品世界が主役みたいな物も)、人様の作品を勝手に「解釈」して作中でべらべら語るのは、それは原作者としては「何勝手なこと言ってるの?」と、冗談じゃない!というのが正直な思いじゃないでしょうか? 原作という素材がアニメ制作者に手渡され、そこでアニメなりの解釈とアレンジがされてアニメ版の「作品」として提示されるのは一向にかまわないと思うのですが(それだってあんまり原作と違えば当然原作ファンの反発を買うでしょうが、フォーマットが違うんですからある程度はしょうがないでしょう)、押井監督の「うる星やつら」でのやり方はそれとは違うんです。


 原作をアニメとして表現するのではなく、アニメの世界に持ってきた上で、作中に別の視点を設定して、本来見るファンが勝手に考えればいいことを、作品の中でべらべらしゃべって、作品の中で作品の見方を定義してしまっているのです。


 えー…、なんのことやらさっぱり分からないでしょうか。

 アニメ版には「メガネ」という原作にはない(ないと言っていいでしょう)オリジナルのキャラクターが登場します。こいつはヒロインの宇宙人の鬼っ子ラムちゃんが大好きで、ラムちゃんを大好きな自分、及びラムちゃんという非日常的な存在のいる特別な世界である自分たちの世界を、べらべらべらべらと、ことあるごとに語るんですよ!(…という印象がある。あんまり見てないんで勝手な嘘情報を書いているかも知れませんが、キャラクター的には間違いなくそういう奴です)

 要するに、この「メガネ」が「オタク」のキャラクターを明確にして、当時アニメ「うる星やつら」を語る男子ファンどもは、みーーんな、この「メガネ」になっていたわけです。

 作品の中に作品のファンのオタクキャラを登場させて、そいつに作品世界を語らせて、作品に定着させてしまう。

 原作ファンのわたしが「ぬわ〜〜にを勝手なことほざいてやがる!」と大っっっ嫌い!!だったのが分かるでしょう?

 でも最近はラノベでこういうスタイルは多いのかな? それをやった元祖が押井守ですよ!!

 この作中に作品世界を俯瞰して語る別視点を設定するというやり方は、ストレートに物語で勝負することを避け、作者が自分が作った作品世界を「大したことないかな?」「つまらないかな?」「幼稚かな?」という自信の無さを第三者視点で語ってしまうことで最初から誤魔化してつまらないことの言い訳をしているという見方も出来るかと思います。

 もし仮に、テレビ「うる星やつら」が今の新作として発表されたなら、「メガネ」のキャラはオタク人間の批判的なパロディーとして受け取られる(「恥ずかしい奴」)と思うんですが、当時はそういうニュアンスじゃなかったんですよね。文系ハードボイルドな、かっこいい、…当時も既にいた「現実の女子よりラムちゃんが大好き!」という男子たちに、自分たちの生き方を肯定するヒーローとして大受けして、一般人から後ろ指さされるのを「俺たちは特別な存在なのだ」とむしろ誇らしく思わせていたように思います。

 今に続くオタクアニメ文化の始祖が他でもない押井守であるというのはご理解いただけましたねっ!?

 テレビアニメ「うる星やつら」には他作品のパロディーも多かったように思います。前述のスタイルと合わせて押井監督自身の文系映画青年的趣味がプンプン臭います。

 そういうオタクアニメ文化を作った張本人が、オタクアニメ批判なんて、なあ〜〜にを言いやがる?と思いません?

 押井守よ! あんたはもうジジイだ! もはや現役ではない!


 よおーし、反論になってきたぞ。もう一押し!というところでまたまた長くなったのでPART3に続く!

 ちなみに当時ラムちゃんと並んでオタクアニメ男子のトップアイドルだったのが宮崎駿監督「ルパン三世カリオストロの城」のヒロイン、クラリスです。

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