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第1章:シュレディンガーの心

 春の光を存分に浴びながら生前大好きだった落花生の供えられた仏壇に向かって中指を立てる。

「死んでんじゃねぇよ」

 飾られた写真の中の男はこれでもかというくらいに大きく口を開けて笑っていて、その声すらも聞こえてきそうな錯覚に陥ってしまう。

「太陽〜。今日から二年生でしょ。後輩ができるんだからシャキッとして行きなよ」

 そんな母の声に反応して「はーい」と不機嫌を悟られぬよう声高らかに言った。

 父は死んだ。

 ただの趣味の範疇だった登山で、自然に殺されたんだ。

 消えることはないと思っていた我が家の光が想像よりも呆気なく輝きを失う。

「俺、もう高校二年生だぞ。十七の歳だぞ」

 返ってくることのない返事を数秒待ってから父の仏壇に供えられた落花生を奪い取って殻を破り中の豆を口に入れ噛み砕く。

「調理してないからクソ不味いよな、親父」

 ふわりと温かな風が窓の隙間から流れ込み、俺の体を確かめるかのように纏わりついていた。

「太陽〜。時間ないよ〜」

 リビングからの母の声に意識を戻され父の遺影に背を向けてフンと鼻を鳴らす。これが、今の俺にできる最大の反抗期だ。

「今行く〜」と柔らかな返事をしてからリビングに向かうと何やら気合の入った朝食が並んでいたので少しだけ膠着してしまった。

 そんな俺の姿を確認してから母は小恥ずかしそうに顔を手で隠しながら言う。

「今日さ、誠司さん達がご挨拶に来てくれるから早めに帰ってきてね」

「わかってるけど、朝から豪勢すぎない? 挨拶と朝飯って関係なくね」

 そう言いながらもホテルでしか見かけたことのないエッグベネディクトにナイフを通す。

 一口食べると美味すぎて語彙力を全て吸い取られてしまった。

「うんまっ」

 そんな俺の感想をスルーした母がいつになく真剣な表情をして目の前の席に腰を下ろした。

「誠司さんと再婚するの、太陽的には本当にいいの? 我慢してない?」

「してないよ。何回か会ったけど名前通り誠実そうで良い人じゃん」

「そ、そうなんだけど、ほら一緒に住むってなると真桜ちゃんもいるじゃない?」

「俺はなんでもいいよ。男はどんな環境でも順応できるように雑にできてるってどこかのおっさんが言ってたよ」

 微かに口元を緩ませなかがらそんな軽口を叩いてみると、母さんは父の仏壇がある部屋に視線を向けてふふっと笑みを漏らしつつ話し出す。

「今でもあの人のことは大好きだからね。忘れた訳じゃない。まあ、勝手に死にやがって、と怒ってはいるけどね」

「それは俺もだよ。一番死ななそうな屈強な体してんのにな」

 それから二人で笑い合った。

 温かくも当たり前の家族としての時間が緩やかに流れる。まるで嵐の前の静けさのように。


 普段よりも少し早めに家を出て高校までの道のりを歩いていると入学式を控える新入生達をを見かけた。複数人のグループでいる者達もいれば一人で歩いている者もいたり、遠くで両親と一緒に登校している姿もあったりでそれぞれの始まり方があるのだと思わされる。

 幸せそうにこの並木道を三人家族の姿がやけに気になって、たらればの世界線を想像してしまい虚しくなってしまった。その時、軽やかな足音と共に背中を軽く触れられた。

「太陽!」

 背後からの元気な声に驚かされて心臓がビクンと跳ねる。

 振り返るまでもなく、月森青葉が視界に潜り込んできて楽しげな笑みを浮かべていた。

「ビックリしたわ」

「え〜、ビックリしてなくない?」

「あんま顔に出んタイプなんよ」

 言い訳がましくも俺の武器であるポーカーフェイスについて説明に満たない説明をするが、青葉は不満そうに頬を膨らませてからコクリと首を傾げた。

 そんな些細な仕草でさえドキッとしてしまうような甘い輝きを彼女は醸し出している。実際に先程まで俺には目もくれていなかった中学生上がりの男子どもが足を止めてこちらに視線を向けて始めた。入学式当日に理想の女子先輩を見れて良かったな。だが、叶わぬ恋はしないほうがいいと先輩からの助言だ。

 まあ声にしないから伝わらないんだが。

「も〜しも〜し。無視しないでくれます?」

「ん?あー、ごめん。つい後輩が可愛くて気を取られてた」

「えっ。どこ。どの子が好み? ロング? ショート? 身長は?」

 突然の質問攻めを繰り広げながらも「どこだ〜、どこかに可愛いこいねーかー」と妙な言葉を口ずさんであたりを見渡している。

 まるでおじさんだな、と思いながら見ていると容姿端麗な見た目とのギャップに笑いを我慢できなくなって口元が緩んでしまう。すると、ふわりと芳醇な鼻をくすぐる甘い香りがして振り返る。

 そこには七海紗季先輩が立っていてこちらを冷めた目でじーっと睨んでいる。

 正確には俺を睨んでいる。

「朝からイチャイチャと。新入生への悪影響があるのでやめていただこうか?」

「いや、イチャイチャなんてしてないです。こいつの中身おっさんですから」

「誰がおっさんだ!」と青葉は俺の頭頂に手刀を繰り出す。

「痛いっての」

 嫌がって見せると、したり顔でニヤリと口の両端を吊り上げてから「貸しにしといてあげる」と言っていた。

「先輩。俺、こいつの文脈わからないんで通訳してください」

「それは野暮じゃないかな」と言い出してから七海先輩は空を見上げ話を続けた。

「例えばそれは『月が綺麗ですね』という言葉を『我が君を愛する』と訳してしまうほどに」

「まあ、俺はそれでも言われなきゃわからんですけどね。大体、月はずっと綺麗でしたよ」

 七海先輩は「おや?」と声に出して首を傾げてからニヤリと笑みを浮かべて尋ねてくる。

「それは、私と月森さんのどちらに向けた返事なのかな?」

「深読みしすぎて逆に浅いです。俺はただ月はいつ見ても綺麗だって感想を述べたまでです」

「やっぱり、君は面白い」

 その横で青葉がじっとこちらを睨んでいるのに気がついて俺はそっぽを向いた。

 勿論、七海先輩だって気がついているはずなのにあえて耳打ちで「放っておいていいの?」と呟く。その行動が引き金となってしまい青葉は俺の足を踏ん付けてから無理やり話題を作り出した。

「そう言えば、七海先輩は進路どうするんですか? 留学とかどうですか? サウジアラビアとかお似合いですよ」

「ちょ、お前、ただでさえ三年生は進路とか受験に敏感なのに、適当に留学とか言い出すな」

 七海先輩を擁護すると青葉はあまり面白くなさそうな表情を浮かべたが守られた側は対照的に得意げな笑みを浮かべて俺に問う。

「私が留学したらダメなのかな?」

「ダメ、ではないけど」

「ないけどなに?」

 留学という適当な選択肢を増やすな、という意味合いで言ったのにも関わらず改めて問いただされるとそれとは全く異なった個人的な理由がいくつも浮かんでしまい、余計に答えられなくなる。

 そんな俺の様子を見かねてか青葉が話に割り込んできてくれた。

「太陽は寂しがりだから先輩と離れたくないんだよね〜」

「え、あーうん。まあ」

「釈然としないね。君はいつもそうやって答えを出さない。もし私が数学者として生きていく人間だったら絶交だね」

「それなら先輩にはもっと相応しい人がいると思うのでこんなの早く捨てちゃってください」

「月森さん、それは私を理解していなさすぎるよ」

 七海先輩はそんなことを呟いてから交互に動く足元に視線を落として話を続けた。

「私はね、はっきりしない男は嫌いだけど数学者じゃないからね。許容できるタイプの人間なんです。あとは、訂正としていうけど、好きって気持ちは割り切れないから美しいと思わない?」

「それじゃあ、太陽が先輩の事を好きみたいになってませんか?」

「さあ? 私もそればかりは分からないね。何故なら、その質問の回答は彼が握っているから。殴れば開くようなパンドラの箱よ。試しに殴ってみたらどうかしら?」

 そんな不穏な提案を聞いた青葉は「ふーん」と声を漏らしながら拳を握り、俺の視界にチラつかせる。

「おい、待て。一緒にいる人間の顔がボコボコだったら青葉も嫌だろ?」

 咄嗟にお前にも不都合があるんだぞ、というニュアンスの言葉を吐いてみたが彼女はニコッと不敵な笑みを浮かべて口を開く。無論、振り上げられた拳は未だ下ろされていない。

「私は別にいいけどな、関係ないしね〜」

「七海先輩、こいつ止めてもらえません?」

「月は綺麗なのに、地表は意外とクレーターまみれで。そんな歪で美しいものを私は綺麗だと呼んでみたりするんだ」

「つまり、殴られていいと」

「私も答えが聞けるのならそれに越したことないから……」

 それから青葉から数発のゲンコツを浴びせられて、彼女らは俺がパンドラの箱でないと理解した。しかも、やけにあっさりと「何も出ないね」と七海先輩が言って「ですね」と青葉が返す。

 俺は結構可哀想な負のトライアングルに呑まれているんだと気がつく。美人に囲まれる妬ましいやつに見られるかもしれないが外側から見えるような甘い場所ではないのだと痛みを持って知る。

「話戻るけど、じゃあどうやって先輩に進路のこと聞けばいいの?」

 青葉が悪意なくそんな質問をしてきたので少し考えてから口を開く。

「先輩の船はどちらに舵を切るおつもりで?とかどうだ」

 一時の空白が生まれてから二人は落胆したように肩を落としてからそれぞれに勝手な感想を呟く。

「奇を衒う感じがキモい」

「凡庸な言葉」

「言っとくけど、大喜利じゃないからね?」

「で、七海先輩はある程度決めたんですか? 私も来年は考えなきゃだし参考にさせてもらいたいなって」

 普通に聞けるなら最初からそうしろ。

 無駄に俺を経由して攻撃しただけじゃん。

 七海先輩は「んー」と声を漏らしながらもにたっと笑みを浮かべる。

「私の進路はさ、少し太陽に向かって手を伸ばしてみようかと思うんだよね」

「ふーん?」

 うん。分かるぞ。青葉の抱いた疑問は俺も含めて耳にした人全員が理解不能だからな。もはやこの世の真理とすら思ってもいいレベルに意味不明。

 青葉は難しいことを考えたりせずに「納得のいく選択なんですよね?」と尋ねる。

 そんな文脈があっているかすらもわからない会話の中で七海先輩は満足そうな表情をしてから春のそよ風よりもささやかな声で言葉にした。 


「東に行くようで西に行けて。南を向いているようで北を向いているような。そんな幻想を抱ける場所なのだとしたら納得できるかもね」


 たったの一年しか変わらない年齢の差にしてみても彼女は大人の女性のような落ち着きを放っていて、全てを見透かすかのように訳のわからないことを口にする。

 そういう言葉遊びが独特で俺は結構好きだったりもする。

「先輩は大丈夫。例え、世界の掃き溜めみたいな場所に行ったとしても誰より自由に駆け回って意味のわからない比喩の一つや二つでも使いながら幻想に満ち溢れた場所へ変えてくはずだから」

 七海先輩はニヤリと余裕のある笑みを浮かべてから、少しの間をとって呟く。

「それは美化しすぎてるね」

 その声がどこか冷たく突き放すような、呆れにも似た違和感があったので何かを聞き返そうとして言葉に詰まる。

「よーしっ! クラス替えだ!」

 青葉の張り切った声に俺の中の違和感は払拭され先輩との会話の機会をも失ってしまった。


 昇降口前に張り出されたクラス表から上部だけに注視していると雨宮太陽と書かれた文字は簡単に見つかった。次にクラスメイトには誰がいるのかを確認していると青葉が言った。

「太陽と同じクラスだ。二年目だね」

 結婚二年目だね、みたいな言い方に聞こえるのは俺の脳内が花畑だからなのだろうか。

 これは思春期男子の敵とも言える邪念のせいだと頭を左右に振っていると人だかりの中から「太陽こっちだ!」と名指しで呼びつけられた。

 声の方に視線を向けると、ゴツく長い腕がスッと人混みの頭上に伸びていて手招きしている。

 青葉もその様子は見ていて笑みを浮かべながら「ツッチーだな」と呟いた。

 ツッチーこと土田勝もまた二年連続同じクラスとなった男だ。奴はクラスでもムードメーカー的役をよくこなしてくれる元気とバレーボールだけが取り柄のようなゴリラだ。

 補足すると、バレーボールはめちゃくちゃ上手くて『よく飛ぶゴリラ』と言われたりもしているが当人にゴリラの自覚があるため褒め言葉だと思っているらしい。

 そんなゴリラ。もとい、ツッチーの手招きする方へ青葉と向かうとそこにはお馴染みのメンツが揃っていた。

「おはよう、よく飛ぶゴリラ」と青葉がいたずらな笑みを浮かべながら挨拶するとツッチーは「おう」と短く答えた。

 ちなみに『よく飛ぶゴリラ』と命名したのが青葉であることはツッチーには言っていない。

 青葉もまたバレー部のリベロとして活躍しているようで、二人はクラスメイトという枠を超えたバレーボール仲間でもあるため一緒にいるところをよく見かける。

 目標に向かって情熱的に走る人はいつ見ても美しく眩しい存在だな、なんて思っていると「そっちの男は挨拶なし?」と言われた。

「挨拶はどっちからしてもいんだぞ?」

「へー口答えするのね」

 澄ました顔で俺を睨みつけながらも微かに口元を緩ませているこの棘のある女子は新たにクラスメイトになった浅岡雪音。

 青葉や七海先輩が表舞台で目立ち、男子及び多くの女子生徒からの憧れを向けられる存在だとしたら、彼女は知らぬ間に告白された回数が前者の二名よりも多かったみたいな感じの存在。

 自分から目立つような脚光を浴びるタイプじゃない為に幾分か敷居が低そうに見えるからこそ想いを寄せられて伝えられる回数が多いのだろう。

 本性は男に睨みを利かすような女子なんだが…。と、そんなことを思いながらもこれ以上黙っていると冷静に理責めされつつさりげなく罵倒まで浴びせられそうなので素直に挨拶をすることにする。

「遅くなり申し訳ありません。おはようございます」

「まあわかればいいの。これからは先に挨拶を徹底してね」

「俺、クラス替えしたいかも」

 こちらの様子を見ていた青葉とツッチーが声高らかに笑い声を漏らし洗い流される。

 

 それから下駄箱前で靴を履き替えた俺たちは新しい教室、二年二組へと足を踏み入れた。

 昇降口でクラス名簿を見た時にクラスメイトに心踊るような面白いやつが紛れ込んでいることを知っていたので、辺りを見渡すとお目当ての彼は呑気に文庫本を読んでいた。

 真っ先に近寄り声をかける。

「エロ小説か?」

 すると、顔を引き付らせた彼が文庫本をパタリと閉じてこちらを見上げた。

「おい、栞挟まなくていいのかよ」と思わず言ってしまうと彼は静かに頷いてから「いいんだ」と呟き話し始める。

「どのページまで読んだのか探してく作業も結構楽しいからね」

「そういうもんなの?」

「そういうもんだよ。で、俺に何か用事? 桃太郎くん」

 含みのある呼び名だな。

 そう思いながらも桃太郎と呼ばれた意味が分かると思わず笑みを漏らしてしまう。

 なんのことなのかわからない青葉は「どういう意味?」とハテナを浮かべて理人に尋ねる。

「イヌみたいな人がいて。キジみたいな人がいて……一匹ゴリラが含まれているけど、桃太郎みたいだろ?」

「おー」と納得して拍手をしている青葉とは対照的に浅岡がニヤリと笑みを浮かべて理人の前に立ちはだかった。

「随分と愉快な脳みそをしてるのね。じゃあ、そのお話での鬼はあなたで間違いないかな?」

「俺に鬼が務まると思う?」

「さあ? ただ私の知っている桃太郎よりもイージーな戦いになりそうね」

「まさか。鬼は君だよ。本編よりも凶暴でかつ言葉という刃物まで使ってくる強化バフモンスター」

「へー。じゃあ、キジになったあなたは飛んで逃げるのかしら。随分と臆病な生き方ね、ピッタリじゃない」

 そんな二人のやりとりを見ていてツッチーが笑っているように、俺もまた腹が捩れるほど笑わせてもらっている。ポーカーフェイスが聞いて呆れてしまうほどにこの二人の会話は面白い。

 元々、同じクラスになったことはなかったんだが昨年末に二人が活動している『よろず商業部』の手伝いをしたことがあり空木理人という一見目立たない男が逸材であることを知っていた。

 以来、クラスメイトになれる日を心待ちにしていたんだ。

「なんか、面白いメンツが揃ったな」と俺が言う。

「確かに楽しい一年になりそうだね」と青葉が共感する。

「ワハハ。面白いやつは歓迎だ。ようこそチーム太陽へ」と勝手に人の名前をチーム名に組み込みツッチーが二人を歓迎する。

「そういうのイタイので結構です」と理人が拒絶する。

「そこの男のチームみたいで少し不愉快」と別角度で俺の心を抉る浅岡。

 うん。本当に退屈しない一年間になりそうだ。

 これ以上ここで話していても変に目立ってしまうだけなので俺たちはそれぞれの席へと着く。

 少し他よりも目立ったグループとは妬みや逆恨みから変なトラブルに巻き込まれたりすることがあるので周囲の視線を常に意識していないと後々後悔するのはこちらになる。

 自分達だけが楽しければいいのなら放課後にでも集まればいいのだから。


 それから数十分ほどで校内には予鈴が鳴り響いた。と、同時に教室前方のドアが開き堂々と欠伸をしながら室内に入ってくる女性がいた。

 腰までかかるような長い髪をほったらかしにしたその姿を昨年から良く見ていた。

 こう見えて教師なんだよね、この人。

「えー。私のこと知らない奴挙手」

 そう言ってから辺りを見渡して、誰も手を挙げてないと分かると話を続けた。

「私が二年二組のクラス担任の金城恵だ。以上。あー、あと。このあと体育館行けよ、入学式だから」

 いや、あんたこそ行けよ?

 金城先生ことカネ先がぴたりと動きを止めてこちらに視線を向けてきた。

 何か嫌な予感がするが、俺の自意識過剰であってくれたらと思う。

「おい、雨宮」

「はい」

「お前、部活動入ってたっけ?」

「いえ」

「そうか」

 カネ先はニヤリと笑みを浮かべてからこう続けた。

「よろず商業部に入るか。学級委員としてクラスをまとめるか。どちらかを選べ。もしくはどちらも選べ」

「え、と。それ今話すことですか?」

「十秒やろう。十、九、八、七」

 なんだこの悪魔みたいな生物は。

 地球という美しい世界に生まれても尚こんな生き物が育ってしまうなんて、世の中はどれだけ神秘に溢れているんだろうか。

「三、二」

「学級委員で」

「よし。じゃあ、お前が今からまとめろ。私は仕事が残ってるから職員室に戻る」

 そう言い残して堂々と教室を後にしていった。

 俺が唖然としていると後ろの席に座っている理人の笑い声が聞こえてきた。普段はよろず商業部の顧問であるあの悪魔から被害を受けているのは理人だ。

 自分以外の人間が悲劇に巻き込まれる姿なんて早々見れないから楽しいでいるんだろう。

 とはいえ、一度引き受けてしまったものは仕方ないと割り切ることにして簡単な自己紹介だけを済ませてからすぐに体育館へと向かうことにした。


 学級委員として皆を牽引して入学式を迎えたのはいいが、あまりにも退屈すぎて途中から寝ていたかもしれないというくらいに記憶がすっぽりと抜けていた。

 こういった式典は自分がその対象者であったとしても出席したくないのだから、もはや拷問と言っても過言ではないだろう。

 こうしなければいけない。

 ああしなければいけない。

 こうしてきたから。

 ああしてきたら。

 息子、娘の晴れ舞台を見たいから。

 そういう固定概念とエゴによって作られた体育館とは違って、教室の空気は幾分か美味しく感じていた。

 クラスメイトらは近くの席同士で談笑しているがその騒がしさすらも心地良い。

 そんな環境を切り裂くように教室前方のドアが開いた。

 カネ先が相変わらずの気だるそうな表情で入ってきて自席に座って話し出す。

「今日の目玉は終わりだ。一応、あと一時間くらいは教室にいてもらう必要があるから、チャイムなったら勝手に帰っていいぞ」

 昨年、カネ先のクラスでなかった生徒は『そんないい加減なことあるの?』と言わんばかりの表情で困惑を表現していた。でも、こんなのは序の口だ。

 何故なら、この人は昨年の入学したてほやほやの俺らにも同様のことを言って机に伏せて眠っていた。その時は周りに知人すらいない状態の人ばかりだったから教室の沈黙が痛かった。

 それに比べたらだいぶマシなのには変わりない。でも。せっかくの機会なのでいくつか決めておきたいことがあり俺は静かに席を立つ。

「金城先生。もう一人の学級委員を決めてもいいですか?」

 ギロリと睨まれた後で「好きにしろ」とだけ伝えられた。

 眠れる獅子を起こすべきではなかった。無論、ポテンシャルを隠れ持っているものとかの比喩じゃなくそのままの意味。獅子のように怖い女の睡眠を妨げると殺されちゃうぞってこと。

 気を取り直して皆の方に向き直り口を開く。

「そうしたら俺が学級委員を押し付けられたので、一緒にやってくれる人いますか?」

 立候補者は出ないよな〜? という半信半疑での質問だったのだが意外な人物がピンと綺麗に腕を伸ばした。

「私でよければやりますよ」

「浅岡…」

 自ら表舞台に立候補するなんて珍しいな、と思いつつもこいつだけは嫌だった。だって、絶対細かいもん。俺の仕事にケチつけるもん。なんならよろず商業部にぶち込まれるし。

「えっと、他にいませんかー?」

「あら、私じゃ不満ということかしら?」

 浅岡は涼しい顔で笑みを浮かべている。

 絶対にこいつの学級員だけは死守しなければ俺が死ぬ。これはそういう戦いなんだ。

「浅岡さんはよろず商業部でお忙しいかな、と」

「それをいうのなら部活動に入っているみんなは該当しなくなるわね。でも、部に所属していないといえど皆があなたのように暇とは限らないの」

 マジでこいつ黙れよ。クソ、誰か。

 そう願いながら辺りを見渡して、青葉と目が合う。だが、何か言うまでもなくそっぽを向かれてしまったので振られたということだろう。

 こんな状況だというのに理人が相変わらず笑っている。今だけはこいつの反応にも腹が立つな。

「それじゃあ、私が学級員だと嫌だって人はいますか?一人でもいたら辞退します」

 浅岡がそんな言葉を漏らした後、教室内がしーんと静まり返り反論がないと空気に教えられる。

 仕方ない。半年間で任期は終わるからそれまでの我慢だな。

 そう思いながらため息まじりに「じゃあ浅岡で」と告げた。

 浅岡は席を立ち不服そうに顔を顰めたまま「じゃあって何? お願いしますでしょ?」

「はい。お願いします」

「人にお願いできなくなったら人である意味ないから」

 ほらね。細かいじゃん。面倒じゃん。しかも、変な自論まで強要してくるし。

 俺は席に戻ってから体中に流れる酸素という酸素を全て吐き出す。もしこの教室が息苦しいと感じている人がいるのならそれは俺に二酸化炭素を吐かせた浅岡のせいだかんな。

 メンバーとしては楽しい二年生なのにカネ先が引き金となって全てが悪転していくこの感覚は、小さい頃に父さんと登った山での突然降り出した雨のようだ。

 冷たく、そして鋭く突き刺さり、乗り越えた先に見える頂を想像して微かな高揚感を抱くような、そんな言葉にできない不思議な感情を抱いたまま二年生初日は幕を下ろした。


 お昼前に学校が終われば新生グループの面々と草加駅近くのショッピングモールでダラダラと時間を消費する。 

 普段なら夜まで、このどうでも良い時間を満喫しているのだが、今日は母さんの再婚相手が家に来ることにもなっているため十七時を回ったくらいに一人帰宅した。

 話によると、再婚相手の誠司さんと娘さんは我が家に引っ越してくるとか。

 だから、環境が大きく変わるわけでもないので俺としては凄く助かるし、何よりも人様の家での生活なんて考えただけでも非行少年になってしまいそうだ。

 そう考えると。娘さんは大丈夫なんだろうか。

 ガサツな俺でさえ嫌がるような状況を受け入れるなんてことできるんだろうか。女の子の方がそういうところ気にしそうなものだが、もしかしたら男よりも男っぽい肝の座り方をした子なのかも。

 そんなことを色々と考えながらも未だ一度も会ったことのない義妹になる子との対面に緊張していた。やましい気持ちがあるとかじゃなく、単純に会ったことのない人と会うのは落ち着かない。

 しかも、一緒に住むんだろ。

 こんなことならせめて年齢くらい聞いておけばよかった。

 後悔に満ちた重い足取りで駅から十数分の道のりを歩いて我が家に帰宅する。父さんが一括購入したと聞いているなんの変哲もない二階建ての一軒家。

 そのドアを開けると、すでに俺の知らない靴が二足並んでいた。

「あっ。帰ってきたみたい」

 リビングから母さんの声が聞こえてきた。

 その扉に手をかけようとするも勢いよく開かれて、中にいる二人の家族? に会釈をする。すると。誠司さんはスッと席を立ちこちらに近寄ってきては物腰低く挨拶をしてくる。

「太陽君。これからよろしくね。色々と環境の変化があって大変だけど、太陽君にとってのお父さんになれるように頑張るね」

 チクリと胸を何かが刺す。

「あ、はい。まあ、その。ぼちぼちでいいっすよ。俺堅苦しいタイプじゃないんで」

 そんな返答をした瞬間に頭部を硬い何かで叩かれて「いっだぁい」と苦い声を漏らしてしまう。

 攻撃の飛んできた方には母さんがいて、人様には見せられないような顔をしている。

 浅岡。鬼はここにいたぞと今晩メッセージでもしようか、と考えていると母さんはため息まじりに口を開く。

「よろしくお願いしますじゃないの? 人間、頭下げられなくなったら終わりだからね」

「うん?」

「なに?」

「いや、今日似たようなことを言われたなと思って」

「じゃあさっさとあんたもよろしくお願いしなさい」

「わかってるよ。誠司さん、これからよろしくお願いします」

 ぺこりと頭を下げてみると、誠司さんはにこやかな笑みを浮かべながら「君ら親子は最高だね」とだけ呟いてくれた。

 肯定されるのは悪い気しないな、なんて思っていると俺と近しいくらいの歳であろう女の子がこちらに向かってトボトボと歩いてきた。

「あー、そうだ。まだ太陽君には紹介できていなかったね。娘の真桜です」

 誠司さんに紹介された彼女は深々とお辞儀をしてからゆっくりと頭を元の位置に戻した。最近よく見かけるようになったショートボブヘアーなのだろうが前髪が長くあまり顔が見えない、暗い子だなというのが正直な印象だ。

 でも……。

「ほら、あんたも」

 そう言われて会釈だけした。

 思春期男子なんだからこんなもんでも頑張った方だと思ってもらいたいね。

 こうして挨拶を済ませた新生雨宮家? は仲良く食卓を囲むことになったのだが、ここで一つ疑問があります。

 俺こと、雨宮太陽は果たして日暮太陽になってしまうのだろうか。

 そんな疑問に誠司さんが笑みを浮かべながら答えてくれた。

「僕的にはどっちでも構わないよ。僕たちの結婚で子どもたちに与えてしまう影響は最小限でいたいと思うし、太陽君が決めればいい。僕はそれを尊重する」

 こうやって優しく包み込んでくれる男に母は惹かれていったんだろうな、と今更腑に落ちた。

 俺にとって苗字なんてものは飾りにもならないなんの変哲もないものだった。両親がくれた太陽という名前に比べたら取るに足らないものだったはずなのに、今では亡き父との繋がる最後の糸みたいに思えて手放せない。

 それが本心だった。

「俺は雨宮太陽。唐突ですが誠司さんはすっごい優しい人です。俺らを残して死んだバカ親父とは違う。だから、俺は誠司さんとの関係を築いていくんで」

 お前を父とは認めない。そう言いたい訳じゃないんだけど、今更亡くなった父さんと誠司さんを同じポジションに置くという割り切りができるほどに俺は大人じゃない。

 そして、その感情を胸に秘めたままやり過ごせるほど器用な人間でもない。だから宣言した。

 不快だって思われたとしても言わなければいけないと思った。でも、誠司さんはどこか嬉しそうな、それでいて感極まったように瞳を潤わせて小さく頷いてから口を開く。

「太陽君はそのままでいいんだ。そういう君だから円香さんは壊れなかったんだ」

「そんなのは大袈裟です」

「頼りにしてるよ」

 口元を緩ませながらも「ほどほどでお願いします」とだけ伝えておいた。

 こんなに会話が行き交う中でも真桜ちゃんは俯いたまま一口にも満たない量のご飯を箸でつまんでは口元に運び続けていた。

 そして、とうとう彼女が一言も発さないまま晩御飯の時間が終わった。

 母さんからも話しかけることはないし、誠司さんも当たり前のように過ごしている。

 俺にとっての違和感が二人にとって当然のことのようになっているこの現状が納得できず、俺は誠司さんと真桜ちゃんにバレないよう母さんにメッセージを送る。

『真桜ちゃん、何も話さないのおかしくない? 緊張?』

『うん。ちょっと訳ありで。あとで話す』

 すぐに返ってきた返信も虚しく収穫は何も得られなかった。

 そんな俺だけが異様に感じている時間を家族の団欒みたいな淡い色で上塗りしていくような、気持ち悪い時間を過ごして少しした頃、誠司さんが「そういえば高校の話聞いてなかったけど、どこだっけ?」と話を振ってきた。

 言われてみらば一回話したことがあるかないかくらいだったので改めて高校名を口にする。

「ここからすぐ近くの東陵高校です」

「そうなの? じゃあ真桜の先輩だな」

「えっ?」

 同じ高校? てか一個下だったの?

 あまりに誰も真桜ちゃんのこと話さないからそういう情報すらなかった。にしても、同じ高校なら今日どこかで見かけていたかもしれないってことだろうし、今後も学校で会うかもしれないと思うと気が引き締まる。

 仮にも妹の前でダメなお兄ちゃんになるわけにはいかない。

 なんてのは建前で、普通に格好悪いところを見られたくないだけ。

 それはそうとしても、やっと彼女に向ける話題ができたと思い少しばかり張り切って話してみる。

「じゃあ。真桜ちゃんと会うかもだ。あ、でも、どうしよう。一応ただの先輩後輩として振る舞う?」

 真桜ちゃんは俯いたまま小さく、前髪が動いたか動いていないかというくらいの幅で顔を振った。

 腹わたを握られたような苦しい空気が部屋に充満していき呼吸することすら忘れていた頃、母さんがパチンと手を叩いたことにより呼吸を思い出す。

「デザートがあるの。みんなで食べない?」

「おっ。いいね、食べよう食べよう」

 曖昧に流されることには変わりないその場凌ぎにしかならない選択に多少の苛立ちを覚えつつも机に置かれたショートケーキを大人しくフォークで切り分け口に入れる。

 二十一時を過ぎた頃、誠司さんが「そろそろお暇しようかな」と行って帰り支度を始めた。

 二人が引っ越してくるのは、週末とのことでそれまでは一旦顔を合わせることがない。残りの数日間だけがこれまで通りの日常で、その後は当たり前にしていかなければいけない日常になる。

 真桜ちゃんのこともそうだけど、それ以上に新しい家族との生活と考えると心にかかるモヤモヤを払いきれやしない。

 もっと自分のことを大人だと思っていたのにと少し落胆する。

 それから誠司さんと真桜ちゃんが我が家を後にする。

 母さんと二人きりになったことで俺は間髪入れずに尋ねる。

「真桜ちゃん、おかしくね?」

 母さんは深刻そうな表情をしてため息まじりに口を開く。

「最初に言わなかった母さんたちが悪かったね」

「あの子、何を抱えてるの」

「抱えてるってほどじゃないと思うけど。話せないの」

 話せないと言われても脳内で処理し切れるほどの情報がないため俺は質問を続ける。

「それって生まれつき話せない感じなの?」

「誠司さんの話だと、前のお母さんと離婚した時から気がついたら話さなくなっていたって。病院にも行ったけど異常があるとかじゃなくて精神的なストレスみたいな。曖昧な診断だったって」

「じゃあ、話さないだけなのか。話せなくなったのかもわからないってこと?」

「そうみたい。私も初めて会った時はしつこく話しかけていたんだけど。嫌なことも口に出してくれないだろうし、そう思うと怖くて話しかけられなくって。だから、太陽もその辺気遣ってあげて」

「学校は。学校ではどうしてんの?」

「行ってない。だから、あんたと校内で鉢合わせるなんてこともないと思う。家にいても自ら勉強するらしくて学力はかなり高いらしいんだけど」

 だけど、学校には行けない。

 行けなくなった理由も、声にしなくなった理由も何も知らない。

 そんな状況を受け入れて欲しいと頼まれている状況に納得がいかなかった。

「誠司さんはどうしたいって考えてるの?」

「今のところは真桜ちゃん自身の回復を待つって」

「本心じゃないでしょ。仮にそれが本心なんだとしたらなんで学校近くのこの家にわざわざ越してくる選択するんだ」

 母さんは困ったように目を泳がせながらもポツリと呟いた。

「もし行きたくなったらすぐ行けるように…」

「余計苦しめるだけじゃん」

「……」

 俺は深く、はあっとため息を漏らしてから痒くもない頭を掻きむしりながらリビングを後にする。すると「寝るの?」という背後からの声が聞こえて「風呂」とだけ返答した。

 脱衣所で服を放り投げてからシャワーを顔面から浴びる。

 母さんの再婚相手の子どもが不登校だろうと関係ない。話せなくても支障はない。過去に何があったかなんてどうでもいい。

 例え、辛気臭い空気が常に充満していようとも俺がそこにいなければいいだけなのだから無害だ。

 首を突っ込むな。

 何度も何度も何度も、自分の中で苛立つ心を落ち着かせようと自問自答をする。けれども、拭いきれないやるせなさが残っていてシャワーぐらいじゃ洗い流してはくれなかった。

 何度頭を洗ったのかもわからなくなるような無心の中で風呂から出て濡れた体を拭くよりも先にスマホの画面を開く。そこには一件、知らないユーザーからのメッセージ通知が届いていた。

「H.Mって誰だ…」

 画面に映る『新着メッセージが届いています』のタブに触って中身を開くとたった一文だけ送られていた。

『今日はごめんなさい』

 このユーザーが日暮真桜であることが容易に想像できたのでアプリ内を漁ってみると新しい家族のグループチャットが設立されていることに気がついた。

 ここから俺を追加したのか。

 だが、わざわざ謝りの連絡を入れてくる意味が分からなかった。 

 話せないなら。話したくないのなら関わらなければいい。そういう環境を誠司さんが作っていたんだろう。

 そう思いつつもなんて返信するべきか迷いに迷った結果。

『最後に食べたショートケーキ美味かった?』

 話を繋げようとしているように思われても無視されたって構わない。

 例え、そうなったとしても形だけの謝罪なんて受け入れてやりたくないという気持ちを優先することにした。けれど、彼女からの返信は予想外のものだった。

『実はショートケーキ苦手なんです』

「普通に続けるのか」

 体を拭いて頭にタオルを被せてからこちらも返信をする。

『なんだよ。言えば良かったのに。そしたら俺が二個食えた笑』

 送信してから頭をタオルで拭いてからドライヤーをかけていると返信が来た。

『気が回らなくてごめんなさい』

「なんかムズムズ? イライラ? する返信だな」

 ドライヤー片手間に『冗談だよ。デザートだと何が好きなの?』とメッセージを送り、タオルで再びゴシゴシ頭を磨いて一気に乾かす。

 ある程度の水気が抜けてきたところでメッセージの通知音が鳴り、今度はどんな文章が来るものかと画面を開いてみたらまた別人の連絡だった。

『ねえ、シュレディンガーの猫はどんな気持ちだったのかな。暗い箱に閉じ込められて怖がりながらこの世を去ったのか。恐ろしい人間から隠れて安心しきってこの世を去ったのか』

 こんな訳のわからんことを訳のわからん時間に送ってくるのは七海先輩だ。

 たまにこうして、夜になると変な話題を持ち出されるのだが、今日はシュレディンガー実験か。しかも、その実験台となった猫の感情ときた。

 シュレディンガー実験は割と有名だから名前くらいなら多くの人が耳にしたことがあるだろう。

 箱の中に猫を入れて毒ガスを流す。箱を開けるまでその猫は死んでいてかつ生きている存在という不条理を示した。

 そんなことをわざわざ観測しなくともいいじゃないか、と思う反面で必要なことだったのかもしれないと思う気持ちもある。

 それに…。

『猫は生きているかもしれないだろ?』

 そんな返信をした。

『それは面白い。確かに、箱を開けるまでは生死が確定しない、そういう実験だからね。今夜はよく眠れそうだ』

『おやすみ』

 それ以降、二人からの返信は来なかった。

 真桜ちゃんに関しては既読もついていなかったのでまたそのうち返信があるんだと思う。

 自室に戻り、スマホに充電ケーブルを差し込んでからベッドに横たわる。

 七海先輩が変なことを聞いてきたせいで脳が冴えてしまって眠りに着けそうになかった。だから、気分転換に窓を開けて夜空を見上げてみた。

 大きく光り輝く月は綺麗なのに地表は薄暗いだけだというパラドックスを体現している。

 『遠くから見えるものが真実とは限らない』と誰かが言った。それはある意味この世のどんな事象にも言えることなんじゃないかと思う。

 話せない。話したくないという風に見えていても実際は話したいと思っているかもしれない。

 それじゃまるで『シュレディンガーの心』だな。

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