第二十七話 帰還と換金
第二階層に足を踏み入れ、約三十分にわたって周囲を慎重に偵察した後、僕たちは来た道をたどり始めた。
零階層への帰路は行きよりもはるかに順調に進んだ。。先人たちが通った跡がはっきりと残っており、幸運にも敵の気配に遭遇することもなかったのだ。
空はすでに夕暮れ時。『世界の中心』の街に戻り着いた僕たちは、黄金の噴水場が設けられた中央広場に向かう。
広場にはすでに大勢の登塔者が集い、活気に満ちあふれている。換金施設に赴き本日の戦利品を換金する団体。魔判の詰まった袋を手に商業区画へ向かう男女、酒場で一日の労をねぎらう大人たち。それぞれが塔との戦いを終え、安堵の表情を浮かべていた。
「ふう…塔の中とはいえ、外の空気を吸うと、やっぱりほっとするね」
「そうだね、舞ちゃん!」
女子二人が肩の力を抜き、明るい声で会話を交わす。その様子を見つめながら、一足先に数歩前に出ていた根川が、振り向き口を開く。
「まずは魔石を換金するぞ!」
「了解」
「もす」
僕たちは、塔協会本部に隣接する『霧霧屋』と看板を掲げた換金所へ向かう。広い建物内には、すでに登塔者たちが長い列を成していた。これは時間がかかりそうだと内心ため息をつきながらも、仕方なく全員で最後尾に並ぶ。
「おや? 初めて見る顔じゃな。新人かい? この店の店主、『鈴利』じゃ。みんな儂のことは鈴爺と呼んどる…さあ、回収した素材をその机の笊に入れてくれ」
「お願いします…鈴お爺さん」
十五分ほど待って、ようやく僕たちの番が来た。勘定台の奥に腰を据えた鈴利――自ら鈴爺と名乗った初老の男性は、丸眼鏡をかけた細身の体に、淡い鼠色の和装を身に纏っている。
ひょろりとした風貌とは裏腹に、眼差しは鋭い。舞さんが笊に並べていく魔石やら素材を見るなり、即座に鑑定を始めた。
手際は驚くほど繊細で、長年の経験が滲み出ている。
「ふむふむ一層魔石計十五個、うち一つは色味が良いな。うむ、小鬼の素材も含めて五十魔判で買い取らせてもらおうかのう」
軽妙な口調で素材を次々に選り分け、魔判へと換算していく鈴爺。手元の帳簿には細かい数字が踊り、手慣れた様子で銭貨を束ねていく。提示された『五十魔判』という金額に、僕たちは一瞬息をのんだ。
「(一魔判が約二千円、換算すれば十万円相当。今日が初探索だったことを考えれば、これは上々の成果だ!)」
十五、十六歳の僕たちにとっては破格の報酬額。舞さんは目を見開き、左近寺さんも鈴爺の顔をまじまじと見つめていた。根川はさも当然という顔だが、口元にはわずかな満足が浮かんでいる。清龍君も「もす……」と感嘆の声を漏らした。
「ふっ、驚いたかね」
鈴爺は目尻を下げ、楽しそうに笑った。まるで悪戯が成功した子供のように。
「やったな」
根川がぽつりと呟いた。普段は冷静な彼の声にも、抑えきれない高揚が滲んでいた。
「うん、正直ここまで換金できるとは思わなかった。小鬼の素材ってそんなに高いんだね」
僕が思わず漏らした感想に、鈴爺は鼻髭をひくつかせ、再びにやりと笑った。
「ふふ、初陣にしては上出来じゃ。魔石も悪くはないが、この『小鬼の親指』はな、加工すれば陣法用の筆に使えるんじゃ。登塔者にとっては必要不可欠な道具ゆえ、常に需要がある素材じゃよ」
そう言って分厚い帳簿をぱたりと閉じた鈴爺は、孫娘に頷いた。少女は素早く魔判を数え、黒漆塗りの箱に並べていく。十枚束が五つ、加えて五枚が個別に置かれた。
……ん? 五枚分、多くない?
「これが換金分じゃ。初陣の祝いとして、五魔判を上乗せしておいた。気をつけて持っていきなされ」
「っえ⁉で、でも…!」
突然の申し出に、僕たちは一瞬で目を見開いた。全員の視線が、鈴爺の皺の刻まれた顔に集中する。
「がっはっは!ええんじゃ、ええんじゃ。若い衆の初陣祝いじゃ、遠慮はいらん。儂も昔は登塔者の端くれ、新人の成長を見守るのが今では何よりの楽しみなんじゃよ」
穏やかに笑いながらも、どこか誇らしげな眼差しで語る鈴爺。続けて彼は、一本指を立てる。
「それにな、おぬしらが強くなればなるほど、ええ素材を持ってきてくれるじゃろ? それがこの店の得にもなる。…いわば先払いってやつじゃ」
どこか商人らしい現実的な言葉に、皆の緊張がふっと解けた。純粋な善意だけではない。でも、それが逆に信頼を生む。
「ありがとうございます、鈴爺!次はもっと上質な素材を持ってきます!」
左近寺さんが深々と頭を下げると、僕たちも続いて礼を述べた。鈴爺は目尻の皺を深く刻んで笑い、そっと手を振るう。
「感謝します!」
「ありがとうございます、鈴お爺さん!」
「もすもす!」
「…助かった、爺さん。また来る」
舞さんと僕、清龍君、そして根川も、それぞれの言葉で感謝を伝える。
「いつでも歓迎じゃ。無事に戻って来い、若人よ」
魔判を収めた箱は、根川が丁寧に布袋へと移し替える。重さを確かめるように軽く揺らしてから、彼も静かに頭を下げた。僕たちも一礼し、換金所『霧霧屋』を後にする。
外へ出ると、中央広場の黄金の噴水が夕日に照らされ、きらめく水滴を散らしていた。広場を囲むように灯りがともり、登塔者たちの笑い声がどこからともなく聞こえてくる。美味しそうな食事の香りが漂い、街の空気に今日一日を生き抜いた安堵が満ちていた。
「さて、どうするお前ら。ここで解散か?」
根川が歩きながら問いかける。通りに連なる店々の灯りが夕闇の中で次第に輝きを増す中、僕たちは自然と足を止め、互いの顔を見交わした。
「ううん、少しだけ話し合いましょうよ。今日の分配のこととか」
舞さんの提案に、左近寺さんも「道理ね」と頷いた。
噴水のそばにあるベンチに腰を下ろし、根川が魔判の入った布袋を取り出す。五十五枚の金属片が夕日に照らされ、鈍く輝いている。予想以上の収穫に、皆の顔にほのかな誇りが浮かぶ。
「さてと。五十五魔判を五人で折半、か」
「単純計算で、一人十一枚ね」
枚数を数えた舞さんの言葉に、根川が頷いて続ける。
「そうだな。一人十一枚で、端数はなし。追加分の五枚は爺さんからの祝いだった。となれば、それも含めて五等分ってのが筋だろ……癪だが棒野郎とおむすび野郎の二人が戦力として認めた以上、分け前も同じだ」
根川の言葉に、僕は内心驚いていた。実際のところ、僕と清龍君の分け前が減らされる可能性も考えていたからだ。
「異議なし!あたし、異議な~し!」
「私も、もちろん異議なし!」
女子二人が楽しげに声を揃え、清龍君も「もすもす」と穏やかに微笑んだ。意外にも、根川は僕たちを対等な戦力として認めているようだ。
頷いた根川は袋から魔判を一枚ずつ取り出し、前に並べていく。黒く艶やかな金属製の板が積み重なる様は、小さな儀式のようだった。初めて手にした自分で稼いだ報酬の重み。自分の布袋にしまいながら、胸に静かな充実感が広がる。
「――っよし。十一枚ずつ。これで間違いないな?」
「うん、ありがとう根川君!」
「もす、もす」
「これで明日は装備を強化できるな」
根川の呟きに、舞さんが目を輝かせて言った。
「保存食に回復薬、防具の強化素材…夢が広がるわ!」
「私は矢の補充をしようかな。新しい革具足も気になってるの。協会支給の防具はどうも…ねぇ?」
「もすっ、もす!」
夕闇が迫る零階層の街に、仲間たちの笑い声が噴水の音に混じって響く。初陣を終えたこの日が、新たに結ばれた絆と共に、ゆっくりと静かに幕を閉じていった。




