第十話 夕暮れの図書館
初めて武器を手にしてから早一週間。午後の授業を終えた僕は今日も図書室の一角を占領していた。
日も傾き始め、陽光が赤みを帯び始める。静寂に包まれた室内、窓の外を眺めれば茜色に染まる塔が大空を侵食し、名も知らない鳥が視界を横切る。
十数名の訓練生たちが真剣な表情でそれぞれの課題に取り組んでいた。書物をめくる音、鉛筆が走る音だけが響き渡り、集中した空気が漂っている。
桜木教官から助言を頂いた一週間前。図書室に直行した僕は六尺棒に関する指南書を漁り読み漁った。その結果、分かったこと――殺傷能力が低い武器系統は総じて不人気なこと。六尺棒は塔では最も不向きな武器であると書き記されていた。
それでも…僕は諦めきれなかった。
書物に目を通して六尺棒の歴史、基本的な使い方、外部から招いた棒術の達人たちが、この長い棒でいかにして敵を制したか。その技量と知恵が丁寧に綴られていた。
図書室で様々な書物に目を通していたある日、六尺棒の有効的な使用方法を模索していた僕の脳裏に一閃の光が差し込んだ。
――それは同じ長物に分類される槍を扱う舞さんに指導を請うことだった。
幸いにも舞さんは快く指導してくれたため、六尺棒の有効的な使用方法の手掛かりを習得することが出来た。
一朝一夕では返せない大きな借りを作ってしまったけれど、感謝の念は尽きない。僕は槍の師でもある舞さんに日々感謝しつつ、今日も六尺棒に関する書物を漁る。
…そして、一週間が経過した現在。目の前には槍術と棒術に関する指南書、今日の座学授業で習った『陣法』の書物が山積みになっている。隣の席に座った舞さんは手元に開いた筆記帳に鉛筆を走らせる。
「うん?どうしたの」
僕の視線に気付いた彼女は顔を此方へ向けた。波打つ黒髪が揺れ動き、光を吸い込む夜空のような漆黒の瞳が僕を捉える。僅かに身を乗り出して僕に問いかけてきた。
「今日も一緒に勉強してくれてありがとう。でも…他の友達と過ごさなくていいの?さっきも誘われてたよね」
小声で少し言いづらそうに質問する。容姿端麗、文武両道、品行方正を誇る舞さんの人気は訓練生の中でも群を抜く。男に限らず同性からも羨望の眼差しを受け、異性からは好意を寄せる人が多い。
彼女は僕の言葉に一瞬驚いた後、クスクスと小さく笑い出した。
「誘いはいつもたくさん来るよ。でも…私は遊びに来たわけじゃない。真剣に塔を登るつもりでここにいるの。訓練をおろそかにして塔で命を落としたら、それこそ自分が惨めだもの」
姿勢を正した舞さんの表情には、揺るぎない決意が刻まれていた。言葉の一つ一つが、確かな重みを持って僕の胸に響く。
「そっか…でも、僕は舞さんと一緒に勉強できて、本当に助かってる。教え方が上手いから、難しい内容もスイスイと頭に入ってくるし。さすが筆記試験満点だけあるね」
感謝を込めて伝えると、彼女は頬を朱染めて、ほのかな微笑みを零した。
「ありがとう。でも一発合格した純君に言われても素直に喜べないわ。それに合格しても勉強を継続する向上心は大切よ?試験期間だけで手に入れた知識は直ぐに忘れてしまう。塔で生き残るため……それを理解し応用出来なければ、ただの飾りに過ぎなくなるから」
「うん、そうだね。特に今日習った『陣法』の技術は奥が深いよ。魔物が落とす魔石で図を書く『陣法』。形式を変更するだけで魔除けの陣、聖域作成の陣、静電気の陣にその他の効果を発揮する。勉強する甲斐があるよ」
舞さんの言葉に僕はうなずきながら目の前の書物を指差した。開いたページには複雑な文様や文字で構成された図が描かれている。
基本静かで資料が大量にある図書室は実に魅力的だった。優れた施設だが、鍛錬が忙しいこの訓練場の本拠で頻繁に利用している者は少なく、大半の書物は読まれるのを待っている状態にあるようだった。
「急に授業が難しくなったわよね、一回目の筆記試験に落ちた人たちが気の毒だわ」
舞さんが真剣な表情で呟く。他人を気遣う彼女らしい発想だが、今はまず自分自身を成長させる時。
「陣法もしっかり理解して、実戦で使えるようにならないと。一定の強さで描かないと発動しないし、戦闘中でも正確に描く練習が必要だ」
「その通りね。でも卒業試験までまだ時間があるから…焦らず少しずつ、確実に身につけていきましょう」
励ます彼女の応援が僕の焦りの氷を溶かす。
「うん…そうだね、ありがとう舞さん、自信が湧いてきたよ」
「ふふ、どういたしまして」
彼女は僕の返事に満足したのか再び机上の書物に視線を落とした。
静寂が支配する図書室で僕たちは勉強を続けていた矢先――「マイマイッ!」と彼女を呼ぶ大声が入り口から聞こえてきた。
「また来た…」
そう細く呟く舞さんに僕も思わず苦笑いを浮かべる。顔を振り向き入り口へ視線を移す彼女の表情は、呆れと諦めの感情が入り混じっていた。
「来ちゃった~!――くんくんくん。あ゙ぁ~マイマイ今日も良い匂い!」
図書室にもかかわらず早走りで駆け寄って来た女性が後ろから抱き着き、我先にと顔を寄せて鼻孔を膨らませ大げさに匂いを嗅いだ。……う、羨ましいぃ!
「ッあ、ジュンジュンも居たんだ。ふーん…また二人して私を仲間外れにぃ。マイマイは渡さないよ!」
「ちょっとユウユウ、私と純君は真面目に勉強してただけよ。後ここは図書室だから、もう少し静かにしてね?」
「はーい!」
舞さんの注意を気に留めない女性の名前は出水優莉。班は違うが舞さんと寮が同室で天真爛漫な性格と可愛らしい顔立ちから男子の人気は高い。いわく、思わず守ってやりたい存在らしい。
舞さんを世界一愛していると明言した彼女は僕を目の敵にしており、毎回こちらを冷淡な視線で睨む。
「まぁ勉強はその辺に!それよりもう晩御飯が出来上がっているから寮へ戻ろよーマイマイ~」
一つに束ねて背中に流した舞さんの髪を摘まんで唇と鼻の間に置く。
「ちょ、ちょっと!ユウユウ、髪で遊ばないで!」
慌てた舞さんは優莉の手を払いのける、少し困ったような表情を浮かべた。しかし、優莉はまったく気にする様子もなく、むしろ楽しそうに笑っている。
「だって~マイマイ、ずっと勉強ばっかりしてるもん。たまには息抜きしないとダメだよ!ほら、今日の晩御飯は特製カレーだって!早く行かないと冷めちゃうよ!」
子犬っぽい態度で優莉は舞さんの手を引っ張り、立ち上がらせようとする。その勢いに押されるように、舞さんも仕方なく椅子から立ち上がった。
「はいはい、わかった、行くから。でも、まずは本を片付けないと」
「僕が片付けておくから、舞さんは行っていいよ」
机の上に散乱した書物を片付けようと手を伸ばす彼女を制して僕は先に行くよう促した。
「う~ん……ごめんね。ありがとう」
「ジュンジュン流っ石!ユウちゃん得点一点を頂戴しよう」
舞さんは小さく頭を下げて優莉と一緒に図書室を出て行った。一人残された僕は二人分の書物を手に抱えた。
「ふぅ、少しでも力を付けないと」
ため息と同時にこぼす独り言は夕陽が差し込む静寂の空間に溶け込んでいく。本棚に本を戻した僕も自身の寮へ向かった。




