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結論から言ってしまうと、私が男爵令嬢リーリエ親衛隊ABCならびにダニエルに呼び出されたあの一件は、うやむやのうちに幕を閉じた。
理由は明白。
「揉めているようだが、大丈夫かい? 私が間に入ろうか?」
そんな言葉と共に現れたのが、ハーヴァード公爵家のご令息、エリオット様だったからに他ならない。
「エ、エリオット様……」
「騒ぎが聞こえてね。第三者を交えた方が、冷静な話し合いができるだろう。私で良ければ力になろう」
「いえ、そんな。公爵家のエリオット様にご面倒をお掛けするわけには…」
「そうか? だが、男四人で女性一人を取り囲んでいるこの状況は、側から見ていてもあまり気持ちが良いものではないぞ?」
エリオット様に指摘されて、ようやく自分達の状況に思い至ったのだろう。
親衛隊ABCならびにダニエルは、「そ、そういうつもりでは……」などと言いながら、逃げるようにその場を後にした。
残されたのは、私とエリオット様。
「なんだったんだ……」
エリオット様の呆れたような呟きが聞こえたけれど、私はすぐに反応することができなかった。
先程ダニエルに掴まれたせいで、まだじんわりと痛む両肩に手を置き、呼吸を整える。
そのままゆっくりと息を吐き出すと、頭上から「大丈夫か?」という声が降ってきて、思わずぴくりと肩が揺れた。
「すまない」
目の前の人物は一言そう断ると、ゆっくりと腰をかがめて私の顔を覗き込む。
「大丈夫……ではないな。顔が真っ青だ」
そう言ってこちらを気遣うような表情を浮かべるエリオット様に、私は首を横に振る。
「いえ。ご助力いただき、誠にありがとうございます。エリオット様のおかげで、大事にならずに済みました」
もしも彼から声を掛けてもらえなかったとして、あの場を私だけで上手く切り抜けられたとは思えない。
「あのままでは、私は嘘の自白をさせられていたかもしれません」
彼らは、私の「言っていない」という言葉に耳を傾けようともしなかった。
それを思うと、あながち言い過ぎでもないだろう。
げんなりした気持ちでもう一度感謝を述べると、エリオット様からは「お役に立てたのならよかったよ」との言葉が返ってきた。
「近頃よく話題になる三人組の他に、もう一人別の人物が混ざっていたようだが?」
「ああ。あの人は私の婚約者なのです」
「なるほど。婚約者がいたのなら、私が出るまでもなかったな」
「申し訳ないことをした」と続けるエリオット様は、ダニエルが〝私側〟としてあの場にいたことを疑っていないように思われる。
「いえ、本当に助かりました。彼もあの三人組の仲間入りを果たしたようですから」
「それは、どういう意味だ?」
「彼は私を守るためにあの場にいたのではなくて、私を糾弾するためにあの場にいたということです」
私の言葉を聞いて、エリオット様が僅かに眉を顰める。
「……差支えがなければ、何があったのかを聞かせてもらうことはできるだろうか?」
「もちろん構いません」
請われるままに先程の出来事について説明すると、エリオット様は深く考え込んだ後で「リーリエ嬢とは、男爵令嬢のだな?」と言った。
どうやらエリオット様の耳にまで、彼女の名前は届いているらしい。
「はい、そうです」
「彼女が『君に責め立てられた』と言ったのかい?」
「彼らによると、そのようです。身に覚えはないのですけれども」
「なるほど」
エリオット様はそこで一旦言葉を区切ると、「君も辛い思いをしただろう」と続ける。
「自分の婚約者に、無実の罪で責め立てられるだなんて」
エリオット様からの気遣いの言葉に対して、私は首をゆるゆると横に振る。
「いえ、むしろ呆れの方が強くて。彼があそこまで話の出来ない人間だとは思いませんでした」
元は政治的な思惑から、あちら側から請われる形で結ばれた婚約だとはいえ、ダニエルへの情はそれなりにあった。
しかしそんな家族愛のような感情も、「これから彼と共に人生を歩んでいこう」という覚悟も、今はもう跡形もなく消え去ってしまっている。
いまだに疑うような視線を向けてくるエリオット様に、私はにこりと笑みを返す。
「薄情な人間だと思われるかもしれませんが、『これからはダニエルも含めて〝男爵令嬢リーリエ親衛隊ABCD〟ということになるのかしら?』と考えているくらいです」
「ネーミング的にもぴったりですね」と付け加えると、ようやくエリオット様の表情が和らいだ。
「随分とたくましいな」
「私を大切にしてくれない人間に、執着する必要性を感じませんので」
ダニエルが正義感だけで私を攻め立てたのならば、まだ救いはあった。
けれど、「セラフィナ嬢が嫉妬からリーリエを責め立てた」という訴えを信じたということは、彼とリーリエ嬢の距離は婚約者に嫉妬されても仕方がないくらいに近かったのだろう。
そんな人間に、分け与えるような愛情などない。
あまりにもきっぱりと言い切ったからだろうか。エリオット様は僅かに目を見開いた後で、「ふむ……」と小さく呟いた。
「これから、どうするつもりだ?」
「私の一存ではなんとも。家族と話し合って決めることになると思います」
私はそう言って、過保護気味な父と兄夫婦の姿を思い浮かべる。
「娘は私達にとって、宝物のような存在なのです。そのことをお忘れなきよう」
私とダニエルの婚約が正式に決まった際には、そんなことを言ってダニエルの両親を震え上がらせていた父の姿を思うと、少し面倒な気もするが仕方ない。
「それでは、私はこれで。後日お礼はさせていただきます」
「気にしなくてもいい。当然のことをしたまでだ」
「いえ、それでは私の気が済みません」
「律儀だな」と小さく笑うエリオット様に向かって、私は「本当にありがとうございました」ともう一度お礼を伝える。
けれども、その場を立ち去るために踏み出した足には思ったように力が入らず、足元がふらりと揺れる心地がした。
「おっと」
倒れそうになる私の腰を支えてくれたエリオット様に、下心がないことは理解している。
それにもかかわらず、彼のがっしりとした腕が触れた途端に肩が跳ね上がってしまうのだから、どうしようもない。
「申し訳ありません……」
あまりに失礼な自分の反応に、エリオット様の顔を見ることもできず、私は深々と頭を下げる。
「いや。支えようとしたとはいえ、女性の身体に断りもなく触れるべきではなかった。こちらこそ、申し訳ない」
エリオット様はそのまま、軽い口調で「よければ家まで送ろうか?」と言った。
目の前でふらついてしまったから、気を遣われているのだろう。
「ありがとうございます。ですが、お気持ちだけ頂戴しておきます」
「……もしも遠慮しているなら、その必要はないぞ?」
「いえ。こんなことがありましたが、私がダニエルの婚約者であることに変わりはありませんので」
いくら正当な理由があろうと、婚約者がいる身でありながら異性と二人きりで馬車に乗るべきではない。
もちろん、私にやましい気持ちは少しもないし、エリオット様も同じであることはわかっている。
けれども悪意ある人間にとっては、「馬車の中で二人きりでいたこと」が重要なのだ。
そういう人々に、付け入る隙を与えるようなことはしたくない。
とはいえ、先程の返答だと私自身がエリオット様を警戒しているように受け取られる可能性だってある。
今度こそ気分を害してしまっただろうかとエリオット様へと視線を向けると、しかし彼は予想に反して口元に薄っすらと笑みを浮かべていた。
その表情はなぜか満足そうにも見えるけれど、その理由を問うことができるほどに親しい間柄ではない。
内心で首を傾げながら「それでは、今度こそ失礼いたします」と告げると、「最後に一つだけいいだろうか?」と呼び止められる。
「どうされましたか?」
「もしも君さえよければ、婚約者との件がどうなったか、後日教えてはもらえないだろうか?」
「構いませんが……」
もちろん、構わない。
けれど……なぜ?
おそらく私は訝しげな表情を浮かべていたと思う。
しかしエリオット様はそれに触れることはなく、「ありがとう。待っている」とだけ言い、私がその場を立ち去るのを見送ったのだった。




