エピローグ
「公務は終わったのか? もしも時間があるのなら、少し付き合ってほしい」
学園を卒業してから三ヵ月。王宮での仕事を終えて帰ろうとした私を呼び止めたのは、王太子殿下だった。
……今日はこの後、セラフィナの家に寄る約束をしているのだが。
おそらく乗り気ではない私の思いが、滲み出てしまったのだろう。
「おいおい。王太子に誘われて、そのような顔をするのはおまえくらいだぞ」
殿下はそう言って苦笑いをする。
「そんなに顔に出ていましたか?」
「幼い頃からの付き合いなんだ。わかるに決まっているだろう」
殿下はにやりと笑うと、「セラフィナ嬢とのその後について、報告を受けていないからな。きちんと聞かせてもらおうか」と続けた。
殿下にそう言われてしまうと無下に断ることもできず、私は小さく溜息を吐く。
「……すぐに帰りますからね」
私の言葉を聞いて、殿下は満足そうな表情を浮かべた。
「それにしても、あのように無茶苦茶な状況から本当にセラフィナ嬢の恋人になれるなんて、さすがエリオットだな」
私室に通されてすぐに本題に入るなど、殿下は私達のことをよほど気にしてくれていたらしい。
褒められているのかなんなのか、よくわからない言葉を受けて、私は目の前のティーカップに手を伸ばす。
返事をしない私を気にするふうでもなく、殿下は「好きな女性に〝片想いの相手役〟を依頼したと聞いた際には、何を言っているんだと思ったものだ」と言って笑った。
「おまえがとある女性に熱を上げているという話を聞いたのだが、本当か?」
殿下からそう問われたのは、私がセラフィナにアピールを始めてすぐのことだった。
その時点で、家族には〝好きな相手ができた〟ことと〝自分の片想いである〟ことを伝えていた。
殿下にはどこまでのことを伝えようか……と悩んでいる最中の出来事だったので、内心焦りを感じたのを覚えている。
しかし、その時の殿下があまりにも心配そうな顔をしているものだから、私は洗いざらいを打ち明けたのだ。
私がセラフィナに片想いしていることも、口説こうとしたのに全く本気にされなかったことも。それゆえ彼女に〝片想いの相手役〟を頼むに至ったことまでをも、全て。
「……正直に言えば、理解が追いつかない。だがまあ、上手くいくといいな」
わかりやすく困惑の表情を浮かべる殿下だったが、その後続けられた「ただ」という言葉は重々しく、普段は殿下を兄のように慕っている私であっても、背筋が伸びるような気がした。
「ただ、おまえが相手を騙していることは自覚しておくように。万が一相手が『本気で逃げたい』と思うようであれば、私は向こうの肩を持つからな」
そう言う殿下は、いつになく真剣だった。
相手の意思を無視して物事を押し進めることができる立場の人間だからこその、発言だったのだろう。
「……ぜひ、そうしてください」
殿下の言葉を噛み締めながら、その時私は「少しでもセラフィナが嫌がる素振りを見せたなら、その時は潔く諦めよう」と心に誓ったのだった。
「以前ゆっくりと話をしたのは、おまえが学園を卒業してすぐの頃だったな。あの時は確か『近々トレス伯爵夫妻に会うことになっている』と言っていたが、どうだったのだ?」
殿下からの質問に対して、私は「ええ、おかげさまで。我々の関係を認めてもらうことができました」と返す。
「おい、口元が緩んでいるぞ。みっともない顔をするな」
揶揄いの言葉を吐きながらも、殿下がどこか嬉しそうな表情を浮かべているように感じるのは、気のせいではないはずだ。
「遠くないうちに、正式に婚約のご報告ができるかと」
付け加えるようにそう言うと、殿下からは「それは、公爵夫妻もさぞ喜んでおられるだろう」との言葉が返ってきた。
殿下の予想通り、初めてセラフィナと顔を合わせて以来すっかり彼女を気に入った私の家族は、「彼女が〝恋人〟になった」という報告に大層喜んだ。
そしてまもなく〝婚約者〟になろうというセラフィナを、家族総出で可愛がっている。
特に妹は、彼女に随分と懐いているらしく、この間など「お兄様が不在の際にもいらっしゃってくださいよ!」とねだっている場面にも遭遇した。
昔から「兄妹揃ってそっくりなお顔をされている」と言われてきたが、容姿だけでなく好みも似ていたらしい。
甘え上手な妹に、セラフィナも毎回絆されてしまうようで、「その日はクラリス様との先約がありまして……」と、デートの誘いを断られたことも一度や二度ではない。
まさか自分の妹に嫉妬することになる日が来るとは思ってもみなかったが、それでも自分の家族と未来の妻が仲良くしている姿は、胸にくるものがある。
この前だって……。
そのように、セラフィナのことを考えていたせいで、知らず知らずのうちにまた顔が緩んでしまっていたらしい。
「……何度も言わせるな。そのみっともない表情をなんとかしろ」
殿下は呆れたように言うと、「もういい。早く帰れ」と続けた。
「おおかた、セラフィナ嬢と会う約束でもしているのだろう? 彼女にもよろしく伝えておいてくれ」
「『セラフィナとの予定がある』と、お伝えしましたっけ?」
「おまえがそこまでころころと表情を変えるのは、セラフィナ嬢に関する時だけだからな」
もう一度「早く帰れ」と言われたのを良いことに、私は
「はい、すぐに」と答えながら席を立つ。
王太子に対する態度として、失礼であることは理解しているが、一人の人間として私と向き合っている時の殿下は、むしろこれくらいの対応を望むのだ。
「まったく。おまえは幼少期から、好きなものには一直線だな。……まあ、そんな姿を見るのは随分と久しぶりだから、嬉しくもあるのだが」
呟くように発せられたその言葉は、まるで本当の弟に向けられているかのような、優しい響きを有していたのだった。
◇◇◇
トレス伯爵邸に着いたのは、予定していた時間を四半刻程過ぎた頃。
とはいえ空はまだ明るく、私はそっと息を吐く。
この屋敷には〝片想いのふり〟のふりをしていた時から何度も通ったことがあるが、玄関扉の内側に招かれた回数はまだ両手で数えられる程度で、今だに少し緊張を伴う。
この場所に訪れているのが〝公爵子息〟としてではなく、〝セラフィナの恋人〟としてだからこその緊張だ。
……三ヵ月前にこの扉を潜った日が懐かしいな。
そんなことを考えながら、私は初めて〝恋人〟としてセラフィナのご家族に会いに来た日のことを思い出す。
「まさか本当に、公爵家のご子息がお相手とは……」
そう溢したトレス伯爵は、セラフィナがかつて婚約を解消したことついて気にしているようだった。
「伯爵家の当主としては、『婚約解消の過去を持つ娘ですが、問題ありませんでしょうか?』と聞くべきだとは、重々承知しております」
そのような丁寧な前置きの後に続いたのは、「娘を幸せにしてくださると、信じても良いのでしょうか?」という問い掛けだった。
「親馬鹿だと笑っていただいて構いません。ですが、娘は私達にとって宝物のような存在なのです。どうかそのことを、頭の片隅にでも置いておいていただきたい」
それは娘を思う父親としての、心からの願いに感じられた。
「もちろんです。私にとっても、セラフィナは何よりも大切な存在です。ご家族が守ってこられたその宝物を、共に守る仲間に加えていただきたいと考えています」
私の答えを聞いて、トレス伯爵は小さく唇を噛んだ。
掠れた声で発せられた「……どうぞよろしくお願いいたします」という言葉に報いることができるよう、そしてもちろんセラフィナの人生が幸福なものになるように、全力を尽くそうと改めて感じた出来事だった。
そんなかけがえのない宝物に会うために、私は屋敷内へと足を踏み入れる。
「いらっしゃいませ! お会いできて嬉しいです」
セラフィナからの言葉と満面の笑みに迎えられ、私の腕は自然と彼女の髪へと伸びてしまったようだ。
かつては「転ばないように」と差し出した腕が触れただけでも、強張った表情で身体を跳ね上がらせていたセラフィナ。
それが今では、彼女の方から擦り寄るようにして、私の掌へと頬を押し当ててくるのだ。
心底安心し切った、幸せそうな顔をして。
「お疲れでしょうに、わざわざ来ていただいて大丈夫でしたか? 無理なさらないでくださいね」
「無理なんてしていない。現に、セラフィナの顔を見たら疲れも吹き飛んだよ」
そう言いながら私は、セラフィナの頭上に輝く髪飾りを指でなぞる。
赤い宝石が散りばめられたそれが、彼女の黒髪の美しさをより一層引き立てているのを見て、口角が上がるのを感じた。
「さあ。さっそく伯爵夫妻にご挨拶に伺おうか」
「ありがとうございます。両親も兄夫婦も、エリオット様にお会いするのを心待ちにしておりましたよ」
「はは、ありがたいことだ」
そんな会話を交わしつつ、私達は互いに手を取り合う。
そして歩調を合わせながら、長く続く廊下を共に歩き始めたのだった。
これにて作品完結です。
最後まで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。
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