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「すまない。体調も万全ではないだろうに、屋敷にまで連れて来て」
エリオット様からそんなふうに謝られて、私は「いえ……」と曖昧に返す。
学校を出た足で連れて来られたのは、ハーヴァード公爵邸の応接室。
事前に連絡が届いていたのだろう。テーブルの上には二人分の紅茶と、焼き菓子……特にガレットが少し多めに盛られたプレートが置かれている。
「さっそくだが、本題に入らせてもらってもいいだろうか?」
その問い掛けに頷くと、エリオット様は「まずはリーリエ嬢と私の関係についてだが」と話を始めた。
「実はリーリエ嬢のご両親とは、彼らが男爵位を賜る前からの顔見知りでね。突然貴族になり学園に放り込まれることになったリーリエ嬢を、私はひそかに心配していたんだ」
とはいえ、彼女の両親が人格者であることはよく知っている。だからリーリエ嬢も、きっとすぐに受け入れられるだろう。
エリオット様はそう考えていたそうだが、リーリエ嬢入学以来聞こえてくるのは良くない噂ばかりで、気を揉んでいたという。
「何度か『力を貸す』と言ったのだがな。リーリエ嬢からは『ご迷惑をお掛けするわけにはいきません。できるところまで自力でやってみます』と、断られ続けてきたんだ」
「そうだったんですか……」
「学園内で噂になってしまっている立春祭の日も、その件で話をしに行っていたんだ。もちろん、その場には彼女の両親も同席していた」
エリオット様はそこで一旦言葉を区切ると、「リーリエ嬢はその噂について説明するために、セラフィナに会いたいと思ったそうだ」と続けた。
「……わざわざ、そんな。だってあの噂に関して、私は口出しするような立場にありませんから」
たとえ本当に〝エリオット様から片想いされている身〟であったとしても、エリオット様がリーリエ嬢の自宅を訪れたことに対して、私が文句を言う筋合いはない。
それどころか、私は〝片思いの相手役〟にすぎないのだ。
だからリーリエ嬢もエリオット様も、私に気を遣う理由などまるでない。もちろん、事情を説明してもらう理由も。
「それくらい自覚していますよ」と、「だから安心してくださいね」という思いが伝わるように、私は頭を下げる。
「あの日、私があんな態度をとってしまったせいで、余計なご心配とお手間を掛けさせてしまいましたよね。エリオット様もお忙しいでしょうに、申し訳ありません」
エリオット様から顔が見えないのを良いことに、私はぎゅっと目を閉じる。
胸の痛みには、気がつかないふりをした。
「……さて、そろそろお暇いたしますね。卒業までそれほど時間もありませんし、エリオット様もご多忙でしょうから」
室内に漂うじっとりとした雰囲気を吹き飛ばそうと、私はわざと明るい声を出してみた。
しかし、エリオット様の表情は晴れない。
「どうかなさいましたか?」
あまりに思い詰めたような顔をしているものだから、思わずそう尋ねてしまう。
そしてその後すぐに、「もしも『〝片想いの相手役〟はもう不要だ』と言われたらどうしよう……」という不安に襲われた。
そんな私の気持ちなど、エリオット様が知るはずもない。
どこか緊張した様子の彼が、「実はもう一つ、セラフィナに言っておかないといけないことがある」と言い出すのを聞いて、私は覚悟を決める。
「たとえ今日ここで私達の接点がなくなることになろうとも、涙は決して見せないでおこう」と。
「……なんでしょうか?」
エリオット様に気づかれないように、膝の上で拳を強く握り込む。
掌に爪が食い込んで痛みを感じるけれど、むしろそれくらいが丁度良い。
何を言われたって、平気なふりをしていよう。
〝エリオット様にとっての『下手な相手』〟にならないように。〝片想いの相手役〟を依頼してくれたエリオット様の信頼に応えるために。
けれども、頭の中でそう唱え続ける私の耳に届いたのは、全く予想もしていない言葉だった。
「私は、セラフィナのことが好きだ」
「…………えっ?」
「君のことが好きなんだよ。〝役〟としてではなく、本当に」
そう言いながら私の瞳を真っ直ぐに見つめるエリオット様は、いつになく真剣な表情をしている。
内容的には「そんなまさか」と思うものだけれど、今の彼の姿を見てそんな言葉は出てこない。
そもそもエリオット様は、人の心を弄ぶ嘘を吐くような人間ではないのだ。
「……最初にセラフィナのことを認識したのは、君がリーリエ嬢について意見を求められているのを目にした時だった」
呆然として言葉の出ない私に向かって、エリオット様がぽつりぽつりと話を続ける。
「君は『よくわからない』と答えていただろう? 話の流れから、リーリエ嬢を悪く言うことが期待されている場面だったのに、その時のセラフィナは『彼女とは話したこともないから、わからない』と言い切ったんだ。噂や、他者から押し付けられたレッテルに惑わされず、本質を見ようとするその姿勢が、私には眩しく感じられた」
とはいえ、当時のセラフィナには婚約者がいた。「素敵な人だ」と思いつつも、既に決まった相手のいる女性とどうこうなろうという気持ちなどまるでなく、自分の中に芽生えた気持ちがそれ以上育つこともなかった……。
そのような内容を、エリオット様は淡々と語った。
「その気持ちが〝恋〟と呼べるものに変化したのは、初めてセラフィナと言葉を交わしたあの日だ。あの男にあのような仕打ちを受けながら、『婚約者がいる身だから』と馬車への同乗を断る君を前に、私はそれを自覚したんだ」
「……随分と独特な〝恋の芽生え〟ですね? 私はただ当たり前のことをしただけなのですが」
「『当然のこと』を当然にできる人間は、君が思うよりもずっと少ないんだよ」
エリオット様はそう言うと、一瞬遠い目をしたので、その点について話を広げるのはやめにしておいた。
「セラフィナとあの男の婚約が破談になったと聞いてすぐ、本気で君を口説こうとした。それなのに、まるで相手にされないどころか、『おふざけはやめろ』とまで言われたんだ。あの時は本当に焦ったな」
エリオット様は、当時のことを懐かしむように目を細めたかと思うと、すぐに真面目な表情を浮かべて「だから」と続けた。
「だから、私は君に〝片想いの相手役〟を依頼したんだ。どんな形であれ、堂々と君を口説くための権利を手に入れたくて」
そしてすぐに、「申し訳ない」と頭を下げる。
「君の善意を利用して、己の欲を優先するような真似をして申し訳なかった」
膝と額がくっついてしまうのではないかと思うくらいに深々と頭を下げられて、私は思わず「や、やめてくださいっ!」と叫んでしまった。
それでも頭を上げようとしないエリオット様を前に、「彼にこちらの主張を聞き入れてもらえないのは、初めてのことかもしれない」と思った。
「……セラフィナと過ごせた半年は、私にとってはとても楽しいものだった。本当に、本当に感謝している。この恩に報いるためにも、この先君に何かがあった際には必ず力になろう」
エリオット様はそこまで言うとようやく顔を上げて、「……もちろん、君が『二度と顔を見たくない』と言うのであれば、その通りにする」と言った。
悲しげに微笑む彼は、きっと私が望めば本当にそうするのだろう。
もしもこの世界が、私とエリオット様の二人きりの世界であるならば、私は「嬉しい!」と叫んで彼の胸に飛び込んでいたかもしれない。
けれどもそうじゃないから、私は口を噤んでしまう。
だって、相手はエリオット様。
公爵家の嫡男で、学内でも圧倒的な人気を誇る、あのエリオット様なのだ。
私のような、婚約解消の過去を持つ伯爵令嬢に、相応しい相手ではない。
私が無言でいたからだろう。エリオット様は、それが私からの返事だと考えたのだと思う。
「……さあ、そろそろ家に送らせよう。今まで本当にありがとう」
そう言って彼は、芸術作品のように美しい、完璧な笑顔を浮かべた。
その笑顔は、今までに見たことのあるどんな笑顔よりも美しくて、私は思わず泣きそうになる。
隙のない〝作られたその笑顔〟が、どんな言葉よりも一番エリオット様との関係の終わりを感じさせるものだったから。
……このまま、終わらせてしまっていいのだろうか。
そんな言葉が、頭を過ぎる。
エリオット様は、私の〝噂やレッテルに惑わされず、本質を見ようとする姿勢〟を褒めてくれてた。
それなのに周囲の評判を理由に「相応しくない」と判断することが、本当に望ましいことなのだろうか。
この後、私達の関係がどうなるかはわからない。
けれども私は、エリオット様が好きだと言ってくれた自分で、彼と向き合いたい。
そう考えた私の口からは、自然と「私も、エリオット様が好きです」という言葉が転がり落ちた。
「やってしまった」という気持ちがないわけではない。
けれども、口にしてしまった以上は仕方がないのだ。
せめて気持ちが正しく伝わるようにと、私は必死に言葉を紡ぐ。
「この半年間、私は様々なエリオット様を見てきました。公衆の面前で私をお姫様扱いしてくれる〝理想の恋人的なエリオット様〟も、私が悪く言われないように根回しをしてくれる〝用意周到なエリオット様〟も。『さすが あのエリオット様だな』と思いました」
緊張しすぎて前を向けない私は、膝に置かれた自身の手を見つめながら口を動かす。
「ですが、そうでないエリオット様も……〝意外と女性慣れしていないエリオット様〟や、〝親に心配を掛ける息子としてのエリオット様〟も、私は見てきました。そんな、〝みんなが思い描く理想のエリオット様〟以外の部分も併せ持つエリオット様を、私はお慕いしているのです」
恥ずかしくなってしまったせいで、最後は声が小さくなってしまった。
けれども、私の想いはきちんとエリオット様には伝わったと思う。
話を終えた私が顔を上げると、視線の先には真っ赤な顔をしたエリオット様がいたから。
口元に右手を当てて、「信じられない」とでも言いたげに目を大きく見開くエリオット様。
そんな彼を見て、少し意地悪な気持ちが湧き出てしまった私は、「エリオット様の〝勘〟は外れてしまいましたね」と言ってみる。
「どういうことだ?」
「ご覧の通り、私は〝婚約解消後すぐに他の男性になびく女〟になってしまいましたから。私に〝片想いの相手役〟を提案なさったあの日、エリオット様は『そうはならない』とおっしゃっていたでしょう?」
「……私が半年間必死に口説いて、やっと振り向いてもらえたんだ。それを『すぐ』だと評されるのは、気に障るな」
エリオット様はそう言って、拗ねたような顔をした。
僅かに唇を突き出し眉を寄せるその表情を見て、私は自分の顔が緩むのを感じたのだった。
◇◇◇
エリオット様が学園を卒業されるまで、あと僅か。
あの後、晴れてエリオット様の〝片想いの相手役〟から卒業した私の学園生活は、役を引き受ける前の平凡なものに戻る……ことはなかった。
今でも私の一日は、エリオット様からの「君に会えて嬉しい」という言葉で始まり、「明日になるのが待ち遠しい」という言葉で終わる。
変わったことといえば、手を繋がれるようになったことくらいだろうか。
「あの……。見せつけるみたいに接していただかなくて大丈夫ですよ? 縁談が持ち込まれた際には、『恋人がいるから遠慮してほしい』と言っていただいて構いませんので」
自分で発した「恋人」という言葉に照れてしまって、「私でお役に立てるかはわかりませんけれど」と付け加えると、途端に大きな何かに包み込まれる。
自分よりも少し高い体温や、すっかり慣れ親しんだ香りは間違いなくエリオット様のもので、私はときめきと同時に身体から力が抜けるのを感じた。
澄ました顔をしているエリオット様だけれど、密着した胸元から聞こえる鼓動は大きく脈打っていて、私はついつい笑ってしまいそうになる……なんてことを考えている場合ではない。ここは教室前の廊下なのだ。
「ちょっと!? 場所を考えてください!」
「すまない。あまりにもセラフィナが愛らしすぎて、堪えられなかったんだ」
口では謝っているけれど、彼の目は悪戯っぽく細められていて、大して悪いと思っていないであろうことがありありと伝わってきた。
「それに、もうすぐ私は卒業してしまうだろう? 学園中の生徒に『私の恋人に手出しをするな』と、牽制しておかなくてはならないからな」
エリオット様はそう言うと、私の髪を一筋取って毛先を自身の口元に近づける。
その場にいる人に見せつけるようなその仕草は、半年前のあの日を思い起こさせた。
あの日と違うのは、彼がそのまま本当に私の髪に口づけを落としたということ。
彼の口から発せられた「やっと願いが叶ったよ」という呟きは、おそらく私にしか聞こえていないはずだ。
「では、また後で。放課後を楽しみにしているよ」
教室まで私を送り届けたエリオット様は、そう言ってこちらに向かって小さく手を振った。
それを気に留めるクラスメイトは見当たらない。
彼らにとってはいつも通りの、半年間ずっと続く見慣れた光景だから。
私がエリオット様の〝片想いの相手役〟だったことは、私達だけの秘密だ。
「ええ、また後で。私も楽しみにしています」
自分の教室に向かおうとするエリオット様に、こちらからもそう声を掛ける。
そのまま〝恋人〟であるエリオット様に、私は手を振り続けたのだった。
次回、エリオット視点のエピローグをもって完結です。




