1
〝男爵令嬢リーリエ親衛隊ABC〟。
目の前の彼らのことを最初にそう呼び出したのは、一体誰だったのだろう。
人通りもまばらな中庭の隅で、四人の同級生に囲まれながら、私はそんなことを考える。
現実逃避であることはわかっているけれど、許してほしい。
身に覚えのない悪行を糾弾されている最中に、他にどうすればよいというのか。
「リーリエのことを『金で爵位を買った家の娘』だと言って、見下しているらしいな」
鋭い目つきでこちらを睨みつけているのは、親衛隊構成員Aこと、伯爵家ご令息のアレン。
「我々を指して『爛れた関係なのでは?』と言っているとも聞いたぞ。僕達は貴族社会に不慣れな彼女を、善意からサポートしているだけだ」
忌々しげにそう吐き捨てるのは、親衛隊構成員Bこと、伯爵家ご令息のブライアン。
「今のリーリエに教養が足りていないのは、仕方がないことでしょう? 彼女が貴族の仲間入りを果たしたのは、ほんの数ヵ月前なのですから。生まれながらに貴族である我々と、同じように考えるべきではありません」
諭すような口調で語り掛けてくるのは、親衛隊構成員Cこと、子爵家ご令息のクリス。
そして。
「僕が最近リーリエに掛かりっきりだったのは、悪かったと思っているよ。けれど、不快な思いをさせていたのなら直接言ってほしかった」
目に涙を浮かべているのは、子爵家のご令息ダニエル。
「僕が不甲斐ないせいで、セラフィナとリーリエの両方を傷つけることになってしまった……」と〝罪な僕ちゃん〟に酔いしれているダニエルは、この中では唯一男爵令嬢リーリエ親衛隊のメンバーではない。
しかし残念なことに、彼は私の婚約者なのだ。
「いや、ダニエルの行動は間違ってはいない。それに、どのような理由があれども虐めは許されるものではない」
「そうだ。伯爵家のご令嬢であるセラフィナ嬢がそのような態度であれば、下位貴族のご令嬢だって従うしかなかろう。悪いのは彼女だ」
ダニエルを慰める親衛隊員ABCの言葉は、そこだけ聞けば正しいもののように思われる。
けれどもここで、もう一度言っておく。彼らの言うことに、私は全く身に覚えがない。
もちろん、リーリエ嬢のことは知っている。
私が入学してから今日まで、彼女は常に学園内の噂の中心にいるような人間なのだから。
リーリエ嬢についてまず特筆すべきは、彼女が数ヵ月前まで平民として生活していた点だろう。
とはいえ、彼女の両親は商才に長けていたそうで、金銭的には随分とゆとりのある生活をしていたらしい。
「お金持ちの商売人」というと、なんとなくがめつい人間を想像してしまいそうになるが、リーリエ嬢の両親はそれとは真逆の人間だと聞いている。
「富は使うためにあるのだ。人は助け合わねば生きてはいけない」
そう言って、困っている者に躊躇なく救いの手を差し伸べる彼女の両親は、人格者として周囲からも一目置かれる存在だそうだ。
そしてそんな彼らに、王家が目を付けた。
近年、我が国の財政状況が悪化の一途を辿っているのは周知の事実だが、なんと王家はリーリエ嬢の両親に領土の一部を売りつけることにしたのだ。
その結果、リーリエ嬢の両親は決して豊かとは言えない小さな領地と共に、〝男爵〟という身分を手に入れることとなり、商家の娘であったリーリエさんは、男爵令嬢リーリエになった……ということらしい。
さて、問題はタイミング。
なんとこの騒動が起こったのは、彼女が学園に入学することになる、わずか一ヵ月前のことなのだ。
この国では、貴族の子息子女は十六歳になる年に、学園への入学が義務付けられている。
そのためリーリエ嬢は、ほとんどなんの準備をする間もなく、この学園に入学することを余儀なくされてしまった。
裕福な商家の娘だったおかげで、リーリエ嬢もそれなりの教育を受けてきたという。
けれども彼女が学んできたのは、文字の読み書きや計算が中心の〝庶民として生きていくための知識〟であり、貴族に求められる知識とはまた別物。
当然のことながら、テーブルマナーも未熟であり、貴族間の暗黙のルールも知らないリーリエ嬢は、学園では入学当初からかなり異質な存在だった。
……とまあ、それだけならまだよかったのかもしれない。
それだけなら、おそらく「苦労されているのね」で終わる話だったのだから。
しかし、リーリエ嬢は「常に学園内の噂の中心にいるような人間」と言わざるを得ないくらいに、注目の的となっている。
理由は〝リーリエ嬢が愛らしすぎる〟ことにあった。
彼女は、とにかく可愛らしい。
初めてリーリエ嬢を目にした際には、数多の美しいご令嬢を見てきた私ですら、「この世に女神が舞い降りたならばこんな姿をしているに違いない」と思った。
顔の造形だけではない。
純真無垢で清らかな雰囲気だとか、庇護欲をくすぐられるような仕草だとか、そういった彼女の内側から溢れ出る魅力は、学園中の生徒の目を惹くことになった。
そうすると何が起こったか。
その答えが目の前のこれ。
つまり、親衛隊と呼ばれるほどにリーリエ嬢に心酔する者が出てきたのだ。
「早く貴族としての知識や教養を身につけたいのです」
周囲に溶け込もうと必死になるリーリエ嬢に、最初に近づいたのは親衛隊員A:アレンだった。
一応アレンの名誉のために言っておくと、始めから下心ありきでリーリエ嬢に声を掛けたのではないはずだ。
「先程の授業内容について詳しく知りたいのであれば、図書室に関連書籍があるはずだ。司書に聞けば出してくれるだろう」
アレンがリーリエ嬢に伝えた情報は、学園に通う者であれば誰でも知っているような内容だった。
おそらく他の貴族の令嬢であれば、「あら、ありがとう」と言うに留めただろう。
しかしリーリエ嬢は、アレンに対して輝くような笑みを浮かべて「なんてご親切に……! ありがとうございます!」と言った。
「教えてもらえて嬉しいっ!」という彼女の気持ちが前面に溢れ出るような、素直な感謝の言葉だった。
美しい少女から、これほど真っ直ぐに感謝と尊敬の眼差し向けられることなんて、人生でそうそうあることではない。
確実なことは言えないけれど、アレンの人生においても同じだと思う。
そうするとどうなるか。
アレンはあっという間にリーリエ嬢の虜になってしまった。
さらに残念なことに、被害はこれだけではなかった。
詳細は割愛させてもらうが、親衛隊員B:ブライアンも親衛隊員C:クリスも、似たような経緯からリーリエ嬢に陥落したと聞いている。
その結果、入学直後から彼ら三人はリーリエ嬢の側を離れず、あれこれと世話を焼くようになった。
例えば教室。
「前回リーリエが『よくわからない』と言っていた範囲についてだが、ノートにまとめておいた。きっと君の役に立つだろう」
例えば食堂。
「今日は天気が良いですからね。リーリエのために、景色の素晴らしい窓際の席を確保しておきました」
まるで騎士のように、あるいは従者のように、いついかなる場所においてもリーリエにまとわりつく彼ら三人は、はっきり言って異様だ。
それこそ、いつの間にか彼らがリーリエ嬢を「リーリエ」と、そして彼女が三人をそれぞれ「アレン」「ブライアン」「クリス」と呼び捨てにしていることなど、気にもしていられないくらいには。
そんなリーリエ嬢並びに親衛隊ABCを、多くの生徒は遠巻きにしている。
社交の場、さらに婚約者のいない者にとっては未来の伴侶を探す場としても機能しているこの学園で、一人のご令嬢に心酔している彼らは、「腫れ物扱いされている」と言っても過言ではない。
「さすがにあれはないわよね」
「家名を背負ってのあの行動は、理解に苦しむな」
始めのうちはそんな陰口を聞くこともあったものの、その全てに親衛隊ABCは「リーリエの悪口を言うなんて!」ともの凄い剣幕で突っかかっていっていた。
「リーリエ嬢の悪口ではない。おまえ達への苦言だ」
彼らにそう教えてくれる者は、残念ながらいなかったようだ。
そんなことが続けば、当然ながら親衛隊ABCの行動に口を出す者はいなくなる。
その結果、彼らの行動はますますエスカレートした。
「リーリエに用があるならば、僕達が先に聞こう。彼女を周囲の悪意から守るのも、我々の仕事だ」
「リーリエと二人きりになどさせられません。彼女と話をする際には、我々のうち誰かが立ち会いましょう」
親衛隊ABCがそう言っていたと聞いた時には、思わず「嘘でしょう!?」と叫びそうになってしまったけれど、残念ながら本当だったようだ。
現在、学園の生徒がリーリエ嬢と話をしたい場合には、先に親衛隊ABCにお伺いを立てる必要があるらしい。なんだそれは。
……とまあ、細かな話をしていくとまだまだたくさんあるのだけれど、これだけでも「学園内の噂の中心には常にリーリエ嬢がいる」と言われる理由を理解してもらえたと思う。
親衛隊ABCの言動について、リーリエ嬢がどう考えているのかはわからない。
学園内では、「きっとリーリエ嬢も不快に思っているはずよ」と彼女を擁護する声もあるし、「貴族のご令息を侍らせて、悦に浸っているに違いない」と邪推する声もある。
統計をとったわけではないけれど、体感としては後者の方が多いように感じる。
そんな中で、私は今日までリーリエ嬢に関しては中立の立場を保ってきた。
中立……と言えば聞こえはいいけれど、単にリーリエ嬢の考えを推測できるほどに、彼女との接点がなかったというだけ。
「セラフィナ様は、どうお考えですか?」
雑談の中でそう尋ねられる機会もあったけれど、私としては「彼女とは話したこともないから、よくわからないわ」と答えることしかできなかった。
そんなふうに、リーリエ嬢を取り巻く問題とは関わることなく数ヵ月間過ごしてきたというのに、しかしここにきて、まさか自分の婚約者が男爵令嬢リーリエ親衛隊側に立っているだなんて。
全く予想もしていなかった。まさに青天の霹靂、寝耳に水。
……と言いたいところだけれど、残念ながら予兆はあった。
「セラフィナ様のご婚約者様は、近頃お変わりありませんこと?」
少し前から何度かそう問われることがあったし、「差し出がましいようですが……」と、ダニエルがリーリエ嬢との距離を縮めている旨を教えてくれる者もいた。
だからまあ、ダニエルとリーリエ嬢が懇意にしていることは知っていた。
けれど、ダニエルがここまで考えなしな行動をとることは、さすがに想定外だった。
私という婚約者がありながら、そしてそれが広く知られている状態で、ダニエルが親衛隊と行動を共にすることを周囲がどう見るか……。
少し考えればわかりそうなものなのに。
「僕はただ、リーリエの手助けがしたかっただけなんだ。でもそれが、セラフィナの心を傷つけてしまったんだね。本当に申し訳ない。……けれど、やましいことはないと神に誓うよ。悲しませてごめんね」
口先では「ごめんね」なんて言いながら、大袈裟な身振り手振りで身の潔白を訴えるダニエルはどこか嬉しそうで、そんな彼を私は冷めた気持ちで見つめる。
……この人、自分を歌劇の主人公だとでも思っているのかしら?
私の顔はおそらく引き攣っているだろうに、それに気づくこともなく、ダニエルはなおも芝居がかった仕草でこちらに歩を進める。
「リーリエに謝ろう? もちろん、僕も付き添うから。リーリエに当たってしまうほどに、君を追い詰めたのは僕なんだから。そう、僕も同罪なんだから!!」
自分に酔っているダニエルは、自分の声が段々と大きくなっていることに気づいていないのだろう。
少し離れた場所で「何事だ?」「ああ、また〝男爵令嬢リーリエ親衛隊〟の……」という会話が交わされているのが聞こえてきている。
人通りがまばらな中庭の隅だとは言え、これだけ騒げば人が集まるのも当然だ。
重ね重ね披露されるダニエルの予測不能な行動に、さすがに頭が痛くなる。
なんとか気持ちを沈めようと、ゆっくりと深呼吸をしてみたけれど、それほど気持ちが晴れるわけでもない。
最初にこの場所に連れて来られた際には、閉ざされた空間でないことに安堵したものの、今は「人目につかないところを指定してほしかった」と思ってしまう。
それほどまでに、この空間は居心地が悪い。
「……全く身に覚えがないのですが」
まずは無難に簡潔に、事実だけを述べてみる。
しかし「はいそうですか」と聞き入れてくれる相手ではない。
「そんな訳ないだろう。リーリエが嘘をついていると言うのか!?」
「いえ、そうではなくて……。リーリエ嬢が他のどなたかと勘違いされているのではありませんか?」
「リーリエは『ダニエルの婚約者』と言っていましたよ。彼の婚約者は、あなた以外にいませんでしょう?」
「それはその通りですが……」
「ほらみろ! 他のご令嬢に罪を擦り付けようだなんて、最低だな」
「ですが本当に覚えがなくて……」
「言い訳はいい!! とにかく我々はセラフィナ嬢に、リーリエへの謝罪を要求する!!」
「ええ……」
だめだ、全く話にならない。
あまりの話の通じなさに、私は思わず口を閉じる。
しかし親衛隊ABCは、黙り込んだ私を見て勢いを増した。
「そもそも我々は、右も左もわからない貴族社会で懸命に努力しているリーリエのことを、純粋なる善意から手助けしているだけだ。それを『爛れた関係だ』などと邪推するなんて、恥ずかしくないのか?」
「いくらリーリエを気に食わないからと言って、さすがに看過できませんね」
「リーリエのことを悪く言う前に、自身の浅ましさを自覚したらどうだ!」
……酷い言われようである。
ちなみに、自分の婚約者がこれほど悪く言われているというのに、ダニエルはいまだに「ああ、僕のせいでこんなことに……」と、歌劇の世界から返ってきていない。勝手にやってろ。
しかし、次に続いた言葉には、さすがに血の気が引いた。
「いや、浮気をしている者ほど相手の浮気を疑うと聞く。むしろセラフィナ嬢にこそ、後ろ暗いことがあるのでは?」
親衛隊ABCの、誰が言ったかについてはどうでもいい。
重要なのは、その言葉がこの場で放たれたということ。
私達のやりとりを断片的に見ていた人々が、「セラフィナ嬢が浮気をしている」と勘違いをしてしまう可能性があるということ。
……冗談じゃない。
こぶしを握り締め視線を上げると、私を囲む者達の頭が思った以上に上の方にあることに気がついた。
「言って良いことと悪いことがあるでしょう!?」
そう怒鳴ろうと口を開いたものの、出てきたのはか細い息だけ。
「黙っているということは、心当たりがおありなのでは?」
「えっ!? そ、そうなのか!? セラフィナ!?!?」
真っ青な顔で私の両肩を掴むダニエルの力の強さに、身体が硬直するのがわかる。
今すぐに「違う」と、「侮辱するのもいいかげんにして」と言いたいのに。
…………誰か、助けて。
私が心の中で、そう思った瞬間のことだった。
「揉めているようだが、大丈夫かい? 私が間に入ろうか?」
そんな言葉とともに颯爽と現れた人物は、その時の私の目にはまさにヒーローのように映ったのだった。




