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06 拳の本質

「ごめん……シュウ」

 光はなんとか謝罪の言葉を口にした。

 たとえ今の発言が自分の意思でなかったとしても、罪悪感で胸が押しつぶされそうだった。

 出会ってまだ数時間の人間が、自分のことを信じてかばってくれたのに、それに対してなんて酷い言葉を投げてしまったのだろう。

「謝るなって光。そもそもお前の意思じゃないんだろ?」

 俺は何言われたって気にしねーよとシュウは笑って胸を張った。 

 こんな風に自分のことを信じてくれる人間がそばにいるのはいつ以来だろう。

 東京では結局、全ての友人を失って転校することになってしまった。

 ここ最近は、このもう一人の『僕』が姿を見せなかったから安心していたのに、新しい環境になった途端に表に出てくるなんて。

 まるでこいつは自分を孤立させようとしているみたいだ。

「ああ、僕の意思じゃない。でも、言葉が僕の口から出てることは間違いないんだ」

 光は俯いたまま続ける。

「さっき浅倉さんも言ってたよね。一度口から出た言葉は元に戻せないって」

「ええ、言ったけど――」

「本当にその通りなんだよ。何度吐いた言葉をまた飲み込みたいと思ったか。もう一人の『僕』が言ったことだとしても、取り消したい、誰も聞かなかったことにして欲しいって、何度思ったか」

「おい、光」

 シュウが心配そうに光の顔を覗き込む。

「病院にも行ったんだ。いろんな心理テストをして、頭の中をMRIで調べたり、電極をつけて脳波検査をしたりして……それでも何も分からなかった。薬を飲んだりセラピーに何度も通ったりしたけど、結局、何も……変わらなかったんだ」

「おい、いいよ光」

 シュウが光の肩を掴んだ。光はそのシュウの手を逆に掴み返し、押しのけるようにして肩から遠ざけた。

「――僕を殴ってくれよ浅倉さん。もしかしたらそれで、何か変わるかもしれない」

 自分の足下を見ていた光は顔を上げ、撫子を見据えた。涙目などではなかった。自分の運命を呪いながら、それでもここで泣くのは惨めすぎると光は思っていた。

 そんな光の目を、撫子は真っ直ぐに見つめ返していた。

 撫子の瞳は黒く透明な宝石だった。

 その瞳を通して、光の心の中にある一番ゴツゴツした部分を触ろうとしているようだった。光は自分の頭の中に、撫子からまっすぐに光が差し込んでいるような気持ちになった。

 そこに。

「お、まだやってるでござるか。浅倉殿が殴ろうとしたって、光殿には当たらないでござるよ」

 なんとも緊張感のない声がしたのは上からだった。

 三人は唐突に放たれたその声の主を探して反射的に顔を上げた。

 旧校舎らしき建物の二階の窓辺に、斎藤忍が立っていた。二年一組の教室で気絶していたはずなのだが。

「とう!」

 と叫んだ忍は、窓から建物の外壁を這っている配管に飛びついた。そして巨体を器用に動かしながら、尺取り虫のようにそのまま配管を伝って地上まで下りてきた。

「普通に中の階段から下りてこればよくないか?」

 シュウが律儀に突っ込む。

「そこは拙者の圧倒的身体能力に驚いてほしいところでござるな」

 忍は腕をぐっと曲げると上腕二頭筋を誇示した。

「当たらないって、どういうことかしら」

 二人のやり取りの流れを無視して撫子が言った。自分の技が通用しないと言われたのだ。それも武術の心得があるであろう人間に。もし適当なことを言っているなら許さないぞという雰囲気すら感じさせる声色だった。

 忍は特に気圧される様子も無く、軽くそれに答える。

「浅倉殿の拳は光殿には当たらないでござるよ。拙者には分かるでござる」

「何か根拠があって言っているのかしら」

「ぷりぷりしないで欲しいでござる、浅倉殿」

 忍は肩をすくめて言った。実際、撫子の声には怒気が感じられた。

「実際のところ、拙者の考えもほとんど推論なのでござるが」

 忍の乱入によって撫子とのやりとりを妙な形で中断することになってしまった光は、どんな顔をすればいいのか分からなくなっていた。

 忍とやりとりした後、改めて撫子は自分を殴ってくれるのだろうか。

「あの、斎藤君、僕はできたら浅倉さんに殴ってもらいたいんだけど」

「おお、ドMでござるか光殿は。自分から殴られにいくなら流石にそれは当たるでござるよ」

 いや、そういうんじゃないよと抗議しようとした光を制して撫子が忍に言った。

「種明かしをしてほしいわね。なんで当たらないっていうのよ」

「むう、それにはまず、浅倉殿の拳の本質について語らねばならないでござる」

「私の拳の……本質?」

 忍は腕を組んで解説し始めた。

「そうでござる。拙者が思うに浅倉殿の用いる『浅倉流兵術』は、合戦かっせん時の組み討ち術に端を発した当身技を中心とする古流武術でござろう。構えを何度もスイッチしながら連続した打突を高速で繰り出す――これなら一対多の状況にも対応できるでござろうし、歩法から見てとれる移動技術の根幹部分は、何よりも戦場での生存可能性サバイバビリティを重視しているように見えるでござる。一箇所に留まる時間が極めて少ないことや、高低差を苦にせずステップを踏めるところなんかがそうでござるな」

 光には正直よくわからない話だが、撫子は無言で聞いている。否定しないということは、当たらずとも遠からずということなのだろうか。

「――で、浅倉殿の拳の本質というのは、今の話とは全く無関係なところにあるでござる」

「は?」

 思わず言ってしまったのはシュウだった。撫子の技の秘密は、その用いる古流武術にあるのではないのか。だとすれば一体それは何なのか。

「一言で表現するなら、浅倉殿の本質は『()()()()()()()』ということでござる」

「……そうだったわ。あなた馬鹿だったのよね」

 失望したといった感じで手を額に当てて嘆息する撫子に、忍はちっちっちっと指を振った。

「拙者がアイドル馬鹿であるというのは事実でござる。しかし、浅倉殿の拳がそのアイドル性によって際立っているというのもまた事実でござるよ」

「アイドル性って――」

 真面目に話を聞くつもりがなくなったらしい撫子は、腰に手を当てて半眼でうめく。

「浅倉殿と相対したものは皆感じるでござる。『絶対に目が離せない』『相手の一挙手一投足に注意を払わなければならない』と」

「それは格闘者としての基本的な姿勢でしょ」

 当然の突っ込みを入れる撫子。

「それはそうでござるが、浅倉殿はそれを相手に強いるのが上手すぎる……いや、この表現は違うでござる。浅倉殿は生来、相手にそれを無理矢理に押し付けることができる体質なのでござるよ。正直、()()()()()()でござる。だからちょっとしたフェイントでも相手を釘付けにしてしまうことができるし、相手の動きを誘導して、簡単に支配することができるでござるよ」

 忍は簡単な理屈でござると続ける。

「ライオンのメスが生まれついての戦士であるように、浅倉撫子は生まれついてのアイドルなのでござる。老若男女、誰もがその姿から目を離せないから、浅倉殿の攻撃は常に相手の急所ハートに先に届くのでござる」

 急所ハートのところで忍は両手の指でハートマークを作ってみせた。シュウと撫子は、なんとも納得できないといった表情だった。

「まあ、浅倉さんから目を離せないっていうのは……分かるかも」

 とりあえず光はその部分にだけ同意しておいた。

「おっ、分かってもらえるでござるか光殿。さすがでござる」

 忍は嬉しそうにサムズアップした。

 眉間に皺を寄せているのは撫子だった。まったくナンセンスだ、という顔である。だが、話のオチまで聞くつもりはあるらしく、忍に続きを促す。

「で、私がアイドルだとして……いや、絶対そんな訳ないんだけど……仮にそうだとして、私の拳が当たらない理由っていうのは一体何なのよ」

 その理屈に関しては、光はもうオチが読めていた。

 そういうことか――と。

「それも簡単でござる。光殿が()()()()()()殿()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、浅倉殿に動きを支配されることはなくなるでござる」

「それはどういう――」

 撫子の言葉を遮るように、忍は制服のポケットからスマホを取り出した。そしてそれを三人に向かってかざす。

「初めて会った瞬間からピンと来ていたでござる。光殿のその顔、まさに瓜二つでござるよ」

 忍が画面を点灯すると、そこには青いフリルが付いたステージ衣装を着て踊る、一人の女性の姿があった。

 その顔――恐らくはステージ下のファンへ向けた笑顔だ――は光にそっくりだった。

「拙者は確信を持っているでござる――光殿の母君は――2000年に引退した伝説の地下アイドル――いや、ライブアイドル――『浜岡ミハネ』――その人ではござらんかっ!?」

 くわっと忍が目を見開いた。

 長い沈黙の後、

「――誰よ」

 と撫子が呟いても、忍は目を見開いたままだった。 

 光は忍のスマホの画面に映った、()()()()()()()()()()()()()自分の母親の姿をただただ眺めていた。

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