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03 町内最強のセイブツ

 さっと人垣が割れて、声を掛けてきた連中が明らかになった。

 教室の入り口に、男子生徒が三人立っていた。大柄な男と、普通体型の男と、背が低い男。三人全員が制服のズボンを腰穿きしており、開襟シャツは前が全開で、それぞれが着ているTシャツがよく見えた。大柄な男が着ているのはアメリカの格闘技団体の黒いTシャツで、普通体型の男が着ているのは真っ赤などこかのロックフェスのTシャツ、背が低い男が着ているのは紺色のスポーツブランドのTシャツ。

 全員、下品な笑みを顔に貼り付けていた。

「なあ、おい、聞いてるのかよ」

 大柄な男が言った。さっき最初に声を掛けてきたのもこいつらしい。どうやら三人のリーダー格らしく、分かりやすく真ん中に立っていた。サイドにいる普通体型のやつと背が低いやつは、何も言わずに光のことを見ていた。

 女子達は皆口をつぐんで一歩、二歩と引いていく。

 シュウは三人をにらみつけながら、光がどう出るのかを窺っているようだった。コトが起これば加勢するぜという顔をしていた。知り合ってまだ一時間も経っていないのに頼もしい。

 しかし、まあと光は思う。

 こんな化石みたいなヤンキーがまだいたのだな、と。

 東京から絶滅したヤンキーは、北関東でもその数を減らし、そして今はこの岩田屋町で細々と暮らしているということか。雄大な岩田屋町の大自然がヤンキーを育んでいるのかもしれない。

 未確認生物を見たかのような気分で、光は三人をぼーっと眺めている。

 こいつらの頭を放射年代測定でもしてやりたいところだ。もしかしたらジュラ紀からの生き残りかもしれない。ネッシーのように。

「てめえ、ナメてんのか」

 こちらが何も言わないのを反抗的な態度だと取ったらしく、リーダー格の男が表情を変えた。()()()を切っている。

 光は考えた。こいつらが化石ヤンキーなのは間違いない。そして同時に、物理的な暴力を持っているのも間違いない。三対一だ。シュウが加勢してくれたとしても、数の不利は変わらない。もし、この場で抵抗すればどうなるだろうか。あまりそれは賢明ではないように思われた。

 この三人に付いていったとしよう。どんな話があるのかは分からないが、どうせろくでもないものに決まっている。ここのルールを教えてやるといって殴られるか、子分になれと言われるのが関の山だろう。理由もなく殴られるのは嫌だし、こんないかにもガラの悪い連中と仲良くするのはもっと願い下げだった。

 なんとか穏便に帰っていただくのに限る。

 頭の中でこの場を切り抜ける文言を次々に並べていく。あの、すみません、この後先生に呼ばれているので。えーと、お声かけしていただいて嬉しいんですけど、部活動見学に行く約束をしてまして。すごく一緒に行きたいんですけど、実は引っ越しの荷物を片付けるから早く帰らないといけないんです。

 まあ、なんとでもなりそうだった。

 しかし、こんな奴らにへりくだるのも嫌だな。と思った次の瞬間だった。

「――ナメてんのはお前らだろ。徒党を組まないとイキがれないのか?」

 光の口から滑り出たのは、喧嘩が強くない男の子が絶対に選んではいけないタイプの選択肢だった。

 光のほうを振り返ったシュウが、え?と言ったのが、やたら大きく聞こえた。

 全員があっけにとられている。

 そもそも、口にした光自身も愕然としていた。

 ――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()() と脳内で悪態をついてももう遅い。吐いた言葉は飲み込めないのだ。絶対に。

 それが自分の意思でなくとも。

 大柄な男は口の端をぐっとつり上げて笑った。目はまったく笑っていないが。

「へえ、転校生君。俺たちとお話してくれないんだ。で、そういう態度に出るワケね」

 化石ヤンキーが光を脳内の「ぶっとばす」の箱の中に入れているのが見えた。三人全員が半身になって、臨戦態勢になりつつあった。

 ちょっと!と女子の誰かが言ったのだが、サイドの二人が教室を見回すと皆引いてしまった。シュウが光のシャツの袖をつかみ、「勝算はあるのかよ」と小声で言った。

 無論そんなものはない。

 だが、ここで座っている訳にもいくまい。意を決して光は立ち上がった。

 それと同時だった。

「どいてくれない?」

 女の子の声だった。

 それは教室内からではなく、廊下から聞こえた。全員の動きが止まって、声の出所を探していた。

 その女の子は、大柄な奴の背後にいた。化石ヤンキーたちが身体ごと振り返ることで、その姿が光の目にも捉えられた。

 一言で表現すれば、可憐な女の子だった。

 時代錯誤とも言えるような白と紺のセーラー服がよく似合っている。膝丈のスカートと白いソックスは、彼女が優等生であることを主張しているようだ。腰まである長い艶やかな黒髪。凜とした瞳。花のつぼみのような唇。両手でノートの山を持っているのは、職員室で持って行ってくれと頼まれたものだろうか。

 その女の子はまぎれもなく、光が今朝すれ違った女の子だった。

 岩田屋高校の生徒だったのか。

 制服が違うから、まったく別の学校の子だと思っていた。

「う、うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああ」

 と絶叫したのは大柄な化石ヤンキーだった。昔の漫画みたいに腕を伸ばして身体を仰け反らせ、その女の子から飛び退いた。光は何が起こったのか分からず目を白黒させる。大柄男は三人のうちの一番小柄な男の頭をぶん殴りながら続ける。

「このクソボケ大馬鹿野郎! こっ、ここここここは()()()()のクラスじゃねーかっ! そんぐらい最初に確認しとけアホ! なにが『新しいカモがいますぜ』だ!」

 大柄男が真っ青になりながら小柄男の首を絞める。小柄男は口から泡を吹きそうになりながらすいませんすいませんと謝っているが、絞めている側には聞こえないようだった。

 なぜだか分からないが、男たちは女の子をひどく恐れているらしかった。

 浅倉撫子あさくらなでしこ――というらしい。その女の子はノートの山を抱えたまま、虫でも見るように三人を見ていた。なんなんだこいつら、とその端正な顔に書いてあった。

 大騒ぎしている二人を尻目に、普通体型の化石ヤンキーが意を決したようにすっと一歩前に出た。それを見て二人もぴたりと止まった。まるで猛獣の檻にでも入れられたかのような表情で、普通体型の男は口を開く。

「――おイ」

 思い切り声が裏返っていた。光は思わずずっこけそうになった。

 咳払いをして男が浅倉撫子の前に立ち塞がった。残された二人は「マジかよ」という顔でそれを見ていた。男は下から睨めつけるようにして浅倉撫子に向かって言葉を放つ。

「おい浅倉よぉ。てめえ女のくせに随分イキがってんじゃねえかよ。おお?」

「文脈がよく分からないけど、私のことが気にくわないということは伝わったわ」

 男が精一杯の強がりでぶつけた言葉を、浅倉撫子は表情一つ変えずに一刀両断した。

 この時点でもう、勝負は決しているようなものだが。男はなんとか自分自身を奮い立たせて続けた。

「ぬかしてんじゃねえぞコラ! お人形さんみたいなツラしやがってよぉ。町外の学校に進学したと思ったら突然フラフラ帰って来やがって。()()()()()のことが恋しくなったのか? ああん?」

「――その兄のせいで今日も呼び出しを受けてるんだから我ながら情けないわ」

 浅倉撫子の泰然とした態度は変わらない――かのように思われたが、「兄」という言葉が出てきてから、少しまとっている空気の温度が高くなったかのように思われた。それを知ってか知らずか男が追い打ちをかける。

「へっ、あの馬鹿兄貴がよっぽど好きなんだな。どうせ今も一緒に風呂入ってんだろこのブラコン女。岩田屋中学校じゃ有名だったからな、お前の兄貴の変態さは。もっと揉んでもらえばその幼児体型も、ちったぁまともになるんじゃねぇか?」

 さすがに言い過ぎだろと思った光が一歩進み出て男を黙らせようとしたが、それをシュウが制した。なぜだと思った次の瞬間、男が一際大きな声で言い放った。

「――てめえが帰ってきてから俺たちみたいな人間は息が詰まる思いさせられてんだ! 正義面して好き勝手やりやがってよ!」

「言いたいことはそれだけ?」

 浅倉撫子の虫を見るような目は変わらなかった。そこにはちょっとした憐憫のようなものがあった。浅倉撫子はとことん、この三人の男と同じステージに立とうとはしなかった。完全に上から見下ろしていた。その凜とした目で。

「――ッ、クソアマがぁっ!」

 男はついに拳を振り上げて、浅倉撫子に襲いかかる。

「おいやめろ!」

 光が制止しようとするシュウの腕を振りほどいて、前に進み出た瞬間にそれは起こった。

 それは閃光のような動作だった。

 浅倉撫子は持っていたノートの山から手を離すと、殴りかかってくる男の顎にショートフックの要領で右の掌底を叩き込んでいた。肉と骨が砕かれるような嫌な音が響く。グウという悲鳴とも断末魔ともつかない声を上げて、男がその場に崩れ――落ちきる前に――浅倉撫子は「よっ」という声とともに、ノートの山をまた空中で受け止めた。ぐしゃりと男が地面に倒れ込む。

「自分の拳の間合いも分からないからこういうマヌケなことになるのよ」

 撫子はやれやれといった表情で男を見下ろしていた。

「ひ、ひやあああああああああああああああああああああああああああああああああああ」

 叫んだのは大柄なヤンキー男だった。こいつ、偉そうだったのにビビってるだけだなと光は思った。

「保健室に連れて行ってあげて」

 告げられるが早いか、二人の男は倒れていた男を引きずって去っていった。うわああああああんもうあさくらはこりごりだよおおおおおおと、エコー付きで叫びながら。

 そんな化石ヤンキー達の退場劇に一瞥もくれずに、浅倉撫子は持っていたノートの山を教卓の上に置いた。その周りを女子たちが取り囲む。大丈夫撫子ちゃん?怪我はない?怖くなかった?大丈夫?

 浅倉撫子は笑顔を浮かべて丁寧にそれに答えている。その姿はまさに花の如し――

 ぽんぽんと光の肩を叩いたのはシュウだった。

「さっきは止めて悪かったな。浅倉を守ろうとしたんだろ」

「いや、止めてくれてよかったよ。大恥かくところだった」

 光は頭をかく。まさかこんなに強いとは思わなかった。さっきの掌底は「ちょっとスポーツやってます」などという人間の動きではなかった。あれは何かの武術を極めた者の動きだろう。

 あの、朝のノーパン女がこんなにも凄い存在だったとは。

「岩田屋町に住むなら覚えとくといいぜ。人呼んで『町内最強のセイブツ』浅倉撫子。本物の――怪物だ」

 『怪物』のところを本人に聞こえないようにするためか、シュウは光に小声で耳打ちした。そして「あいつの兄貴もまた別の方向でやべえやつなんだけどな」と付け加える。兄貴はどんな人なんだろう。

「『町内最強』浅倉撫子――もともと中学生の頃から有名人だったんだけどな。なぜか町外の女子校に進学してさ、岩田屋地区の全ヤンキーが感謝してむせび泣いたっていう。――で、それがまたなぜかこの春に岩田屋に帰ってきて、別の意味でみんなまた泣いてるってワケよ。さっきの奴らみたいに」

「なるほどね」

 光はまじまじと浅倉撫子の顔を見る。

 見れば見るほど美人だった。

 ――と、その視線に気づいたらしい。浅倉撫子も光の方を見た。目を細め、こちらをじっと観察する。何かを思い出しそうになっているといった顔だ。もしかしたら、今朝のことを考えているのかもしれない。接近したのはたった一瞬でも光は浅倉撫子の顔をよく覚えていたが、あちら側にしてみればそうでもないのかもしれない。

 女子の一人が「あっ、その子はね、今日からウチのクラスに来た転校生の浜岡光くんだよ」と紹介してくれた。

 紹介されたのだから、光も何か言わなければいけない。こんにちは、浜岡光です。はじめまして。君、すごく強いんだね。びっくりしたよ。君みたいな子と同じクラスになれるなんて光栄だよ。これからよろしく。

 様々な候補が頭の中を駆け巡って、最終的に口から出た言葉は、

「――パイ○ンだったのはさ、元からなの? 剃ってるの?」

 全てを――浜岡光自身を含む全てを――凍りつかせる一言だった。


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