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24 さよならは言わない

 光は暗い路上に這いつくばりながら、自分の口から放たれた『もう一人の自分』の声を聞いた。「やっとその気になったのか」とはどういう意味なのか。そんな疑問を口にする前に、『もう一人の自分』は続けた。

「それでは飛ばしてやろう」

 次の瞬間、光の身体は弾き出されるように、きりもみ回転しながら宙に舞い上がった。

「うわああああああああああああああああああああああああああああああああああ」

 地面から離れて3秒。胃の中身がシェイクされ吐瀉物としゃぶつとなって吐き出された。光は自分の口から放出されたものが、暗闇の中キラキラと放物線を描いて地面に落下するのを見下ろした。

 もはや上昇というよりは、空に向かって落下している感覚だった。

 一秒ごとに地表から遠ざかる。そして、風の音で何も聞こえなくなった。

 光は手足をばたつかせて、なんとか姿勢を制御しようとしたが――まったく無意味だった。むしろ回転に拍車が掛かり、どちらが上でどちらが下なのかも分からなくなる。腹に力を入れて、なんとか姿勢を真っ直ぐにしようとすると、鼻の穴から血の塊と引っ掛かっていた吐瀉物の残りが吹き出した。

 何なんだこれ――

 自分の置かれた状況が意味不明すぎて光の脳は思考を停止しつつあった。状況に身を任せていると、だんだんと上昇速度が緩やかになっていった。

 気が付けば、雲が自分のすぐ近くにある。

 光の身体は岩田屋町を見下ろすように浮遊していた。地上にまばらな明かりしかないのは、嵐による停電のためだろうか。そもそも、その程度の田舎町なのか。

 光は一呼吸つくと、『もう一人の自分』に向かって叫んだ。

「殺す気か!」

 実際、この高度から落下したら人体など粉々だろう。壁に叩きつけられる水風船のようなものだ。赤い染みだけを残してこの世から消滅することができる。

 光は自分が如何いかなる原理で空中に静止しているのか分からなかった。

 だからこそ恐ろしい。

 次の瞬間にも落下が開始されるかもしれないという恐怖と戦いながら、光は『もう一人の自分』に向かって叫ぶ。

「お前、本当に何なんだよ!」

 光の声はどこにも反響せずに消えていく。

 見渡せば果てしなく夜の空が広がっていた。

「俺は言ってみればフカソウチだな」

 返事は自分の口から返ってくる。腹立たしくなるほど冷静な口調だった。馬鹿げた一人芝居のようだが、こうするより他にコミュニケーションの方法はないのだ。

 光は『もう一人の自分』の言葉を反芻はんすうした。

「――フカ?」

「卵をかえすための機能だ」

 説明されても結局どういうことなのか分からない。卵と言われても、いったい何の卵のことなのか。光には『もう一人の自分』が、自分をからかっているとしか思えなかった。

 宙に浮いている感覚にも少しずつ慣れてきて、光は苛立ち混じりの溜息を吐いた。

「お前が何を言ってるのかさっぱり分からない」

 そもそも、これまでもそうだった。

 こいつが何なのかなんて、今までもずっと、さっぱり分からなかったのだ。

 『もう一人の自分』の声は唐突に『暴言』となって現れ、いつだって光を追い詰める。『暴言』による人間関係の破綻が、これまでどれだけ光を生き辛くしてきたか。『暴言』が原因で友人を失う度に、光はそんな自分自身を信じられなくなっていった。

 この町に来てからは、ただ『暴言』を吐くだけではなく、以前よりもそこに人格めいたものが感じられるようになった。そんな風に思っていたら今度は雪男と会話し始めたり、謎の指輪について話し始めたりと、予想もつかない言動が増えていった。

 結果として、その正体はますます分からなくなっていったのだった。

 明確な意志のようなものは感じられるのだが、その目的意識がどこにあるのかが不明なまま、ただただ存在感を増し続けている――それがこの『もう一人の自分』だった。

 そんな光の頭の中を読んだように『もう一人の自分』が言う。

「元より俺に意志らしい意志などない。周囲の情報を吸い上げて反響させているだけだ。お前がワキンヤンの『巫女』と接続したことで吸い上げられる情報が増えた分、多少おしゃべりになったかもしれんがな」

 光は驚き、目を見開いた。

 ワキンヤンとはサンダーバードのことだ。『巫女』とはもちろん、撫子のことだろう。自分が撫子の『よすが』となったことで、こいつはより人格めいたものを獲得していったということなのだろうか。

「しいて言うなら、お前を空に導くことだけが俺の意志だ」

 空。

 今、自分がいる場所だった。

 夜空は広大無辺に広がり、果てがない。

 地表からは隔絶され、嫌でも自らが孤独だと思い知らされる。

 だが同時に、究極の自由を感じられる場所でもあった。

 光は恐怖と困惑、そしてある種の爽快感が胸の中で混ざり合うのを自覚した。

 刹那。虹色の光が眼下で弾けた。

 そうだ、『もう一人の自分』なんかに気を取られている場合ではない。ユニコーンとサンダーバードの戦いは続いている。自分がどんな方法で空中浮遊しているのかは置いておいて、光は二体の神獣の戦いに――いや、そこにいるであろう撫子に意識を向けた。

「撫子!」

 叫びながら見下ろすと、黒いユニコーンの巨大な影は、ダム湖から離れた山中の窪地にたたずんでいた。周囲には破壊の痕跡がくっきりと残っている。ダイナマイトで発破はっぱしたのかと思う程、山肌は無惨に抉られていた。ユニコーンがやったのか、サンダーバードがやったのかは分からないが。

 よく見れば、ユニコーンは出現した時と同じように顔を失っていた。

 首から上は――鋭い角を除けば――黒い肉の塊がうごめいているだけに過ぎなかった。均整の取れた美しい胴体や脚部とのギャップで、その姿はまるでシュールな現代芸術のようだった。

「ユニコーン()()()は『巫女』との融合が解除されているな。残り火程度の力しか残っていないだろうが、制御不能だからこそ逆にやっかいかもしれん」

 『もう一人の自分』曰く、ユニコーンは結城の恋人を解放したということらしい。そのこと自体は喜ばしいが、制御不能という言葉は不吉だった。

 ユニコーンの角がひらめいた。そう思うや否や、ユニコーンの正面にあった谷で爆発が起こる。その爆炎の中から、大きな黒い影が飛び立ち、光の視界の外まで一気に上昇していった。サンダーバードだ。

「撫子!!」

 光が仰ぎ見るが、すでに怪鳥の姿はそこにない。サンダーバードは目で追いきれない程のスピードで、空を切り裂くように飛翔していた。

 辺りを見渡した光が再びその翼の影を見つけた時には、サンダーバードは山を三つ回り込んで、そのままの勢いでユニコーンに突進するところだった。大きく羽を開き、鋭い両足の爪をユニコーンに見せつけるように襲い掛かる。

 ぞっとするような激突音。続いてサンダーバードの甲高い鳴き声と、ユニコーンの金属塊を擦り合わせるような悲鳴が木霊こだました。

 光はその時、初めてサンダーバードの姿をはっきりと認識した。それは図鑑で見たハヤブサによく似ていた。ユニコーンの半分ほどの大きさだが、その戦闘的なシルエットは戦いの神そのものといった風格だった。

 サンダーバードの姿を見るなという撫子の忠告を思い出すが、今はそんなことよりも撫子の戦いを見守りたかった。寿命など好きなだけくれてやるという気分だった。

  ユニコーンに掴みかかったままサンダーバードは翼をはためかせる。突風で周囲の木々が舞い上がり、二体のそばにあった高圧線の鉄塔がへし折れた。そして。

 ユニコーンの首に突き立てたサンダーバードの爪から、稲妻がほとばしった。

 遠く離れていても耳が潰れそうになるほどの爆音が轟き、時間を置いて衝撃波が到来した。光はそれをモロに食らって姿勢を崩す。光の頬にピリピリとした何かが流れていく。幸いなことに地上に真っ逆さまに落下するということはなかった。だが、冷や汗が止まらない。

 とんでもない威力の電撃を食らったはずだが、ユニコーンは平然としていた。

 首を振ってサンダーバードを弾き飛ばすと、その鋭い角を振り回して斬撃のように虹色の光線を放った。サンダーバードは地を這うように滑空し、間一髪でそれをかわす。地平線まで飛んだビームは、光の網膜に残光を残して消えた。

「神話の戦いだな。完全に顕現した神獣同士の一騎打ちだ。もっとも片方は偽物の神だが」

 状況に似合わぬ冷静な声が自分の口から漏れる。そんな気味悪さに光は寒気を覚えた。

 だが『もう一人の自分』の方が、今の自分よりはこの場で起きている事態を理解しているのは間違いない。

「撫子はどうなるんだ?」

 光は自分で自分に問いかけた。

 撫子はきっとサンダーバードと物理的に融合している。ユニコーンに吸収されていた結城の恋人と同じように。光の『縁』としての感覚がそう告げていた。

 岩田屋の空を舞う黒い翼――撫子はそこにいる。

「安心しろ、ワキンヤンはあの『巫女』にゾッコンラブ――ん、妙な語彙ごいが混ざった。そう、ワキンヤンはあの『巫女』に惚れている。軽々しく命を奪ったりはせんだろうよ」

 どこまで信憑性があるのかは分からないが、『もう一人の自分』の言葉が多少なりとも光を安心させた。撫子と意思の疎通ができるぐらいなのだから、あのバカデカい猛禽類にも人間を好きになるような知性があってもおかしくないのかもしれない。

「――よかったって言っていいんだよな」

 半信半疑のまま呟く。独り言として処理されたのか、『もう一人の自分』は何も言わなかった。

 惚れているからこそ返してくれないというパターンもあり得るのではないか。

 そんな不安がよぎるが、そんなことよりも―― 

 ユニコーンのビームがサンダーバードに直撃した。炎を撒き散らしながら、サンダーバードは苦しげな絶叫をあげて山に落下した。

 それを見た光は青ざめた。

 サンダーバードが撫子を返してくれるか――そんなことよりもまず、サンダーバードがユニコーンに殺されないかが重要だった。

 さっきからサンダーバードの攻撃は、ユニコーンに明確なダメージを与えられていないように見えた。逆にユニコーンの攻撃は着実にサンダーバードを追い詰めている。

「ワキンヤンは以前の戦いの傷がまだ完全には癒えていないのかもしれない。本気を出すのを躊躇ためらっているように見える」

 『もう一人の自分』の解説は、冷静だからこそ腹立たしくもあった。撫子もサンダーバードが別のUMAと戦ったという話をしていたが、やはりその時のダメージが残っているのだろう。光が危惧した通りだった。

「僕に……何かできることはないのかよ」

 光は拳を握った。戦いが見えるところまで来たのはいいが、結局無力なのは変わらないのか。遠くにいた間抜けが、近くにいる間抜けになっただけの話だった。応援する? 諦めて逃げろと言う? この状況では何もかも無責任だとしか思えなかった。

「お前にできることなどない」

 残酷な事実を突きつけた『もう一人の自分』を殴るつもりで、光は自分の頬を打った。口の中が切れてじんわりと血の味が広がるだけだった。

 光はせめて自分が近くにいるということだけでも撫子に伝えたかった。

 だが、そんなことをしても撫子は「せっかく置いてきてあげたのになんで来たの」と怒るだけだろう。黙ってこの死闘を見守る――それが光のできる唯一のことだった。

 光は祈った。

 ただひたすら、撫子が死にませんようにと祈った。戦いの結末がどんな形であれ、撫子が生きて帰って来ますようにと強く願った。

 それが弱くて無責任な自分ができる、唯一のことだ。

 そんな風に自分を納得させようとして――

「ちがう!! そんなことをしに、僕はここに来たんじゃない!!」

 光は衝動のまま叫んだ。

 精一杯、自分はここにいるぞと伝えるために。

 思いの力が撫子をこの世界に繋ぎ止めるというのなら、光はそれを全開にして撫子に伝えたかった。

「僕は撫子が好きだ!! だから――――絶対に帰ってこい!!!!」

 光の悲鳴にも似た叫びをかき消すように、サンダーバードの咆哮が山々を震わせた。

 それまでの鳴き声とは一線をかくすような声だった。

 言うならば決意。あるいは覚悟。闇の中で光るサンダーバードの目にも、たかぶる感情のようなものが宿っているように感じられた。空気が弾ける音とともに、サンダーバードは全身からいかずちを放った。

 それを受けて、ユニコーンも唸り声を上げた。

 終末の音アポカリプティックサウンドが、全ての生き物の死を願うように響き渡る。

 二体の神獣は、おのが全ての力を敵に叩きつけようとしていた。

 サンダーバードの放電はもはや地上に落ちた星のようだった。同時にユニコーンの角が、人類全ての悪夢を煮詰めたような虹色に輝く。

 光は呼吸することもできず、直下で起ころうとしている巨大な力の激突を固唾をのんで見つめていた。

 先に動いたのはユニコーンだった。その禍々しい一本角から、極彩色の光線を放つ。今までとは桁違いの威力であることは、周囲に巻き起こった衝撃波の規模でわかった。

 それは山肌に伏せていたサンダーバードに、半秒とかからずに直撃する――筈だった。

 サンダーバードはその瞬間、自らを巨大な一撃の稲妻と化した。

 裁きの光そのものと化した巨鳥は、虹色の光線を明後日の方向に捻じ曲げながら一直線にユニコーンに向かって飛翔した。光。音。衝撃。全てが混沌となり、気がついたときには、黒いユニコーンの身体は一本の光の槍によって貫かれていた。

 そして――――

 全てを無に帰すような大爆発が起こった。

 閃光に目を焼かれた光はぎゅっと身を縮める。その身体を容赦なく衝撃波がもてあそび、光をさらに空高く舞い上げた。

 何秒経ったのか、何分経ったのかも分からなかったが、光が目を開けると、周囲の山の木々は根こそぎ吹き飛び、むき出しになった山肌は溶岩のように焼けただれていた。 

 爆心地のクレーターからは巨大な虹色の光の柱が天頂に向かって伸びていた。

 だが、それもゆっくりと空に溶けるように消えていった。 

 見下ろすと、かつてユニコーンだったものの残骸がそこに立ち尽くしているのが見えた。それは壊れた木馬のオモチャのようだった。その哀れな巨体も、灰色の粒になって消えかけているようだった。

 それは父の願いを叶えるために生み出された奇跡の獣の最期だった。

 あまりにも邪悪で、あまりにも純粋な願い。だが、今の光にはそれを完全に否定しきることはできなかった。その願いに似たものは、自分の中にも確かに存在すると思ったからだ。

 世界中の人間が父の悪辣さに憤ったとしても、自分だけは彼が求めたものの、本当の姿を記憶していたいと光は願った。

 青く光るサイリウムの海と、歌い踊る浜岡ミハネの姿。そして、彼女にまた会いたいと願った男のことを。

 ユニコーンの身体はバラバラと砕けていった。きっとこの獣も、わけもわからず生み出されて、わけもわからず暴れていたのだろう。

 それは、光自身の生き方となんら違うところがないように思われた。

 ――お前も辛かったんだよな。

 光は本当の名前も分からない偽りの神様(きょうだい)が消えていくのをただただ見守った。

「ワキンヤンめ、相当腹に据えかねていたらしいな。基部構造まで完全にヤツを破壊したようだ」

 光の感傷などまるで無視して『もう一人の自分』の声が口を衝いて出た。相変わらず意味はさっぱり分からなかったが。

「それはつまり?」

 呆れ半分で光は一人芝居じみた会話を始める。

「あの黒いユニコーンもどきは死んだ。死んだどころではないな。構成する情報全てがバラバラにされて虚数空間に放逐された。あれでは二度と蘇らん」

「じゃあ――」

「見ての通り、ワキンヤンの勝ちだ」

 その言葉を待っていたかのように、サンダーバードが遥か上空からこちらに向かって滑空してきた。光の横を凄まじい烈風と共に通り過ぎ、巨鳥は悠々と槻本山の尾根に着地した。そして、自らの勝利をうたい上げるように甲高い鳴き声をあげた。

 ふと気がつけば、東の空がうっすらと明るくなっていた。

 夜の闇の終端。その濃い青色の下に、燃えるような曙色が迫ってきていた。

「ワキンヤンがこちらを見ているぞ。恐ろしいことだ」

 おどけるように『もう一人の自分』が言った。確かにサンダーバードの鋭い目は、光を見つめているようだった。まさか、自分が次の獲物にされるのか。光は辺りを見回したが、逃げる場所も隠れる場所もない。そんな焦った光の姿を見たからではないだろうが、サンダーバードは呆れたように一声鳴くと、その大きな翼を羽ばたかせて上空に舞い上がった。そしてそのままぐんぐん上昇し――空の果てに消えた。

 神の獣同士の戦いは、ここに決着したのだ。

「――――って撫子は!?」

 狼狽ろうばいしきった光の声にかぶせるように、『もう一人の自分』が告げた。

「うん? 『巫女』なら解放されたようだぞ。さっきまでアイツがいた場所に行ってみるといい」

「――よかった」

 はたから見れば間抜けな一人芝居にしか見えないやりとりを終えて、光は安堵の溜息を吐いた。撫子が生きて帰ってきたのだ。これにまさる喜びはない。

 甘いものを山ほど持っていかないと、僕が食べられちゃうかもしれないな――そんなことを考えるぐらいの余裕が、光の胸には戻ってきていた。

 撫子、よくがんばったね。

 ありがとう。

 おかえり。

「まずいな」

 また唐突に『もう一人の自分』の声。何がまずいんだよ――と『もう一人の自分』の声に突っ込みたかったが、頭上に広がった光景の衝撃が、それを不可能にした。

 空にぽっかり穴が空いていた。

 群青色の空の真ん中に、真っ黒な穴としか言いようがないものが出現している。

 いったいいつからなのかも分からない。先程サンダーバードが飛び去ったときには無かったように思われたが――

「何だよ、あれ」

 呆然と漏らした光の声に『もう一人の自分』が応じる。

「次元境界に穴が空いたまま塞がらず、不安定化が加速度的に進行している。二体の強大なUMAが境界を突破してこちらの世界に現出した。そして一体が消滅し、一体だけがあちらの世界に帰ったわけだが――」

「まどろっこしいな! どうなるんだよ!」

 言っている間にも、穴は大きくなっているようだった。この町そのものに覆いかぶさるように巨大化を続けている。

「こちらとあちら――隣接する二つの世界の間に極端な情報量の不均衡が起きている。このままだと、あちらの世界に神獣一体分の情報が吸い上げられる」

「――だから、それで」

 どうなるんだよと言う前に、『もう一人の自分』が言い放った。

「結果、次元境界が融解して、この町を中心に周囲数百キロの全てが吹き飛ぶ」

 光は自分の口から出た言葉を消化できずにフリーズした。

 この町を中心に周囲数百キロの全てが吹き飛ぶ。

 それは光にとって、世界の終焉と同義だった。

「――――は?」

 なんとかその一音だけを絞り出した。

 穴の拡大は止まらない。

「ワキンヤンがやりすぎたのだ。ヤツは帰ってしまったが」

「馬鹿なのか!? あの鳥は!?」

「俺に言われてもな」

 『もう一人の自分』の声は冷静だったが、途方に暮れているようにも聞こえた。

「――どうすればいいんだよ、こんなの」

 せっかく撫子が生きて帰ってきたというのに、こんな結末が用意されているなんて。

 光は頭が真っ白になっていた。

 せめて、撫子を連れて逃げられないだろうか――そんなことを胡乱うろんな頭で考える。なんとか空中を移動しようと平泳ぎのように手足をバタつかせたが、まったく進んでいかなかった。

「方法ならある」

 『もう一人の自分』の声が、光の行動を停止させた。

「――何?」

「卵を孵せばいいのだ」

 また意味不明なことを、と光は苛立つ。

 卵。確かに『もう一人の自分』は自らのことを『孵化装置』だと言っていたが。

()()()()()()()()()()()U()M()A()()()()()()()()()()()()。そこから誕生する一体で、あの穴を塞げる」

 口から滑り出た言葉が、言葉の主である光自身の頭を殴りつけていく。

「――お前、本当に何なんだ……」

 おそれと共に吐き出されたそれは、もはや光の魂の声だった。

 光に張り付いていた存在は、光自身の想像や理解を遥かに超越したもののようだった。

 『もう一人の自分』は、確かにUMAの卵と言った。

「俺は孵化装置。あるいは反響だ」

「違う、お前のその、卵だよ。何の卵なんだ」

 光が思い出しているのは、あのユニコーンをいだいていた黒い巨大な卵だった。それは光が知っている唯一のUMAの卵だった。あれと同じようなものを、自分と『もう一人の自分』で温めていたという。光は周囲を見渡す。

 そんなものが一体どこにあるというのか。

「現代の神獣だというのにお前たち人間は随分味気ない名前で、それを呼んでいる」

 『もう一人の自分』はうやうやしくその神の名を告げた。

「フライング・ヒューマノイド――と」

 その言葉を耳にした途端、光の脳裏に真っ白な卵の姿がくっきりと浮かび上がった。それは実体を持たず、光という存在の内側にあるようだった。

「これがずっと僕の中にあったのか」

「そうだ。全て母親から継承したものだ。多重情報体の血筋は、長い歳月の中でUMAの卵をその精神世界に生成する」

 口を開けたまま、呆けた顔で光は頭上に目をやった。

 空の穴はさらに大きくなり、その色を濃くしている。

 フライング・ヒューマノイド。空野有の話の中に、そんな名前が出てきていた気がする。それは、大空という人類にとって未知の世界に存在するUMAだという。

「卵が孵ったら僕はどうなるんだ」

 光は自分の内面で膨れ上がる白い卵の存在感に震えながら尋ねた。尋ねながらも既に『もう一人の自分』の答えを、光はなんとなく予期していた。

「卵が孵れば、浜岡光という固有の人格は消滅し、その存在はフライング・ヒューマノイドを構成する情報の中に統合される」

 『もう一人の自分』は事も無げに告げた。

 今度こそ本当に光の頭は真っ白になった。

 浜岡光という固有の人格は消滅――それはつまり。

「死ではない」

 『もう一人の自分』の声は否定する。

「新たなる誕生だ」

 光はそれを祝う気には到底なれなかったが。

「そう、か……」

 光は突然現れた二択問題の前に立ち尽くした。

 ここで何もせず周囲数百キロごと吹き飛ぶか、それとも自らの人格の消滅と引き換えにこの町を――撫子を――救うか。

 光は皮肉な運命を感じていた。

 もし光が自らの消滅と引き換えにこの町を守れば、光と撫子の立場が裏返ることになる。自分が今まで抱いていた様々な思いを、そのまま今度は撫子に押しつけることになるのだ。

 撫子が一人で戦いに向かうことを否定したかった自分が、逆に自らを犠牲にして撫子を守ることになる。

 なぜ一人で戦おうとするの?

 そんな問いが、全てそのまま自分に跳ね返ってくる。

 光は自分の口の端が知らず知らず歪んでいくのを感じた。しかし、それを止めようとも思えなかった。光は今、笑いたかった。

 そうか、撫子はこんな気持ちだったのだなと、光は理解できた気がした。

 自分の命よりも大事なものができるって、こういうことなのか――と。

「死ぬわけじゃないんだな」

 確かめるように『もう一人の自分』に尋ねる。

「そうだ」

 それを聞いた瞬間、パキリという音がした気がした。

「だったら――」

 光は槻本山の尾根を見つめた。

 撫子は目覚めているだろうか。それとも意識を失っているだろうか。

 最後に顔を見られないのは残念――いや、そんなことはどうでもいいことだ。

 光の心の中に、撫子の姿ははっきりと焼き付いているのだから。

 自分という人格が消滅する直前まで、その姿を思い浮かべていようと光は思った。想像の中の撫子は見つめられているのが恥ずかしくなったのか、「何よ」と唇を尖らせた。光は苦笑した。本当に、最後の最後まで撫子は撫子だった。

 続いて走馬灯のように思い出されたのは、アイドル研究部の面々と神社で練習した日々だった。サンダーバードと共に行くことを選んだ撫子も、きっと同じような場面を心の中で再生したに違いない。毎日汗だくになって練習したのに、本番のステージを迎えられなかったのは正直残念だった。それでも、この夏の思い出は五人の中に残り続ける。左手首に固く結びつけられた緑色のミサンガは、まだそこで揺れていた。

 シュウや忍、澄乃の顔が思い浮かび、消滅への恐怖と寂しさが砂嵐のように光の心に吹きすさび始める。

 それでも覚悟が揺るがないのは、撫子の人生がこれから先も続いていくことをイメージできるからだった。

 どこにもいたくないと思っていた自分が、望み通りこの世界から消えてなくなる。

 だが、きっと以前の自分なら、今の自分のような気持ちにはならなかっただろう。

 そう思った瞬間、光の中で白い卵の殻が弾け飛んだ。

 光は自分という存在の輪郭がぼやけていくのを感じた。

 自分の身体が、急速に大きくなっているようだった。

 そして、自分が空に浮かぶ一体の光る巨人になったことを認識する頃には、浜岡光はもう浜岡光ではなくなっていた。思い出も感情も、すべて薄青色の空に霧散していく。弾け飛んだ緑色のミサンガが風に舞った。

 それでも、見下ろした先にいる一人の少女の姿を認めた時。

 目を丸くしてこちらを見上げる黒髪の少女の姿を、その目に捉えた時に。

 フライング・ヒューマノイドは言わずにはいられなかった。

「――――」

 夜明けよりも明るい光が空を包み、全てが終わる頃には、朝日が東の空に顔を覗かせていた。


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