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#これこそがもっとも完全な祈り05

 篠突く雨。

 白薔薇が咲き誇るガラスの温室で、アウローラは胎児のように丸まって微睡んでいた。

 アーサーはこのままではいけないと分かっていて、そっと毛布をかけてやる。

 クレイドルに乗れなくなった自分にできることは最早ない。

 もう誰も救えないし、誰とも戦えない。

 〈マギエル〉を、双子のように愛したアイリスを喪って夢の中に逃げ込んだアウローラもまた、フィアラと競って王権を奪取する気概はない。

 花が朽ちていくように、誰も訪れないこの薔薇園で二人()んでいくしかないのだとアーサーは半ば本気で思っていた。だから、その急な来客には些か戸惑った。――あまり話したこともなかったので。

 ディートリヒ・ジルバーナーゲル一等書記官。

 砂色の髪に琥珀の瞳。

 細身で上背のある、元パイロットらしい均整の取れた体つきをしている。

 一旦死んで()()()()()男。

 〈マギエル〉をかつて誰より愛し、大戦の魔女という鎖にがんじがらめになっていた彼女を亡命させんと、皇国を裏切り東アジア(チョンジエン)とのダブルスパイに身をやつすことすら厭わなかった男。

 その経験を買われて今は外務省で外交官として日々各国を飛び回っている男。

 ……アーサーが知る彼の情報はあまりに表面的だ。

 その彼が制服姿で現れたとなれば、警戒するのもやむなしだろう。

「えっと……どうしてここへ……?」

「用があるからに決まってんだろ。茶のひとつも出ないのかよ、ここは」

「アウローラに?」

「……まだ寝てんのか。そっちはいい。生憎フィアラ皇子一派が意外とうまく回しちまってるもんだから、お家騒動してる場合じゃねぇ」

「じゃあ僕に?」

 髪が伸びて無精ひげ姿のアーサーに「情けねぇな、東アジア(チョンジエン)の悪鬼様ともあろうものが」吐き捨てるように彼は言った。

「ほっといてよ……。もうクレイドルには乗れないし、一体何しに来たんだよ」

「オレだってお前に頼らずに済むなら頼ってねーわ」

 一応出した珈琲を一口啜って「インスタントの淹れ方も知らねえのかよ」憮然とした顔でタブレットを取り出す。

「AI開発を頼みたい。金に糸目はつけない。国庫ごとやるってよ」

「AI? いったい何の」

 息が止まった。

 そこに書かれていたのはクレイドルパイロット恒久化計画。

「また乗れるようにしてくれ」

「なんだってこんな……こんな……もう遅い! 彼女はもう死んだんだ! だからアウローラだって」

「あの悲劇をもう繰り返させねぇためだ。ユリウスやエステルが同じ目に合わないと誰が言える」

 急に眩暈が襲ってきて、へなへなとアーサーは額に手を当てて天を仰いだ。

「もう遅いんだ」

「まだ遅くない。ジェイムズ・セシルは受けたぞ」

「……セシルが?」

 ディートリヒが居住まいを正す気配がした。

「考えてもみろよ。お前、セシル、飛龍(フェイロン)、ペドロ、オレ、ヴィルヘルム――全員また乗れるようになったら今の戦局なんか圧倒できる。大戦を有利に終えられる」

「また戦うのか? その先に、どんな『あした』があるって言うんだ」

「少なくともここで朽ち果てるより後悔しない日だと思うぜ」

 彼は音もなく立って、「このままじゃダメだろ、お前らも」眠るアウローラの顔をそっと覗いた。

「今週金曜1800(ヒトハチマルマル)、軍令部で待ってる」

「行かなかったら?」

「本当に来る気のないやつは疑問形にしない」

 ひらひらと手を振って彼は去った。

 クレイドルパイロット恒久化計画。

 揺れる目でアーサーはタブレットをスワイプする。

 確かに自分かセシルぐらいにしか開発できないAIだろう。

 自立自走しながら使役者の意図も組む、もはや人間の脳を電子化せよと言われているようなものだ。

 ふと、アーサーは頭を抱えて泣きながら笑った。

 全くどうして。僕ってやつは。

 世界から逃げ切ったつもりなのに、どうやったら実現できるか計算している自分がいる。

「ごめん、アウローラ。もう二人きりではいられない」

 泥濘(ぬかるみ)のような生活の終わりがすぐそこに来ていた。


  ☆


 時は少し遡り――

 仕立て上がりの儀礼服を助手席に乗せて、李飛龍(リ・フェイロン)は共同墓地を訪れていた。

 紺のサテンシルクにプラチナの刺繍が精緻に施された儀礼服と花束を抱えて、小高い丘を少し歩く。

 大樹の下に、アイリスの形ばかりの墓がある。

 暗く冷たい石の下に本人の亡骸はない。

 〈マギエル〉を利用したい人間に荒らされないよう、彼女の遺伝子は最低限を残して(そら)の藻屑にした。逆を言えばあまねく大気に彼女はいる。

「来たよ。これ見てほしくってさ、たぶんエステルはここには来ないから」

「儀礼服、婚約するんだよ、おちびさんが。――心配しないで、絶対不幸にはさせない、利用するのもこれきりだ。あとでいっぱい不甲斐ない俺たちを叱ってよ」

「神国連盟から必ず取り戻す。だからさ、キミもあの子の無事を祈ってて」

「そうそう、儀礼服にロンギヌスの刺繍も入れたよ。いいよね、キミと俺とエステルの共通点みたいなもんだし」

「ごめんよ。キミが遺した平和を守れなくて。でも――あ、そろそろ時間だ。行かなきゃ」

 モバイルが鳴る。

「遅い!! どこほっつき歩いてる!!」

 ヴィルヘルムの怒声が耳を(つんざ)く。

「悪い、すぐ向かう。十五分くらいかな。お姫様に謝っといて」

 独りよがりな行為だと分かっていても、ここに彼女はいないと知っていても、この十三年、足繁く通うのを止められない。全て投げ出したくなったときに、何でもない休日に。晴れた日に、雨の日も。

《しっかりしてよ、ロンギヌスの隊長さん。エステルをよろしくね》

 そよと大樹が揺れる。

 いつもこうして脳内で彼女の声を反芻しては、己に喝を入れる。

 まだ折れるわけにはいかない。

 彼女の死を防げなかった、あの日間に合わなかった自分が受ける罰があるとしたら、生きて彼女の愛したものを守り抜くことだと言い聞かせる。

「それじゃあ……また。今もいつでも愛してるよ」


  ☆


 飛龍がヴァルトシュタイン家に足を運ぶのは久方ぶりだった。

 玄関ポーチで待っていたエステルが迷ったように「隊長?」敬礼して迎える。

 上司として接するべきか旧知の仲として迎えるべきか悩んだらしい。

 変に几帳面なところを含めて、ますますあの人に似てきた。

 瞳の色が父親に似て少し薄いぐらいで、あの人のクローンと言えば信じる者もいるだろう。

 ぼんやり思いながら小さな頭を撫でた。

「飛龍でいいよ、今は任務中じゃないんだから」

「へへ、じゃあ……久しぶりだね飛龍」 

「仕上がったよ。儀礼服。着てみてくれる?」

 紺地のドレスを差し出すと、ぱあっと表情を輝かせる。

 この顔が見たかった。

 仕立屋への発注を買って出、ミリ単位の調節を繰り返させた甲斐があった。

 ヴァルトシュタイン家の男性陣はこういう分野に少し大雑把なもので、イライラして奪い取ったというほうが正しいか。

「わぁっ、すごい刺繍。ロンギヌスの徽章も! 見て見て、ほら!」

 ロンギヌスの徽章、と言ったところで父子そっくりに渋面になった。

 箱入り娘が軍属を選んだことを喜ばしくは思っていないのと、忍ばせたメッセージを正しく理解すれば、まあ妥当な反応だろう。

「お前、人んちの娘に勝手にマーキングするな!」

「いやいやいや、心細くないようにっていう俺なりの気遣いですよ。気遣い」

 娘が支度室に消えるや否や胸倉を掴んできたヴィルヘルムに棒読みで返すと、さらに棒読みでユリウスが重ねた。

「飛龍そういうとこあるよねぇ。エステルが嬉しそうだから許すけど次はないよ」

「飛龍さん、な。ユーリ。お前は俺だけじゃなく周りのこと舐めすぎ」

「それにしてもよく仕上がりましたね。誰かさんがこだわりすぎて間に合わないかもって、エステルのやつ、お祖母様の娘時代の儀礼服引っ張り出してきたり落ち着かない犬みたいだったから。シリアスに沈みこまれるよりは良かったんですけど」

「今回はそこそこで間に合わせるさ。いつかちゃんと嫁ぐ日は本腰入れるよ」

「こっわ……」

「ほら、遊んでないで。こっちはこっちで仕事するぞ」

 呆れかえったヴィルヘルムの呼び声で飛龍も表情を引き締める。

 重厚な調度で誂えられた執務室で、今後の方針について擦り合わせるのだ。

 お互い大概は予想のついている茶番劇に近い会合ではあるが、外務大臣で皇国五家筆頭の長と、ロンギヌスの隊長で次期国防省副長官になる二人の会話であることに意味があった。

 そういう遠い遠い場所まで来てしまった。

「婚約が成った以上、神国連盟が和睦の交渉に就くまでエジェ派は切り捨てざるをえない」

「グレンヴィル家は何と?」

「受け入れた。新型クレイドル用AIの開発も受託してくれた」

「忍びないね――アーサーのところへはディートリヒが向かったよ」

「そうか。これで下準備はできたな」

蜂の巣(ラ・リュッシュ)とBBBはどうする」

「ロンギヌスの見解は」

「今のところ実害が大きくないから様子見だな。とにかく数だけは多いからまともに相手すると消耗戦になる」

「それでいい」

 想定内の問答を一瞬のタイムラグなく応酬する。

 それをユリウスは公式文書としてまとめていく。

「他に抜けは、ユリウス」

「神国連盟の扱いについては。皇国五家の第四卓が空位ですが、調整しますか?」

「第五卓の(てい)家が反発するだろう。それに内政への発言権は持たせたくない。あくまで『エステルが先方に嫁ぐ可能性がある』レベルで留め置きたい」

「承知いたしました」

 鄭家を刺激しないよう。その部分を削除して、また公式文書に追記する。

「ユリウス」

 飛龍に珍しくユーリではなくユリウスと呼ばれて、「来た」と思った。

 元家庭教師の金色の双眸は猛禽類のようで、ときたま緊張する。

「本当にクレイドルに乗るつもりはないのか」

「ありません。僕は本当にクレイドルが嫌いなんです。憎んでいる。だからエステルにも誰にも乗ってほしくはない。――戦時中だから利用してやってるだけで」

「この先、戦闘が激化しても?」

「そもそもクレイドルや武器がなければ争いは激化しない。まあ経済戦争などは起きるでしょうけど」

「エステルが戦闘中に死んでも?」

 探るような目に思わず食らいつきそうになった。

 エステルが死ぬ?

 それが嫌だからクレイドルを一機残らず破壊したいのだ。

 妹はあのとき幼すぎた。だから《ルサールカ》の残酷さを分かっていない。

 僕はわかっている。血も涙もない0と1でしか判断できないAIの本性を。

「飛龍、もういい。ユーリは乗らない。俺が許可した。それ以上の理由はいらないだろう」

 見かねたヴィルヘルムが割って入る。

 父はクレイドルに乗れとは言わない。

 軍属を選ばないと告げたときに「俺そっくりの逃げ方しやがって」と苦笑いされただけだ。いいとも悪いとも言わない。

 ただ、たまに家の格納庫で埃をかぶった《エーデル》を黙って見上げているときがある。

 それだけだ。

 自分が乗れなくなった時の話も、なぜ政治家の道へ「逃げた」のかも話さない。父はどちらかと言えば硬派な男なのでそういう弱みを見せるのが苦手なのだろう。

 母が死んだときも泣きも取り乱しもしなかった。「その日がきた」かのように粛々と対応していたように思う。

 矛盾する話だが、ユリウスは〈マギエル〉たるとしたら自分しかいないと思っている。恐らく妹より強い自信がある。

 それでも自分はクレイドルを選ばない。

 だから妹も選ぶべきではない。あの子では〈マギエル〉には足りない。

「支度できたよ~。サイズばっちりすぎてちょっと怖いくらい~」

 歌い、くるくると回り踊りながら入ってくる無邪気さに苦笑しながら、「馬子にも衣裳」と揶揄いながら手を叩いてやる。真っ赤になって地団駄を踏む姿も(いとけな)く可愛らしい。

 その隣で父と飛龍が無言で動画を回す。事あるごとにこんな調子なので月額最高まで課金した上でモバイルの容量が足りないらしい。親バカ代表の嘆きは放っておくとして。

 エステルはこれでいい。

 〈マギエル〉なんかにならなくていい。

《あとはよろしくね。――きみたちは世界の『あした』だから》

 神様(マギエル)が最期に遺した呪いを憶えていないままでいい。


  ☆


 地球との距離のせいか、使っている通信機が旧型のせいかノイズがひどい。

 ザ……ジジジ……という音が頻繁に混ざる。

「手筈は整いつつある。同調者も多数いる。決起の時は近い」

 若く硬い声が地球側に呼びかける。

「エステル・フォン・ヴァルトシュタインが神国連盟に嫁げば、皇国五家に山猿の血が混ざることになる。蜂の巣(ラ・リュッシュ)にとって、これほど耐え難い婚姻があるだろうか。皇国五家は皇国五家内で結ばれるのが、皇国民の純粋な血を守っていくのが、ひいては世界の均衡に繋がる。この婚姻を破棄し――衛星を撃ち落とし、姫を脅迫する野蛮な輩から、その卑劣から救い出さなければならない」

 見せしめなのか、袈裟姿で頭に袋をかぶせられた男たちが次々銃殺されていく。

 歓喜の声が波打つように居並んだ軍人たちの中で呼応して、地鳴りのような音がする。

 皇国の森の中の倉庫と地球に数多とあるアジトを結んでの決起集会だ。

 倉庫二階のキャットウォークから居並んだ軍人たちを見下ろす。

 七三分けの几帳面そうな、肌の色が悪い神経質そうな青年。

蜂の巣(ラ・リュッシュ)総統 シオン・トゥローズルが命じる」

 飛龍の不在に持ち出した十数機のクレイドルと自機エンリルを前に彼は命じる。

「立て、同胞たちよ。山猿どもを排除し、皇国民がこの世で一番優れていると世界に見せつけろ」


 熾火はすでに大きくなりつつあった。

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